ダイ9時代 思い駆け巡って挨拶回り
明日、マニヨウジの元へ赴くことになったズーケンは、アムベエの言葉もあり、3人の友人達の家へ向かうことにした。その道中、万が一のことが頭を過り、不安が襲いかかる。皆の家は、彼らが学校を欠席した際、見舞いに訪れたことがあるので場所は把握している。まずは、自宅から一番近い、ペティの家からだ。ペティは、両親と妹の4人暮らしで、2階建てのアパートに住んでいる。
「はぁ…」
ドアの前で、ズーケンは深く溜息をついた。友人の家を尋ねるのに、こんなに緊張するのは初めてだ。学校を休んだ友人の見舞いに行く度に緊張していたが、今回の場合、様々な事情が絡んでいるからか、その3倍は緊張している。
「はぁ…よぉし」
ピィィィィン…。緊張と不安を一回吐き、インターホンを、気合を込めて力強く押した。すると間もなく、扉の奥から聞き慣れた声と共に足音が近づいてくる。そして、扉がゆっくりと開く。
「あれ?お前か。どうしたんだ?」
「いやや、実は、その…」
予想外の客に、ペティは驚きつつ内心嬉しくもあった。対してズーケンはというと、いつもなら嬉しいはずなのだが、どうも緊張して上手く話せない。もしかしたら、これが最後の会話になるかもしれないという思いは、どうしても拭い切れなかったのだ。
「…なんだ?どした?」
突然の自宅訪問といい、妙に歯切れの悪いズーケンといい、ペティは首を傾げる。
「と、とにかく、大した用じゃないんだけど、その…あれだ、顔を見に来た」
「いや、俺は上京したての息子か!」
いつもと様子が違うズーケンと、いつも通りのやり取りを交わすペティ。別に親なら上京したてじゃなくとも顔を見に来るような気もする。ズーケンは心の中でツッコんでいたが、折角ツッコんでくれたのと、そもそも声に出してツッコむ気になれなかったので、胸の内に留めた。
すると、ペティの背後から、キャッキャッと無邪気な笑い声と共に、軽快な足音がが聞こえてくる。
「こんにちわー!」
「やや!こ、こんにちわ」
元気な声と足音の主は、ペティそっくりな彼の妹、プティであった。ズーケンは彼女とは面識があり、ペティが体調を崩した時、彼が自宅まで見舞いに訪れた際、体調を崩したペティに代わって遊び相手になったことがあるのだ。
「よろしくねー!」
「う、うん。よろしく」
底抜けに明るい声と共に、まるで劇の終わりのごとく深々頭を下げた彼女に、緊張気味であったからかズーケンはいつもより、深々と頭を下げた。
「そういや、こいつと最初に会った時もそんな感じだったな。お前のお辞儀っぷりは保育園児に対しても変わんねぇのかって思ってさ。腰が低すぎるというか、誰にでも分け隔てなく接するというか…。まあ、それでこそお前だけどさ」
親友ズーケンの深々した一礼に、妹プティが手を叩きはしゃぐ様に、ペティは頭をボリボリ掻きながら少々呆れるも、どこか微笑ましく思っていた。
「ねー!おにいちゃんとは仲良くしてる?」
「や、まあ…そうです」
「どのくらい?」
こんなに女の子に絡まれるのは初めてだ。今、自身に置かれている状況も相まって、ズーケンは対応に困った。
「えっ…えーっと…これっくらいの」
「おべんとばこー!」
「いやちっちぇ!」
「ややや~」
ズーケンは咄嗟に、両手のニ本指で小さな四角を作る。すると、兄妹揃って威勢よくツッコむ。タイミングまで息ぴったり。ズーケンは思わず、小さく拍手した。
「で、今日はどうしたんだ?なんかあったのか?」
「や…」
プティが愉快そうに笑う一方で、ペティは本題に戻る。正直に事情を話す訳にもいかず、いつも通りを意識しようとすればするほど、どう答えればいいのか分からない。
「もしかして…あいつらのことか?ほら、ケルベ達」
「あ…」
あながち、間違いではない。
「まあ…正直、俺も心配だし、今でもあいつらにだけ行かしていいのかって思ってる。けど、やっぱマニヨウジんとこに行くのは…正直こええよ。あいつらだって、本当はそうなんだろうけどさ。でも、かといって俺達がついて行ったところで何も出来やしねぇし、あいつらも、俺達に危険な目に遭ってほしくないって思ってくれてるみたいだしさ…気にすんなよ」
ペティから励ましを受けるズーケンだったが、励ますというより、どこか彼自身に言い聞かせているように感じた。それを裏付けるかのように、ペティは最後に、思い詰めた表情と共に溜息をついた。
