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終末よ、生きる望みの喜びよ  作者: デブリの遺灰
The 2nd Run
25/43

25 誘拐


 現状を客観的に見る限り、この場の安全性に問題はなさそうだった。

 龍司が誘拐されたらしいのに、古都音がこの九○三号室からすぐに去る決断をしなかったなら、ここは少なくとも外より安全だ。今のあいつでもその程度の思考力はあるはずで、むしろ俺という護衛がいなかったことにより、判断を誤れば死にかねないという状況が否応なく頭を働かせたことだろう。

 俺はまず遺体が本当に佐々木さんなのか、本当に死亡しているのかを確認した。結果としてどちらも本当で、嘆息を禁じ得なかった。久々に見る佐々木さんの顔が、まさか死に顔になるとは思わなかった。背中にはこの部屋の鍵が乗っかっていて、遺体の側には紙袋が落ちている。中には新聞の他に保冷袋が入っていた。チョコレートだろう。

 その後、麦茶の用意をしてから四人で和室のこたつテーブルを囲んだ。俺から見て右に古都音、左に葵ちゃん、正面に礼奈という配置だ。

 話を聞く前に軽くグラスを傾けて、一息吐く。


「さて……それじゃあ古都音、頼む」

「うん」


 俺が焦燥感や緊迫感を見せずにいたことが幸いしたのか、古都音はだいぶ落ち着いた様子で頷いた。葵ちゃんも深刻さはあまりなく、礼奈に至っては先ほどまた腹を鳴らしていた。さすがにメシを食いながらする話ではなさそうだから、悪いけど昼食はしばらくお預けだ。


「最初は何も変なところはなかったんだ。昨日みたいに、玄関の方から佐々木さんの声が聞こえて、りゅーくんの部屋のドアが開く音がして、ぼくとおいちゃんはリビングで息を潜めてた。そこからの会話は、さっき忘れないうちに書き起こしておいたから、これを見て」


 古都音がルーズリーフを一枚差し出してきたので、受け取ってざっと目を通してみる。勢い任せに書き殴った感のある字面だったけど、元がかなりの達筆だから、読むのに支障はない。



 ――――――――


サ「こんにちは、龍司さん」

リ「佐々木さん、お疲れ様です」

サ「昨日頼まれていたチョコを持って来ました。ドアを開けてもらえますか?」

リ「はい、ちょっと待ってください」


 ドアを閉めて、すぐに開ける音。

 直後に知らない男の声。


A「はいお邪魔しますよー」

リ「佐々木さん、この人たちは誰です?」

A「なあに、ただの使いっ走りですよ、お坊ちゃん」


 少し大きな物音。たぶん龍司が倒れた音。

 争ったりする音もなかった。スタンガンか何かを使用?

 以降、龍司の声が途絶える。


A「さっさと縛るぞ」

B「うっす」


 十秒ほど無言。

 結束バンドを締めるとき特有の音が微かに聞こえた気がした。


B「たけさん、こんな感じでいいっすよね?」

A「おいおい、誰だそれは? 頼むぜジロー、なあおい?」

B「あ……すんませんっ、イチローさん!」

A「そうそう、オレはイチローだ。拘束はそれでいい。これで無事に人質確保だ。どうもありがとうよ、佐々木さん。あんたのおかげだ」

サ「い、言うとおりにしたんですから、もう離して――」

A「あー、いや、すまん。悪い、嘘吐いてた。あんたはオレたちの顔見ちゃったし、ジローが口滑らせたのも聞いちまった。というか、脅迫すんのにも見せしめってのが必要だからさ。必ず殺せって社長にきつく言われてんだわ」

