第5話:“聖女狩り”開始──選択を迫られる二人
──辺境の森・山道の入口──
僕たちは夜明け前に村を出た。
王都の騎士団が来ると知った瞬間、時間はもう残されていないと悟ったからだ。
逃げ道は二つ。北に抜けて交易都市を目指すか、東の山を越えて無人地帯に出るか。
……どちらにせよ、王都の騎士団に見つかれば、ただでは済まない。
僕たちが選んだのは、東の山道だった。
危険だが、そのぶん追っ手も少ないはずだ。
そう、思っていた。
──だが。
「聖女エリス・ルーナ、およびカイン=アレスト。王都騎士団第七隊より、確保命令に基づき、拘束させていただく」
その声が響いたとき、霧の中から現れたのは──完全武装の騎士団七名。
道の両側を固められ、退路は完全に断たれていた。
「確保、って……私、何か悪いことした……?」
エリスが怯えたように僕の袖を掴む。
「……してない。君は何もしてないよ」
僕がそう答えた時だった。
騎士の一人が、荷車を引いて前に進み出た。
「では、力を見せていただきましょう。これが“貴女の力”と呼ぶに値するかどうか」
荷車には、布をかけられた何かが載っていた。
騎士が布をめくる。
そこにあったのは──瀕死の少年だった。
血に染まった服。呼吸は浅く、意識は朦朧。
明らかに、今すぐ治療しなければ死んでしまう。
「彼は、魔物討伐に失敗して重傷を負った。治癒魔術師たちも匙を投げた」
「なっ……!」
「しかし、聖女エリス様であれば。噂通りなら、死にかけた命すら“回復”できるはずです」
これは──罠だ。
彼らは彼女の力の正体を見極めようとしている。
いや、もはや「公に認めさせようとしている」。
そうなれば……王国は、彼女を“聖女”ではなく、“神具”として扱うだろう。
エリスは震える指で少年に手を伸ばしかける。
「私……助けたい……でも……でも……」
だめだ。このまま使えば、また記憶が削られる。
いや、それだけじゃない。この場で力を証明したら、もう逃げられない。
「やめろ、エリス!」
僕は彼女の手を掴み、振り払った。
「でも……死んじゃう、よ……!」
「この人を救ったら、君は“モノ”として使われる! それでもいいのか!?」
「私は、命を見捨てるなんてできない……聖女だから……!」
彼女の目には、迷いがなかった。
ただ一人の命を救うために、自分の全てを差し出す。
それが、彼女の在り方だった。
「……なら、僕が代わりに背負う」
僕は騎士の前に出て、堂々と言い放った。
「エリスの力は“回復”なんかじゃない。“時間”を巻き戻す力だ。彼女は世界の理すらねじ伏せる、ただ一人の存在だ」
騎士たちがどよめく。
「それを使わせたいなら、まずは僕を殺してからにしろ! 彼女に力を使わせるたびに、彼女の記憶が削れてるってのに……」
沈黙が流れた。
だが次の瞬間──
「……止めて、カイン」
エリスが、優しく、でもしっかりと僕の手を握った。
「私は……それでも、救いたいんだ。カインの心が、誰より優しいって知ってるから。……だから私も、ちゃんと選びたいの」
彼女はゆっくりと少年に手を伸ばした。
光が、世界を包み込む。
そして次の瞬間──少年は目を見開き、傷も血も、まるで最初からなかったかのように、立ち上がった。
騎士団は全員、声を失った。
「……完全治癒、以上の……いや、これは……“因果そのものの改変”……?」
でも、僕はエリスの方を見ていた。
彼女の目が、一瞬揺れた。
「……えっと、ごめん。さっき、私……なんで泣いてたんだっけ……?」
まただ。
彼女の中から、ほんの少し、“さっきまでの感情”が削れている。
……もう限界は近い。
次に使えば、もしかしたら、僕の名前も忘れるかもしれない。
このままではダメだ。
僕はもう、彼女を“回復魔法の聖女”として見せておくわけにはいかない。
決めた。
次に王国が動く前に──僕はこの世界の“常識”をぶっ壊す。
その始まりが、この瞬間だった。
僕が、彼女を“聖女”ではなく、“人間”として守ると決めた瞬間だった。