01 予告
シングルサイズのベッドに二人並んで横になり、一息吐いていると、瑠海が俺の頬をつついてきた。
「あー、巨大隕石でも降ってきて人類滅びないかなー」
薄闇の中、隣を見ると目が合い、気怠げに微笑まれる。
「そういうこと、先輩は思ったことない?」
「……ないな」
人類の滅亡、あるいは世界の終焉。
これまでの十九年間の人生で、そんなことを考えたことは一度もなかった。ゲームや漫画などではその手の危機的状況はありふれていたけど、いくら絶望しても実際に現実の出来事として夢想したり、ましてや願ったりしたことなど皆無だった……と思う。そのはずだ。
「ほんとに? わたしはね、結構あるよ。家族とか学校とか将来とか色々面倒だから、もういっそ全部消えてなくなっちゃえばいいのになって」
「あぁ、なるほど。そういうのなら、なくはない」
自殺願望や破滅願望とは少し違う。自暴自棄に似た諦観とでも言うべきか。将来の夢や生き甲斐を失い、日々を惰性で生きていると、馴染み深くなる感覚だ。
瑠海はいつものように俺の腕を抱き、足を絡めて密着してきながら、小さく溜息を吐いた。
「先輩が卒業してから、わたしの高校生活はとても退屈になっちゃって、最近はよくそんなこと思っちゃってるの」
「べつに校内では絡みなかっただろ」
「ううん、一緒に登下校したりするだけでも、わたしにとってはなかなか充実したひとときだったのよ。本音で話せる相手って先輩しかいないから」
言われてみれば、俺の方にも瑠海としか共有できない感情や話題は少なからずあった。俺にとって高校生活は砂漠をさまようなものだったから、瑠海の存在はオアシスのようなものになっていた。無味乾燥とした大学生活と比べると、それがよく分かる。
「だからね、夏休みの間くらいは週一と言わず、もっと頻繁に構ってくれてもいいのよ?」
「それは……あのクズが何か言ってきたとかではないんだよな?」
「うん、それは大丈夫。心配ありがと」
「…………」
「もちろん、先輩の気が向いたらでいいの。ただでさえお世話になってる身としては、先輩を煩わせるようなことはしたくないから」
そう言って瑠海は身体を離して仰向けになるも、手だけは繋いだままだ。
その距離の取り方が俺には好ましかった。だからこそ、この後輩との関係に義務感を覚えずに済んでいる。それどころか心地良く感じられてしまっている。
「そうか、じゃあ気が向いたらな」
「うん、気が向いてくれるのを待ってるね」
瑠海の要望に応えてやりたい気持ちはあったけど、躊躇いの方が大きかった。
そんな俺の内心を察したのかもしれない。
「あーあ、巨大隕石でも降ってきて、先輩もわたしも何もかも滅びないかなー」
瑠海は苦笑交じりに言って目を閉じると、やがて安らかな寝息を立て始める。
俺は妙に目が冴えてしまい、眠れなかった。
「巨大隕石で何もかも滅びるか……馬鹿馬鹿しい」
しかし、その馬鹿馬鹿しい考えに魅力を感じている自分がいる。それがおかしくて、自嘲せずにはいられなかった。
その日から、俺は暇を持て余す度に人類の滅亡だの世界の終焉だのについて思索に耽ってしまい、その手のフィクションに触れることで気を紛らせていた。夏休みに入ってからは特にやりたいこともない退屈な日々に拍車が掛かり、気が滅入っていたから、なかなかいい暇潰しになってくれていた。
そんなある日のことだった。
《以上のことから、人類諸君には殺し合ってもらう。これは生存競争である。自己保存の本能に従い、存分に同胞を殺し、自らが優秀な個体であることを我々に証明せよ》
起床後、リビングのテレビを点けたら、変な番組がやっていた。
《自らの手で殺害する限り手段は問わない。殺害対象の人種年齢性別も問わない。十人殺すのだ》
テレビには地球が映っている。宇宙空間らしき漆黒と無数の光点を背景とした、美しい青い星の全体像だ。画面内の球体は上下左右にぶれることなく、そのくせ自転なのか雲の動きなのか、表面の模様が微妙に動いている様子が確認できる。これが本物の映像なのか精巧なCGなのか、素人にはよく分からない。
《ただし、各人で有効となる殺害数の上限は二十四時間毎に一人とし、零時を基点とする。我々の用いる全ての時間表現は人類の定めた協定世界時に準拠するものである。最短でも十日間の闘争すら生き延びられない者など我々には不要である》
声音は中性的で、口調は抑揚がなく、淡々としている。機械音声でも最近はもう少し人間っぽく喋るものだけど、テレビから聞こえる声は息継ぎの間すら全く感じられない無機質さを隠す様子もなく、淀みのない日本語で機械的に話を続けていく。
