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終末よ、生きる望みの喜びよ  作者: デブリの遺灰
The 2nd Run
26/43

26 生家


 話の運び方が良かったのか、葵ちゃんは割とあっさり納得してくれた。

 こちらも誘拐すると言っても、人質に対して何か危害を加えるわけではないからな。あくまでも安藤のおっさんに対する交渉のカードにするというだけの話だ。それに先に仕掛けてきたのは向こうだから、こちらも同じように人質を取っても文句を言われる筋合いはないし、互いに人質を交換することになれば、これ以上誰かが傷付くようなこともない。

 そういう状況なのもあってか、最初こそ驚き惑っていたようだけど、すぐに「わたしは何をすればいいですか?」と積極的に協力する姿勢を見せてくれた。


「とりあえず、今はこれ以上話を詰める前に、ここから移動しよう。佐々木さんが戻らないことで、別の誰かが様子見に来るのは確実だ。会えば面倒なことになる」

「そうだね。でも、こっちも人質を取るなら、結城家に感付かれない場所で潜伏しないといけないわけだけど……どこに行く?」


 と言いながらも、青い目はちらちらと美女を見ていた。


「桐本さんの言いたいことは分かりますが、私の家はやめた方がいいと思います」

「な、なにゆえに……?」


 礼奈の反応が予想外だったのか、古都音は妙な緊張感を露わに眉根を寄せた。葵ちゃん相手ならともかく、礼奈相手にはまだ人見知りするのだろう。


「母の死体がありますから」


 何でもないことのように平然と言うものだから、古都音も葵ちゃんも真顔で固まった。そして二人はほぼ同時に俺へと困惑の眼差しを向けてきた。


「あー、端的に言えば、礼奈の母親と会えたから話そうとしたんだけど、色々あって母親が発狂して、俺を刺し殺そうとした挙句に礼奈を絞め殺そうとしたから、礼奈が殺し返した……みたいな感じ。ほら、首にあざできてるだろ」

「――――」

「その辺りの事情に興味があれば、後ほどお話します。ですが、今は移動先の話を優先した方が良いでしょう」


 当の本人がけろりとしているものだから、二人とも半信半疑なのか、反応に困っているのか、俺と礼奈を交互に見た後、顔を見合わせた。そして古都音が強張った面持ちで頷くと、葵ちゃんもぎこちなく頷き返した。


「……それなら、どうするあっくん?」

「結城家や安藤のおっさんに気付かれず、安全に過ごせそうな場所となると、選択肢はないも同然だ。気は進まないけど、キャンピングカーを拝借しようと思う」

「キャンピングカーって、誰の?」

「昨夜、龍司と色々話してるときに聞いたんだけど、五月頃に爺様がキャンピングカーを買ったらしいんだよな。結構デカくて立派なやつだったって言ってた。まあ、さすがに五人だと手狭になるとは思うけど、今回の件が解決するまでの間だから、せいぜい二日くらいのことだ。何とかなるだろ」


 本当はどこかの家で大人しくできればそれが一番だけど、残念ながら当てがない。安藤のおっさんを脅すわけだから、俺の家は論外だし、葵ちゃんの家は窓を割って侵入したし同じマンションだから危険だ。それ以前の問題として、死体がある。死体と寝食を共にするのはさすがにきついし、事件現場として保存しておきたいから、可能な限り避けたい。

 かといって、誰か人を頼るにしても、この状況で信頼できて尚且つ結城家と無縁の者となると、瑠海くらいしかいない。しかし瑠海は実家に戻っているようで、実家の住所は知らない。こんなことなら前に合鍵あげるって言われたとき貰っておけばよかったな……。

 古都音も礼奈も非常時に頼れる人がいないことは尋ねるまでもないことだ。葵ちゃんなら友人知人も多いだろうけど、事情も聞かず俺たちを受け入れてくれるほどの者はいないだろう。いたとしても、俺がそいつを信用できない。

