35 傷心
キャンピングカーをガレージ内に駐めさせて、女性陣には車内で少し待つように伝えた。優子ちゃんの言葉を疑うわけではないけど、自分の目で屋内の安全確認をしておきたかった。
今度は靴を脱いで母屋に上がり、各部屋をざっと見て回った。敵は居間にいたようで、見慣れぬリュックが二つと見覚えのある布団が二組敷かれていた。隅の方では割れた皿の破片が散乱しており、壁には半透明の糸が垂れ下がっている。釣り糸か何かだろう。玄関戸が開いたら皿が落ちて割れるようにしていたようだ。
他の部屋には特筆すべき点はなかったので、離れに向かった。離れは十年ほど前までじいちゃんの療養所となっていたけど、それ以降は使われていなかったはずだ。案の定、施錠されており、戸は開かない。
今のところ結城家の面々の死体を発見できていないから、もしかしたら離れの中に隔離してあるのかもしれない。しかし、赤子の姿もないことを考えると……鍵を探して中を調べるより先に、優子ちゃんから話を聞いた方が良さそうだ。
キャンピングカーに戻った。
「やっぱり誰もいなかった。死体も敵のもの以外ない」
「お兄ちゃん……まーくんは?」
心結が縋るような目を向けてきた。
ちらりと優子ちゃんを見ると、もう泣き止んではいるようだけど、だいぶ憔悴した顔をしている。心結は従妹の様子から両親の死は覚悟できても、一縷の望みは捨てられないのだろう。でも優子ちゃんに直接は尋ねられないでいるようだ。
「中にはいなかった。優子ちゃん、赤子がどうなったか分かる?」
「……捨てたって言ってた」
「捨てた?」
ということは、生きてはいるのか?
赤子なら誰かが見付ければ拾って保護するだろう。
心結も同じようなことを考えたのか、暗澹と強張っていた表情が僅かに緩んだ――その直後。
「たぶん……川に捨てた」
「え……?」
優子ちゃんは呆然とする従姉を昏く淀んだ目で睨み、告げた。
「あんたのせいよ」
重苦しく響く声は呪詛のようだった。
「あんたがみんなを死なせたのよ」
その意見に同意はできなかったけど、同情はできた。
優子ちゃんの視線に堪えかねるように俯く心結に葵ちゃんが寄り添い、優子ちゃんには古都音が寄り添っている。しばらくはこのペアで行動させた方が良さそうだな。
「みんなを殺したのは誘拐犯で、そいつらはもう死んだ。優子ちゃん、みんなの遺体も川に捨てられたのか?」
「たぶん……あたしも車に乗せられたけど、目隠しされてたから……でも話は聞こえて、あいつら、仲間の死体も一緒に……みんなをどこかの川に捨てた」
証拠隠滅の手段としては悪くない。真夏の川に死体を放り込めば、すぐに腐敗して身元の特定は難しくなる。近辺に川は幾つかあるけど、川幅が百メートルほどもある一級河川がここから車で三十分も掛からない距離にあるから、おそらくはそこだろう。夜明け前ならばあまり人目に付かずに済んだはずだ。警察がまともに機能していない現状では、もし発見されてもすぐに引き上げられる可能性は低いし、そもそも通信障害で通報もままならない。
ガレージに安藤のピックアップトラックがなかったから、ピックアップトラックに死体を積んで運んだのだろう。川に死体を遺棄し、車両も沈めたか、あるいは確実を期して燃やしたかもしれない。警察の科学捜査を警戒すれば、血痕は拭き取るだけでは不安が残る。敵は心結を確保したら、結城家も燃やしたかもしれない。
「そうか、残念だ……二人とも辛いだろうけど、今はここでのんびりしているわけにもいかない状況だ」
結城家に長居するつもりはない。
敵の死体があるという以前に、この家は広すぎて俺一人では到底守り切れない。今後、本格的に秩序が崩壊するか否かにかかわらず、現段階では金品目的の強盗が横行している可能性があり、豪邸は狙われやすい。俺がやったように車を足場にすれば簡単に塀を越えて侵入できてしまえる。
強盗は男の姿を見れば逃げ出すかもしれないけど、若い女の姿を見れば襲い掛かるだろう。六人のうち男が俺しかいない状況で、ここを拠点にするのはリスクしかない。
ということ説明してから、少女二人に問いかける。
「これから父さんの家かおじさんの家に行こうと思うんだけど、心結、優子ちゃん、家の鍵は持ってるか?」
