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終末よ、生きる望みの喜びよ  作者: デブリの遺灰
The 2nd Run
27/43

27 強行


 安藤のおっさんはすぐに出発することになった。


「それじゃあ行ってくるよ。暁貴くん、心結たちのこと頼むよ」

「ええ、任せてください」


 俺以外の面々は玄関で、俺は門外の駐車場まで一緒に行って見送った後、SUVを門内にあるガレージに駐め直した。今の状況だと車上荒らしも横行するだろうから、念のためだ。ガレージの空きスペースは三台分ほどあり、余裕がある。どうせ佐々木さんは戻って来ないから、俺が駐めても問題あるまい。

 そんなことよりキャンピングカーだ。


「これか……確かに立派なもんだ」


 ガレージ内には俺のSUVより大きなワゴン車も駐まっているけど、それより一回りも二回りも大きな車体だけに嫌でも目を引かれる。ボディカラーは白を基調として、随所に青いラインが入っており、涼やかというか軽やかな色味をしているけど、巨体故の存在感は誤魔化しきれるものではない。全長は五メートルほど、幅は二メートルほど、高さは三メートル近くありそうで、圧倒される大きさだ。

 まだ鍵がないから車内を見ることができず、ひとまずガレージをあとにした。母屋に戻る途中、赤子の泣き声が微かに聞こえてきたけど、客間に向かった。しかし誰もいなかったので、居間を見てみると、古都音がいた。優に三十畳以上ある広々としたそこにぽつんと一人でいる。三メートル近くある巨大な一枚板の座卓前で正座しており、他の面々の姿はない。


「みんなは?」

「おばーさまはアルバム取りにいった。おいちゃんと義妹ちゃんとくーるびゅーちーは赤ちゃんとこ。ひとまず義妹ちゃんが母親に事情説明するみたい」

「そうか。それはともかく、義妹ちゃんはやめろ」

「あ……そっか、そうだね、うん」


 そんなことを話していると、婆様が何冊かのアルバムを抱えて戻ってきた。かと思えば、居間に一歩入ったところで立ち止まり、ぼうっとこちらを見ている。


「お婆様、どうかしましたか?」

「あ、いえ……こうして暁貴さんと古都音さんが卓を囲んでいるのを見ると、ふと昔を思い出してしまって。二人とも、大きくなりましたね」

「俺はともかく、古都音はそんなに変わってないと思いますけど」

「そうだね。わたしは昔から立派なレディだったからね」


 古都音がもっともらしく頷くと、婆様は上機嫌に「ふふふ」と笑みを零した。


「昔というのは本当に小さい頃のことですよ」


 そう言いながら座布団に腰を下ろし、卓にアルバムを広げた。ページにはフィルム写真が何枚も収められており、婆様はその中の一枚を指差して懐かしそうに目を細める。


「ほら、これなんて暁貴さんが三歳の頃ですから、古都音さんは四歳ですね」


 子供用の竹刀を持つ俺に、古都音が後ろから抱き付いている。当時は古都音の方が背が高く、お姉さんぶってしばしば俺を弟扱いしていた。叱ってきたり、甘やかしてきたり、おそらく茉百合さんの真似でもしていたのだろう。当時は俺も本当の姉のように接していた。

 懐かしいな……って、違うそうじゃない。この流れはまずい。ここで婆様に捕まると、なかなか抜け出せなくなりそうだ。


「お婆様、そういえばガレージにキャンピングカーがあったんですけど」

「あぁ、あれですか。景貴さんが五月頃に購入しましてね、お盆休みにわたくしと二人で出掛けようと言ってくださって。あの人もそろそろ引退を考えているのかもしれません」

「車内がどうなってるのか、少し見させてもらっていいですか?」

「ええ、大丈夫ですよ」


 婆様はにこやかに頷き、鍵を持ってくると言って居間を出ていった。


「この頃のあっくんは可愛いなぁ」


 古都音はアルバムを見ながらしみじみと呟き、ページをめくった。すると茉百合さんも一緒に写っている写真が現れ、古都音は虚を突かれたように固まった。やがて青い瞳が潤み始めたところで、振り切るようにページをめくると、今度は幼い頃の龍司が写った写真が出てきた。俺と古都音と龍司と優子ちゃんの四人が昼寝しているシーンだった。


