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終末よ、生きる望みの喜びよ  作者: デブリの遺灰
The 1st End
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07 利己


 ソファに身を横たえた美少女を見ていると、少しむらっとした。

 俺も先ほどの一幕では死の危険を冒したわけだから、少なからず生殖本能ってやつが刺激されたのかもしれない。今の葵ちゃんは可愛らしい柄のTシャツとショートパンツ姿で、仰向けだから胸の形がよく分かるし、健康的な太腿が半ば以上露出している。実に性的魅力に溢れた姿と言えた。

 しかし、俺は冷静だ。

 性欲に流されるような馬鹿な真似はしないし、そもそもできない。無防備な姿を晒して据え膳同然の状況だろうと、両親を亡くしたばかりの少女に対して劣情をぶつけようなど、完全に鬼畜の所業だ。さすがに罪悪感を覚えるし、今こうして性的な目で見てしまうことだって申し訳なく思う。

 ソファのオットマンに座って目を閉じ、心を落ち着けることにした。少女特有のやけに甘ったるい匂いが仄かに漂ってきて意識を掻き乱してくるけど、しばらくすると気にならなくなった。

 既に合田のおっさんの死体には、切り広げたゴミ袋を被せてある。いつでも出発できるように着替えもしたし、荷物も纏めてある。葵ちゃんが目覚めるまで特にやることがないから、今のうちに改めて色々考えて、今後に備えるべきだろう。


「ん……う、うぅ……」


 五分ほど経とうかというところで、葵ちゃんが目覚めた。現在時刻は二十一時五十分ほどだから、葵ちゃんが気を失ってから十五分ほどだろうか。

 少女はソファの上でしばし呆然と天井を眺めていたけど、不意に大きく目を見開いて飛び起きた。そのタイミングで、俺は先手を打つ意味でも敢えてのんびりと声を掛ける。


「目が覚めたみたいだね」

「え、あ……お兄さん……あ、あの、合田さんがっ、お父さんとお母さんが!」


 ソファから立ち上がった葵ちゃんは、青白い顔で震えた声を上げている。どうやら意識ははっきりしているようで、記憶も問題なさそうだった。


「葵ちゃん、落ち着いて。まずは座って、俺の質問に答えてくれるかな?」

「あの、でも……っ!」

「合田さんについては大丈夫だよ、もう襲ってくることはない。ここは安全だから、落ち着いて。ほら、とりあえず水を飲んで」


 俺は用意していた未開封のペットボトルを差し出した。五百ミリリットルのミネラルウォーターだ。

 葵ちゃんは息が乱れた状態だったけど、俺の言うとおり素直にソファに腰を下ろし、少し震える手でペットボトルを開栓して、一口飲んだ。取り乱して手が付けられないことも覚悟していたから、無駄にヒステリックに騒がないところは好感が持てる。


「落ち着いた?」

「は、はい……」

「よし。それじゃあまずは確認だ。葵ちゃんは合田さんに気絶させられたみたいだけど、俺が家の前で見付けた時点で、着衣は乱れてなかった。でも、一応自分で身体にどこか違和感がないか確かめてみて」


 葵ちゃんは自分の身体を見下ろして軽く確認した後、そっとシャツの襟元を摘まんで胸元を覗き込んだ。下着が乱れていないかをチェックしたのだろう。


「えっと……頭の前と後ろが少し痛みますけど、それくらいです」

「そうか。さっき運んだとき確認したら、後頭部に軽くこぶができてたから心配だったんだ。そんなに痛みはないなら大丈夫そうだね」

「あのっ、わたし、えっと……合田さんが家に押し入ってきて、お父さんが刺されて、お母さんはわたしに逃げなさいって言って、だから助けを呼ぼうと思ってお兄さんの家の玄関を叩いたんですっ」


 両親が心配なのか、焦慮の色を見せつつも、声に乱れはさほどない。その様子からは必死に自制して、俺と現状の認識を擦り合わせて、何がどうなったのかを確認したいという強い意思が感じられた。

 それは大変結構なことなんだけど、葵ちゃんは俺に助けを求めてきた時点で、インターホンが鳴らないことを知っていたような口振りなのが少し引っ掛かる……いや、合田のおっさんか。おっさんが瀬良家を訪ねた際もインターホンは鳴らず、玄関扉を叩いたはずだ。そして葵ちゃんの父親が対応に出て、おそらく油断させるためにインターホンが鳴らない云々の世間話をし、葵ちゃんはその会話を聞いていたのだろう。そう考えればしっくりくる。