心結は泣き出していて、問い掛けても答えはなかった。そもそも俺の話をちゃんと聞けていたかも怪しい。一方で優子ちゃんはそんな従姉を忌々しげに睨みながらも俺に頷きを返した。
「なら滝家に行くか。キャンピングカーは目立つからここに置いて、俺の車で行く。礼奈は俺と一緒に荷物を移してくれ。古都音たちは家にある荷物を回収してきてくれ」
「分かりました」
「うん」
心結も優子ちゃんも今は動く気力なんてないだろうけど、滝家に着くまでは感傷に浸るなんて贅沢はさせてやれない。ここは踏ん張ってもらおう。
礼奈と二人でキャンピングカーとSUVの積荷を整理し、後部座席に四人が乗車できるスペースを作った。その後、心結と優子ちゃんの荷物を積み込み、全員を乗車させてから、一人で母屋に向かった。
まずは血で汚れた刀をシャワーで洗って十分に水気を拭き取り、鞘に納めた。本当はきちんと手入れしたいけど、今は時間がないし、あまり大切に扱わない方がいいとも思う。刀は貴重かつ優れた近接武器ではあるものの、所詮は道具だ。身を守るためなら使い潰すつもりで扱うべき消耗品だ。最低限の手入れだけで十分という心構えでいなければ、いざというとき刀を気遣って思い切った動きができなくなりかねない。それは非常に危ういことだ。
居間にあった鞘に爺様の刀も納めてから、敵のリュックを漁った。何か有用なものがあれば回収していきたい。なかなか使えそうなものが多かったから、二つのリュックごと持っていくことにした。
廊下に出て、放置していたクロスボウを手に取った。とりあえず矢を外し、引き金を引いて空撃ちする。クロスボウの全長は八十センチほどだろうか。幅はその半分ほどだ。さほど重たくはなく、片手でも十分持てる程度には軽いし、取り回しも良さそうだった。矢の先端には四枚の刃を持つ鏃が付いていて、これが人体に命中すれば存分に肉を裂いて重傷を負わせられることが容易に想像できる。たとえ急所に当たらなくても大量出血に至ることは間違いなく、銃で撃たれるより酷い怪我になりそうだ。
敵は――武内は俺がSUVを降りて玄関まで歩いてくる間に、仲間が返り討ちにあったことを理解したはずだ。あのとき、逃げようと思えば逃げられるだけの距離があった。そうせずに迎え撃とうとしたのは勝てる自信があったからだろう。この武器を見れば、それが決して無謀でも慢心でもない判断だったと分かる。実際に爺様たちを殺していれば尚更だ。
本当は現場保存として敵の物品は持ち去らない方がいいだろうけど、わざわざ確認するまでもなくクロスボウが使えそうな武器なのは分かっていた。だからリュックも回収した。一つ持っていくなら、二つも三つもそう大した違いはない。優子ちゃんは家族を殺した敵の武器など見たくもないだろうけど、身を守るためだ。我慢してもらおう。
ついでに腕時計も貰っていくことにした。耐久性が売りの有名メーカー製で、デジタル式のシンプルな一品だ。おそらく防水仕様だろうし、雑に扱っても問題ないだろう。
最後に戸締まりを確認してから車に戻り、結城家を出発した。
■ ■ ■
滝家に到着し、昼食を摂ってから十五時頃まで仮眠を取った後、再びSUVを走らせた。
目的地は産婦人科だ。
「やっぱり、ゆーちゃん誘拐犯に乱暴されたみたい。避妊薬を貰いに病院行こう」
食後にリビングでコーヒーを飲んでいたら、古都音がそう耳打ちしてきたことで、俺はすっかり失念していたことに気付かされた。
優子ちゃんが性的暴行を受けたことについては何となく察しは付いていた。けど、その先にまで考えが及んでいなかった。何だかんだで俺も冷静ではなかったのだろう。
ただでさえ家族が殺され、その身を汚されて辛いのに、家族を殺した仇敵の子を妊娠するかもしれないなんて不安を抱えさせ続けるのはあまりに可哀想だし、何より危険だ。当の本人は割と落ち着いていて、心結の方が情緒不安定に見えるくらいだけど、ショックが大きすぎると感情が麻痺することもある。それだけなら未だしも、正気を失って異常な行動を取られると俺たち全員の安全に関わる事態になりかねない。確実に避妊させて少しでも精神を安定させてやった方がいいから、今日中に産婦人科に行くべきだった。