「今の俺達に出来るのは、こうしてあいつらの無事を祈って、帰りを待ってやることしかねぇんだよ。それをしたところで、あいつらの力にはなれはしねぇけど…それだけでも、やっとこうぜ」
「…うん」
ペティは、ケルベロ三兄弟に対し複雑な思いを抱えながらも、せめて彼らの為に出来ることはしたいと考えていた。だがやはり、祈る事しか出来ない自身に、無力さを感じずにはいられなかった。だが、ズーケンにとっては、それだけでも十分だった。
「あそぼ!」
「やや?」
「この前みたいに!3人であそぼー!」
二人の間に流れる重い空気を察してか否か、プティが両腕を広げ、二人の間にバッと割って入る。
「ちょっと、静かにしろって」
「おねがいおねがーい!」
「だーから、一回静かにしろっ!おぶっ!」
仲の良い兄妹だ。両手を上下に激しく振りながら駄々をこねるプティと、それを鎮めようと両手を上下に激しく振りながら大声を出すペティは、突如妹に抱きつかれる。
「あのねー、おにーちゃん最近いっぱい一緒に遊んでくれるんだよー!とっても優しいんだよー!」
「おいおいよせって…」
元気いっぱいな二人に、ズーケンは微笑ましい気持ちになると同時に、少し哀しくもなった。もしかしたら、自分にもこんな未来があったのかもしれない。
「わりぃけど、今日はこいつと留守番しなくちゃいけねぇから出れねぇんだ。土曜になるといつもこんな感じなんだよ。俺んちでよけりゃ遊べるけど、どうする?」
「あそぼあそぼー!」
「やや…」
声の感じからして少々重たそうだが、いきなり抱きついてきた妹プティを見つめる、ペティの瞳は優しかった。ケルベとアムベエの一件で、妹により接するようになっていたのだ。そんな兄妹の誘いを受け、本音としてはお誘いに応えたいところだが、断らねばならない。
「…ごめん。折角だけど、他に行くところがあるから…ごめん」
もっと気の利いた言葉をかけられたら良かったが、今の自分には、謝るのが精一杯だった。
「そう…まあ気にすんな」
「えーなんでー⁉」
「こいつにも事情があんだよ。今日のところは俺で我慢しろって」
「むー…」
両頬を膨らませ、いかにも不満げ丸出しのプティを、兄ペティは両脇をそっと抑え、優しくなだめる。
「気にすんなって。また今度遊んでくれりゃいいから」
「うん…ごめん」
ペティの厚意とプティの期待を裏切ってしまったように感じ、罪悪感に苛まれるズーケン。ペティからは励まされるも、そのまた今度が来るかどうかは、分からない。
「それじゃ…僕はこの辺で…」
「おう。またな…って」
これ以上この場にはいられない。ズーケンは、ペティの元を去ることにした。そのペティはふと、ズーケンの右手に目をやる。
「お前…いつまで押してんだ?それ」
「あ」
ポォォォン…。
ペティ兄妹の元を後にしたズーケンが次に訪れたのは、ヘスペローの家だ。彼もペティと同じ様に、家族とアパート暮らしで、母と二人で暮らしている。ただ、彼らの住むアパートはペティのものと比べると、幾分か老朽化が目立ち、年季を感じさせるものであった。その為ズーケンは訪れる度に、段差を一つ登る度にきしむ音を立てる階段を、足取りを重くして登りながら、無意識に彼らの経済状況を察し、案じるのだった。
「はぁ…」
ヘスペロー親子が暮らす部屋の前に立つと、ズーケンは再び溜息をついた。やはり緊張する。先程ペティの家に訪れた際、呼び鈴を押しっぱなしであったことや、思うように話せなかったこともあり、猶更だった。
「よぉし…」
今度こそ。ズーケンは何度も深呼吸し、気持ちを整える。ただ息が浅かった為、端から見れば人の家の前で息切れしているように見えた。そして、いよいよ意を決して呼び鈴を押した。ただこの際、押して指を離すのが早すぎた為、音はピポォン!であった。
「…またやってしまった」
呼び鈴失敗に、思わず落胆し声が出る。いたずらだと思われないだろうか…。そんな懸念をしていると、扉の向こうから女性の声と共に足音が近づいてくる。それと比例するかのように、ズーケンの心音もまた早まっていく。
「はい…あら、ズーケン君じゃない!」
ズーケンを出迎えたのは、ヘスペローの母であった。彼女は来客が息子の親友だと分かると、思わず笑顔になる。
「ど、どうも。僕はズーケンです」
「あらお久しぶりね!ヘスペロー!ズーケン君が来たわよー!」
緊張のあまりかしこまって頭を90°に曲げるズーケン。が、そんなことは気にせず、彼女は振り返って我が子を呼んだ。すると、奥からヘスペローの驚く声がしたかと思うと、彼は走って玄関までやってきた。