「うん、聞こえたよ。何事かと思ってドアスコープから覗いてみたら、ちょうど葵ちゃんが合田さんに後頭部を殴られて、倒れたところでね。合田さんが葵ちゃんを引き摺って行こうとしてたから、俺はすぐにドアを開けて合田さんを止めたんだ」

「それで、その……合田さんは今どうしてるんですか? いえ、それよりお母さんは来てないですか!? あれからどれくらい時間が経ちましたか!? 今は電話って通じますか!?」


 葵ちゃんは堰を切ったように言葉を繰り出しながら、前のめりになるあまり腰を浮かしかけた。だから俺はオットマンから立ち上がり、華奢な肩にそっと手を置いてソファに座らせると、そのまま彼女の左隣に腰を下ろした。


「いいかい、葵ちゃん、落ち着いて聞いてね。今から十分くらい前に、葵ちゃんの家に行ったんだけど、俺が見付けたときにはご両親はもう亡くなっていたよ」

「え……あ、で、でも……」

「うん、それでも一応救急車を呼ぼうと思ったんだけどね。スマホもネットも通じないし、固定電話もダメで、どうしようもなかった。残念だよ」


 さも痛ましそうな顔を意識して、嘆息交じりに告げた。

 葵ちゃんは惚けたように俺を見つめてきたかと思うと、かぶりを振りながら唇を震わせて呟く。


「あ、あ……いや……うそ……おとうさん、おかあさん……」


 すぐに自宅へと駆け出して確認しようとしないあたり、既に予感はあったのだろう。葵ちゃんは父親が刺されたところを見たようだし、合田のおっさんは瀬良家から逃げ出した彼女を追って俺の家の前に現れた。その場に父親と母親が助けに現れず、今もこうして両親ではなく俺がいる時点で、状況を察することはできていたはずだ。

 俺はシリアスな雰囲気を維持したまま、少女を労るようにその身を優しく抱き寄せた。それが切っ掛けになったのか、葵ちゃんは俺の胸元にしがみつくようにしながら全身を震わせて、悲痛な叫び声を上げた。


「あああああああああああああああっ!」


 哀れだと思う。

 悲しんで当然だとも思う。

 でも、それと同じくらい面倒で厄介だとも思う。関係性の薄い他人の感傷に付き合うなど、できれば御免被りたい。相手が年下の少女でなければ、こうして抱きしめて、胸を貸して、落ち着くまで待ってやろうだなんて思えなかっただろう。

 震える背を撫でてやっていると、次第に様子が落ち着いてくる。微かに嗚咽が漏れる程度になったところで、俺はそっと身体を離し、でもほとんど密着するような至近距離から彼女の顔を覗き込んだ。

 

「葵ちゃん、今は辛いだろうけど、俺の話を聞いてくれるかな? 大事なことなんだ」


 迫るような強引さを感じさせないように気を付けつつ、少し困ったような表情を意識した。その甲斐あってか、葵ちゃんは泣き腫らした目元を手で擦り、鼻をすすりながらも、小さく頷いてくれた。

 俺は「ありがとう」と優しく言ってから、彼女の両肩に手を添えて話し始める。


「俺は連れて行かれる君を見て、合田さんに声を掛けた。すると、あの人は俺に『死ね』って言いながら、包丁で襲い掛かってきたんだ。逃げることもできたけど、俺が逃げると葵ちゃんが酷いことされると思うと、逃げられなかった」


 ここで大事なのは、俺が葵ちゃんのために人を殺したという認識を抱かせることだ。自分を助けるためにこの人は殺人を犯した、逃げずに守ろうとしてくれたと印象付け、こちらの要望を断れない心理状態に持っていく必要がある。


「俺は合田さんを殺してしまったよ。上手く取り押さえられれば良かったんだけど、殺す気で襲われて俺も余裕がなかったから、殺さないと殺されると思って……」

「……お兄さんは、悪くないです……悪いのは、全部あの人です」

「そうだね……うん、そうだ。悪いのはあのおっさんだ、葵ちゃんのご両親を手に掛けたクソ野郎なんだから、当然の報いだよね」


 葵ちゃんは俺の言葉に小さく頷いている。

 全ては合田のおっさんが悪い。

 それは紛う事なき事実なんだし、葵ちゃんも認めるところだから、俺が今後この件で罪悪感を抱いている素振りを見せなくても不審には思われないだろう。罪の意識に苛まれている様子を見せた方が、葵ちゃんの気持ちを上手く誘導することもできるだろうけど、今後常に演技めいた真似を心掛けるのはかなり面倒で疲れそうだから、そんなコストパフォーマンスの悪いことはしたくない。


