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終末よ、生きる望みの喜びよ  作者: デブリの遺灰
The 2nd Run
24/43

24 死体


 礼奈と相談した結果、女の死体はそのままにしておくことにした。現場保存だ。警察署に駆け込むかどうかという点については、俺も礼奈も話題にすらしなかった。


「首の痕……この分だと結構あざになっちゃうと思うけど、大丈夫か?」

「今はもう痛みもないですし、そのうち治るでしょうから、問題はないと思います」


 その言葉通り本人は平然としているけど、首元の変色だからどうしても目立つ。何か荒事があったことを匂わせている状態なのは問題だろう。もし警察の目に留まって呼び止められでもしたら面倒だ。


「礼奈、もし人に首のこと聞かれたら、彼氏にやられたって言っとけ」

「それでは暁貴さんが交際相手に暴行を働く鬼畜のように思われてしまいます」

「いや、その……同意の上でのことだと言っておけば大丈夫だから。とにかく俺のことは気にするな。母親に殺されそうになったとか言うよりかは面倒もないから」

「それはそうですが……いえ、すみません。ありがとうございます」


 低頭する礼奈に気付いている様子はない。

 同意の上で彼氏に首を絞められるなど、そういうプレイの行為に及んだと言っているようなものだ。しかし、礼奈にその手の知識はないのだろう。あれば少しは動揺を見せ――いや、この人ならそうでもないか? よく分からんな。


「じゃあ行こうか」


 俺や葵ちゃんのときと同様、部屋のエアコンは点けたままにして、二〇四号室を出た。直射日光の当たらない共用廊下でさえ、かなりの暑気を感じる。殺人が起きてまだ二時間も経っていないけど、真夏の真昼の暑苦しさを正しく感じられる程度には、心身の状態は良好だ。まあ、連日のように殺人現場を経験しているからな。もう慣れてしまった。

 門之園慎吾氏の車については、礼奈が乗っていくことになった。彼女も運転免許は取得済みらしいし、今後のことを考えると俺のSUV一台だけでは心許ないから、ここで予備の車両を合法的に入手できたことは幸いだ。……合法かどうかは微妙なところだけど、持ち主の娘が運転するんだし大丈夫だろう。

 出発前に、SUVの荷物の一部を礼奈のセダンのトランクに移しておいた。これでSUVの乗車スペースを無理なく確保できたし、もし今後SUVを捨てることになっても最低限の物資があると思えば安心できる。自宅マンションに補給に戻れば済む話だけど、何がどうなるか分からない状況だからな。いざというときの備えをしておくに越したことはない。


「では私は後ろをついていきますね」

「ああ、頼む」


 それぞれの車に乗り、出発した。

 あんなことがあった直後で、礼奈はきちんと運転できるか少し心配だったけど、特に問題はなさそうだった。やはり強がりでも何でもなく、ある程度の平静さは取り戻せているようだ。

 何事もないまま龍司のマンションに到着した。礼奈のセダンは昨日も利用したコインパーキングに駐めさせて、先ほど助手席に移ってもらったので、二人でSUVを降りる。

 通用口の扉を開けて中に入ると、共用廊下の先に数人の男女がいた。思わず足が止まってしまい、礼奈も隣で立ち止まった。


「あそこ、人が倒れていませんか?」

「みたいだな」


 三人の男女の足下に、誰かが床で倒れ伏しているのが見えた。三人は傍目にも浮き足立っているように見えて、彼らに物騒な気配は感じられない。

 このマンションの外部階段は共用廊下の両端付近にそれぞれあり、通用口はその間にある。だから彼らを無視して上階に向かうことはできるけど、今はここを住処としている以上、何かしら事件が起きたなら一応把握しておきたい。

 礼奈の顔を見ると頷かれたので、近付いてみることにした。管理人の爺さんならともかく、ただの住人なら俺たちがどの部屋に住んでいるのかは知らないはずだ。礼奈と一緒でも問題はないだろう。


「何かあったんですか?」


 そう声を掛けると、俺たちの接近に気付いていた中年女性が、青白い顔で唇を震わせながら口を開いた。


「亡くなってるみたいなのよ……」


 近付いてみたことで、俯せで倒れているのは管理人の爺さんだと分かった。昨日、一度会っただけだけど、身長体格や横顔からして間違いない。確か名前は飯田茂だったか。


「おれが見付けたときには、もう息してなくて脈もなかったんだ」


 爺さんの側に屈んでいた三十代ほどのおっさんが立ち上がり、険しく引き締まった面持ちでそう言った。


「さっき飯田さんの奥さんを呼んだんだけどねぇ、ショックのあまり倒れちゃって。部屋に運んで他の人に様子見ててもらってるけど……まあ突然こんなことがあっちゃ無理もないよねぇ」