「ズーケン…どうしたの?」
「いや…その…なんか、こう…上手いこと近くを通りまして…そんで、ヘスペローがいないかな~…なんて、思いました」
「…?」
やはりどうも上手く話せない。いざこれが最後の会話になるかもしれないと思うと、保護者もいることも相まって、ズーケンはいつもの倍以上緊張してしまい、いつものように話すことが出来なかった。
そんな親友からヘスペローは、ペティよりも早く、ズーケンの様子がいつもと違うことを即座に感じ取った。
「あらそうだったの~。わざわざありがとう」
一方、彼の母親はただ緊張しているだけなのだと思い、特に気にならなかった。むしろ、息子の親友が我が家を訪ねてきたことを心から嬉しく思っていたのだが、少し残念そうである。
「でも、せっかく来てくれたけど…私達これから出かけるのよ~…ごめんね、折角来てくれたのに」
ヘスペローの母は、申し訳なさそうに手を合わせる。これから息子と食事に行くのだ。彼女に似た顔も、申し訳なさそうな表情をしている。
「やや、左様ですか…。お気になさらず」
こればっかりは仕方がない。即座に頭を下げるズーケンは知っていた。ヘスペローが早くに父親を亡くし、今は母親と二人で暮らしていることを。それに母親は仕事で忙しく、家にいない事が多い。だから今日は、久しぶりに親子で出かけるのだろう。折角の親子の時間を邪魔してはいけない。そう考えたズーケンは、ここで引き下がることを決めた。
「あの…それじゃ、僕はこれで…」
「あっ。ちょっと待って」
ズーケンが一礼し、俯いたまま踵を返した瞬間、ヘスペローの母親が引き止める。
「いつも、ありがとね」
「…?」
あまりにもいきなりだったので、首を傾げるズーケン。
「もう知ってると思うけど、夫が亡くなってから、この子ずっと塞ぎ込みっぱなしで、誰とも上手く話せなかったの。話そうともしなかった、っていうのが正しいのかもしれないけど、とにかくずっと家に引きこもっていたでしょ?私、心配だったんだけど、ズーケン君とレーガリン君がよくウチに来て気にかけてくれたから、この子も段々心を開けるようになったのよ。君達には本当に心から感謝しているし、これからも仲良くしてほしいって思ってるのよ。だから、これからもウチの子と仲良くしてあげてね。この子、人見知りで人付き合いは得意じゃないけど、優しい子だから」
ヘスペローの母は、優しい笑顔で嬉しそうに語る。彼女にとってズーケンは、息子の素敵な親友でもあり、恩人でもあるのだ。そのズーケンとしては、勿論これからもヘスペローとも仲良くしていきたいところだが、そのこれからが果たして、この先あるのかどうか分からない。
「…はい」
ヘスペローが優しいことは、言うまでもなく分かっている。ズーケンは返事したものの、舞い上がっている彼女の期待には応えられるかどうかも、正直分からなかった。
「それに、ウチってちょっと複雑でしょ?だから周りから、少し同情気味っていうか、そんな感じで見られちゃうのよ。気持ちは嬉しいんだけど…ちょっと疲れちゃう時があって、まだ私はいいんだけど、この子がそんな風に見られるんじゃないかって、ちょっと心配だったのよ。でも、ズーケン君が、ウチのことを分かっていても、他の子と同じ様に接してくれてるから、そこは本当に感謝してるわ」
「お母さん…」
「あら!私ったらつい…なんでかしら?ズーケン君が、大人っぽいから?とにかく、また今度来てくれたら、その時はちゃんともてなすからね。だから、また空いてる時にいつでも遊びに来てちょうだい」
ヘスペローの母親は、ズーケンに感謝と、普段人には話さないであろう本音を、気がついたら話していた。息子から見れば、友達に何を話しているんだと困惑しつつも、少なからず温かい気持ちになったのは事実であった。
「あ、ありがとうございます。では、これで…」
ズーケンは、ふと我に返ったヘスペローの母親からは、息子の親友且恩人として歓迎されていることを理解した。ズーケンは、彼女に深く感謝し深々と一礼すると、今度こそこの場から去ることにした。
「あの…ズーケン」
「やや?」
「僕…ずっと、思ってたことがあったんだ」
しかし、今度は友人に止められる。ズーケンが去ろうとしていることは、ヘスペローにも分かっていたが、伝えるなら、今しかない。
「ズーケンは、僕にとって大切な友達だと思ってるけど、ズーケンにとって僕は…良い友達なのかなって…」