「……あっくん、りゅーくんは絶対助けようね」

「ああ、そうだな」


 もはや茉百合さんは思い出の中だけの人になってしまった。

 龍司までそうさせるわけにはいかない。

 改めて決意を固めていると、婆様が戻ってきたので、鍵を受け取ってガレージに向かった。鍵は幾つか連ねられて束になっており、タグにはリアだのサイドだの書かれている。ドアごとに鍵が違うのだろう。

 ガレージでは一人黙々と、SUVからキャンピングカーのトランクスペースに荷物を移していった。車内の設備をよく見てみたい気持ちはあったけど、ここであまり時間を掛けるのは良くない。葵ちゃんが心結を説得し終える前に、事を済ませておきたかった。

 最後にキャンピングカーの運転席に座り、シートの調整と操作系統の確認をして、キーをシリンダーに挿したまま降車した。これで即座に出発できる。


「そろそろいい頃合のはずだ」


 おそらく既に晴佳さんへの説明は終わり、葵ちゃんは心結を説得しているだろう。晴佳さんと赤子には昼寝したままでいてほしかったけど、当初の予定通りであれば起きていようと問題はない。所詮、相手は女一人だ。力勝負で俺が負けることはない。

 ガレージから居間には戻らず、晴佳さんと赤子がいると思しき部屋へと足を進める。今はもう聞こえないけど、先ほどの赤子の泣き声でどの辺りにいるのかはだいたい予想できている。

 以前は母さんの部屋だった洋室の前まで来ると、室内から話し声が漏れ聞こえてきたので、軽くノックしてから返事も待たず扉を開けた。


「あら、暁貴くん、こんにちは」


 晴佳さんはいきなり現れた俺に対して、穏やかな微笑みを向けてきた。俺が来ていることは既に聞いていただろうし、恋人らしい礼奈が今まさに赤子を抱いてここにいるのだから、そのうち来ると思っていたのだろう。


「…………」


 挨拶は返さず観察する。

 不快感や驚きなどを見せることなく、至極自然な様子だ。これでもし安藤のおっさんが龍司を誘拐していることを知っていたとしたら――その計画に一枚噛んでいるとしたら、相当な女優だと言える。


「暁貴くん?」


 扉も閉めず無言で部屋に入った俺に、晴佳さんは怪訝そうな顔を見せた。晴佳さんと礼奈は窓際に置かれたティーテーブルに向かい合って座っており、俺は赤子を抱く礼奈の隣に立って晴佳さんを見下ろした。


「単刀直入に聞きます。晴佳さん、あなたは兄の安藤宗仁が今していることを知ってますか?」


 ここであまり時間は掛けたくないので、真正面から切り込んでみた。幸い、赤子は起きてこそいるけど大人しい。騒がれると心結や婆様が来かねないので、手早く済ませたい。


「……ええ。さっき心結から聞いたわ。戻らない佐々木さんと龍司くんの様子を見に行くって」


 どこか戸惑った様子ながらも、頷いて答える声に恐れや怯えは見られない。敢えて露骨に見下ろし、言葉をぼかすことで、それとなく圧を掛けているつもりなんだけど……俺を映す瞳に邪なものは感じられなかった。


「そうですか。ところで、お婆様が呼んでいましたよ。客間か居間にいると思います」

「お義母様が?」


 晴佳さんは慌てたように椅子から腰を上げ、礼奈に視線を転じた。


「礼奈さん、少しの間まーくんのこと頼めるかしら?」

「はい、任せてください」

「ありがとう。それじゃあ少し行ってくるわね」


 俺が言い出すまでもなく、晴佳さんは初対面の女にあっさりと我が子を托して部屋をあとにした。その行動からも、彼女が兄の所業を知らないことが分かる。もし、今まさに水面下で誘拐事件が進行していることを認識していれば、俺や礼奈に対して少しは警戒心を覗かせるはずだ。


