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終末よ、生きる望みの喜びよ  作者: デブリの遺灰
The 1st End
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04 兄妹


「いやー、今日もあっついねー」


 少女がシャツの襟元を摘まんで扇ぎながら入って来た。だいぶ涼しげな格好をしているようだけど、今日も昼間は三十五度を超える猛暑日なので無理もない。


「あ、これママが持ってけってー」

「おう、サンキュ」


 心結は肩に掛けていた保冷バッグを手渡してくると、勝手知ったる我が家とでもいうような足取りで上がり込み、一人そそくさと廊下を歩いていく。

 保冷バッグの中を見てみると、メロンが一玉、マンゴーが幾つか、それと如何にも高そうな瓶入りの梅干しが入っていた。

 血の繋がらない息子に何かと気を遣ってくれているのは分かるんだけど、俺にとって義母は割とどうでもいい存在だから、毎度こういうことをされても反応に困るんだよな。まあ貰えるもんはありがたく貰っておくけどさ。


「お兄ちゃん聞いたよー、あおちゃん助けてあげたんだって?」


 リビングに戻ると、心結はキッチンの方で冷蔵庫からスポーツドリンクのペットボトルを取り出し、グラスに注いでいた。相変わらず遠慮というものが全くないな。


「助けたってほどでもない、声を掛けただけだ」

「またまたぁー。てかあたしも今さっき例のオジサンに絡まれちゃったよ」

「マジかよ、なんか遅いと思ったら」

「やっぱやばいねあの人。ずーっと胸ばっか見てくんの。あれ絶対あおちゃんのこともエロい目で見てるよ。あれがお隣さんってホントかわいそすぎぃ」


 同情も露わに言って、グラスを傾ける心結。

 改めてその姿を見てみると、可愛すぎて腹が立ってくるレベルの美少女だ。俺とは明らかに遺伝子が違うと分かる美形っぷりで、茶色く染めたセミロングの髪は緩くウェーブし、俺にはよく分からんお洒落なヘアスタイルにセットされている。背丈は葵ちゃんよりやや高いくらいなのに、胸囲が段違いに大きく、腰元も男好きする形と大きさで、ぶっちゃけエロい。どこのグラビアアイドルだよってくらい、並の高校二年生の身体付きじゃない。

 しかもその身を包む布地の面積は少なく、上は丈の短いシャツでくびれた腹回りが少し覗いており、下はデニム地のミニスカート――に見えるだぶついたショートパンツで生足がほとんど露出している。合田のおっさんじゃなくても思わず凝視してしまうし、健全な青少年ならこいつと道で擦れ違っただけで股間のものが反応するだろう。それくらいエロ可愛い美少女だ。