サ「そんな、待ってください! 私は誰にも――」

A「ジロー、予定通りお前からいけ」

B「うっす、一番槍いかせてもらいます!」


 たぶんここで佐々木が刺された。


A「おし、次はサブロー」

C「はい」


 少し大きな物音。たぶん佐々木が倒れた音。

 仮に、ここまでCが佐々木を拘束していたとすると、抵抗できない佐々木をBが前から刺し、Cが拘束を解いて後ろから刺したことで、佐々木は前のめりに倒れたと思われる。


A「じゃあ最後にオレがとどめ刺させてもらうわ」


 佐々木の苦しげな呻き声が微かに聞こえた。


A「悪いね、佐々木さん、苦しめるような真似しちゃって。女をいたぶる趣味はないんだが、これはまあ、何て言うか、連帯感という名の共犯関係を築く儀式みたいなもんらしくてさ。恨むならオレたちじゃなくて社長にしてくれな。これもあの人の指示なんだ」


 以降、佐々木の声が途絶える。


A「ふうっ……殺しちまったよ。これでオレたちもう後戻りできなくなっちまったなぁ」

B「じ、自分は覚悟の上っす!」

C「はい、ワタシもです」

A「腹の据わった共犯者たちで頼もしいこった。ま、やっちまったからには最善を尽くしますかね」


 Aは言葉の割に声には余裕があった。

 逆にBとCの声は上擦っていたり強張っていたりした。

 BとCよりもAが一番恐ろしく感じられた。


A「さて、最後に確認をっと……人質ヨシ、死体ヨシ、脅迫状ヨシ、鍵ヨシ。漏れなしオッケー。後は坊ちゃんをエスコートするだけだが、お前ら油断はするな。無事に帰るまでが誘拐だ」

B「うっす!」

C「はい」

A「じゃあサブロー、坊ちゃんを担げ。邪魔されない限り、目撃者は無視して突っ走るぞ。もし邪魔する奴がいれば……ジロー、どうするんだった?」

B「『急患っ、急患です! どいてくださいっ!』とか言うんすよね」

A「そうだ。いいかお前ら、もう一度言っておくぞ。今からオレらは人助けをするんだ。倒れた少年を病院に連れて行こうとする善人としてな。人からそう見られるように、そう思い込んで動くんだ。サブロー、オレもお前もいい奴、分かるな?」

C「はい、ワタシはいい人です。病院に行く人です」

A「おし、じゃあ行くぞ」


 ドアを開け閉めする音。

 以降、何も聞こえなくなった。

 このときの時刻は十一時二十七分。


【備考】

・A=イチロー(男、おっさん?)

・B=ジロー(男、若そう)

・C=サブロー(男、やや片言の日本語だった。外国人?)

・社長という教唆犯がいる?


 ――――――――



 読んでいる間、三人とも無言だった。

 裏面にまで及ぶ文章に目を通し終えた後、もう一度最初から読んで内容をしっかりと把握し、何があったのかを十分に理解した。

 顔を上げると、古都音が待っていたとばかりに口を開く。


「あっくん、こっちが脅迫状。佐々木さんの背中の上に、ここの鍵と一緒に置いてあった。こんな状況だから、指紋は気にしなくていいと思う。もうぼく素手で触っちゃってるし」

「ああ」


 俺はルーズリーフを対面に座る礼奈に渡し、古都音から封筒を受け取った。何の変哲もない小振りの茶封筒で、表にも裏にも何も書かれておらず、中には三つ折りにされた紙が入っていた。取り出して広げてみるとA4用紙なのが分かり、やけに直線的で読みづらい文字が並んでいる。定規で引いて書いたような文字だ。筆跡を誤魔化すためだろう。

 読む前に、こちらからの情報を伝えておくことにした。


「古都音、葵ちゃん、実はさっき一階の廊下で管理人の爺さんが亡くなってるのを見掛けた。首と背中の傷がないこと以外、状態は佐々木さんと大差なかった。周りにいた人たちによると、最初に発見したのは十一時四十四分だったらしい」

「……誘拐犯がここを出ていったのは十一時二十七分くらいだった」

「なら、状況からして管理人の爺さんも誘拐犯の仕業だろうな」

「そんな……他にも犠牲者が……」


 古都音は強張った顔ながらも冷静さを保っているようだったけど、葵ちゃんは悲痛な面持ちで愕然と呟いている。


「同じタイミングで全く別の事件が起きたとは考えにくいし、急患って言い訳が通じなくて殺したと見るのが妥当だろうね。佐々木さんを殺したことでタガが外れたのかもしれない」

