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オカルト同好会にようこそ  作者: 野田あご
第一章 それはまだ梅雨に入りたてのころのお話
8/20

-08 腕

 雨が降っている。

 運動場に無数の水たまりが出来上がっているのを教室の窓から眺め、憂鬱な気分になった。

 窓ガラスも湿気で曇っている。

 湿度の高い空間はとにかく不快。


「二月ー、次の時間、家庭科室だってよ」

「おー」


 級友の呼びかけに適当に返事をしながら俺は席を立った。

 このタイミングで家庭科室か。


 家庭科室は、被服室と実習室と二つ。両方とも教室がある校舎とは別校舎だ。

 別校舎の最上階にある家庭科室は、一年生の教室からは一番遠い場所だ。

 授業がなければ近づくことはないだろう。

 職員室からも離れているから、あそこは確かに死角ではある。


 そんなことを考えながらも教室のある5階から別棟への渡り廊下がある2階まで駆け下りる。


「あ」


 三階と二階の間の階段で、宮上先輩とすれ違った。

 思わず声を上げる俺に、ようやくすれ違ったことに気づいたのか、宮上先輩も小さく「あ」と声を漏らした。


「昨日はどうも」

「あ、こちらこそ」


 少しだけ遠慮がちに返事をする宮上先輩に、軽く頭を下げて顔を上げた瞬間、階上に背を向けている宮上先輩の背後に突然腕が現れたのが見えた。

 肘から指までの間しかない、腕だけが。


 ……は? 腕?