 しかし、俺には兄という立場があるので、その色香に惑わされるようなことはない。異性として性的魅力は感じるけど、理性をなげうつほどではない。


「いや、そんなことより、お前来るときは事前に連絡しろって言ってるだろ」

「したらしたで『用事あるから無理』って言うじゃーん」

「ほんとに用事あるんだから仕方ない」

「だらだらするってゆーのは用事とは言いませーん」


 家で一人のんびり過ごすというのも、俺にとっては立派な用事だ。たとえそれが退屈すぎて死ぬほど辛い時間だとしても、兄妹ごっこをするよりかは面倒もなく楽でいい。


「お兄ちゃんさー、そんなんだから彼女できないんだぞー」

「余計なお世話だ。そういうお前だって彼氏いないくせに」


 俺もキッチンに入り、保冷バッグの中身を冷蔵庫に入れていく。


「あたしは単に作んないだけだもーん。告白だって何度もされてんだかんねー。夏休み入る前とか男子のアプローチ凄くて、やんわり躱すのも大変でホント疲れるんだから」

「へー、それはご苦労様っすねー」

「あ、マンゴー食べたーい。お兄ちゃんも食べるっしょ?」

「お前が食うなら」


 心結は横からマンゴーを一つ取っていくと、軽く洗ってからまな板で切り始めた。俺は冷蔵庫に背を預けるようにして立ち、その様子を端から見ながら尋ねる。


「で、今日は何の用だ? また勉強教えてほしいのか?」

「そこはお兄ちゃんの好きに解釈していいよー」

「何だそりゃ」


 心結の包丁を動かす手に迷いはなく、手際良くマンゴーを切り分けながら悪戯っぽく笑った。


「可愛い妹が遊びに来ただけの方がいいならそーするし、勉強教わりに来ただけの方がいいならそーするよ。さて、お兄ちゃんはどっちがいいかにゃー?」


 どっちを選んでも面倒なことになりそうだった。

 しかし、何も二択に限定することはない。


「じゃあ、健気な妹が自堕落な兄のために家事しに来てくれたってことで頼む」

「えぇー……まーそれでもいいけどさー」

「いいのかよ」


 心結は中学の頃まで母子家庭だったこともあり、この年頃の少女にしては家事スキルが高い。炊事洗濯掃除いずれにも慣れているから、大して苦に思わないところはあるだろう。それでも好き好んでやりたいとは思わないはずだ。

 案の定、心結はにやりとした笑みを見せた。


「それで、もちろんご褒美はあるんだよねー?」

「……何か欲しいもんあるなら父さんに言えば買ってくれるだろ」

「あたしさー、海行きたいんだよねー。でもナンパされるのメンドーだから、お兄ちゃんいてくれれば周りはカレシだと思うし、そーゆー男共はお兄ちゃん追っ払ってくれるじゃん? というわけで、天気予報的に八月五日が良さげだから、よろしくねー」


 心結はサイコロ状に切り分けたマンゴーを皿に盛り付けて、そのうちの一つに爪楊枝を突き刺すと、俺の口元に差し出してきた。わざとらしい笑顔で「ほら、あーん」とか言ってくる。

 ここで食べれば海行きを了承するという意味になりかねないので、カラフルな爪をした指先から爪楊枝を奪い、逆に奴の口にねじ込む。こうして見ると唇もやけに色鮮やかでぷるぷるしてて無駄に扇情的だな。


「お前さ、テレビとかネット見ただろ? 今はそんな海とか何とか言ってる社会状況じゃないんだよ」

「あ、それなー。確かに大事件だと思うけど、どーせハッカー集団ってのもすぐ捕まるよ。これだけ世間を騒がせたんだからさ」


 心結に深刻な様子はなく、「てかこれいい感じに熟してうまし!」とか言いながら、自分で更にマンゴーをパクついている。俺はとりあえずリビングのソファに移動して、少女の暢気さについて考える。

 薄々感付いてはいたけど、これが現状に対する世間一般の反応なのかもしれない。古都音みたいに事態を深刻に受け止めている一般市民は少数派で、心結くらいの認識でいる人が大半だとしても不思議ではないどころか、むしろ納得する。

 ネットでは過去最大級に騒がれてはいるけど、国民の誰もがネットに書き込みをするわけではない。SNSでは、自分は何も投稿せず、他人の反応を見るだけという人が大勢いる。俺もそうだ、自分では何も書き込まない。古都音に言わせればROM専ってやつで、実際に書き込みをする人よりも、その様子を見ているだけの人の方が多いらしい。


「すぐ捕まるって言っても、世界規模の電波ジャックしたり、本物にしか見えないニュース番組を作れるような奴だぞ? 十分に用心だってしてるだろうし、次は通信を妨害するとも言ってる。本当に通信障害が起きたらどうすんだよ?」

「それもどーせ一日二日くらいっしょ? それなりに混乱はするだろうけど、それくらいだよ。お店だってスマホ決済とかカード使えなくなるってだけで、営業は普通にすると思うしー」


 心結は俺の隣に座ると、またしてもマンゴーを口元に差し出してきた。だから俺も再びその爪楊枝を取って、しかし今度は自分で食べる。確かに甘く熟してて旨い。


「……まあ、そうかもしれんけど」


 心結の話というか認識には共感できる部分があったので、頷けてしまえた。

 みんな、自分の人生を生きるのに忙しい。世間で騒がれるような大事件が起きても、それが自分の生活に直接影響しないなら、大して関心は払わないのが日本人の常だ。それは日本の投票率の低さが証明している。他国ではどうか知らんけど、日本の国民性を考えれば、心結のようなスタンスで一連の出来事を静観している人は多そうだ。