「ああ。昨日少し話したけど、なかなか察しのいい爺さんだったからな。龍司のことを気に掛けてたみたいだったし、誘拐犯たちを怪しく思って、病院まで同行しようとしたのかもしれない」


 だとしたら完全に巻き添えで哀れとしか言い様がない。

 それでも、今は他人のことより龍司の安否だ。十中八九、管理人の爺さんは誘拐犯に殺されたと見て間違いないだろうけど、古都音なら何か別の可能性に気付くかもしれないし、色々と話し合うにしてもまずは互いに情報を共有してからだ。

 ひとまずこちらから伝えるべきことは伝えたから、手元の紙に意識を戻した。



 ――――――――


 滝龍司は預かった。

 無事に返してほしければ、八月六日の正午に、以下の場所、以下のナンバーの車のトランクに、百キログラム分の金塊を入れて、速やかに立ち去れ。

 警察など外部の者に知らせることは禁じる。

 当方の要求に従わない、もしくは当方に敵対的な行動を取った場合、滝龍司の命はないものと思え。

 

 ――――――――



 指定場所は郊外にある霊園の駐車場だった。お盆が近いとはいえ、今の状況で墓参りに行く人は少ないだろうし、あまり人気はなさそうだ。だから指定したのだろうか。

 ともあれ、まさに身代金誘拐としか言い様がない脅迫状だった。

 しかも身代金が現金ではなく金塊ときた。

 思わず溜息を吐いてから、大きく深呼吸をした。こんな状況でも、昨夜散々嗅がされたいい香りが今もすることに気付いて、やはり自分は冷静だと思えた。現に思考に淀みはない。俺の頭は意識せずとも勝手に思索を巡らせてくれている。

 脅迫状をテーブルに置くと、美女がすぐに手に取って読み始めた。古都音はそちらには目もくれず、いつになく真面目な顔でこちらを見つめてきている。


「どう思う?」

「どうって……まあ、厄介なことにはなったけど、最悪ってほどでもなさそうだ」


 古都音と葵ちゃんが誘拐犯の会話を聞いていなければ――敵の情報が何もなければ、相当にまずい状況だと思っただろう。

 しかし、情報はある。しかも敵は情報が漏れたことに気付いておらず、俺たちの存在すら認識していない。


「お兄さんは、言うとおりにすれば、滝さんを無事に返してもらえると思うんですか?」


 葵ちゃんはそう思っていないのか、不安を隠す様子もなく尋ねてきた。


「返さないつもりだったら、この場で龍司を殺しておくのが確実だったはずだ。絞殺なら血痕も残らない。死体はでかいバッグか何かにでも押し込んで持ち去れば、悠々とこの場を去れる。でも、敵は急いでいたみたいだ」

「意識がない人間は重たいって言うし、りゅーくんの身長体格ならバッグとかに詰めて運ぶより、肩に担いだりした方が楽なのは間違いないね。階段で九階から地上まで降りるなら尚更だし、誘拐犯のCは外国人っぽい感じしたから体格いいのかもしれない」

「敵が急いでいたのは、龍司の意識が戻って暴れられる前に、このマンションから去りたかったからだろう。車にさえ乗せてしまえば、後は人目を気にする必要もないしな。だから敵は玄関より先に上がり込んだりせず、すぐに出ていった」


 俺の考えが正しければ、敵が屋内の確認をしなかった理由はもう一つあると思うけど……この流れでいきなり言い出しても混乱させるだけだろう。


「こう言ってはなんですが、不幸中の幸いでしたね。もし誘拐犯が桐本さんと瀬良さんの存在に気付いていれば、二人とも殺されたか、一緒に攫われていたでしょう」

「そうだな。二人とも無事で本当に良かった」


 状況はそう悪くないこともあって、俺は本心から安堵の笑みを浮かべることができた。古都音と葵ちゃんは素直に喜べる状況ではないと思っているのか、どちらも神妙な面持ちをしているけど、二人とも今は怖がっている様子はほとんどない。