「…」
正直、口にするのも怖い。だが、それでも知らなければならない。そう強く思っていた。
「僕は…皆と一緒にいてもあんまり喋らないし、喋っても上手く話せない。そんな僕でも、ズーケンは受け入れてくれたから、僕は楽で楽しく過ごせてるけど…でも、もしかしたら僕がいることで、ずっとズーケンに気を遣わせているんじゃないか、イヤになっちゃう時があるんじゃないか、ズーケンは僕と一緒にいても、あんまり楽しくないんじゃないかって思う時があるんだ」
「そ、そんな…」
そんなことはない。本心を言おうとした時だった。
「ズーケンは、僕の為に色々考えて動いてくれてるけど、僕は、君の為に何も出来ていない。もし、僕が良くても、ズーケンが大変で楽しめなかったら…僕は、ズーケンの友達って、言えるのかな…」
「…」
ヘスペローの言う通り、確かにズーケンは、時に彼のことを案じている時がある。レーガリンのような、良くも悪くも正直で、物言いが悪い相手がいる場合は特に。それが元で疲れを招く時も多いものの、彼自身はそのことに気付いていない。
「僕は…ヘスペローと一緒にいて、大変だとも嫌だとも思ったことは、一度もないよ。ヘスペローが楽で楽しんでいるなら、僕も安心するし、むしろ、一緒にいてくれた方がいんだよ。それに、友達だからって、何かしてあげなきゃいけないわけじゃないし、ヘスペローはヘスペローなりに僕の事を考えてくれてるんだから、それだけで僕は嬉しいよ。だから、そんなに思い詰めなくてもいい。ヘスペローは、僕にとって大切な友達なんだよ」
ヘスペローが疑問を抱いていた、ズーケンの友人としての、自身の存在意義。ズーケンの心からの気持ちは、そんな彼の葛藤を拭い去り、無力感を感涙と共に洗い流した。
「ありがとう…ズーケン…!」
「良かったわね…!」
「…!」
ヘスペローの母親もまた、息子の親友の言葉とその思いに感動し、我が子を優しく、包み込むように抱き締めた。一瞬、玄関の前での事だったので、思わず周囲を気にしたズーケンだったが、母子共に感涙する様を目に、一人思った。この親子も、自分が守らなければならない。
「僕の方こそ…ありがとう。それじゃ、元気で…」
「うん…またね…」
自分が、マニヨウジのところへ行かないと、守れない命なのだ。自分達が守るべきたくさんの人々の命、人生、幸せ。そのほんの一部を目の当たりにしたズーケンは、改めて、自身が背負っているもの大きさに、その重圧に押し潰されそうになった彼は、二人から逃げるようにその場を走り去っていった。
「…?」
どんどん小さくなっていく親友の後ろ姿が、ヘスペローは何故だか気になり、妙な胸騒ぎを覚えていた。
「はぁ…」
なんとも言えない重苦しい気持ちを抱えたズーケンが、定期的に溜息をつきながらトボトボ歩き、最後に訪れたのは、レーガリンの家だ。彼の家は、両親が医療関係者であるからか、白を基調とした、外壁から清潔感を感じさせる3階建ての一軒家だ。少なくとも、ヘスペローやペティ、それに自身と比べ裕福な育ちであることは違いない。だが、それが果たして幸せに直結するのかどうかまでは、時折両親のことで愚痴を話すレーガリンの姿を見ていると、分からなくなってくる。最近倒れたベロンを搬送する為、レーガリンの家に訪れたばかりだが、今回ばかりは事情が事情なので、緊張しかなかった。ズーケンは、震える指で呼び鈴を押す。そのチャイムからも、彼の家の経済状況の豊かさを感じた。そして、呼び鈴をきちんと鳴らせたことに、まず一息つく。
「…来ない」
すぐに気付いた。誰も出てこないのだ。聞こえなかったのだろうか。ではもう一度。
「…来ない」
ならば時間差。ピィィィィンと押したまま、少し経ってポォォォォン…。
「…来ない」
まさか留守だろうか…。こんな時に限って、会えないのだろうか…。不安に駆られる頭を悩ませている時だった。
「あれ?もしかして、ズーケン君?」
名前を呼ばれたのですぐさま振り向くと、大人になったレーガリンのような顔がそこにあった。
「あいつに、なんか用?」
「えっ…あっ…やい」
想定外の来客が。互いにそう思った。ズーケンの場合は少々異なるが。
「折角来てくれたけど、ごめん。今あいつ塾なんだよ。あいつもついてないなぁ、貴重な友達がきてくれたのにさ」
「あ…そうですか…どうも」