 電波ジャックは確かに起きたし、各国首都で集団消失が起きたかもと世界的に騒がれてはいるけど、日本では東京以外だと所詮まだ他人事だ。通信障害が起きるとしても、企業や店が懸念しているくらいで、日常生活を送ること自体に大きな問題は生じない。ネットが使えなくなるのは痛手だけど、俺たち若者にとってはその程度のことだ。

 古都音はほとんど家に引きこもり、ネットの世界ばかり見ているから、浮き世離れした感覚の持ち主なのは間違いない。俺はあいつほどではないにしても、ここ数年は世間や家族というものに対して距離を置いていることを自覚している。それもあって、古都音に色々言われて危機感を煽られていただけで、実際はそれほど騒ぐような事件でもなく、大したことにはならないんじゃないか……そう思いたくなってくる。

 しかし、明らかに異常事態が起きていながら、それを日常の範囲内のものとして捉え、大したことにはならないだろうと楽観や軽視をするのは危険だ。今の心結は、いわゆる正常化の偏見という認知バイアスが働いている状態なんじゃないか? それとも単に、俺や古都音が状況を深刻に捉えすぎているだけで、心結がまともなのか?

 こいつと話してると分からなくなってくるな……。


「あ、そーだ、聞いてよお兄ちゃん。さっき来る途中でさ、スーパーとかドラッグストアで行列できてるの見たんだよ。あーゆーのってホント、ダメだなーって思うよねー」


 昨日買い物したときは、買い溜めと分かるほど大量に買い物をしていた人は見掛けなかったけど、今日はそうでもないらしい。


「みんなで一斉に買い溜めしたりすると、すぐ品薄になっちゃうじゃん? で、品薄なことが広まると、焦って買い溜めしようとする人が増えるわけじゃん? それで更に社会の不安が煽られちゃって、混乱を招くことになるんだからさ、こーゆーときこそ慌てず騒がず、普段通りに過ごすべきなのにねー」


 しかし、今回はそれが最善の行動とは限らないかもしれない。今の時点で動いておくことが生死を分けることになるかもしれない。そうした不安を無視できなかった俺が、この件で偉そうに何かを言う資格はないだろう。

 昨日買ってきた食料などは物置部屋に置いてあるから、心結は俺が買い溜めしたことに気付いていない。このまま黙っておいた方が良さそうだな。


「――って、伯父さんが言ってたよ」

「その一言がなければ素直に感心してたわ。というか、送ってもらってきたのか。どうりで全然汗掻いてなかったわけだ」

「伯父さん心配性だからさー、昨日から世間が騒がしいからって、なんか心配になって顔見に来たとかで、急にうち来てね。で、昼休みに抜けてきたからすぐ帰るってなって、ついでに乗せてってもらった感じー」