 一応、テント一式があるから郊外の山地などで野営することはできる。けど、明らかに治安が悪化している今の社会状況で、若い女に屋外で寝泊まりさせるのは危険すぎる。キャンプは他にどうしようもないときの最終手段だ。

 キャンピングカーは人目を引きそうだから、不逞の輩に狙われやすそうではある。だからあまり気は進まないけど、他にマシな選択肢がない以上はやむを得ない。昼夜を問わず常に周囲を警戒して、危険だと思ったらすぐに発進して逃げられるようにしておけば、とりあえず問題はないだろう。


「無断で借りることになるんですよね? 大丈夫なんですか?」

「非常時だ、仕方ない。龍司を無事に助けるため、そして心結が快適に過ごすためだったとでも言えば、爺様もそこまで怒りはしないだろ。怒っても俺に対してだし、俺の株はとっくに下がりきってる。問題ない」


 葵ちゃんは少し不安そうだったけど、それ以上は何も言わなかった。


「ここまでで何かあるか?」


 三人の顔を見回して確認してみるも、誰も口を開こうとはしない。より良い代案がないかとも思ったけど、どうやら他に採れる手はないようだ。


「それじゃあ、急いで荷物を纏めよう。俺たちがここにいたっていう痕跡は残しておいた方が後々話がスムーズに進むと思うから、テントはそのままでいい。シュラフだけ回収しよう」


 それから俺たちは全員で出発の準備を始めた。

 古都音と葵ちゃんが洗濯物を取り込んで畳み、俺と礼奈はシュラフを収納袋に収めた。他に歯ブラシなどの細々とした私物を自分のバッグに詰めた後、龍司の部屋に向かった。ボールペンとルーズリーフを袋ごと手に取って部屋を出ると、キッチンに面したカウンターテーブルのスツールに腰掛ける。

 女の準備は時間が掛かりそうだから、今のうちに脅迫状を書いておいた方がいいだろう。結城家で人質を連れ出す際に置いていくから、向こうで書いている暇などない。


「あっくん、これ」


 内容を考えていると、古都音がナイフを差し出してきた。それは鞘に入っていて、見覚えがありすぎる代物だ。落としたかと思って腰元に手をやるけど、きちんとベルトに固定されたままだった。


「りゅーくんの机の上に置いてあったんだ」

「あの馬鹿……常に携帯しとけって言ったのに」


 古都音は紙とペンを拝借したときに回収していたのだろう。こいつに武器を持たせても無意味だから、ここに来てからは何も渡していなかったけど、誘拐があった直後は不安で武器が欲しくなったのかもしれない。

 俺はズボンのポケットに手を入れ、昨日アウトドア用品店で買っていた十徳ナイフを取り出した。携帯しやすく利便性が高いから、予備の武器として持つようにしていたものだ。


「お前はそれよりこっちの方が扱いやすいだろ。肌身離さず携帯しとけよ」

「うん、ありがと」


 鞘入りナイフと十徳ナイフを交換した。


「礼奈、これ護身用に持っておいてくれ」


 ちょうど荷物を纏め終えた様子の美女に、鞘入りナイフを渡す。俺の予備にしようかとも思ったけど、母親の首に刃を突き立てられた人間なら十二分に活用できるはずだ。


「ありがとうございます。実はキッチンで何か鞘のあるナイフがないか探そうと思っていたので、ちょうど良かったです」


 礼奈は僅かに笑みを覗かせ、鞘から刃を抜いて確認している。その言動からして、どうやらトラウマなどにもなっていないようだし、やはりこの美女に持たせるのが良さそうだ。


「それとこれ、首のあざは隠しておいた方がいい」


 救急セットに入っていた包帯も渡した。あざをそのままに結城家に行けば、色々聞かれて面倒なことになるのは目に見えている。包帯を巻いておけば、怪我をしたと思われるだけで済むし、何か聞かれても誤魔化し易くなる。