 飯田さんより年配の爺さんが小さくかぶりを振りながら嘆息を零している。

 俺は念のため三人を警戒しつつ、死体の様子を観察してみる。

 頭部や頸部、背面にこそ血痕は見られないものの、胴体と床の間から染み出たような感じで血溜まりができている。なかなかの出血量だ。口元の吐血した跡からしても、腹か胸を刺されたのだろう。少なくとも何かしらの病で急死という風には見えない。

 爺さんの両手は血に汚れていないから、手で傷口を押さえる暇もなく倒れ伏したことが分かる。即死に近い攻撃を正面から受けたということは、不意打ちだったのかもしれない。つまり相手は知己か、警戒心を抱きにくい女子供か、もしくは警戒する間もないほどの速攻だったか……いや、二人以上の犯行で、羽交い締めにされたところを刺されたという線もあるか。いずれにせよ、他殺なのは間違いなさそうな状態だ。

 密かに警戒心を強めながら、三人に尋ねてみる。


「警察は呼んだんですか?」

「ああ。さっき一〇二号室の人が警察呼んで来るって言って出てった。おれは第一発見者として、一応ここで現場が荒らされないように見張ってんだけど……ただ待つってのも、正直きついわ」


 おっさんはズボンのポケットから煙草の箱を取り出し、一本引き抜こうとしたところで、溜息を吐いて箱を戻した。現場で喫煙はまずいと思い直したのだろう。


「それはいつ頃のことです?」

「十二時くらいだったかな。おれが管理人さん倒れてるのを見付けたのは十一時四十四分で、とりあえず一階の人たちには知らせたけど、まだ上の階の人たちは知らないだろうな」


 スマホで時刻を確認してみると、十二時三十四分だった。


「そろそろ警察の人が来てもいい頃よね……?」

「もしかしたら、あちこちでこういうことが起きてて、忙しいのかもしれないねぇ」


 おばさんは不安げに呟き、爺さんは腕組みして溜息を吐いている。この二人はおっさんの知らせを受けて出てきた一階の住人なんだろう。


「とりあえず、女子供は家ん中に入ってた方がいい。兄ちゃんもそっちの彼女連れてさっさと行きな」

「そうですね、そうさせてもらいます」


 俺は三人に低頭し、礼奈は死体に軽く手を合わせてから、その場をあとにした。おばさんも死体に背を向けて、俺たちとは逆側に歩き去っていく。


「まさか人が亡くなっているとは思いませんでした。それも見たところ他殺のようでしたし、あの方が管理人というのも気になります」


 階段を上がり始めてすぐ、礼奈が思案げに呟いた。俺は後ろを振り返ることなく、「そうだな」と頷いて、念のため階上を警戒しながら話を続ける。

 

「まあ、ここは分譲マンションだから、管理人はマスターキーを持ってないはずだ。だからその点を心配する必要はないと思う」

「そうなのですか?」

「ああ。賃貸ならともかく、分譲のマンションにマスターキーはそもそも存在しない。俺の住んでるマンションも分譲だけど、マスターキーはないって話だった。前世紀に建てられたような古いマンションはどうか知らんけど、ここは築十年くらいだから大丈夫のはずだ」

「なるほど」


 マスターキーを奪取するために管理人を殺した、ということなら分かりやすくて納得もできるんだけど、良くも悪くもそう単純な話ではないということだ。


「だから、ここを離れるかどうかは要検討だな。ま、龍司は問答無用で本家に連れて行かれるだろうけど」

「現場が一階の廊下ですから、様子見に来る佐々木さんという方は気付くでしょうね。遺体が回収されても血痕は残るでしょうし。そうでなくとも、滝さんは真面目な方みたいですから、今回のことを隠さず話しそうな気がします」

「そうだな、あいつは自分が心配されてることをよく分かってる。マンションで殺人事件と思しきことが起きた以上、むしろ自分から本家に行くと言い出すだろうな」


 その場合でも、俺たちのことは黙っていてくれるだろうし、引き続き部屋も使わせてくれるはずだから、そこを心配する必要はない。

 問題は、誰がどうして管理人の爺さんを殺したのかだ。


「どうして管理人さんは殺されたのだと思いますか?」

「あの場で見た限りでは、他殺の可能性が高いってことくらいしか分からなかったな。強いて言うなら、死体をその場に放置したってことは隠す気がなかったのか、そんな暇もないくらい急いでいたのか、その両方か……」

「そうですね。私もそのくらいしか思い付きません」


 古都音なら何か気付くことがあったかもしれないけど、今のあいつに血生臭い現場の検証をさせても、まともに考えることなどできないだろう。それ以前の問題として、あんな金髪碧眼の美少女然とした姿を人目に晒すリスクは冒せない。このマンションで殺人が起きたのなら尚更だ。