「ついでっていうか、乗せてってもらえると思ったから俺んとこ来ようと思ったんだろ、突発的に」

「えっへっへっ。妹の考えを見抜くとは、これはもう立派なお兄ちゃんだねー」


 嬉しそうに笑う姿を見て、誘導されたことに気付いた。

 こいつは俺に考えを見抜かれることを期待して、わざわざ伯父の件を話したのだろう。少し説明臭かったしな、間違いあるまい。

 そうまでして兄妹らしさってのを感じたかったのか、俺に感じさせたかったのか……どうであれ、これ以上指摘する気は起きなかった。


「それで? 普段通りに過ごすべきだから、海に行くって?」

「そーそー、そゆことー」


 先ほど古都音と話し合ったようなことを説明しようか迷ったけど、やめておいた。あまり危機感を煽るのは良くないし、俺が危機感を持っていれば今はそれで十分だろう。


「心配性の伯父さんと行けばいいだろ」

「伯父さんとは小さい頃から何度も行ってるし、今年はお兄ちゃんと行きたいなーって思ってさ。ほら、兄妹水入らずでレジャーを満喫したことってまだないわけだし?」

「……一つ約束するなら、行ってもいいぞ」

「え、うっそ、ホントに? 絶対嫌だ行きたくないって言われる覚悟してたのに」


 昨日から続く一連の騒動がなければ、そう言ってただろうな。


「明日から三日間、家から一歩も出ず大人しくしてろ。それで八月四日以降、通信障害もなく社会が混乱してなかったら、お前の好きな日に海連れてってやるよ」

「お兄ちゃん、明日から大変なことになると思ってる?」

「さあな。なるのかならんのか、俺も分からん。分からんけど、警戒するに越したことはないだろ。万が一があってからじゃ遅いんだからな」


 心結は誰がどう見てもグラドル級の美少女だ。人類バトロワという世紀末的状況にあっては、まず真っ先に狙われる類いの人間だ。それは当然、女子供という弱者の方が殺しやすいという理由以上に、性的暴行を加える対象として最上級の獲物たり得るからだ。


「約束できるか?」

「ん、おっけおっけー。どーせ勉強しなきゃいけないし、三日くらいなら何とか我慢するよ」


 心結は軽快な口振りに反して、真面目くさった顔でうんうんと頷いている。

 いまいち真剣さが足りないように見えたけど、こいつは約束したことを軽々に破るような奴じゃないはずだ。大丈夫だろう。見た目が少し派手で言動もギャルっぽさがあるから軽薄そうな印象を受けがちだけど、実際はかなりしっかりしていると思う。母子家庭だったことで苦労した影響だろう。それに何より、夢や目標に向かって努力している人間ってのは、馬鹿なことはしないもんだ。


「でも……ふーん、へー、意外だなー」

「何だよ、そのにやついた顔は」

「んふふー、お兄ちゃん、そんなにあたしのこと心配なんだぁー?」

 

 左隣に座る心結は密着するほどに距離を詰めてくると、にまにまと笑みを浮かべながら、華奢な肩をぶつけてきた。身体を揺するようにして何度も肩を当ててくるもんだから、その度に胸元がゆっさゆっさと揺れて目のやり場に困る。


「一応は妹だからな、そりゃ心配もする」

「はいはい、お兄ちゃんはツンデレってやつだからねー。半分しか血が繋がってないから普段はツンケンして見せてるけど、ホントは妹が可愛くて仕方ないんだよねー」


 心結はからかうようでありながら、楽しげに歌うように言っている。

 いちいち反論するのも面倒だった。


「そんなことより、お前仮にも医学部目指してんなら、そもそも海行く暇とかあんのか? 高二の夏ってめちゃくちゃ大事なんだぞ? 今日もうち来てるけど、ちゃんと勉強してんのか?」

「あー、誤魔化したー」

「…………」

「やぁーんもぉ、そんな拗ねないでよ。冗談だってじょーだん。心配してくれて嬉しいよ、ありがとね」


 詫びのつもりなのか、心結は皿に残った最後のマンゴーの欠片を爪楊枝に刺し、俺の口に無理矢理押し付けてくる。もう色々面倒だったから大人しく食べておいた。


「勉強はちゃんとしてるよー。毎日最低でも六時間はしてるし」

「量より質が大事ではあるけど、それでも休日なら九時間はすべきだな」

「あたしだってこれからもっと気合い入れるつもりだけど、貴重な青春に勉強ばっかりってのも辛いし萎えるんだよねー。だからさ、せめて夏らしい思い出の一つくらい作っておきたいじゃん? そうすれば勉強にだってしっかり集中できると思うし!」

「そうかい」


 心結が海に行けば集中できると言うなら、他人がそれを安易に否定することはできない。そもそも俺はこいつの受験勉強について、さほど興味はない。ただ当たり障りのない雑談として話題にしただけだ。