行き先はカーナビで調べたクリニックにした。結城家のやってる病院にも産婦人科はあるけど、そちらは避けるのが無難だ。爺様や父さんがどうしているかと聞かれても説明が面倒だし、院長の孫娘が強姦されて避妊薬を貰いに来たなど、病院関係者にとってはゴシップだ。守秘義務があっても噂になりかねず、そうなればもし日常が戻ってきたとき辛いことになりかねない。自意識過剰かもしれないけど、俺が入院していたときもそんな気配は感じていた。
礼奈と心結と葵ちゃんには留守番してもらい、古都音には同行してもらった。同性の付き添いが必要だからという理由以上に、あんなことがあったばかりだから俺が古都音の側から離れる危険を冒したくなかった。自覚はないけど、まだ気が立ってるのかもしれない。
到着したクリニックの駐車場は十台分のスペースがあり、残りは一台分しか空いていなかった。
「なんか貼ってあるな」
クリニックの入口には健康保険に関する注意書きの張り紙がしてあった。今は通信障害で保険の加入状況を確認できないから、初診の場合は本来保険が適用される診療内容であってもひとまずは全額自己負担になるらしい。差額は通信障害が回復した後で返金するという。
クリニックに入ると、待合室は満席だった。二人立っている人までいる。とりあえず古都音と優子ちゃんと共に受付に行き、初診であることを告げると、先ほどの張り紙にあったことを説明された後、問診票を書いた。
待合室にいる顔ぶれの半分ほどは男で、彼らは付き添いだろう。女たちの中にはまだ少女と言っていい年齢の子がちらほら見られ、どの子も暗い顔をしている。優子ちゃんのように性的暴行の被害者なのかもしれない。壁際に設置されたテレビの画面には風光明媚な自然風景の映像と穏やかなBGMが流れていた。ブルーレイでも再生しているのだろう。
三人で立って待つことにして間もなく、優子ちゃんと歳の近そうな少女の両親らしき男女が席を譲ってくれた。おかげで古都音と優子ちゃんは座れた。俺は立ったまま、念のため周囲を警戒しておく。さすがに刀は持ってきてないけど、ナイフは隠し持っている。
一時間ほども待たされてから診察室に呼ばれた。医師とは俺が話をした。今回のことはひとまず婦女暴行事件ということにして、殺人や誘拐に関しては伏せておかないと対応が面倒だ。
医師から警察に知らせたか尋ねられたから、この後警察署に行くと答えると、優子ちゃんの身体に残留する犯人の体液を証拠として採取することになった。優子ちゃんは滝家に着いてすぐシャワーを浴びたから、きっと入念に洗ったはずだし、そもそも犯人は既に死亡している。無論、今の段階で警察署に行くつもりもない。しかし、俺の殺人の正当性を後々証明することになった際、従妹を救うためという証言に信憑性を持たせるには必要となる証拠だ。
ついでに幾つかの性感染症の検査もしてもらうことにした。後日ネットで結果を確認できる通常検査と三十分ほどで結果が分かる即日検査があったから、もちろん後者を頼んだ。受けた検査は幸いにも全て陰性だった。ただし、潜伏期間がある感染症もあるから、二週間後と八週間後にも検査した方がいいとのことだった。
どうやらこのクリニックは院内処方らしく、受付でアフターピルを貰えた。診療費は検査費を含めても思ったほど高くなかった。決して安くもなかったけど。
「帰る前に龍司のマンションに寄って食料を回収していこう。冷凍食品がかなり残ってたから、もし今後停電にでもなったら無駄になる」
「そうだね。ついでだしね」
乗車してクリニックの駐車場から出ながら言うと、後部座席の古都音が頷くのがミラー越しに見えた。でもその隣に座る優子ちゃんは何の反応もなく無表情で、どこを見るでもなく虚空に視線を投げ出している。
結城家を出発してから、優子ちゃんはほとんど無言だ。問い掛ければ答えてはくれるけど、声はか細く、喜怒哀楽いずれの反応も薄い。助けた直後に泣いて以来、一度も涙は見せておらず、心ここにあらずといった様子だ。
今はそっとしておいた方がいいのか、それとも気遣ってあげた方がいいのか、分からない。おそらく家族を目の前で殺され、それを為した仇敵に弄ばれた少女の心境など、俺には想像も付かない。少なくとも、あれこれ気遣うなら異性より同性の方がいいはずだから、ひとまず古都音に任せておく。