「まあ、とにかく、古都音と葵ちゃんには寝耳に水だろうな」


 あの二人がどの程度の不安に駆られるのか、それ次第で移動するか否かが決まるだろう。俺個人としては、面白いことになりそうだからこのマンションから離れるのは気が進まないけど、今の古都音と葵ちゃんの精神に負荷を掛けるような真似はしたくない。前者は心が潰れかねないし、後者はまた暴走するかもしれないからな。


「礼奈は大丈夫か?」


 ちらりと振り返って尋ねてみると、美女は平然とした顔で首肯を返してきた。


「今の私は大抵のことでは動じません。そういう暁貴さんはどうですか?」

「俺も特に動揺とかはないな。少し驚きはしたけど」


 礼奈と母親の修羅場から、まだ二時間ほどだ。あれに比べれば、管理人の爺さんが死んでいたことなど、鼻くそみたいなもんだ。意外ではあっても、恐れ怯えるほどではない。危機感が麻痺している可能性を考えると今の俺たちは危うい状態なのかもしれないけど、きちんと警戒する心構えさえ崩さなければ、問題はないだろう。

 誰とも遭遇することなく、九階に到着した。マンション内は静かなもので、共用廊下に人の姿は見られない。一階で殺人があったとは思えない平穏っぷりだった。人によってはこの静けさが不気味に感じられそうだ。

 昼食はどうしようかな……などと思いながら、九○三号室の玄関扉を解錠し、開けた。


「――ん?」


 きちんとドアガードに阻まれた。

 それはいい。

 それはいいんだけど……誰かが倒れていた。一瞬、古都音かと思って肝が冷えたけど、違う。明らかに違うことは僅か十センチほどの隙間からでも見て取れた。

 倒れた誰かは扉の方に足を向けて俯せになっており、胸から先は廊下に上がっている。真夏にもかかわらず長袖長ズボンのグレースーツ姿で、黒い髪は俺より少し長い程度だから、後ろ姿から性別は判然としないものの、その見覚えのある服装と身長体格、床に落ちている紙袋から覗く新聞、そしてこの部屋の玄関にいる状況から誰であるかは容易に察しが付いた。

 だから、腰元の生地が黒く変色し、床に血痕が見られ、彼女がぴくりとも動かないことに、少なからぬ衝撃を受けてしまった。あまりに不意打ちすぎて唖然としてしまう。


「暁貴さん? どうかしましたか?」


 後ろの礼奈に声を掛けられて我に返り、ドアの隙間から屋内に向けて叫んだ。


「古都音! 龍司! 葵ちゃん! 俺だっ、暁貴だ!」


 耳を澄ませて反応を待つと、すぐに微かな足音がして、ポニーテールの少女が小走りに現れた。特に怪我などはなさそうな様子で、右手には手斧が握られている。刃は綺麗だ。


「お兄さん……よかった、無事だったんですね」


 少女は足下の遺体や血痕などを避けて扉の前まで来ると、頬を緩めて一息吐いている。


「とりあえず開けてもらえるか?」

「はい」


 一度扉を閉めて、ドアガードを外してもらい、すぐに中に入った。葵ちゃんが無事ということは、既に屋内に敵がいないことは明白だ。この子が暴走して佐々木さんを殺した可能性は一瞬考えたけど、目を見て正気だと分かった。

 礼奈は玄関に倒れている者を前にして少しだけ目を見開いたものの、何も言わず扉を閉めて施錠し、しっかりとドアガードまでしていた。こういうとき、無駄に騒ぎ立てないでくれるのは本当に有り難い。


「あっくん!」


 遺体の横で靴を脱いでいると、廊下の先から古都音が駆け寄ってきて、勢いそのままに抱き付いてきた。見た感じ無事みたいだし、最悪の事態には陥っていないことが分かって、ひとまず胸を撫で下ろす。


「龍司はどうした?」


 遺体のことは気になったけど、まずは安否確認が優先だ。

 古都音は俺の背中に手を回したまま顔を上げると、瞳を潤ませながら、引き攣ったように強張った面持ちで口を開く。


「りゅーくん……攫われたんだ」

「攫われた?」

「身代金誘拐だよ! 誰か知らないけど佐々木さん殺してりゅーくんを攫って脅迫状置いてったんだ!」


 あまりにも予想外すぎる言葉が飛び出して来たものだから、一度目を閉じて深呼吸をした。少々の血生臭さを嗅ぎ取れる程度には、俺は冷静だ。それを自覚してから、不安げな葵ちゃんの顔、落ち着いた礼奈の顔、そして佐々木さんの遺体を順繰りに見回し、最後に見慣れた顔の見慣れない表情に視線を戻して、頷いてみせた。


「そうか。何があったのか、詳しく説明してくれ」


 正直、心が躍るような高揚感を覚えてしまった。

 しかし、同じくらいの不安感や焦燥感もあり、それらが上手い具合に相殺されたことで、俺は自分でも意外なほど落ち着いていた。


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