「でも、俺が人を殺してしまったことは事実だ。本来なら警察に連絡するところだけど、今は電話もネットも通じない。それどころか、あのおっさんが葵ちゃんのご両親を殺して君を連れ去ろうとするくらい、社会が混乱しかけている」


 さすがに今の時点でこんな事件はそうそう起きてないと思うけど、被害に遭ったばかりの葵ちゃんには到底そうは思えないだろう。


「葵ちゃんは例の宇宙人だかのこと、どう思う? 本当だと思うかい?」

「……分かりません。でも、本当だって思う人はいて、だから……こんなことに……うっ、うぅ……おとぉさぁん、おかぁさぁん……」


 せっかく渇き始めた目元が再び溢れ出した涙で濡れ、少女はか細い呟きと共に嗚咽を零し始める。また本格的に泣かれても面倒なので、軽く抱き寄せて頭と背中を撫でてやりながら、ゆっくりと話を続けた。


「ああ、そうだね。本当かどうか、今はまだ分からない。でも、本当だと思って犯罪に走る人がいるくらいには可能性のあることだ。こうしている今も、世界のどこかで同じようなことが起きているかもしれない」


 葵ちゃんに再び取り乱すような様子はなく、俺の肩に顔を埋めるようにしてこくこくと頷いている。抱き寄せる俺の手が触れていても、その身体に強張りはなく、むしろ脱力したように体重を預けてくる。

 いい感じだ。


「葵ちゃん、本来なら俺は警察に出頭すべきだ。でも、例の宇宙人のことがある。もし出頭すれば、俺はしばらくの間、留置場に入れられるだろう。正直、それは避けたいと思ってる。もし本当に十人殺さないと生き残れないってなったら、俺は檻の中で一方的に殺されることになるだろうからね。それに葵ちゃんのことだって放っておけない」

「……わたし?」


 葵ちゃんはそっと顔を上げると、悲哀に潤んだ瞳で弱々しく見つめてきた。

 こんな美少女のか弱い姿を前にすれば、大抵の男は庇護欲や劣情をくすぐられて守ってやりたいと思うだろう。俺もそういう気持ちは湧き上がってくるけど、今は打算の方が大きい。


「俺は君を助けたくて、人を殺した。もうそのことに後悔はない。葵ちゃんが無事だったんだから、俺は正しいことをしたんだと思える。だからこそ、君のことは最後までちゃんと守ってあげたいんだ」


 別段、この少女に対する思い入れはさほどない。

 しかし、宇宙人主催のデスゲームなど嘘偽りで、社会秩序が崩壊しない場合、俺にとって瀬良葵の存在はかなり重要になってくる。過去の一件と異なり、今回の俺は無傷だし相手は他人だし、何より三人も死んでいる。死人に口なし、論より証拠である以上、まず第一に俺が瀬良夫妻を殺した可能性を警察は重視するだろう。

 俺が二人を殺していないことは状況証拠から明らかだろうけど、そう偽装した疑いを持たれることは確実だし、そうなれば俺の身はどうなるか分からない。もし冤罪をかけられた場合、俺は精神鑑定を受けてもシロにしかならない自信があるから、免責で逃れることは期待できない。

 しかし、葵ちゃんが証言してくれるだけで、俺の無実はほぼ揺るがなくなる。合田のおっさんを殺した件でも葵ちゃんの存在が重要になってくるし、俺にとって葵ちゃんは大事な証人だ。そんな少女を、こんな治安の不確かな情勢下で、手放すことなどできるはずがない。

 俺はそれを承知の上で、先ほど玄関のドアを開け、合田のおっさんを殺した。そうすることで負ってしまうリスクよりも、得られる利の方が大きいと思えたからだ。

 もし宇宙人主催のデスゲームが真実だった場合、証人としては必要なくなるけど、そのときは仲間として期待できるようになる。彼女は俺に命と貞操の危機を助けられたという恩義、それによる好意または依存心から、俺を裏切る可能性が極めて低い味方となり得る。人類バトロワでは信頼できる人間とチームを組んで戦った方が単独よりも勝算が高くなるはずだ。生憎と今のところ仲間の候補は運動音痴の古都音とその母親しかいない。瑠海と合流できるかは分からないから、今は戦力に数えるべきではない。そうなると少なからず動ける人間が欲しいし、葵ちゃんならいざというとき見捨てることになっても心はあまり痛まない。美少女だから男相手の囮役としても使えるとなれば、実に都合がいい人材だ。