龍司のマンションに寄ることを想定して、産婦人科は滝家から見てそちら方向にあるクリニックを選んだから、十分ほどで到着した。三人で車を降りてマンション内に足を踏み入れる。管理人の爺さんの遺体はさすがに残っておらず、誰とも遭遇することなく九○三号室に入った。
佐々木さんの遺体もなくなっていた。大方、結城家が病院の霊安室にでも運んだのだろう。これなら滝家ではなくここに来れば良かったと思いかけたけど、優子ちゃんの心情を考えると住み慣れた自宅の方が落ち着くはずだ。
このマンションはいざというときのセーフハウスにしよう。そのときのことを考慮して、保存が利くレトルトや缶詰などは回収せず、主に冷蔵庫の中身を持っていくことにした。
リュックに手早く詰め込んでいると、キッチンに古都音が一人で入ってきた。
「ゆーちゃんちにある分と合わせると、何日分くらいになりそう?」
「六人だと一週間分になるかならないか程度だろうな。ま、とりあえずはこれでいい。十日になっても通信障害が終わらなければ、俺のマンションに取りに行けばいいさ」
通信障害が続き、テレビの放送内容が変わらない限り、治安が回復に向かうことはないだろう。テレビの放送内容が変わったとしても、それが宇宙人説の真実味が増すような内容であれば、治安は更に悪化するはずだ。もしそうなるなら、節目はおそらく八月十一日の午前九時――十日間で十人殺すデスゲームの最初のクリア者が現れるときか、それ以降になるだろう。
今後の状況の見極めは八月十日までにのんびり行えば良く、今はそれまで保つ食料があれば十分で、それ以上を手元に置くのはリスクになる。もし滝家から逃げ出すようなことがあった場合、食料を持ち出す余裕があるとも限らないからな。桐本家は大量の食料を買い溜めていたのに火事になった。その教訓は活かすべきだ。
明日か明後日にでも、俺のマンションにある飲食物の半分をここに移動させた方がいいかもしれない。しかし、大量の飲食物を運んでいるところを人に見られるのは危険でもある。悩ましいところだ。
「優子ちゃんはどうした?」
「りゅーくんの部屋にいる」
回収作業はすぐに終わったので、優子ちゃんを呼びに龍司の部屋に入った。
少女は机の前で俯きがちに立ち尽くしており、俺が声を掛けるとちらりと振り向いた。
「……りゅーにぃ、勉強頑張ってたんだね」
机には開きっぱなしの問題集や参考書が置かれ、シャーペンや消しゴムも転がっている。少し席を離れているだけで、またすぐに勉強を再開するといった状態だ。殺される直前まで受験勉強に励んでいた姿を容易に想像できる。
「頑張ってたのに……何も悪くないのに……殺された」
「でも、仇は取った。あとは優子ちゃんが頑張って生きて幸せになれば、みんなの無念も少しは晴れるはずだ。俺では龍司の代わりにはなれないと思うけど、これからは俺が兄として側にいるから、一緒に乗り越えていこう」
「あきにぃ……あたし……りゅーにぃと、もっと仲良くしておけばよかった……」
優子ちゃんは俺に寄り掛かるように胸元にしがみつき、嗚咽を零し始めた。先ほどまでのように無表情でいられるより、こうして泣いてくれた方が俺としては安心する。
落ち着くまで優しく抱き留めてやった。
「そろそろ帰ろうか」
「……うん」
優子ちゃんは幼い頃のように手を繋いできた。
それを握り返してやり、そのまま車まで戻った。
■ ■ ■
十八時になる前に滝家に帰り着いた。
礼奈たちはまだ夕食を摂っておらず、俺たちの帰りを待っていたから、夕食は回収してきた冷凍食品を食べることにして手早く準備を進めた。
ダイニングテーブルは四人掛けだから、リビングのローテーブルも使って、三人ずつに分かれて食べることにしよう……ということをみんなに告げると、優子ちゃんが俺の腕を抱いて密着してきながら心結を睨んだ。
「あんたはそっちのお友達と客間で食べなさい」
冷え切った声だった。憎悪と敵意を隠そうともしていない。
心結は今にも泣きそうな顔で目を伏せ、葵ちゃんは友人の前に立って、爺様譲りの鋭い眼差しを代わりに受け止めている。