 それから十分ほどで女性陣の出発準備が完了した。

 しかし、生憎とこっちは脅迫状がまだ書けていない。時計を確認すると、十三時三十分だった。


「誰かが様子見に来るとしても、まだ余裕はあるはずだよ。あまり焦らない方がいい。とりあえず軽く何か食べながら、一緒に考えよう」

「……そうだな。冷静にいかないとな。葵ちゃん、礼奈、悪いけど何か適当にすぐ食えるもの用意してくれないか? どうせなら炊いておいたご飯を片付けてから出発しよう」


 もしかしたら一階には警察がいるかもしれないわけだし、焦ったように動くと不審者扱いされかねない。出発前に一息吐いて、心に余裕を持って、ゆっくり急ぐんだ。

 葵ちゃんと礼奈が用意してくれたレトルトのカレーと冷凍のハンバーグを食べながら、古都音と一緒に脅迫状の内容を考えていく。カウンターテーブルのスツールは二つしかないから、葵ちゃんと礼奈が和室の方に行ってくれたおかげで、筆談により古都音と互いの考えを確認し合えた。

 結果として、人質を確保する際のパターンを三通り想定して、脅迫状を三種類作っておいた。その頃には十四時を少し回っていた。主に礼奈のおかげで炊飯器は空にできたし、もう他にこの場ですべきこともないから、すぐに出発することにした。食器は洗わず流しに放置だ。

 玄関を出る前に、敵の脅迫状を佐々木さんの遺体の上に戻しておき、その姿をスマホで撮影しておく。脅迫状の中身は既に撮影済みだ。せっかくだから新聞とチョコは紙袋ごと頂いて、玄関は施錠しないでおく。万が一にも無関係な奴に開けられて遺体を発見されれば面倒だとは思うけど、その事態を最も嫌がるはずの誘拐犯たちは鍵を置いていった。様子見に来る者が鍵を持っていない可能性を考慮したのであれば、俺も施錠しないでおいた方がいいだろう。

 全員、背中や両手に荷物を持って九○三号室をあとにし、階段を下りていく。古都音には昨日アウトドア用品店で買っておいた鍔広のバケットハットを被せ、後ろ髪はシャツの中に仕舞わせたから、目立つ金髪はほとんど隠れている。これで下手に目を付けられることはないだろう。

 誰とも遭遇することなく一階に降り立つ。幸いにも警官の姿はなかったけど、死体はまだあった。律儀なことにおっさんもまだ側にいたから、そちらには近付かず、目を合わせることもせず、さっさと通用口から外に出た。


「遺体があるということは、まだ警官は来ていないようですね。警官を呼びに行ったのは十二時頃という話でしたから、もう二時間です」

「平時なら考えられない遅さだな。呼びに行く途中で何かあったのか、警察が対処しきれないほど多くの事件が起きてるのか……どっちにせよ街の治安が悪化してるのは確かそうだ」


 礼奈の独り言のような声に応じながらSUVに荷物を積み込み、乗車した。

 マンションの駐車場を出てコインパーキングに向かい、礼奈にはセダンに移ってもらって、まずは二台で俺のマンションを目指す。見慣れた街並みに大きな変化はなかったけど、やはり店の類いには荒事の形跡が見られるところもあった。


「この辺りにも暴れてる人がいるんですね……」

「警察が殺人事件の現場に二時間経っても駆け付けられないほどのパンク状態にあるとしたら、ここから加速度的に治安が悪くなっていきそうだね」


 葵ちゃんも古都音も窓の外を見て不安そうにしていた。

 幸いにも住宅街の方に荒れた様子はほとんどない。しかし、古都音が言うように、もはや時間の問題だ。アウトローな連中の多くはまず金品を狙って店を襲撃するだろうけど、このまま通信障害が続いて街が荒れていけば――宇宙人説の信憑性が増していけば、そのうち人を狙って民家に押し入ることになるだろう。

