8.幸せが、胸に刺さって痛い
季節がまた巡り、村には春の風が優しく吹き抜けていた。
太陽の光は柔らかく、青葉のいい匂いがしていた。
広場では子どもたちが楽しそうに走り回っている。
私は前よりもずっと、馴染めるようになっていた。
「ニアちゃん!これあげる!」
友達の子が、花冠をそっと頭に乗せてくれる。
「きれい…!」
「ニアちゃんに似合うと思ったんだ!」
胸がふわっと温かくなる。
(……嬉しい…こんな気持ち…前の世界では感じたことなかったな…)
エリナとライルは少し離れた場所で笑って見守っていた。
エリナが手を振ると、私は走って駆け寄る。
「ただいま、エリナ!これね、ニアにつくってくれたの!」
「まあ!とっても素敵ね。本当に似合ってるわ、ニア」
「んふふっ」
自然に笑えている。
エリナに褒められて、胸がぽかぽかして、
友達と遊んで楽しくて。
思い切り走るとライルが「よく走れたな!」って頭を撫でてくれて。
(……ニアの世界は…あったかい……)
そう思える時間が、確かに増えていた。
⸻
その日の帰り道
ライルが私を抱き上げ、肩車をしてくれた。
「高いだろう!どうだ、ニア?」
「わぁぁ……!たかいっ…たかいよ、ライル!!」
笑い声が風に乗る。
エリナも笑いながら手を伸ばしてくれる。
「ニア、気をつけてね?落ちたら大変だもの」
「ライルが、ニアを、まもるからだいじょーぶー!」
ライルが豪快に笑う。
「任せとけ!」
エリナも笑う。
その笑顔に、胸がまた温かくなる。
(……しあわせ…)
ふいに、心の奥から言葉が溢れた。
「…ニアね、いま…しあわせ…」
エリナが目を丸くし、すぐに微笑んだ。
「まあ……そんなふうに言ってくれるなんて。わたしも嬉しいわ」
ライルも優しく頷いた。
「そうか。そう言ってくれると俺も幸せだ」
風が気持ちよくて。
光があたたかくて。
二人の声が安心で。
友達の笑顔がキラキラしていて。
(……あぁ、こんな世界があったなんて…)
胸の奥に広がっていく。
あたたかい。
やわらかい。
幸せ。
⸻
その瞬間だった。
胸の奥を、鋭い痛みがえぐった。
目に涙を溜めた娘の顔が、脳裏に浮かんだ。
『…もう…関わりたくないの…。もう勘弁して……ママと話すの、もう無理…』
『私のためじゃない…ママのためでしょう…?』
心臓がきゅうっと縮む。
(…あの子は…私の娘は……今……どうしてるの…??)
喉に何かがつかえたように声が出ない。
エリナが不思議そうに首を傾げる。
「ニア?どうしたの?急に黙っちゃって」
「……っ……」
言えない。
言いたくない。
でも胸が痛い。
あんなふうに私を拒絶して、泣きながら去っていった娘。
私はあの子の心を壊したまま…死んだ。
(ニアは…いま……しあわせなのに……あの子は……ずっと…痛いまま…?)
身体が震えた。
エリナは気づかぬまま、優しく微笑む。
「帰りましょうね、ニア」
「……うん……」
⸻
夜。
眠る前、私はひとりで窓を見ていた。
月明かりが木の葉を照らしている。
胸がチクチクして気持ちが沈み込む。
(…私だけ、しあわせで…いいの……?)
エリナは優しい。
ライルも優しい。
私の周りはあたたかい。
でも……
(……あの子は……?)
娘は今も、私のせいで苦しんでいるかもしれない。
私の“愛だと思い込んだ呪い”を抱えたまま。
私は、娘に何も返さないまま死んでしまった。
いや、それどころか、娘にとっては呪いを残して消えた母かもしれない。
「…………」
ズキズキと胸が痛む。
涙がぽたりと落ちた。
私は小さな両手をそっと胸の前で合わせた。
「……かみさま……」
誰に向けた祈りかさえ、わからないまま。
「かみさま……どうか…お願いです…あの子が……しあわせで……ありますように……」
涙がとめどなく溢れ落ちる。
「…私のことなんて忘れて良いから…お願い…しあわせでいて……」
声が震えていた。
「……どうか……あの子が……自由で……ありますように……」
祈りは月明かりに吸いこまれていく。
そして、涙の跡が頬で光ったまま、私はすとんと、眠りに落ちた。
⸻
真っ暗な世界。
遠くで、誰かの泣き声がする。
ひとりぼっちの子どものような、胸の奥がざわざわする泣き声。
私はふらふらと声のする方へ歩く。
靄の向こうに、光がひとつ灯った。
光の中心に、泣いている 小さな影 が見えた。
(…え…?)
次の瞬間、私は息を呑んだ。
その子は…
あの泣いている子は…
間違いなく私の“娘”だった。