 それでも、誘拐犯たちが玄関にいたときは相当な恐怖に見舞われていたはずだ。リビングの方まで来たりはしないだろうかと怯えていたに違いない。あるいは葵ちゃんなら手斧片手に自ら玄関の方に突撃しても驚きはないけど、彼女が龍司を助けるためにそこまでするとは思えない。せいぜい臨戦態勢で待ち構えていたくらいだろう。


「あの、思ったんですけど……」


 ポニーテールの少女が自信なさげに口を開き、俺たち三人を見回しながら続けた。


「今の社会の状況なら、その辺のお店とか民家に強盗に入った方が、楽なんじゃないでしょうか? わざわざ人を攫って身代金を要求するより、ずっと手軽だと思うんですけど……」

「うん、不可解なのはまさにそこだよ」


 大きく頷く古都音に、数時間前までの陰鬱とした気配は希薄だ。軽く眉根を寄せ、口元に手を当てて、テーブルに置かれた二枚の紙を睨むように見つめながら呟き始める。


「この誘拐、明らかにおかしいんだ。少なくとも仲間が三人いて、目的が金品なら、そこらの店で強盗した方が早いし楽だ。なのに、強盗より非効率で博打要素の強い身代金誘拐を選んだってことは、そこには身代金以外の狙いがあると見るべきだよ」

「どうしても金塊が欲しかったのではないでしょうか? 今後、仮に治安が回復したとしても経済は荒れそうですし、日本円の価値もどうなるかは分かりませんから」

「うん。用意しやすい現ナマじゃなくて、敢えて金塊を指定したのはその点を懸念してのことかもしれない。それはそれで一理あると思うけど、それなら貴金属を扱ってる店で強盗した方が効率いいだろうし、何より誘拐犯が佐々木さんを利用したことが――利用できたことが訝しい」

「はい、同感です。誘拐犯の話では、社長とやらから必ず殺すよう予め指示を受けていたということでしたが、これは佐々木さんに玄関を開けさせることも計画のうちということを意味します。つまり、社長とやらは佐々木さんがここを訪れることを知っていたということです」

「それじゃあ、結城家の人か佐々木さんが、滝さんの家に行くことを誰かに話したってことですよね。その誰か本人か、又聞きした人が社長って人物で……その人は身代金以外の理由で、誘拐を……っ!」


 冷静な年上二人の意見を受けて、葵ちゃんが確認するように俺を見ながら言ってきたけど、その声は次第に思案げな呟きに変わっていった。それだけなら未だしも、まるで何かに気付いたかのように息を呑んで目を見開いている。

 心結と友達の葵ちゃんなら、思い当たる節があってもおかしくはない。


「動機は怨恨、黒幕は安藤のおっさんってとこだな」


 俺が自らの考えを口に出すと、女性陣から一斉に注目された。


「安藤さんと言うと、昨日暁貴さんがご実家の前で話していた方ですよね?」

「ああ、あの人だ」

「安藤って誰だい? 結城家の関係者?」

「心結の母親の晴佳さんは旧姓が安藤なんだ。で、晴佳さんの兄は安藤宗仁(むねひと)という名前で、社長の肩書きを持ってるんだ」


 この情報を古都音が知っていれば、万全とは言いがたい今の状態でもすぐに俺と同じ考えに至ったと思う。葵ちゃんに驚いている様子はないから、やはり心結から伯父について何かしら聞いたことがあったのだろう。


「……それは初耳だ」

「今まで特に言う必要もなかったことだからな。晴佳さんの実家は車の修理とか車検とか販売とか、色々やってる会社を経営してて、今は心結の伯父にあたる安藤宗仁が社長をやってる。地域密着型の車の何でも屋って感じで、そんなに大きくはない会社みたいだけどな」