《期間は八月一日零時より、百日間とする。期間中、先述の条件下で有効な殺害数を満たした者は、我々のもとで生きるに相応しい個体であることを認め、有効な殺害数を満たした日の二十四時に保護する》
テレビはもう一時間以上も同じ内容の番組を延々とリピートしていて、どのチャンネルにしても全く同じ内容なものだから、とりあえずテレビは点けっぱなしにしている。字幕にも対応していたから、聞き間違いではないことを確かめるためにも、念のため表示させている。
《期間内に我々の保護を受けられなかった者は、その悉くを消滅させる。我々が人類を容易に滅ぼせる力があることを示すため、七月三十一日零時に、人類が国家と定める領域ごとに、その時点で最も人口密度の高い一平方キロメートル内にいる人類を例外なく消滅させる。その十二時間後、電子機器を用いた情報通信の妨害を開始する》
先ほどスマホでSNSを覗いてみたら、テレビの様子に関する話題で持ちきりだった。電波ジャックやハッキングといったワードがトレンド入りしていて、宇宙人襲来だのスーパーハッカーだのAI大暴走だの色々な説が飛び交い、ある種のお祭り状態になっていた。
どうやら日本のみならず、世界中で同じ映像が流れているようだけど、音声と字幕は言語圏に合わせたものになっているらしく、ラジオでも同様の音声が流れているそうだ。
《我々が諸君に伝えるべき情報は以上である。それでは、人類の奮戦を期待する》
何度聞いても無茶苦茶な内容だ。
今頃、テレビ局にはクレームの電話が殺到しているだろう。
《はじめまして、人類諸君。我々は諸君が言うところの地球外生命体である》
また最初から始まった。もう無限ループだな。
《我々のことは好きに呼称してもらって構わない。我々は諸君が地球と呼ぶこの星から、遠く離れた銀河よりやって来た》
座っていたソファに寝転び、目を閉じて一息吐く。
テレビの発する音がリビングに虚しく響く中、少し考えてみることにした。
《我々は地球、そして人類を観察した結果、両者とも我々の管理下に置くことを決定した。しかし、人類は無駄に数が多い。それは種としての諸君が、地球上において優れた生物として繁栄していることの証左ではあるが、人類は個体間の能力差が大きく、劣等な個体は我々にとっても地球にとっても害悪であり、不要である》
これが本当に宇宙人の仕業なら、人類を滅ぼすという点に文句はない。人類だって、この宇宙船地球号に同乗する他の生物をたくさん殺してきたし、多くの生物を管理下に置いている。動物園や畜産業がいい例で、より強い生物が他の生物を支配したり殺したりするのは自然の摂理だ。
《我々は人類の生態について概ね理解しているため、個体ごとの優劣は一概に語ることが困難であるという見解を有している。一方で、人類を含む地球上の生物は、自らの生命が危機に瀕した際、その能力を十全に発揮する傾向にあることも把握している》
人類が逆立ちしても敵わない存在がもたらす問答無用の死。
それだったら俺は受け入れることができる。
しかし、よりにもよってこの自称宇宙人は、頑張れば生存可能だと抜かしやがった。
巨大隕石が降ってくるみたいな、個人の力ではどうしようもない天災とかで人類ごと滅びるなら、何も不満はない。むしろ未練なくすっぱりと死ねそうで、そんな終わり方には心惹かれるものすらある。
この場合に肝心なのは、破滅を前にして一切の希望がないことだ。下手に生き延びられる望みがあると、そこに縋り付こうとするのが生存本能ってやつで、俺も積極的に死のうとするほど人生に絶望しているわけではない。だから希望が見えちゃうと「やっぱまだ死にたくねーな」とか手のひら返しちゃうわけよ。
それはそれで面倒なことになりそうだから、人類滅亡はいいけど、そこに希望を残さないでほしいんだよな。
《そこで我々は、優劣を判ずる基準を生物として最も基本的な生存能力と定め、人類が極限状態となる状況を作り出した上で、選別を行うことを決定した。人類の中でも優秀な個体のみを我々の管理下に置き、それ以外での生存を決して許さないことを人類諸君に告げるものである》
宇宙人の支配下だろうと、生きられる。
もちろん、全てが宇宙人の嘘で、結局は人類を一人残らず滅ぼすのかもしれない。あるいは宇宙人が生存能力の高い人間を実験体として欲していたり、そうでなくとも自由の全くない奴隷みたいな生活を強いられることになる可能性は否めない。
それでも、実際にどうなるかは不確定であり、不確定である限りはそこに希望を見出してしまうのが人間ってやつだ。
《以上のことから、人類諸君には殺し合ってもらう。これは生存競争である。自己保存の本能に従い、存分に同胞を殺し、自らが優秀な個体であることを我々に証明せよ》