ほぼ唯一といっていい、我が子の親友が来たというのに。野菜が詰まった買い物袋片手に、タイミングの悪さに少々嘆き気味なレーガリンの父親レガ―リンに、ひとまず頭を下げるズーケン。それに、やはりレーガリンには友達が少ないらしい。
「いやいやいや。君が頭下げる必要はないって。ていうか、どうしたの?」
「いや、その…たまたま通りかかりまして…ました」
流石に事情は話せないので、偶然を装うしかない。
「そっか…。ま、折角だし上がってってよ。大したもてなしは出来ないだろうけど、レーガリンの親友が来たんだから、ただで返すのもアレだしさ」
「そ、それはどうも…」
急に訪れた上、流石に上がり込むのは気が引けるが、折角のお誘いを断るわけにもいかない。ズーケンは、自宅に戻る友人の父親の後に続いた。
レガーリンによって自宅へ招かれたズーケンは、リビングへと案内された。部屋の中も綺麗に整頓されており、染みや汚れが一つもない真っ白なテーブルで、彼と向かい合うようにズーケンは座る。
「本当はママも一緒に歓迎したいところだけどさ、今体調崩して寝込んでんだよ。けど、気にせずゆっくりしていってよ」
「は、はい…どうも…」
レーガリンの父は気さくに話すが、ズーケンは緊張のあまり、差し出された紅茶の表面をじっと見つめている。
「ズーケン君。あいつに、何か用があって来たんじゃないのかな?もしなんかあるんだったら、あいつに伝えとくけど」
「あ、いや…ええっと…ええっと…」
流石に、自宅からズーケンの家までは、それなりの距離がある。親と一緒ならまだしも、ズーケン一人で自宅周辺を通りかかるのは少々無理があると、レガーリンは考えていた。ズーケンの図星丸出しな態度もあり、そのことを猶更裏付けていたが、敢えて踏み込まないことにした。
「あいつ…最近どう?」
「やや?」
ズーケンの事情も気にはなっていたが、今は、聞いておきたいことがあった。
「ほら、レーガリン。あいつ、正直やり辛いところあるだろ?だから、君のことを困らせてるんじゃないかって心配になってるんだよ」
「ややや…そんなことは…」
あるに違いない。家での我が子の様子を見れば、学校でもそうなのだろう。思い当たる節が多いズーケンは、一瞬顔を上げるも、また紅茶に視線を戻してしまった。その態度で、大方察しがついた。
「あいつさ、他の子より言葉を使うのが苦手なんだよ。幼稚園の頃は、それが原因で周りの子達とトラブルになることが多くて、はっきり言うのもなんだけど、友達はいなかった。まあ、俺もなんだけどさ」
「は、はぁ…」
レーガリンの父親は苦笑いするも、ズーケンは笑っていいのか分からず、視線を部屋中に泳がせた。
「小学生になっても、友達が出来ないんじゃないか、小学校もずっと一人なんじゃないかって、心配してたんだよ。でも、そんなあいつと君は友達になってくれた。俺が君達と同じくらいの時の、君のお父さん、ズケンタロウみたいにさ」
「!」
思わぬところで、父の名が出た。ズーケンの丸くなった目を、彼は、優しい眼差しで見つめる。
「俺も君と同じくらいの時、今のレーガリンみたいに言葉遣いが悪くてさ、人をモヤモヤさせたり怒らせるような言い方しか出来なくて、よく皆を困らせてた。イヤな奴だって思われて、友達も出来なくてずっと一人だった。まあ、仕方ないんだけどさ。そんな俺に声をかけてくれたのが、ズケンタロウだった。君のお父さんだけが、俺を一人にしないでくれたんだ」
「ややや…」
レガ―リンもまた、まさかその当時、唯一自身を気にかけてくれた少年と、今でも関係が続いているとは、夢にも思わなかった。
「ただ、あいつの父親だからか、やっぱりあいつを困らせてたみたいで、それを知ったのもつい最近で…どうして気付けなかったんだろうって、自分で自分が情けなくなったよ。けど、そんな俺と今まで友達でいてくれたあいつには、心から感謝してる。俺は改めて、良い友達を持てたんだって思えた。今まで俺が作れた友達は、あいつ一人だったけど、その一人がどれだけ大きな存在で、その一人を持てたことがどれだけ幸せだったか、それに気づけたんだ。君のお父さんは、俺の人生の恩人だよ」
そして今、その恩人の子もまた、我が子の親友となり、恩人にもなっている。それが彼には嬉しく、不思議な縁を感じていた。さらに、彼の父でもあるレーガリンの祖父もまた、ズーケンの祖父であるラーケンとは親友だった。彼らが親しくなった経緯も、奇妙なことにレーガリン親子と似ていた。また、親友となったことで、ラーケンは、後にダイナ装備であるカンタを託すきっかけに、レーガリンの祖父は、自身が医者を志すきっかけとなった。