 俺は実際に訪ねたことはないけど、以前心結に聞いてネットで少し調べたことはあった。会社は隣の市にあるみたいで、評判はそこそこ良さげだった。口コミなどを見ると、地域住民に信頼されているような印象を受けたのを覚えている。


「なるほど、理解しました。昨日の滝さんの話し振りから察するに、安藤宗仁は妹と姪が結城家で酷い扱いを受けていることに憤り、今回の犯行に及んだわけですね」

「おそらくな。父さんや結城家に対する不満はずっとあったんだろうけど、事ここに至って爆発したんだと思う。安藤のおっさんは心結たちが本家に移るのを手伝ったらしいし、龍司の話では婆様が大騒ぎしたみたいだからな。それに龍司も『愛人とその娘がいて気が散る』とか何とか言ってここに戻ってきたって話だった。安藤のおっさんにとっては色々と見過ごせなかったんだろう」

「そういうことなら動機も犯行手段も納得だ。その安藤が今の結城家に出入りできる立場なら、佐々木さんのことを知って利用できるし、誘拐犯たちが玄関から先に入ってこなかったのも、今この家にはりゅーくんしかいないと聞いていたからでもあったんだ」


 俺が誘拐犯の立場なら、急いでいても玄関の靴くらいは確認する。おそらく敵もその点は意識して見ていただろう。しかし、古都音たちの靴は下駄箱に隠していたから、違和感を与えることにはならなかった。敵は情報通りだと安心したはずだ。

 龍司に手を出した以上、もはや安藤のおっさんに同情はできないし、したくもない。けど、なぜ龍司を誘拐して多額の身代金を要求してきたのか、その行動原理は概ね理解できる。

 と、俺は思うんだけど、葵ちゃんは納得がいかないのか、小首を傾げていた。


「心結ちゃんの伯父さんが黒幕とするなら、身代金を取るのはおかしい気がします。金塊百キロ分って相当な金額になりますよね。いくら結城家が裕福でも、今は心結ちゃんの実家なんですから、本当に心結ちゃんたちを大事に思うなら、結城家に損害を与えるような真似をするのは矛盾しませんか?」

「どうかな。動機が感情的なことなら、多少理屈に合わなくても強行するんじゃないか?」

「そうですね。実行役の三人に対する報酬もあるでしょうし」

「ああ。それに、たとえ結城家が経済的に困窮したとしても、妹たちは自分が面倒を見ればいいとか思ってるのかもしれない。実際、父さんが晴佳さんと再婚するまでは、安藤のおっさんが何かと世話を焼いてくれたって心結から聞いた覚えがある」

「……そもそも、身代金を用意できないと思ってる可能性もありそうだ」


 古都音のその発言は少し予想外で、俺は他の二人と同じく無言で先を促した。


「今日は三日で、身代金の引き渡しは六日。結城家が誘拐に気付くまでの時間を考慮しても、金塊を調達するのに取れる時間は正味二日。今の社会状況で、二日で百キロの金塊を用意するのは結城家でも難しいんじゃないかな。あっくん、本家の金庫に金塊が入ってるみたいな話、聞いたことある?」

「いや、ないと思う。子供の頃、爺様の書斎に金庫があるのを見て、中に何が入ってるのか聞いたことはあったけど、大事なものを色々入れてるってだけで、具体的に何かは教えてもらえなかった」

「なら、安藤だって金庫の中身を知っている可能性は低い。つまり、無理難題とまでは言わないけど、結構な難題だと承知の上で、百キロの金塊を要求してきていることになる」

「しかし、滝さんを攫ったときの状況から考えると、誘拐犯は滝さんを生きたまま返すつもりがあって、尚且つ佐々木さんを見せしめに殺すことで強く脅迫しています。にもかかわらず、誘拐犯は難題を押し付けてきている。桐本さんはその理由が何だと考えているのですか?」