「あ、水着一緒に買いに行くとこから付き合ってもらうから、そのつもりでねー」

「いや、そういうのは友達と行けよ」

「友達と水着買いに行って、海には一緒に行かないって、そんなことできるわけないじゃん」

「……は? どういうこと? 行くの俺とお前だけって想定なの?」


 一気に雲行きが怪しくなってきたぞ……。

 という俺の心境を知ってか知らずか、心結は満面の笑みを浮かべて小首を傾げた。


「そーだけど? 兄妹水入らずって言ったじゃーん」

「……あ」

「もぉー、お兄ちゃんのうっかりさんっ」

「いや、待て、二人で行って何が楽しんだよ、友達も一緒の方がいいだろ常識的に考えて」

「なにさー、お兄ちゃんはあたしとじゃ楽しくないってのー?」


 楽しい楽しくない以前の問題として、水着姿の心結と二人で遊ぶという状況はさすがに理性が揺らぎかねん。危険だ。せめて俺たちを兄妹と認識してくれる知己の目が必要だ……などと、そう正直に言えるはずもない。

 というか、こいつ相変わらず距離近いな。少女特有の甘い匂いと柑橘系らしき香水の匂いが混ざり合ったような、無駄にいい香りがして、少し落ち着かない。


「俺はそもそも海行きたいと思ってないから、俺のことはどうでもいいんだよ」

「なら何も問題ないじゃん」

「いやあるだろ、青春云々言うなら友達と楽しみたいもんじゃないのか」


 俺が座る位置を少し右にずれて離れると、心結もすっと右に動いて近付いてきた。


「それはそーだけどさぁ、あたしの友達がお兄ちゃんにガチ恋しちゃったらどーすんのさ」

「どうもしねえよ。いやむしろ俺は歓迎だよ。JKと付き合って夏を満喫するよ」


 ……こいつも俺も何を馬鹿なこと言ってんだろうな。


「あのさ、冗談で言ってるわけじゃなくてね? あたしの友達は結城家が大病院やってるって知ってんだよ? で、お兄ちゃんはそこの院長の孫で、副院長の長男っていうお坊ちゃんなわけじゃん?」

「世間的にはお坊ちゃんかもしれんけど、俺は医学部じゃないぞ」

「それでも、あたしがどれだけお兄ちゃんのこと紹介してって言われてきたか分かってんの?」

「……マジで? 俺ってJKにそんな人気なの?」

「とりあえず付き合いたいって軽い子にはね」


 上手く言葉も出てこないくらい唖然としていると、心結は俺の左腕を抱きかかえるようにして密着しながら続けた。


「んで、カレシ持ちの子を誘うとカレシまで来ることになるじゃん? それで一緒に海行ってもあたしとはあんま遊べないから、一緒に行くならいない子でしょ? で、そーゆー身持ち堅い系の子でも、お兄ちゃん普通にカッコいいし人当たりも悪くないから、それがお金持ちの大学生なら付き合いたいって思うよ普通は。あんないい車持ってて、こんな綺麗な3LDKのマンションに一人暮らししてるのもポイント高いしさ」

「最高かよ、JKと海行きたくなってきたぞ」

「ばぁーか」


 ま、確かに馬鹿な話だな。

 女子高生と海に行きたければ瑠海を誘えば済む話で、そもそも家柄というステータスで寄ってきた女の相手など面倒以外の何物でもない。結城家の力によって女とどうこうなっても、俺はそこに喜びを感じないし、愛するどころか嫌悪するだろう。

 思わず苦笑を零して一息吐いたところで、ふと気付いた。


「待てよ、その理屈でいくと葵ちゃんはどうなんだ?」

「あ……やば、ミスった……」


 心結は気まずそうな顔で小さく声を漏らすと、明後日の方を見ながら「あー、どうなんだろーねー?」などと言っている。

 しかし、心結のおかしな反応の意味を気にする余裕など今の俺にはなかった。


「改めて思い返してみると、葵ちゃんがそういう風に俺を見てる素振りがなかったとは言い切れんな……うーわマジかよ最悪……知りたくなかったわそんなこと」

「え、あれ? 嬉しくないの?」


 意外そうな様子を見せる心結に、俺は左腕に感じる柔らかさを意識しないようにしながら答えた。


「そりゃ好意持たれるのは嬉しいけどさ、でも俺の人柄に惚れられるとは到底思えんし、結城家のステータス方面に惹かれた可能性の方が断然高いわけだろ? そもそも俺は大学出た後もここに住み続けるかもしれないんだから、ご近所さんとトラブルになりそうな事態なんて御免なんだよ」