何度も同じ台詞を聞いていると頭がおかしくなりそうだったので、テレビを消音した。この放送がいつ終わるのか気になるから画面と字幕はそのままにしておく。
気を取り直してスマホを手に取り、ネットで世間の反応を改めて調べてみる。
「やっぱ宇宙人の仕業ってのは信じられんよなぁ」
SNSではスーパーハッカー集団による犯行という説が有力視されていた。世界中のテレビやラジオの放送を乗っ取るなど並大抵のことではないけど、絶対に不可能とも言い切れない。
そもそも、電波ジャックなどせずとも世界中の放送を同一の内容にすることは可能だと宣っている人もいて、今回の騒動は広告会社による新作映画の宣伝なのではないかという説を提唱し、一定の支持を集めていた。天文学的な広告費は掛かるだろうけど、少なくとも宇宙人説よりは現実味があるように感じられる。
しかし、それは現時点での話だ。協定世界時で七月三十一日零時に――日本時間だと明日の九時に、本当に宣言通りのことが起きれば、世論は一変するだろう。一変どころか、世界がひっくり返り、秩序の崩壊が始まり、この死ぬほど退屈で平穏な日常が終わる。
「どうなるのか見物だな」
なぜだか笑えてきた。
いや、なぜも何もないか。こんなの笑わずにはいられない。
仮に今回の一件が悪戯めいたものだとしても前代未聞すぎて笑えるし、本当に宇宙人の仕業ならもっと笑える。後者であれば、退屈などと思う暇がないくらい忙しくなるだろう。
面倒なことにはなりそうだけど、面白くもなるかもしれない。
「――ん?」
ふと手元のスマホが着信音を発した。画面には親友の名前が表示されていたため、応答マークをタップした。すると直後、耳元に当てかけたスマホがやかましい声を発し、思わず遠ざける。
「おい暁貴っ、テレビ見たか見ただろやべーことになってんな!?」
「あー、うん、見た見た。というか今更だな、もう二時間以上前からやってるらしいじゃん」
現在は十一時過ぎだ。
先ほどネットで得た情報によると、テレビで例の放送が始まったのは九時ちょうどかららしい。日本時間は協定世界時から九時間進んでいるみたいだから、今まさに全世界で放送中らしい映像は、協定世界時で七月三十日零時ちょうどから始まったことになる。
「ぼくは今さっき起きたんだ! ネットじゃとっくにお祭り騒ぎだってのに、すっかり出遅れちまったぜ!」
寝起きとは思えないテンションの高さだった。相当に興奮しているのが電話越しでも伝わってくる。
「お前ネットのお祭り大好きだもんな」
「あたぼーよ! 世界規模で電波ジャックってのがガチなら現在進行形で歴史的瞬間だぜ! おれたちゃ今まさに人類史に残る偉業を目の当たりにしてんだよターニングポイントだよっ!」
それは強ち大袈裟な表現でもなさそうだった。
犯人がハッカーであれ宇宙人であれ、はたまた暴走したAIであったとしても、これが本当に世界規模での電波ジャックなら、教科書に載るレベルの大事件だろう。
「ところで古都音、今回の件どう思う? 宇宙人の仕業だと思うか?」
俺は改めてといった口振りを意識して、割と真剣に尋ねてみた。
「ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!」
爆笑された。
こいつ普段は事あるごとに乙女を自称するくせに、笑い方が汚すぎる。
「そんなわけないじゃんバカだなアッキーは。これは全世界に向けた超やべードッキリに決まってんよ。宇宙人が人間殺し合わせるとかB級映画かよアホくせー」
俺にも同じような思いはあるので、笑われたことに腹は立たなかった。むしろ親友と少しでも認識を共有できたことへの安心感があった。
「じゃあ、明日の零時に人口密度の高いところにいる人間滅ぼすってのも、冗談の類いだと思うか?」
「いや、それは次のビッグな何かをしでかす犯行予告だね。前振りしてる以上は今回の電波ジャックより遥かにやべーのが来るぞ。最近は何でもオンラインだかんな、電子制御された機械暴走させて大事故起こすとか……それこそ世界中の航空管制乗っ取って旅客機を大量に事故らせるとか、そんくらいはするかもしれん」
「そもそも電波ジャックもだけど、そんな全世界同時でとか、今の人類の技術力で可能なのか?」
パソコンやネットに関してなら、古都音の知識はなかなかのものだ。ハッカーというわけではなく、ただのオタクレベルらしいけど、俺より詳しいことは確かだから、今回のような出来事に対する見解は一応聞いておきたかった。