 無事に俺のマンションに到着し、礼奈の運転する車を駐車場に駐めさせた。しばらくは龍司の家にいるつもりだったから、その近場に駐めていたけど、あそこを離れるなら俺のマンションの駐車場に置いておいた方が経済的にも防犯的にもいいし、いざというときに動きやすそうだ。


「悪い、忘れ物あったこと思い出したから、ちょっと待っててくれ」


 ついでだったので、一人で自宅の様子を見に行っておく。

 瑠海はいなかった。

 あいつが実家で問題なく過ごせているのならいいけど、変態クズ野郎に監禁されていたり、誰かに殺されたりしている可能性はある。だから俺の家に来てくれていた方が安心だし、もし本当にデスゲームを戦い抜くことになるのなら仲間として行動を共にしたいところだ。


「……無事でいろよ」


 茉百合さんが死に、龍司が攫われたせいか、どうにも嫌な予感がする。

 とはいえ、今は目の前のことに集中すべきだ。

 俺はSUVに戻ると、結城家へ向けて改めて出発した。




 ■   ■   ■




 三十分ほどで結城家に到着した。

 現在時刻は十四時四十分だ。

 門脇の駐車場には昨日も見たピックアップトラックが駐まっている。


「あっくん、あの車って安藤の?」

「ああ。やっぱり安藤のおっさんはいるみたいだな」


 今この時間帯に奴がいるということは、俺たちの推理が間違っている可能性は低いということだ。とはいえ、当の本人からすれば、アリバイ作りという理由と同等以上に妹たちを案じる気持ちもあるだろう。昨今の情勢下で誘拐を企てた張本人なら、自分の身内が誘拐などの被害に遭うことを警戒するのは当然の心理といえる。

 だからこそ、このタイミングで来訪する俺たちのことは少なからず怪訝に思うかもしれない。


「最後に確認だ」


 ピックアップトラックの隣にSUVを駐めると、降車する前に女性陣に声を掛けた。助手席の礼奈は普段と変わらぬクールな面持ちだけど、後部座席の古都音と葵ちゃんの顔は見るからに強張っている。これから誘拐犯の黒幕と思しき男と顔を合わせることになるのだから、緊張するなという方が無理だろう。特に二人は龍司の家で実行犯たちとニアミスしているしな。


「たぶん家にいるのは心結と晴佳さんと赤子と安藤のおっさん、それに婆様の五人だ。今の状況でもお手伝いさんがいるかどうかは分からんけど、いても気にしなくていい。向こうも気にしないと思うしな」


 何でもないことのように、敢えて軽快な口振りで話を続けていく。


「葵ちゃんは心結と二人きりで話して、心結が自主的に俺たちに同行してくれるよう説得してくれ。最悪、説得は失敗してもいいから、そんなに気負わずにね」

「は、はい……頑張ります」

「古都音は婆様の相手をして、俺と葵ちゃんの方に来ないよう気を引いててくれ」

「うん。昔の写真見たいとか言えばいいよね」

「ああ、それでいい。礼奈は俺の彼女という設定で晴佳さんに赤子を見せてもらって、赤子のことについてとか適当に雑談して気を引いててくれ」

「はい」


 べつに誘拐は俺一人でも可能だとは思うし、葵ちゃんと礼奈を関わらせるのはどうかとも思う。それは彼女らの安全のためというより、裏切られかねないからだ。礼奈はともかく、心結と友人である葵ちゃんはその可能性を無視できない。

 だから本当のことは言わないし、言えない。

 敵を騙すにはまず味方からとも言うからな。


「俺たちが訪ねれば、安藤のおっさんは戻らない佐々木さんのことを確認しに行くと言うだろう。もしそうならなかった場合は、俺が安藤のおっさんにキャンピングカーを一緒に見るよう誘って、葵ちゃんのところに行かないよう引き付ける。そのついでにキャンピングカーの鍵を回収しておく」