「優子ちゃん、みんなが殺されたのは心結のせいじゃないよ。心結も優子ちゃんと同じで、両親と兄弟を亡くして辛いんだ。血の繋がった従姉妹同士、家族を殺された者同士、同じ辛さを分かち合って、支え合っていける仲間なんだ。そう邪険にしてはいけないよ」
「違う……違うよ、あきにぃ。全然同じなんかじゃない。あいつが犯されてさえいれば、みんな殺されずに済んだのよ。なのに……みんな死んで、あたしが犯されて……全部あいつのせいよ!」
優子ちゃんが心結を恨む気持ちは理解できなくもない。
しかし、それは八つ当たりのようなものだ。
同意はできないし、すべきでもない。
二人の間に立って仲を取り持ってやれるのは、二人が兄と慕ってくれている俺しかいないのだから、どちらか一方の不条理な言い分を認めれば今後両者に協調関係が生まれる望みは絶えることになる。それに今は非常時だ。身内で争っているような余裕はない。優子ちゃんの気持ちに共感し、寄り添ってやるのは古都音に任せるべきで、俺がすべきは正しい方向に導くことだ。
とはいえ、悲劇は今日あったばかりだ。まだ混乱して困惑して、ろくに気持ちの整理もできていないだろう。心結も優子ちゃんも互いに相手が同じ空間にいると落ち着かないだろうから、今は距離を置かせた方がいいかもしれない。
「ゆーちゃん、晩ご飯はわたしと一緒にゆーちゃんの部屋で食べよ?」
古都音も同じ考えなのか、そう水を向けてくれたけど、優子ちゃんは頷かない。
「ここはあたしの家よ。いつもここで食べてるの。あたしはここで食べる」
「優子ちゃん、そういうこと言われちゃうと、心結の家に移動することになるけど、いいの?」
「あいつらだけで行けばいい……あたしはあきにぃとことねぇがいればいい」
悄然と呟きながら、俯くようにして俺の肩に額を当てて顔を隠し、一層強く腕を抱いてきた。
「なら、俺も一緒するから、優子ちゃんか龍司の部屋で三人で食べよう。それならいいだろ?」
優子ちゃんは少し悩む素振りを見せた後、渋々といった感じに小さく頷いた。
俺は密かに胸を撫で下ろしつつ、ひとまず古都音に優子ちゃんを二階に連れていってもらった。
「礼奈と心結と葵ちゃんも、優子ちゃんが落ち着くまでは三人で客間で食べてくれるか?」
優子ちゃんを引かせた以上、心結にここで食べさせれば、小さいながらもしこりを残しかねない。それに心結もいつ優子ちゃんが現れるか分からないところでは落ち着いて食事などできないだろう。
礼奈は常と変わらぬクールな面持ちで、葵ちゃんは不満よりも不安を強く感じさせる様子ながらも了承してくれた。心結は無言で頷いたけど、その顔は暗澹としていて、そもそも食欲など全くなさそうだった。
「心結、優子ちゃんの言葉は気にするな。色々ありすぎて、まだ混乱してるんだ」
「…………」
「お前も今は辛いだろうけど、ご飯はちゃんと食べるんだぞ。いいな?」
心が弱っているときこそ栄養をしっかり摂らないと、身体まで弱ってしまう。身体が弱ると心も更に弱っていく。先行きが不透明な今、衰弱した仲間は足手纏いにしかならないし、何より心結自身のためにならない。
「何かあればいつでも言ってくれ。俺がお前の兄で、味方だってこと、忘れるなよ」
肩に触れて告げても、心結の反応は鈍かった。葵ちゃんに目を向けると、任されたと言わんばかりに力強く頷かれたので、後は彼女に任せることにした。
それにしても、葵ちゃんとて両親を亡くしてまだ一週間も経っていないというのに、随分と逞しいものだ。心結も優子ちゃんも早くあれくらい頼もしくなってほしいものだけど……まあ難しいだろうな。
その後は優子ちゃんの部屋で夕食を摂った。優子ちゃんの食は細く、食事中にふと泣き出しもして、見ていて痛々しかった。先ほど心結相手に見せた強気な態度はどこへやら、まだ高校一年生の少女然としたか弱さと儚さしか感じられず、庇護欲をくすぐられた。
食後は龍司の部屋で仮眠を取り、女性陣が寝る頃に起きた。今朝は早かったし、優子ちゃんも色々あって疲れていたのか、みんな二十一時には就寝準備を終えてそれぞれの部屋に引っ込んだ。古都音は優子ちゃんの部屋に、心結と葵ちゃんは客間、礼奈は滝夫妻の寝室だ。龍司によると、優子ちゃんは友人を招いてお泊まり勉強会なるものをしていたようだから、客間に布団があって助かった。