 というわけで、少なくとも人類バトロワの真偽が判明するまでは一緒に行動しないと、俺は無駄にリスクを冒したことになってしまう。


「だから、葵ちゃん。今はまだ、警察に駆込むのは待ってくれないかな。しばらく一緒に世間がどうなるか様子を見よう。宇宙人なんていなくて、昨日と今日の騒ぎも全部ハッカーの仕業だったって確信できるまでは、俺と一緒に身を潜めてほしいんだ」


 人類バトロワの真偽が判明するまでの間、葵ちゃんはまた合田のおっさんみたいな暴漢に狙われる危険があるだろうから、そのときは彼女を守らないといけなくなる。それは人によっては明確なデメリットだろうけど、考え方を変えればメリットになる。

 暴漢から少女を守るために止む無く殺すというのは大義名分として十分なので、状況次第では後顧の憂いなく人を殺せるというのは大きな利点だ。別段、俺は人を殺したいわけではないけど、その必要がある限りにおいて、過程を楽しむことはできる。合田のおっさんと対峙したことで、それを実感した。

 葵ちゃんを守れば守るほど、彼女の俺に対する気持ちは強くなるはずだから、人類バトロワに備えて仲間を強化するとゲーム的に考えれば、それも自分が生き残るために必要なことだと思えて、全力で戦うことができる。生き残るという目標に向かって努力する喜びを得られる。それは俺にとって非常に大事な要素だ。


「もし全部ハッカーの仕業と分かって、社会の混乱も落ち着いたら、そのときは二人で一緒に警察に行こう。葵ちゃんが合田のおっさんのしたことを証言してくれれば、俺もそこまで重い罪には問われないと思うからね」

「でも、じゃあ……もし、宇宙人が本当にいて、人をたくさん殺さないと、生き残れなくなったら……?」


 少女の端整な顔には悲哀の色が強く表れているから分かりづらいけど、不安げな面持ちなのが見て取れた。またすぐにでも泣き出しそうな様子の割に、今後についての心配と質問ができる程度には理性があるようだ。


「葵ちゃんが嫌じゃなければ、一緒に何とかしよう。俺は君を助けたいし、君にも俺を助けてほしい。どうかな?」


 優しさと同時に頼もしさを意識して、葵ちゃんの目を真っ直ぐに見つめた。これまでの会話の流れ、それに対する彼女の反応を思えば、答えは聞くまでもないくらいの自信はあるけど、一抹の不安はある。


「……わたしも、今はお兄さんと一緒にいたいです」


 葵ちゃんは離れたくないとでも言うように、両手を背中に回して強く抱き付いてきた。


「そっか、ありがとう」


 俺は少女を抱き返しながら密かに胸を撫で下ろし、そして確かな喜びを噛み締めた。上々のスタートダッシュを決められたことで、この先も上手く走り続けられそうだと思えて、嬉しかった。

 人生は結果よりも過程が大事だ。

 生の結果が死である以上、人生とはそれまでの過程に他ならない。通常、人間は最良の死に方よりも最良の生き方を志向する。だから、大きな目標を達成できたときの喜び以上に、その目標に向けて努力する過程で得られる喜びこそが、人生を真に豊かにしてくれる。充実感ってのは、結果ではなく過程でこそ得られるものだ。

 俺はより良い結果を追い求めはするけど、それで最悪の結果になっても、べつに構わない。追い求めて全力疾走しているときが楽しければ、充実していれば、そこに確かな喜びを得られれば、どんな結果になったって受け入れられると思う。場合によっては満足すらできるだろう。

 宇宙人だろうがハッカーだろうがなんだろうが、俺に充実した日々を過ごせる環境を提供してくれるなら、もうどうだっていいことだ。社会秩序が崩壊しようが、赤の他人がどれだけ苦しみ死のうが、知ったことではない。むしろ世の混沌は望むところだ。

 

「葵ちゃん、これからよろしくね」


 俺は走り出した。

 願わくば、このまま悔いなく駆け抜けられるような世界になってほしいものだ。


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主人公やばいっすね。 そういえば、なぜ8、9時間おきに更新なんでしょうか?
非常に面白い そして俺くんかなりやばいやつ
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