 礼奈はこれまでの仮説の論理性を確認するように淡々と言ってから、問いを投げた。


「うん……あまり考えたくないことだけど、安藤は身代金なんて関係なく、りゅーくんを再起不能にした上で返すつもりなんじゃないかな。安藤の動機が怨恨なら、それは復讐ってことだからね」


 ふと、古都音が気遣わしげな目で俺を見てきた。


「医者としての将来を嘱望しょくぼうされてるりゅーくんに、医者には到底なれないような後遺症が残るほどの怪我を負わせて返せば、それは結城家にとってもりゅーくんにとっても、ある意味死よりも辛い仕打ちになり得る」


 言い辛そうに話し終えた古都音に、俺は思わず苦笑してしまいながら口を開く。


「なるほどな。生き地獄って言葉もあるくらいだ。ただ死ぬより、絶望しながら生きることの方がよっぽど辛い。本人も周りもな。しかも身代金を払った場合には、より残酷なことになる。龍司は再起不能の自分に金塊百キロ分の価値なんてないと思って一層絶望するだろうし、親族連中も表向きはともかく同じようなことを思うかもしれない」

「それは……そんなの、あまりに酷すぎます……」


 葵ちゃんはか細く呟きながら頭を振っている。

 それとは対照的に礼奈の表情は変わらず落ち着いていて、小揺るぎもしていない平静な声で言った。


「もしその説が正しいとするなら、安藤宗仁が身代金誘拐という形で事を起こした理由も納得がいきます。滝さんを生かして苦しめるなら、犯人として直接接触するわけにはいきませんから、実行役として自分の会社の信頼できる部下を使ったわけですか。部下は今回の社会的な混乱によって行方不明にでもなったことにすれば、結城家に疑われても言い逃れは難しくなさそうです」

「そうだね。身代金は実行役に全部やると言った上で、もし身代金が手に入らない場合でも安藤が最低限の報酬を約束していれば、裏切られる心配もない。それなら見せしめのための殺人だって厭わないどころか、むしろ張り切ってやるだろうしね。それに佐々木さんを殺させたのは、りゅーくんを負傷させることへの躊躇いを取っ払うためっていう理由もあるのかもしれない。少なくとも、管理人のお爺さんは想定外のことで咄嗟の判断だったろうに、殺せている。どのみち失踪するつもりなら、見咎められても強引に振り切って逃げることだってできたはずなのに」

「ありそうな話だ。しかも実行役は三人だからな。人は群れると気が大きくなるもんだし、罪悪感も三等分だ。女性と老人を殺した後って状態で、痛めつける相手が金持ちのボンボンでイケメンともなれば、躊躇うどころか楽しんでも不思議はない」


 もしこれらの推測が的を射ていれば、かなり狡猾で残虐な計画だ。敵ながら感心する悪辣さで、思わず殺意が湧いてしまう。龍司がぼろ雑巾にされてベッドで寝たきりになるかもしれないと考えると、冷静さを保てそうになくなる。

 嫌な想像を打ち切るため、鋭く深く息を吐いた。心は熱くなってもいいけど、頭は冷めていないと、勝てる勝負も勝てなくなる。基本中の基本だ。


「要するにだ」


 意識して肩肘から力を抜いて、三人の顔を見回した。彼女らに恐れや怯えなどはあっても、怒りはほとんど見られない。うち二人は龍司とさほど関わりがないし、古都音は殴られても殴り返さずうずくまるような性格だから、女性陣から敵愾心や闘争心が感じられなくても無理はない。


「安藤のおっさんとしてはどう転んでもいいわけか。妹たちのために結城家の資産を減らすような真似はできればしたくないけど、減ったとしてもそれで結城家をより苦しめられるなら意味はある。しかも晴佳さんたちにとって龍司はまだ他人も同然だから、彼女らにその苦しみが及ぶことはない。むしろ蔑んできた相手だから、いい気味だとでも思えるだろう」