「レーガリンと一緒にいるのは、ちょっと大変かもしれないけど、あいつも今に、君の存在がどれだけ大きいかに気付く。いや、もう気付いてるのかもな。俺、この前あいつに、ズーケンがどれだけ優しくてどれだけ俺達みたいな言い方悪い奴らにとって貴重な存在か、よ~く言っといたし。俺もあいつも、君には感謝しないとな」
「ややや…」
なんだか照れるような、友人が自分のことで注意されたようで申し訳ないような。ズーケンはまた、視線を視界の限り遊泳させていたが、満更でもなかった。また、話の最中レガーリンは、息子の母であり妻でもある彼女のことを思い出していた。彼女と交際していた頃、自身の物言いが悪く一言多い性格の為に何度も喧嘩になった。そんな彼女のことで、ズケンタロウにはよく相談に乗ってもらっており、彼の助言のおかげで、なんとか関係を保つことが出来た。妻のことで何度も助けてくれたズケンタロウだけでなく、最後には、そんな自身を受け入れてくれた。彼女にも感謝しなければならないことをしみじみと感じていた。
「なぁ。ズーケン君。君はあいつと友達でいてくれてるけど、君から見てレーガリンは、良い友達なのかな?」
「ややや…?」
つい先程も、似たようなことを聞かれたような気がする。
「ほら、多分だけど、君はズケンタロウみたいに周りに気配りが出来る分、ちょっと自分の気持ちを抑えることが多いと思うんだよ。周りはいいかもしんないけど、それだと君は疲れちゃうと思うしさ。それでも、あいつの友達でいてくれてることには感謝してるよ。俺達みたいなのと一緒にいると、苦労をかけると思うからさ。だから俺は、君には、君のお父さんのズケンタロウには心から感謝してるんだ。俺達親子揃って、一人にしないでくれたからさ」
もしズケンタロウがいなければ、友人は勿論、理解者を得るどころか自身のことを知ることもなければ、妻や息子に恵まれなかったのかもしれない。彼は、今の自分の人生は、ズケンタロウからもらったようなものだと考えている。レーガリンにとってそれだけ彼にとって、妻やレーガリンがいる今の人生など、ズケンタロウなしでは考えられないものになっている。
「それともし…もしだけど、君がレーガリンと一緒にいて、疲れるなって思うような時が多くなったら、その時は、あいつから離れても構わない」
「えっ⁉やっ⁉」
友人の父親から、全く想定出来ないであろう言葉に、ズーケンの身体が飛び跳ねる。
「レーガリンだって、君に苦労はかけたくないって思ってるだろうけど、あいつは君に言葉で迷惑や苦労をかけてても、自分じゃ気付けないかもしれない。よく、大事なものってなくなって初めて分かるっていうだろ?君があいつから離れることが、後々のことを考えると、あいつの為になる場合もあり得るしさ。勿論、君の為にも…どう?」
「や、いやはや…」
どう?と言われても、はい、と返すのもどうかと…。ただ、思い当たる節は少なからずあるので、いいえ、とも返せない。返事に困っていると、レガーリンが切り出す。
「そう言っといてナンだけど…本当に君さえよければ、レーガリンのことを、もう少しだけ、待ってやってくれないかな。多分、だけど…さっきも言ったように、君の存在がどれだけ有難いか、もう気付き始めてると思うし、あいつは、君にとって良い友達になろうとしていると思うから」
レガーリンの口調と眼差しは、先程までと同じ優しいままだが、少し真剣味を帯び始めた。
「勿論、すぐには上手く出来ないだろうし、迷惑もかけるかもしれない。でも、あいつが自分のことを大切な友達だと思ってくれてる君の為に、変わろうとしている。もし、君があいつから離れることになっても、その気持ちだけは、分かってやってくれないかな」
「…」
レーガリンのことで、ヒヤヒヤさせられることは度々ある。だが、離れたいと思ったこともなければ、今でも離れるつもりはない。そのレーガリンが、自身の為に変わろうとしてくれる気持ちは心から嬉しく、ズーケンも心から応えたいと強く思っていた。だが、応える以前に、自身は生きているのだろうか。彼の傍に、いられるのだろうか。そんな不安が過った。
「…はい。分かりました」
だが、少なくとも目の前にいる友人の父親の思いには、応えなければならない。ズーケンは、そう言うしかなかった。
「ありがとう。苦労をかけるだろうけど、恩に着るよ」