 もし万が一、葵ちゃんが俺に告白なんてしてみろ。

 それを断ったら、以降は顔を合わせる度に気まずい感じになるのは間違いない。告白を受けても、葵ちゃんの家は隣なんだから、付き合えば彼女の両親に認知されることは避けられないし、結婚するところまでいかなければ、いつかは別れることになる。そのときは葵ちゃんのみならず、瀬良家そのものと気まずい関係になるだろう。


「あ、あー……うん、そっか、そーだよね。お兄ちゃんってそーゆー人だよねー」

「昨日葵ちゃんに勉強教える約束しちゃったのに、これもうどうすんだよ……」

「えっ、あたしそんなの聞いてないけど!?」

「そりゃマンツーマンの方が勉強はかどるんだから、わざわざお前に教えて邪魔されたくないだろ……ってさっきまでなら思えたのになぁ。あー、もうやだ、超面倒くせーことになってきた」


 もし通信障害が起きなかったら、瑠海に恋人役を頼んでしばらくうちに泊まってもらおう。葵ちゃんの勉強を一度は見て、そのとき瑠海を紹介すれば、それで事なきを得るはずだ。


「あおちゃん油断も隙もねーな……いや、それならそれであたしも心置きなく海行けるってもんだし、うん……」


 心結が何やらぶつぶつと呟いていた。

 こいつも友人を誘わないことを後ろめたく思っていたようだけど、俺が葵ちゃんにマンツーマンで勉強教える件を知って、お互い様だと納得できたのだろう。


「じゃ、まあ、なんてゆーか……そーゆーわけで! 海は二人で行くからね!」

「あー、はいはい、もう何でもいいよ。好きにしてくれ」


 何だかどっと疲れてしまって、これ以上この話題を引っ張りたくなかった。それに、兄妹水入らずという状況を望む心結の気持ちは理解できないでもなかった。

 この少女は長年にわたり、母親と二人暮らしだった。自分を守ってくれて、頼りにできる男の家族の存在に憧れていた面があったはずだ。以前までは、何かと気に掛けてくれる伯父を父や兄のように思っていたのかもしれないけど、所詮は代役だ。やはり実際の父や兄には思うところがあるのかもしれない。

 兄妹となって間もない頃は、勉強を教えてもらうという名目で兄との時間を過ごそうとしたのだろう。でも最初はどう接していいか分からなくて、葵ちゃんという緩衝材を挟んだのだと思う。今回の海行きも夏の思い出だけでなく、兄妹の思い出が欲しいのだろう。

 幸か不幸か、そうした思いを察してしまえる以上、あまり無碍にはできない。それに何より、こいつが望むなら可能な限り兄として振る舞ってやるのが、結城暁貴の果たすべき責務だとも思う。


「んじゃ、決定ってことで家事するねー」


 心結は抱いていた俺の左腕から名残惜しそうに離れ、ソファから腰を上げた。


「いや、あんなの冗談に決まってるだろ。やらんでいいっての」

「いいのいいの、あたしがやりたいだけだからさ。家事って結構いい気分転換になるんだよね。誰かの役に立ってると思うと嬉しいしさ」


 こいつがもっと自己中な女だったら、俺も適当にあしらえるんだけどな……。

 この家の住人でもないのに、将来の目標に向けて日々勉強を頑張っている少女に家事をさせて、当の俺は悠々と寛ぐ。そんな真似ができたら、人生もっと楽に生きられるんだろうけど、生憎と俺はそれほど肝が太くない。


「……なら俺はトイレ掃除するから、心結はリビング掃除してくれるか?」

「おっけーっ、ぴかぴかにしちゃる!」


 それから心結は嫌な顔ひとつせず、むしろ笑顔で楽しげに掃除をしてくれた。

 俺にとって、妹という立場の少女は複雑な存在だけど、心結本人の人柄自体は嫌いではない。むしろ好感が持てるくらいだ。これで妙なしがらみなどなければ、もっと気楽に接することができたんだろうけどな……。

 いや、その場合、心結は俺なんかに興味を示さないか?

 ……たらればの話なんて考えるだけ無駄だな。


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