第6話:世界が欲しがる聖女と、彼女を奪う者
──王都・中央議事堂──
「聖女エリス=ルーナは、国家最高位指定《特別戦略級資産》として再確保されるべきだ」
国王の命により緊急招集された評議会で、最年長の老貴族が静かに告げた。
「確認された魔力波形によれば、彼女の“回復魔法”は、既存の魔術理論を超えている。“死の回避”“物理干渉の巻き戻し”──これはもはや、神代魔法に匹敵する」
「すでに近隣諸国にも情報は漏れました。
“聖女を奪った王国”と見なされれば、外交問題に発展しかねません」
「つまり、猶予はないということだな」
重々しい声が交差する中、王はただ一言、命じた。
「──聖女を、奪還せよ。あらゆる犠牲を許可する」
◇ ◇ ◇
──辺境・山小屋──
「……また夢を見たの」
エリスがぽつりとつぶやいた。
「白い空間に立ってて、そこに、何か……大事な人がいた気がするの。でも、顔も名前も、何も思い出せないの」
彼女の声には、不安と……喪失の気配があった。
回復魔法を使うたびに、彼女の中から少しずつ“時間”が失われている。
それは、記憶という形を取って、静かに彼女自身を削っていく。
「カイン。私、何か……忘れてる?」
僕は、答えられなかった。
本当は、たくさんのことを忘れている。
僕と旅立った時のこと。最初に笑ってくれたこと。僕を庇って泣いたこと。
でもそのすべてが、もう彼女の中にはない。
「いや、大丈夫。……僕が覚えてるから」
そう言って笑うのが、どれほど苦しいか。
でも、それでもいい。
彼女が忘れるたびに、僕がその記憶を引き継ぐ役割になる。
それが、僕にできる唯一の抵抗だった。
そのとき。
窓の外から、魔力の奔流が走った。
「……来たか」
黒い軍服の集団が森を抜け、小屋を包囲する。
王都直属、魔導特務騎士団。
騎士団長の男が、拡声魔術で告げる。
「聖女エリス・ルーナ。君を“保護”する。抵抗すれば、同行者もろとも拘束する」
「カイン……」
「行かないよ、絶対に」
僕は小屋の奥に隠していた装置を取り出す。
魔導式拡散結界――《妨害障壁》。
これがあれば、数分だけ魔力感知が遮断される。
その隙に、崖下の隠しルートを抜ければ……!
だが。
バゴォンッ!
爆発音と共に、壁が吹き飛ぶ。
そこに現れたのは、深紅の外套を纏う一人の青年だった。
「……やあ、久しぶりだね、エリス。……そしてカイン、“英雄志望の落ちこぼれ”くん」
「……アルヴィス……!」
王都第一騎士団副団長。
かつて僕と同じく、魔法学園で首席を争った男。
王都に忠誠を誓い、**“聖女を絶対的な力として管理すべき”**と主張する、冷酷な天才。
「君の旅ごっこはここまでだ。エリスは国家のものだ。“記憶がどうこう”など、どうでもいい。
この力は、戦争を止める鍵だ。万人の犠牲の上に成り立ってこそ、価値がある」
「……それが、君の正義かよ」
僕は前に立つ。
その瞬間、アルヴィスが指を鳴らし、魔法陣が浮かび上がる。
雷撃魔法。
直撃すれば、僕の命はない。
でもそれでも――僕は、エリスの前から動かなかった。
バチィィィィィィィィッッ!
光が炸裂し、視界が焼けた。
だが……雷が届くより先に、エリスの魔力が走った。
「カインに……触れないでッ!」
その瞬間、時間が巻き戻った。
雷の魔法が放たれる前の世界に、巻き戻された。
だが――エリスはその場に、膝をついて崩れ落ちる。
「……あれ……カイン、だっけ……? あなた……誰……?」
やっぱり……来てしまった。
僕の記憶が、彼女の中から消えた。
それでも、僕は、笑うしかなかった。
「はじめまして。……君を、守りに来たんだ」