「礼奈、ガレージに行くぞ」

「……つまり、誘拐するのは心結さんではなく、この子ということですか?」


 さすがというべきか、理解が早くて助かる。


「そうだ。黙ってて悪かったな」

「いえ、黙ってもらってて良かったです。知っていたら晴佳さんに対して不自然な対応をしていたと思いますから」

「そうか」


 礼奈のこの怜悧さ、凄くいい。

 やはり仲間にして正解だったな。


「ところで、瀬良さんはこのことを?」

「知らない。葵ちゃんはここに置いていく。その方があの子のためにもなる」

「なるほど」


 礼奈はそう頷きながら、胸元に抱える赤子におしゃぶりを吸わせた。赤子の服に紐で繋がっているので、落とすこともなさそうだ。


「とりあえず……おむつと粉ミルクがあれば大丈夫だろう」


 部屋の隅にはベビー用品が纏めて置かれていたので、おむつ、粉ミルク、それにほ乳瓶などを適当な袋に詰めて持っていくことにした。最悪、どこかの店で買おうと思っていたから、ここで入手できるならそれに越したことはない。ベビー用品も売り切れている可能性はあるしな。

 この状況でも全く動じていない礼奈と大人しい赤子と共に部屋を出て、再三ガレージに向かう。晴佳さんが婆様のところに行ったことが合図となり、古都音もガレージに来ることになっているので、呼びに行く必要はない。その打ち合わせは龍司のマンションで筆談したときに済ませていた。

 晴佳さんや婆様と遭遇しないように少し回り道をして、無事にガレージに到着する。一直線にキャンピングカーへと向かい、車体左後方にある縦長のドアを開けて、礼奈と赤子を乗り込ませた。

 それからおむつなどの荷物を積み込んだところで、慌てたような足音が耳に届いた。


「お兄ちゃんっ」


 古都音かと思っていたから、現れたのが予想外の相手で驚いた。

 心結は俺のすぐ側で駆け足を止めると、開きっぱなしのドアから車内を覗き込んで、安堵したように大きく息を吐き、やや乱れた息遣いのまま口を動かす。


「やっぱり……連れてくならあたしよりまーくんだと思ったよ」


 その言葉の途中で葵ちゃんも姿を見せて、心結の少し後ろから困惑したようにこちらの様子を窺っている。


「お兄ちゃん、連れてくのはあたしだけにして」

「……それだけ察しがいいなら、俺がお前を疑ってることは理解してるよな?」


 葵ちゃんから話を聞いて、すぐこの場に駆け付けたとすれば、相当に頭が回る――と考えるより、心結が安藤のおっさんの計画を知っていたからこそ、警戒心もあって即座に俺の真意に気付き、駆け付けた。そう考えた方がしっくりくる。

 心結が安藤のおっさんとグルか否かにかかわらず、今の俺の疑念程度は想像に易いだろう。


「してるけど、お兄ちゃんだって本気であたしが関わってるとは思ってないでしょ?」

「ああ、さっきまではな。でもお前が今ここに現れたことで、疑いは深まった」

「そりゃ確かに龍司さんには邪険にされたけど、だからって誘拐を計画して伯父さんをそそのかすとか、そんなことするわけないじゃん!」


 心結と出会って約二年。これまで関わってきた中で、この少女の腹が黒くないことは理解しているつもりだ。まず間違いなく、九十九パーセント、今回の誘拐に心結は関与していない。

 しかし、俺は母の腹が黒かったことに全く気付きもしなかった。どれだけ善人面した奴だろうと、裏の顔を持っていたり、腹の底に黒さを隠したりしているものだ。あの女のせいで、そういう意識を持たされてしまっている。

 だからこそ、俺は幼馴染以外の人間を完全には信じない。信じられない。特に今回は龍司の無事が懸かっている。一パーセントでも疑念を抱ける余地がある以上、それを無視することは断じてできない。