レーガリンの父親は、安堵したような表情を浮かべると、ズーケンに感謝の気持ちを込め、深々と頭を下げた。だが、そのズーケンの胸中がどれ程複雑なものであったかは、知る由もない。すると、彼の目にふと、部屋に立掛けられた時計が目に入る。時刻は、午後4時30分。
「それじゃそろそろ、お父さんやお母さんが心配すると思うから、お家へ帰ろうか。付き合ってくれてありがとね。気をつけて帰ってね」
「…ありがとうございます」
とうとう、レーガリンには会えなかった。それが心残りではあったが、ズーケンは、レガーリンと互いに深々とお辞儀し合った。そして、友人の父親に玄関の外から見送られながら、家を後にする。
「…」
ただ、その時のズーケンの背と足取りは、レガ―リンにはどこか弱々しく、思い詰めているように感じた。
最後に訪れたのは、ズケンタロウが入院する病院である。
「ズーケン?珍しいじゃないか。こんな時間に見舞いに来るなんて。一体どうしたんだ?」
「いやはやいやはや…たまには、と思って」
ズケンタロウは、我が子の突然の見舞いに、思わず上半身を起こし、目を丸くする。息子の見舞いはいつも突然だが、ズーケンが見舞いに来るのは決まっていつも明るい時間帯であり、今回はもう日暮れである。
「何か、あったのか?」
「いやや、そんなことは」
ズケンタロウからの、父親として当然の疑問に図星なズーケンは、咄嗟に両手の二本指を広げ左右に振って否定する。しかし、その焦った表情から、ズケンタロウは悟る。
「何かあったなら、聞くよ。話してみてくれ」
「…」
やや前のめりになりながら、ズケンタロウは我が子に顔を近づける。ズーケンは、顔を引っ込め、二歩下がる。すると、ズケンタロウも咄嗟に、前のめりになっていた姿勢を正す。
「あ…ごめん。びっくりしたよな。俺にも、言えない事なのか?」
「…」
もし本当のことを話せば、父は、ただでさえ弱く、病でさらに弱り切った身体を引きずってでも、マニヨウジの元へ向かおうとするだろう。それに、今の父の身体で、マニヨウジに太刀打ち出来るとは思えない。下手すると、命を落としてしまうだろう。最も、父の身体のことがなくとも、ズーケンは話さなかっただろう。ただ、心配かけたくも、巻き込みたくもなかったのだ。
「…そっか」
ズケンタロウは、落胆したような表情と共に溜息をついた。話してくれなかったことへのショックもあるが、少なくとも今はあまり言及しない方がいい、そう判断したのだ。少なくとも、悪いことをしたのならすぐに話す筈だと考えていた。
「最近、母さんと上手くやってるか?」
ひとまず、話題を変えるズケンタロウ。息子のことも気になるが、妻のことも気になるのだ。
「やや、えーっと…なんとか、上手いこと元気にやってます」
なんとか、ダイナ装備のこともマニヨウジのこともバウソーのことも隠している。だが、先日のモトロオとのやり取りで、秘密を隠すことを意識するあまり母との会話を避けてしまい、心配をかけていたことに気付いた。マニヨウジを倒しバウソーと少女を救う使命だけでなく、母への罪悪感も抱えている為、精神的な負担もかなり大きくなっている。自分が元気かどうかも分からない。さらに父には、嘘をついてしまったような後ろめたさを感じていた。
「…そっか。まあ、何かあったらいつでも言ってくれ」
息子が何かを隠していることはうすうす感付いていたが、今は踏み込むべきではない。息子が自分から話してくれることを待つことにした。
「それと、来てくれたのは嬉しいけど、この時間帯だと母さんが心配するから、そろそろ家に帰ってあげなよ」
現在、時刻は午後5時過ぎ。いつもならズーケンは家にいる時間帯であり、家にいる妻も心配する筈だ。
「うん…そうだよね。それじゃ」
そのことは、ズケンタロウだけでなく、ズーケンも分かっていた。なので、父に促されるとすぐに踵を返し、病室の出口へと向かう。
「ズーケン」
ズーケンが部屋を出る直前、ズケンタロウが呼び止める。
「俺は、何があっても、どんな時でもお前の味方だし、ズーケンのお父さんだからな。母さんも同じだよ。何か、悩んでることがあるなら聞くし、俺に出来ることなら力になる。それだけは、忘れないでくれ」
息子が話さない以上、今は、それを伝えるのが精一杯だった。
「…ありがとう」
ズーケンは背を向けたまま、父の思いを受け取り、病室を後にした。