「心結ちゃんはそんなこと思うような子じゃないですっ」


 思わずといったように葵ちゃんが声を上げ、力強い眼差しを向けてきた。


「いや、安藤のおっさんからすれば、そう納得して事に及べるって話だよ。俺も心結がそんな性悪だとは思わないさ。医師を目指してる奴が、仮にも従兄の負傷を喜ぶわけがない」

「あ……ごめんなさい、つい……」

「いいさ、それだけ心結のこと大事な友達だと思ってくれてるってことだからね。ありがとう、葵ちゃん」


 この様子なら、葵ちゃんは今回の誘拐事件の解決に力を貸してくれるだろう。龍司のためではなく、心結のためとして。


「とにかく、安藤のおっさんが今回の誘拐の黒幕と仮定する。異論はないか? あれば遠慮せず言ってほしい」


 念のため確認してみたけど、異を唱える者はいなかった。


「なら、ここからは今後の話だ」

「暁貴さんとしては、滝さんは従弟ですから、当然助けるために動くつもりなのですよね?」

「ああ。敵の思惑がどうであれ、龍司はまだ無事なはずだからな。龍司を再起不能にするって説が正しいとしても、実際に怪我を負わせたりするのは、龍司を返す直前になるはずだ」

「うん。後遺症が残るほどの怪我ってなると、一番確実なのは指を切断するみたいなことになるけど、素人には止血すら難しいからね。少なくとも身代金の支払い期日までは、下手に大怪我を負わせるようなことはしないと思う」

「それじゃあ、六日までに何とかしないといけないってことですか。お兄さんは何か考えがあるんですか?」


 あるにはあるけど、話を円滑に進めるためには、まず先に話しておくべきことがある。


「正攻法でいくなら、今すぐに結城家に行ってこれまでのことを全て正直に話す。葵ちゃんのことも古都音のことも全部な。それで今回の誘拐は安藤のおっさんによる計画だと、正々堂々と正面から糾弾する」

「ですが、確たる証拠はありませんよね」

「ああ、そこが問題だ。敵が佐々木さんを利用したってことは、結城家に獅子身中の虫がいることを知られても構わないと思ってるってことだろう。しかも状況的に、安藤のおっさんが容疑者の一人として見られる可能性が高いことは明らかだ。俺が何も言わなくてもな」

「そうだね。言い逃れできる自信がなければ、安易に佐々木さんを利用したりはしない。となると、今頃はアリバイ作りのために本家にいるはずだ。そして報告に戻って来ない佐々木さんを訝しんで、誰かがここの様子を見に来るのに同行することで、現場の様子を自分の目で確認しようとするかもしれない」


 古都音は既に俺の考えを読めているのか、補足する程度のことしか言わない。


「えっと、それじゃあ……正攻法では無理ってことですか?」

「絶対に無理ってこともないだろうけど、俺は爺様や父さんからは不出来な長男だと思われてるからな。あまり信用されてないんだ」


 まあ、ある意味では信用されているだろうけど、それは言う必要のないことだ。


「しかも確たる証拠がない以上、安藤のおっさんの仕業だと糾弾できる唯一の根拠は、古都音と葵ちゃんの証言になる」

「そうですね。根拠としてはかなり弱いと思います」

「でも、わたしも古都音さんも確かに聞いたんです。ここに書いてあるのが一言一句正確とは言い切れませんけど、二人で確認し合ったので九割方は間違いない内容です」


 美女の直截的な物言いが癪に障ったのか、少女はむきになったように続ける。


「これが門之園さんの証言だったら信用されないかもしれませんけど、古都音さんはお兄さんの、わたしは心結ちゃんの友達です。嘘を吐く理由だってないですし――」

「おいちゃん」


 優しく呼び掛けられて、我に返ったように口上を止めた葵ちゃんに、古都音は変わらぬ声で告げた。


「今のぼくたちはさ、可哀想な女の子なんだよ」


 その事実を他ならぬ古都音が口にしてくれたのは有り難かった。俺が言うよりも、同じ立場の者から言われた方が葵ちゃんも納得しやすいだろうからな。


「ぼくたちの証言を信じてもらおうと思ったら、りゅーくんの家にいる理由を説明しないといけないよね。でも、説明すれば、ぼくたちは正気を疑われる精神状態にあると思われる余地ができてしまうんだ」