 計画が上手くいく自信はある。決行に躊躇いもない。

 不安があるとすれば、心結だ。

 もしあいつが何も知らなかったなら――純粋に俺を兄と慕っていたなら、今回の一件で少なからず傷付くはずだ。だから、いっそ心結が敵である方が気が楽だし、これまでの俺に対する言動にはよこしまな打算があったと仮定する方がやりやすいんだけど……さて、どうなるかな。


「じゃあ、行こうか」


 俺は緊張も不安も面に出さないように気を付けつつ、車を降りた。全員、荷物は持たず手ぶらだ。大きな門のすぐ横にある通用口を解錠して、母屋の玄関へと歩みを進めていく。


「ガレージも庭も立派ですね」

「家も凄く大きいです……」


 礼奈も葵ちゃんも感嘆していた。俺もここを出て行ってから、結城家の裕福さを再認識したところはあるから、気持ちは分からないでもない。

 ガレージは向かって右手にあり、庭は左手に広く続いている。前者はそこらの一軒家が二、三軒は並び建つようなシャッター付きの立派なやつだし、後者にいたってはテニスコートが四面は入りそうな広さだ。しかもそこは前庭で、裏庭はもっと広い。

 母屋は平屋建てで、瓦屋根の純和風建築だ。昔から何度も補修と改築を繰り返しているらしく、武家屋敷の趣を残した実に古風な佇まいをしている。反面、屋内は大きくリフォームされて和洋折衷の造りになっており、外観とは裏腹にかなり現代的だ。

 久々に訪れる生家だけど、懐かしさより居心地の悪さを感じてしまいながら、玄関の鍵を開けた。引き戸を開けて中に入り、声を張り上げる。


「お婆様! 暁貴です!」


 続けて二度ほど大声で呼び掛けると、廊下の先から和服の老婆が現れた。老婆といっても髪は真っ黒だし、背筋もぴんと伸びているし、足取りはしっかりしている。俺とは似ても似つかない顔を見ても目立った皺などは少なく、外見年齢は還暦も迎えていない中年女性のように見える。しかし、実際は来年で七十歳になる高齢者だ。


「あらあら、暁貴さんっ」


 目を見張って喜色に溢れた声を上げる様子からは、紛れもない親愛の情が伝わってくる。そのことに少々の後ろめたさを覚えつつ、軽く頭を下げた。


「お久しぶりです、お婆様。突然すみません」

「よく帰ってきてくれましたね。景貴かげたかさんから帰ってこないと聞いて心配していたのですよ」


 その反応から、やはり婆様は何も知らないのだと思えた。


「ちょっと色々ありまして、友人たちのことを考えたところ、こちらで過ごした方が安全かと思い直しました」

「ご友人ですか。女性ばかりみたいですけれど……あら? もしかして、古都音さん?」

「あ……はい、どうも、ご無沙汰してます」


 俺の斜め後ろに立つ古都音はバケットハットを取り、ぺこりと頭を下げている。


「本当に久しぶりですね。あなたも暁貴さんも全然顔を見せに来てくれないものですから、寂しく思っていたのですよ。さ、こんなところで立ち話もなんですから、上がってください。そちらのお二人も遠慮せずどうぞ」


 朗らかな婆様の言葉に、女性陣は揃って「お邪魔します」と頭を下げ、俺に続いて廊下に上がり込む。全員で脱いだ靴を綺麗に揃える際、他にあった靴をよく見てみたところ、お手伝いさんはいなさそうだった。いれば既にこの場に姿を見せているだろうしな。

 婆様の先導で客間に案内された。葵ちゃんと礼奈が一緒だからだろう。婆様は身内か否かの線引きをしっかりする人だ。客間は和室で、座卓が置かれ、壁際には掛け軸や生け花などが飾られている。