その日の晩、家に帰ったズーケンは、母と二人きりの夕食を済ませた。だが、ズーケンは母に、何をして遊んでいたのか、最近学校は楽しんでいるのか、友人と上手くいっているのか等々聞かれるも、本当の事を言うわけにもいかず、結局曖昧な返事しか出来なかった。その後、母子の会話は全く弾むこともなく終わり、ズーケンは母から逃げ去るように、亡き祖父ラ―ケンの仏壇のある居間へ向かった。
「…」
亡き祖父が笑う遺影に手を合わせ、閉じていた瞳をゆっくり開くズーケン。彼は、ラーケンの遺影から、彼の形見にして、マニヨウジに対抗できる唯一のダイナ装備に移す。
「…」
明日は、祖父の親友達と、この短剣と共にマニヨウジを倒し、バウソーと少女を救い、そして60年越しに、故郷の平和を完全に取り戻すのだ。しかし、自分に出来るだろうか。亡き祖父に代わり使命を果たし人々を救うことが、果たして己に出来るのだろうか…。一人不安に悩んでいる時、ズーケンの母アティラが、部屋に入ってきた。
「!」
彼女は部屋に入ると、何も言わず、少々動揺するズーケンの隣に座り、彼と同じように目を閉じ、仏壇に手を合わせる。ズーケンが呆気に取られていると、彼女は溜息をつき、ゆっくり目を開ける。
「…さっき、お父さんのところへ行ったんだって?」
「あ…」
しまった。怒られる。咄嗟にそう思ったが、母の口調は、怒りを含んでいない。
「お父さんから連絡があったんだけど、何かあったの?」
「…」
父には勿論、母にも話す訳にはいかない。なので、黙ることしか出来なかった。
「そっか…」
父からも、似たような言葉を聞いた気がする。どこか落胆したような、どこか寂しそうな感じもそっくりだった。
「最近何か、悩んだりしてない?」
「…」
アティラは視線を、義父であるラーケンの遺影を見つめたまま、我が子に問いかける。
「ズーケンは、きっと今まで、お父さんやあたしの身体のことをずっと気にかけてくれてたのよね…あの時から…ずっと…」
「…!」
彼女は一瞬だけ、義父の横にある小さな壺に視線を移す。親子の脳裏に、ある悲しい出来事が過る。それは、親子にとって、家族にとって最も悲しい出来事であった。その記憶を振り払うかのように、彼女は話を続ける。
「ズーケンが、温かくて心優しい子に育ってくれて、あたし達は凄く嬉しいんだけど、ズーケンにどこか、無理させてるんじゃないかって思ってるんだけど、どう?」
「…」
義父の遺影を見つめたまま本心を吐露し、長年抱え続けてきた疑問を問いかけるアティラ。ズーケンもまた、亡き祖父の遺影を見つめながら耳を傾けるも、どう答えればいいのか分からなかった。互いに顔を見たら、何も話せなくなってしまう気がしたのだ。息子からの返事がないことに、彼女は小さな溜息をつく。
「…そうだよね。話せないから、話さないのよね…。でもね、あたしは決めたんだ。ズーケンにとって、もっと頼りになるお母さんになるって」
「!」
ズーケンは一瞬だけ、母の横顔を見た。それがどこか切なそうに、苦しそうに見えた。胸が締め付けられる程の罪悪感に、ズーケンはすぐ祖父の遺影に目線を戻した。その横にある、小さな壺を見ないように。
「ズーケンが、あたし達に何も言わないのは、あたし達に心配かけたくないから、気を遣ってくれているからだと思うし、そうじゃなくて、あたしがただ単に頼りないだけかもしれないけど、もっとズーケンが甘えられるお母さんでいたいから、お母さん、頑張るね」
「…」
もう十分、頑張っている。むしろ、頑張り過ぎてるくらいだ。心からそう思っている筈なのだが、その言葉が何故か、心から外に出なかった。
「あたし達のことは、何も心配しないでいいからね。それじゃ…おやすみ」
「…うん。おやすみ」
親子は、最後まで顔を合わせることはなかった。子供に自身のことで気を遣わせたくない母親と、母親に心配をかけたくない子供。互いにどう向き合えばいいのか、分からなかったのだ。自身の背後を通り部屋を出る母親に、ズーケンは、そう返すのが精一杯だった。再び部屋に一人となったズーケンは、祖父の遺影から、小さな壺に視線を移す。
「…」
だが、すぐに逸らしてしまう。やはり、見ていられなかった。ズーケンは息を吐くと、亡き祖父の形見を両手に取り、目を閉じ、それを強く握り締める。
(父ちゃんも、母ちゃんも…僕が守らなきゃ…。僕が、頑張らないと…)
ズーケンの、形見を握り締めた両手が震える程、力が入る。両手だけでなく、全身の震えが止まらなかったのだ。
マニヨウジの封印は、明日解ける。