「そりゃ組織的に大規模にやれば不可能じゃないだろうけど、人数増えればそれだけ情報漏洩のリスク高まるんよ。最大のセキュリティホールは人間だかんね。しかも事前準備にどちゃくそ時間も手間も掛かるから、普通はその段階で計画漏れて大国とかどっかの機関から横やり入るよ」
「じゃあ今回のは普通じゃないと」
「ぼくの希望的観測ではSFに出てくるレベルのガチな量子コンピュータが完成してる説! それなら余裕のよっちゃんだし今回の騒動だってやべー組織が量子コンピュータ手に入れてその力を愚民共にお披露目してんだって考えれば納得だぜ! うっは、ディストピア展開キタコレ!」
先ほどからもの凄い早口でまくし立ててくる。ディストピアとか言いながら、この状況を楽しんでいるようだ。まあ、俺も人のことはあまり言えないけどさ。
「その量子コンピュータのAIが暴走してるって線は?」
「そりゃあ絶対ないとは言い切れないよ。量子コンピュータの処理能力でAIにもっと高度なAIを作らせてくうちにバグって人類絶対滅ぼすマンなやべー超性能AI爆誕みたいなテンプレ展開だってあり得るかもしれんけど、まあそれだってハッカーみたいなもんだしディストピア待ったなしには変わりないっしょ!」
「そういえば、AIとかなら電源落とせば解決だよな。やっぱこの線はないか……」
「そこはほら、衛星に搭載されてて制御不能になってたり、分散コンピューティングだってあるやろ。今の時代、ネット接続されたパソコンやスマホが世界にどれだけあると思うてんねん。それらをハックして処理能力を集結させれば無敵やぞ」
「なるほど。それはそれで宇宙人とは別方向にやばいな」
「うん、どのみちやべーよ。でも……ぼくみたいな社会不適合者にとってはさ、今の社会でも十分ディストピアなんよ。だからガチの暗黒世界になったとしても、ぼくにはこれ以上悪くなる未来なんて想像できないんよね……ふひひひ……」
急に冷めた声で、仄暗い笑い交じりにぼそぼそと呟いていた。
相変わらず気分の浮き沈みが激しい奴だ。
「もし生存競争ってのがガチで人類規模のバトロワみたいになったら、ミジンコ並にクソザコなぼくは生き残れないからさ……そのときはアッキーのキル数にぼくを加えておくれ……」
「おい、冗談でもそういうこと言うな」
「うるへー! ぼくの屍を越えてゆけっ!」
古都音も本気で言っているわけではないだろうから今は聞き流すけど、もしものときは守ってやらないとな。こいつは少し変な奴だけど、俺にとっては唯一無二の存在なわけだし。
「まあ、とりあえずお前の予想では、宇宙人じゃなくてもやべーことになると」
「うん。通信妨害宣言もしてるし、最低でも物流が混乱してどこもかしこも品不足になるくらいの状況は覚悟すべきだと思う。念のため食料とか日用品は今日中に買い溜めしといた方がいいね」
「あ、なるほど、そうだな」
言われて気付いた。
もし明日、予告通りに人が大勢死ぬような大事件が起きた場合、今日とは比較にならないほど、世界中が蜂の巣をつついたような騒ぎになるだろう。通信を妨害されることが現実味を帯びるとなると、更なる非常時に備えて買い溜めしようとスーパーやドラッグストアなどの店舗に人が殺到し、食料品や日用品の争奪戦になる可能性は高い。
しかし、今日ならまだ状況を深刻に捉えている人は少ないだろう。放送が始まったのは九時だから、その時点で多くの社会人は既に出勤し、普段通りに仕事を始めているはずだ。今回の電波ジャックは前代未聞の大事件ではあるけど、それですぐに日本社会が混乱するとは思えないから、今日の街はいつも通りとはいかないまでも、少し浮ついている程度だろう。
「それと現ナマも用意しとくんやで。本当に通信障害が起きたらカードとか電子決済使えなくなるんだかんな」
「そういえばそれもあったな。分かった、用意しておく」
「んじゃ、ぼくも今からやべー状況なのをママンに説明して一緒に買い物行くから、またなー」
「え、お前も一緒に行くの?」
「さすがに飢え死にはしたくないからね。お菓子だっていっぱいストックしときたいし、我が家の危機は自宅警備員として見過ごせないぜ」
飢え死にを危惧するほど現状を深刻に捉えていながら菓子の心配もするあたりに、桐本古都音という女の人間性がよく表れている。
「ま、そういうわけで、じゃーねー。アッキーも買い物行っとけなー」
「おう、教えてくれてサンキューな」
通話を終え、寝転がっていたソファから立ち上がった。
引きこもりが自ら進んで買い物に同行するほどとなると、俺もうかうかしてはいられない。さっさと朝飯――もう昼飯か、とにかく空腹を満たして買い物に行こう。
一人暮らしは何かと気楽なものだけど、こういうときは協力し合える家族が欲しくなるな。
……いや、やっぱりいらないな。いても面倒の方が多そうだ。