 婆様が茶を用意しに客間をあとにして間もなく、心結と安藤のおっさんが姿を見せた。


「お兄ちゃん! と、あおちゃん!?」

「おや、暁貴くん。また随分と美人ばかり連れてどうしたんだい」


 少女は驚き、おっさんは興味深そうにしていた。二人の反応にこれといって訝しい点はなく、ごく自然な振る舞いに見えた。

 しかし、心結の格好は少し不自然だった。白のブラウスにロングスカートという組み合わせの心結を見るのは初めてで、どうにも見慣れない。婆様の手前、露出の少ない清楚系っぽい服にしたのかもしれない。


「まあ、色々ありまして。話はお婆様が来てからさせてください」

「えー、色々って何それすっごい気になる……っていうか、めっちゃ可愛いんですけど。え、何その子、お兄ちゃんどこから攫ってきたの?」

「攫ってない。友達だ」


 心結は葵ちゃんの隣に座り、無遠慮に古都音をじろじろと見つめている。かと思えば、礼奈をちらちらと窺っており、妙に落ち着きがない。安藤のおっさんは「よっこらしょっと」と言いながら俺の隣に腰を下ろした。


「お待たせしました」


 婆様が茶と菓子を載せた盆と共に戻り、座卓を囲む俺たちの輪に加わった。心結とその伯父の分の茶はなく、婆様は再度用意しに行こうとはしないけど、今は些細な問題だ。


「そういえば心結、晴佳さんは? ついでだから一緒に聞いてほしいんだけど」

「今はまーくんとお昼寝中」


 というわけだったので、とりあえず婆様たちに葵ちゃんと古都音と礼奈を紹介し、簡単に事情を説明していった。葵ちゃんについては両親が帰ってこないから、古都音については茉百合さんが病院に泊まり込むことになったから、礼奈については恋人で一人暮らしだから、一緒に連れて来たということにしておいた。

 話を終えると、婆様が嘆息交じりに「困ったものです」と零した。


「あの人いつも何も話してくださらないから。看護師の方々が帰宅できないほど多忙になっていただなんて……先年のパンデミック以来ですね。それほどこの地域の治安が乱れているのでしょうか。恐ろしいことです」

「ていうか、お兄ちゃんホントに彼女いたの!? 伯父さんの勘違いじゃなくてガチでっ!?」


 心結は安藤のおっさんから、昨日この家の前で俺と会ったことを聞いていたのだろう。それでも尚、目を剥いて俺と礼奈を見比べており、意外そうな様子を隠す素振りもない。

 そんな少女を老婆が厳しい目で見据えた。


「心結さん、仮にも兄である暁貴さんに対して失礼ですよ。暁貴さんほどの青年に、交際している方がいて何を驚くことがあるのですか」

「あ、はい。それはそうなんですけど……でもいないって聞いてたし……」


 この件で心結が責められるのは可哀想なので、俺は早々に話を次に進めることにした。


「お婆様、俺たちが泊まっても大丈夫でしょうか?」

「ええ、もちろんですよ。うちは広いですからね。お客様が更に三人増えるくらい、どうということはありません。あなたの部屋もそのままにしてありますしね」


 更に、という部分を強調して言われた。心結たちのことはまだ身内と認めていないのだろう。あくまでも客人扱いというわけだ。


「ありがとうございます」

「礼なんて必要ありませんよ。ここはあなたの家ですし、何よりわたくしは嬉しいのです。困っている女性の力になろうという暁貴さんの優しさを感じられて、元気付けられましたよ」


 婆様は、根は決して悪い人ではないし、むしろ善人なんだけど、前世紀の価値観の持ち主だから古臭い潔癖さがあるんだよな。そこが良いところでもあり、悪いところでもあるから、始末が悪い。