滝家は周囲の家より少し大きい程度の二階建て一軒家で、俺は何度も来たことがあるから屋内の構造は把握できている。庭はそこそこ広く、車が二台収まるガレージもある。近所に荒事の痕跡はなく、平穏な住宅街の雰囲気を保っていたから、この辺りの治安はまだそれほど乱れていないのだろう。
それでも油断はできないから、不寝番は必要だ。俺が起きて警戒しているとなれば、みんな安心して眠れるだろうし、俺も少し一人になりたかったからちょうどよかった。
四人掛けの大きなソファに寝転び、天井を見上げる。静まり返ったリビングに溜息の音がやけに大きく響いた。こうして一人静かに落ち着いていると、いまいち現実味のなかったこの状況を理性のみならず感性でも受け止めてしまい、心がざわつく。
「……みんな死んだのか」
実際にみんなが殺される瞬間を見たわけでも、死体を確認したわけでもないから、いまいち実感が湧かない。けど、この手で殺した敵の存在と優子ちゃんの様子から悲劇は確かに起きたのだと認識できている。その証拠に茉百合さんが亡くなったときのような喪失感を覚えている。
しかし、涙が流れるほどではない。
確かに、俺にとっては結城家だけが家族と呼べる存在で、たとえ血の繋がりがなくても結城景貴は祖父であり、結城貴俊こそが唯一の父親だった。それでも、ここ三年ほどは距離を置いていて、家族の情なんてものはすっかり冷めていた。
昨日、爺様とも婆様とも父さんとも、和解らしきことはしたけど、それでわだかまりが綺麗さっぱり解消されて、以前のような親近感を抱けたわけでもなかった。むしろ最後にああして話せたおかげで、彼らの死に対して余計な感情が湧き上がることなく、その死を素直に受け入れられている。
だからこそ、龍司の死にだけは余計な感情が入り込む。
「あいつは俺を従兄だと思ったまま死んだのかな……」
安藤のおっさんが龍司を迎えに行った際、誘拐犯たちに計画中止の理由を――俺に脅された顛末を話したなら、龍司もそれを聞いていたかもしれない。それで結城暁貴は従兄ではなかったのだと知ったかもしれない。
もしそうなら、あいつは俺にどんな感情を抱いたのだろうか。
優子ちゃんと同じように、俺を受け入れてくれただろうか。おそらく龍司なら、変わらず俺を兄と呼んでくれただろう。しかし、確証はない。龍司は優子ちゃんと違って、結城家の一員であることに誇りのようなものを持っている節があった。だからこそ心結を妾腹の子と蔑んでいた面はあったはずだ。
「……クソ、女々しい奴だな」
下らないことを考える自分に苛々した。
今更気にしても仕方がないことを考えるのは無駄だし、何よりこれは龍司に対する裏切りではないのか。あいつなら俺を受け入れてくれたと信じ、そしてあいつは俺なら優子ちゃんを守ってくれると信じている。
そう考えるべきだ。
今はまだ龍司の死を純粋に悲しめないけど、あいつのように俺を兄と慕ってくれる優子ちゃんと過ごしていくうちに、涙を以て悼めるようになるだろう。そのためにも優子ちゃんはしっかり守らないといけないし、そうでなくとも結城家の面々のことを思うと、せめて心結と優子ちゃんのことは守ってやらないとな。それが結城暁貴の果たすべき義務であり責任でもあるはずだ。
「よし、素振りでもするか」
リビングは広いので、刀を振り回す余裕くらいはある。
それからは素振りをしたり、クロスボウの構造と使い方を把握したり、テレビを見たりして過ごした。未だに放送され続けている殺人シーンの数々は、一人で冷静に見ていると何かと参考になることが多いことに気付き、積極的に視聴した。何しろ様々なシチュエーションにおける攻撃方法を知れるし、それらにどう対処すべきかを考えさせられるから、今後どう警戒していくべきかを学べる良い教材になり得た。こんなことならもっと見ておけば良かったな。
そうして何事もないまま日付が変わり、あっという間に夜が明けた。
誰かを殺し、誰かが殺されても、地球は変わらず回り続けている。そんな当たり前のことが少しだけおかしく感じられて、思いがけず笑ってしまった。