「……あ」


 葵ちゃんは小さく声を漏らして愕然としている。今の自分が客観的にどう見られる境遇にあるのか、その点は考えもしていなかったのかもしれない。


「誘拐犯の姿をこの目で見て、誘拐犯たちがりゅーくんにこういうことをしていたって話なら未だしも、ぼくたちはただ声や物音を聞いていただけだ。じっと隠れて怯えながらね」

「幻聴、とか言われちゃいますか……」

「間違いなく。聞こえた会話が全て幻聴とまでは疑われないと思うけど、聞き間違いや幻聴も入ってるとは言われるはずだよ。特に安藤が黒幕だとする決定的な部分は『社長』って単語だ。ぼくが安藤の立場なら、『シロー』の聞き間違いだろうって指摘するよ。イチローもジローもサブローもいるわけだしね」


 やっぱこいつ頭回るな。この手の推論や論理展開が必要なときは本当に助かる。昨日の今日だからまだまだ本調子ではないだろうに、それでも龍司のためにと気張ってくれているのだろう。そういうのは何となく伝わってくる。


「ぼくたちはそれに有効的な反論はできない。もちろん色々と嘘を吐くことはできるけど、安藤以外の人に嘘がばれたら、発言の全てを疑われることになって一巻の終わりだ。安藤はぼくたちの嘘を見抜きやすいから、危険な賭けでもある。一応、そこを逆手にとってぼろを出させることも不可能じゃないけど、画面越しのレスバならともかく初対面の相手との舌戦なんてぼくは到底できないし、そもそも出たとこ勝負で博打要素が強すぎる。悔しいけど、正攻法では成算はないと判断せざるを得ないよ」


 二人の証言があれば、安藤のおっさんを容疑者の中でも最有力候補にはできる。けど、それでも灰色止まりだ。古都音の言うとおり相手にぼろを出させるにしても高度な話術が必要になって、俺たちには不可能とまでは言わないけど、非常に困難で博打同然になる。それに仮に上手くいっておっさんが拘束されることになっても、物的証拠は何もないんだから本人が認めない限りは灰色のままだ。

 そもそも、もはやおっさんの身柄をどうこうしたところで、今回の誘拐事件は止まらない。通信障害という状況下にある以上、端からおっさんの指示などなくても、実行役の三人が計画通りに事を進める手筈になっているはずだ。

 だから、結城家の人間に安藤のおっさんが黒幕だと分からせてやる必要など、実は全くない。

 葵ちゃんはまだその点に気付いていないのだろう。項垂れるようにして頭を下げてきた。


「お兄さん……ごめんなさい。わたしは役に立てそうにありません……」


 謝る必要なんてないんだけど、この子が俺の役に立ちたいと思ってくれていることは素直に有り難いと思うし、好都合でもあった。


「葵ちゃんはもう十分役に立ってくれてるよ。ここに書かれてある会話を古都音だけが聞いたなら、正直俺も幻聴を疑ったと思う。けど、二人とも聞いて確認し合ったなら信じられる。だから気にしないで」

「それで、暁貴さん。先ほどの口振りからすると、正攻法ではない方策もあるみたいですが、どうなのでしょう?」


 礼奈なら、その正攻法ではない方策の具体的な内容まで既に気付いてそうなものだけど、改まったように尋ねてきた。

 だから俺も姿勢を正して、自信満々に頷いてみせた。


「もちろんある」

「それはどのような?」

「単純な話だ。目には目を、歯には歯をってな」

「目には目をって……お兄さん、まさか……?」


 ようやく葵ちゃんも思い至ったのか、訝しげな目を向けてきた。


「ああ、心結を誘拐する」


 龍司を無事に取り戻すためには、こちらも人質を取って脅すのが最も効果的だ。


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