「その言葉を俺が信じると思うのか?」

「分かんないけど、あたしは何もしてないんだからそう言うしかないじゃん!」

「今のお前に何を言われたところで、俺の考えは変わらない」


 キャンピングカーのドアを閉め、心結の視界から赤子の姿を隠した。


「お兄ちゃんっ」


 少女の華奢な両手が抗議するように俺の腕を掴んできた。


「心結、離せ」

「やだ! せめてあたしも連れてってよっ、それなら人質二人になるんだしいいでしょ!?」

「お前が赤子を連れて逃げ出さない保証がどこにある」

「そんなのない! 妹を信じて!」


 信じたい気持ちはある。

 しかし、何の確証もなく信じるなど、現状では龍司を危険に晒すことと同義で、それは愚行以外の何物でもない。

 もはやこうなった以上、この状況を最大限に利用することが最も合理的だろう。情で判断を誤って龍司を無事に助け出せなかったら、悔やんでも悔やみきれない。

 心結には悪いけど、これも龍司のためだ。


「生憎と、信じる信じない以前の問題だ。お前は俺の妹じゃない」

「それは……確かに普通の兄妹とは言えないけど、半分は血の繋がった家族じゃん!」

「茶番は終わりだ、心結。離せ」

「離さない! そ、そんな怖い顔で睨んだって無駄だよ!」


 こちらの腕を掴む手にぐっと力が籠もり、少女が負けじと強い眼差しで見つめてくる。

 俺はこれ見よがしに溜息を一つ吐いてから、華奢な手を振り払った。所詮は少女の力だ、全力を出さずとも容易だった。それでも相手の身体は少しふらついているから、やはり膂力の差は歴然のようだ。

 そう認識しながら、心結の頬に平手を打ち込んだ。

 乾いた音がやけに大きく響いた。

 心結はふらついていたこともあり、呆気ないほど簡単に倒れた。


「…………え」


 何をされたのか分からない。

 そんな呆然とした顔で、立ち上がろうともせず、ただ俺を見上げていた。

 まさか手を上げられるとは夢にも思っていなかったのだろう。あるいはこれまで人に暴力を振るわれたことなどなく、二重の意味でショックだったのか。


「心結ちゃんっ」


 葵ちゃんが倒れた心結に寄り添い、助け起こそうとしたけど、心結は腰でも抜けているのか立ち上がる気配はない。張られた頬に手を当てて、信じ難いものを見るような目で俺を見上げてくるだけだ。

 その視線が自分でも意外なほど心を揺さぶり、思わず目を逸らすと、少女二人の数メートル後方に古都音がいることに気付いた。古都音も綺麗な目を見張って俺を見ていたけど、目が合うと神妙な顔でこくりと頷いてきた。

 それで少し冷静になれて、心結に視線を戻し、努めて冷たく言い放つ。


「言っただろ、茶番は終わりだ。これ以上、お前の兄妹ごっこに付き合ってやる余裕はない」

「ご、ごっこって……」

「俺の邪魔をするな。次は平手打ちじゃ済まないぞ」


 なるべく無表情で見下ろしながら言い切って、歩き出す。


「お、お兄さんっ」


 二人の横を通り過ぎる際、葵ちゃんが思わずといったように声を上げた。そこには非難の色より困惑が強く滲んでいるようだった。


「葵ちゃんはここで待ってろ。荷物はSUVの横に降ろしてある」


 振り返らずそう言って、助手席のドアを開ける。


「古都音、乗れ」

「……うん」


 古都音の小柄な身体がシートに収まったところでドアを閉め、キャンピングカーの前部を回り込んで運転席に乗り込んだ。

 エンジンを始動させ、発進する。助手席側のサイドミラーを見ると、心結は未だに立ち上がっておらず、葵ちゃんも寄り添ったままで、追い縋ってくる様子はない。

 俺は安心してハンドルを切り、先ほどSUVを移動させたとき開きっぱなしにしていた門から、急がず焦らず徐行で車道に出た。こういうときこそ安全運転しないとな。


「あっくん、大丈夫?」


 結城家の前の通りから離れたところで、気遣わしげに声を掛けられた。


「大丈夫も何も、俺は加害者だぞ」

「大事な人を傷付けると、自分も傷付くんだよ。あっくんみたいな人は特にね」


 ちらりと助手席を見遣ると、心配されていることが一目瞭然な顔があり、思わず微苦笑が零れた。


「お前が分かってくれてるから大丈夫だ」

「ならいいけど……辛いときは、ちゃんと言うんだよ」

「ああ、お互いにな」


 やはり古都音を失うことが、俺にとっての最悪だ。

 それを実感しながら、乗り慣れないキャンピングカーを運転していった。


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