第1話:癒しの奥に響くもの
※この物語は『聖女エリス=ルーナ』第2部です。
※第1部を未読でも楽しめる構成になっていますが、読了済みの方は「彼女の残響」をより深く味わえるかもしれません。
第2部のあらすじ
これは、“世界を巻き戻す聖女”が姿を消した後。
彼女が残した“癒しの力”を受け継いだ、もう一人の少女の物語。
過去を知らぬまま癒すたびに、“何かを思い出しそうになる”。
やがて少女は、自らが「存在してはいけない記憶」に触れていく。
――これは、記録にない未来を、もう一度取り戻す旅のはじまり。
──癒したのに、痛みが残った。
それどころか、私は――“知らない誰かの記憶”を、見た。
傷は塞がっていた。
出血も止まり、術式の光も正常に収束していた。
それなのに。
「……この人、確かに“死んだ”はずだったのに」
私は、手のひらを見つめる。
白い光を帯びた回復魔法の痕跡が、まだ指先に残っていた。
その男の胸を貫いた大穴は塞がり、彼はゆっくりと目を開けていた。
意識もある。脈もある。身体に残る外傷もない。
だというのに、私は――その瞬間、**“灰色の世界”**を見ていた。
崩れ落ちた大地。
泣き叫ぶ子供たち。
誰かの名前を呼ぶ少女の声。
そして、光の中で、涙をこぼす“白い外套の女性”。
「……誰?」
患者の声ではなかった。
それは、私の口から、無意識にこぼれた疑問だった。
だが、私の周囲にいた同僚たちは、何も気づいていないようだった。
ただ「いつも通りの治癒が終わった」とでも思っているのだろう。
だとすれば……あれは、私の“見るべきでない記憶”だったのか?
──研究都市 第三治癒研究棟──
「リュミエル先生、先ほどの件ですが、患者側には問題ないようです」
「……ありがとう。あの人の術式反応に変化は?」
「いえ、安定しています。ただ、回復速度が異常で――まるで“死亡状態から巻き戻された”ような……」
その言葉に、私の指先がぴくりと動く。
「……そう、まるで“巻き戻された”ような、ね」
自分でも、それが冗談で済む言葉ではないことはわかっていた。
だが、そうとしか言いようがなかった。
私が癒したのは、“傷”ではない。
“死んだ未来”そのものを、なかったことにしてしまったような――そんな感覚だった。
「……リュミエル先生?」
「ごめんなさい、少し疲れてるのかも。休憩、取ってくるね」
私は研究棟を出て、夜の空気に身をさらした。
都市の灯りが、静かに瞬いている。
そして、その時だった。
「やはり、君は“例外”だったか」
静かな声が、すぐ後ろから聞こえた。
驚いて振り返る。
だが、そこにあったのは敵意ではなかった。
一人の青年――黒衣をまとい、銀の紋章を胸元に飾った、見知らぬ男。
彼は、私の前に立ち、ゆっくりと名乗った。
「僕は《時の残響》の観測者、“ヴァル”。
君が“癒しの中で他人の過去を見た”とすれば、それは偶然ではない」
「……《時の残響》?」
「君の力は、回復魔法ではない。“時間干渉”だ。
君は、かつて存在した――ある“聖女”の、残響を受け継いでいる」
私は息を呑んだ。
それは、今の世界に存在しない言葉。
記録にも、教本にも、一切登場しないはずの単語。
「……“聖女”?」
その瞬間、脳裏にまたあの光景がよみがえる。
灰色の空。
微笑む女性。
そして、彼女の隣にいた、黒髪の少年――
「誰……なの? 私……知ってる気がするのに……」
「君が“知ってはいけない記憶”を見始めたということは、世界が揺れ始めた証拠だ」
ヴァルは静かに告げる。
「リュミエル。君は、この世界の“巻き戻された未来”に触れ始めている。
そしてそれは、“君の力の正体”に直結している」
私は何も答えられなかった。
ただ、心臓の奥がざわつくのを感じた。
これは偶然ではない。
私は、本当に――誰かの“記憶”を継いでいるのか?
いや、それとも――“私自身”が、何かを忘れているのか?
──世界が巻き戻されたなら、
私は、その前の未来を――取り戻すべきなのかもしれない。
(第2部 第1話 了)
癒すたびに“誰か”を思い出す少女・リュミエル。
彼女の力の正体とは? 《時の残響》とは何者なのか?
次回、第2話「消された未来の名」。
その名を知るとき、彼女の運命は大きく動き出す。