「ところで、暁貴さんは龍司さんのマンションには行きましたか?」

「いえ、最近龍司とは会ってないので……龍司がどうかしたんですか? そういえば姿が見えませんけど」

「龍司さん、一度はうちに来たのですけれど、貴俊たかとしさんのせいでマンションに戻っていってしまったのです」


 ここで晴佳さんや心結のせいと言わないあたり、二人に対する婆様の複雑な心境が窺えるな。


「それで佐々木さんに様子見をお願いしていて、お昼前に見に行ってもらったのですけれど、まだ戻ってこないのです」

「昼前というと、もう三時間ほどですか。昨日はどれくらいで戻ってきたんですか?」

「一時間ほどです。ですから佐々木さんか龍司さんか、もしかしたら二人ともに、何かあったのではないかと心配で心配で……」


 ほうっと溜息を吐く婆様からは、孫への思い遣りがこれでもかと伝わってくる。古都音たちは気まずそうに目を伏せているけど、俺は嘘を吐いていることにそれほど罪悪感は覚えていない。龍司を助けられるなら、この程度の嘘や演技は安いものだ。


「だから暁貴くん、ちょうどいいところに来てくれたよ」


 ふと安藤のおっさんが、まさに好機とばかりに口を開いた。


「三時になったらおれが様子を見に行こうと思ってたんだけど、さっきまでこの家には男がおれしかいなかったから、留守にするのは不安だったんだ」

「それはそうですね」


 と相槌を打ちながら、隣に座るおっさんの様子を注意深く観察する。

 龍司の話題になっているのに、特に緊張や不安といった不自然さは見られず、視線にもぶれがない。声色も先ほどまでと変わらぬ様子で、人の良さそうな中年男性といった印象だけど……昨日にも感じた胡散臭さが拭えない。この人が本当に黒幕なのかどうか疑う心がなくても、俺はこの狸親父と仲良くなりたいとは思えていなかった。

 いや、そこはお互い様かな?


「そういうわけだから、暁貴くんが留守番しててくれると安心だよ。瀬良さんのご両親が帰ってこないって聞いて、やっぱり今の状況で外出するのは危ないと思うからね。ここは伯父さんに任せてほしい」

「安藤さんが行ってくれるなら助かりますけど、でも一人は危なくないですか? 佐々木さんも一人で様子見に行ったんですよね?」

「そこは大丈夫だよ、滝さんと一緒に行ってくるからね。この家にあった龍司くんの家の鍵は佐々木さんが持っていったから、一度病院に行って滝さんに事情を説明して借りないといけないし、滝さんも様子見に行くのがおれ一人じゃ不安だろうしね。今、病院は忙しいみたいだけど、息子の安否確認のために一時間抜けるくらいは問題ないだろう」


 元々、そういうシナリオだったのだろう。すらすらと淀みなく話していた。

 やはり怪しいな。

 いや……待てよ。俺が怪しいと思いたいだけか? 俺は以前からこのおっさんに対して好印象を持てていなかった。つまり、俺の思考には俺の好き嫌いがどうしても反映されるわけで、俺はこのおっさんを悪だと思いたいだけなのかもしれない。何しろ安藤のおっさんが黒幕であれば龍司を無事に救い出せる可能性が高く、逆にこの人が黒幕じゃなかったら龍司の身が危うくなる。

 ……俺は冷静だよな?

 安藤のおっさんが黒幕だとする論理に破綻はないはずだし、古都音も納得していた……うん、大丈夫だ。問題ない。


「お婆様はそれで大丈夫ですか?」


 疑心暗鬼になる前に思考を打ち切り、不安げな様子の婆様に尋ねた。


「そうですね、孝一こういちさんと一緒なら……。安藤さん、孝一さんに伝えてください。恵子けいこさんと優子さんもここに連れて来るようにと」

「分かりました。必ずお伝えします」


 力強く頷く安藤のおっさんを横目に、俺は改めて覚悟を決めた。

 人の本性は表面的な言動から分かるものではないのだから、取るべき行動は合理的思考から決定すべきだ。今はこのおっさんが黒幕と仮定して動くのが、俺にできる最善の行動だと信じる。


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