 自分が見えているものが何なのか判断がつかないうちに、それは宮上先輩の背中をとん、と軽く押してマジックのように消えてしまった。

 背中を押された宮上先輩は、バランスを崩し、前方――つまり階下に向かって転がり落ち――


「あぶなっ!」


 そこで我に返り、咄嗟に宮上先輩の腕を掴む。宮上先輩もつんのめった体勢から俺の肩を掴んで何とか体勢を立て直した。


「……ありがとう……」


 危うく階段から落ちるところだった宮上先輩はやはりどこかぼんやりした感じ。

 俺はまだ心臓が苦しいぐらいに騒がしい。正直に言えば、かなりビビっていた。

 あの腕も、目の前で人が階段から落とされそうになったことも、全部が現実じゃないみたいで、でもこの動悸が現実だと教えてくれているみたいに感じられて。


「しっかりしてくださいよ! 宮上先輩!!」

「あ、うん、私、今……背中を、押された?」


 自分にも言い聞かすように宮上先輩に強い口調で言えば、宮上先輩はのろのろと背後を見る。

当然ながら何もないし、誰もいない。


「腕が」

「腕?」

「腕だけ、突然現れて、宮上先輩を――」


 まだぼんやりとしたままの宮上先輩にだけ聞こえる声量で告げていると、


「やっぱり宮上さん、呪われているのよ!」


 悲鳴のような甲高い叫び声がすぐ近くからあがった。

 見れば、無表情で宮上先輩を見ている女子生徒の姿が階段の少し上の段にいるのが見える。


「あれが、守屋さん」


 こっそりと宮上先輩が俺に言う。

 頷いて応えつつも、俺は守屋里美を観察した。が、こちらにもやはり黒いモヤは見えない。


「呪いなんか、見えないだろ」

「二月君、ごめん! 足踏み外しちゃった!」


 守屋里美の叫びを無視するように、突然宮上先輩がそんなことを言いだす。普段の様子からは信じられないほどの大きくよく通る声で。

 異様な光景に言葉を失う傍観者たちに聞こえるようにだろう、と、わかった。


 『何か』に背中を押されたのは本人が一番よくわかっているのに、こんなことをするのは守屋里美の『呪い』発言を封じるためなのか。


「……呪いって認識したら完成するってきいたことがあるの」


 再びこっそりと宮上先輩は俺にだけ聞こえるような小声でそう告げた。


「信じないで。私も呪いなんて信じない」

「でも――」


 さっきの手は、確実に人でない何かであった。

 見間違いであったらいいと思う。


「信じる人が多いほど、効力が強くなるから」

「……わかりました」


 そこまで言うなら従おう。

 多分ここで俺が騒いだら、もっと収拾がつかなくなることは明らかだった。

 きつく掴んでいた宮上先輩の腕を離すと宮上先輩も俺の肩から手を離した。


「助けてくれてありがとう。気を付けないとね」


 お礼を言って宮上先輩は一度会釈して、軽い足取りで階段を上っていった。

 俺はその様子を見送って、同じように宮上先輩を監視でもしているように見ている守屋里美の視線に気づいた。

 それはまるで宮上先輩を憎んでいるかのような睨みで、見ているだけで思わず肝が冷えた。


 先に踵を返したのは守屋里美の方だった。

 前方へと振り向いた守屋里美の背後に、一瞬何かが見えたような気がした。

 立ち去っていくその背中にもう一度目をやったが、今度は何も見えなかった。


「……気のせい?」


 何だか薄気味悪いものを見た。そんな感じだった。

 あ、やばい。授業遅れる。野次馬がざわざわと騒がしい中、それらを振り切るように俺は階段を駆け下りて行った。




「腕? 腕って腕だけ?」

「腕から指先までだけ」


 放課後同好会の部室で、俺は会長と机を挟み向かい合って座っていた。

 机には乱雑に散らかった教材が幾山にも分かれて積み上げられている。下手に触れないので常にこの状態だ。

 俺は会長と会話をしながらもスマホの新着メールとSNSを確認した。今日はなし、だ。


「例の副業?」

「開店休業っす」


 俺の例の力のことを、会長は知っている。

 掲示板を見て気になったからと、俺に声をかけてきたのが会長だった。

 オカルト同好会にそのまま勧誘されて、暇だからと何となくホラーDVD鑑賞活動に参加するようになって、何となく今もこうやってここにいる。


「儲かってる?」

「全然」


 だいたい、自分の飲食代と、たまに都乃さんに集られているので、トントンかややマイナスか。

 それでも続けてしまうのはボランティアというより探求心が強いからなんだろう。


「――その腕って腕だった?」


 話題が元に戻って、俺はスマホをポケットに戻しながらも頷いた。


「そうっすね、はっきり腕でした。黒いもやじゃなかったです」

「気味悪いな、それ」


 会長なら「腕だけなのもそそられる」とか言い出すかと思っていた。なんたって変態だし。

 

「腕だけのモノが宮上を階段から落とそうとした、と」

「階段からっつっても、もう踊り場に近いところだったんで、落ちてもそこまで大きな怪我にしなかったと思うんですよね」

「宮上は怪我をするところだったってのは変わらないんだろ」


 会長は組んでいる足を逆に組みなおしながら肩をすくめた。


「なあ、凌、今日この後予定ないよな。ちょっと付き合ってくれよ」

「はあ、いいですけど。どこへですか?」

「来るんだよ」


 来る?

 俺が聞き返したその時、教材室の扉がノックされた。


「どうぞ」


 と落ち着いた声音で会長が言えば、扉が開き、一人の男子生徒が教材室に入ってくる。

 何だか緊張した面持ちだ。学年章の色から三年の生徒だということがわかった。

 長身なあたり、俺のコンプレックスを刺激してくる。

 目つきは普通。風貌はちょっと濃い、という印象か。


「谷口」

「南先輩、急に呼び出してすんませんね」


 会長も少しだけ緊張した面持ちだ。二人の様子を交互を見ることしかできない。


「単刀直入に聞くんですけど、学校裏掲示板って知ってます?」

「はあ? 何それ、聞いたこともねえ」


 焦ったような返答に、俺も「学校裏サイト、何それ、聞いたこともねえ」と率直に思った。


「あれ、南先輩のスマホのIPアドレスで書き込みあったんですけどね? 誰かにスマホ貸したりしました?」

「貸してなんて――いや、貸した、かも、どうだっけ」

「一応先生に言う前に伝えておいた方がいいかなぁって思って、その貸した人、やばいから」

「その掲示板の書き込みってどんな内容だったんだよ」

「いやあ聞かない方がいいと思いますよ。もう削除されてましたし」


 会長は油断なく南先輩を見据えながら、そんなことを言う。

 いつもの変態が成りを潜めていて却って不気味だと言ったら怒られるだろうか。


「なんだよ、気になるな。教えてくれよ、谷口ぃ」

「『家庭科室にいいる女子生徒がむかつく。誰かあいつを痛めつけてくれる人いませんか』って書き込み知ってます?」

「はあ? なんだそれ?」


 また俺の胸中の驚きの声と南先輩のセリフが完璧にかぶる。

 何だそれ! 家庭科室にいる女子生徒って、宮上先輩のことか? ピンポイントで痛めつけてくれる人を募集するってどういうこと?

 訳がわからないまま、会長と南先輩の二人を見比べることしかできない。


「あのですね、先輩がその日、家庭科室前にいたこと見ていた人がいて」

「! み、見間違いだろ!」

「先輩目立つじゃないですか。見間違いはないでしょ」

「何にもしてない! 何にもできなかった!」


 そう叫んで、南先輩は自分の失言を悟ったようだった。

 はっとした表情になって、勢いよく首を横に振った。


「違う! 俺は、ただ――」

「何しようとしたんですか?」

「ただ、脅してやろうと思って!」


 この人、宮上先輩を襲おうとしてたことを、認めた……。

 『ただ脅す』って軽いことみたいにそんなことを言うなんて、と半ば呆然としてしまう。


「その家庭科室の女子生徒って誰のことか知ってたんですか?」

「知らなかった!」


 つまり学校裏掲示板の書き込みを見て、やってやると名乗り上げて、誰だか知らない女子生徒を脅そうとしたってことなのか。それって、犯罪だ! 普通に犯罪だ。


 未遂で済んだからこうやって普通に学校生活過ごしているが、未遂じゃなかったら犯罪者になった。

 感覚が普通じゃない。そう思い立てば恐怖心がわきあがってきた。

 人なのに、人じゃないみたいな奴。


「わかりました、ありがとうございます。先生には言わないでおきますよ」

「……当たり前だろ!」


 当たり前じゃねえよ! と叫び出しそうになった俺を、会長が肩をつかむことで制した。


「……このこと、誰かに話したりしてみろ、ぜってえ許さねえからな!」


 脅しつけるように吐き捨てると南は教材室を後にした。


「おーお、短絡的なこって」

「あいつ、なんなんですか!? って言うか、いいですか! あれ、放っといて」

「証拠もないし」

「証拠がない!?」


 突っ込んで聞けば、学校裏掲示板の削除された書き込みを復元させていく中で先ほど会長が読み上げた書き込みを見つけたらしい。

 書き込み時間がちょうど宮上先輩が家庭科室にいた時間と合致。

 返信時間も、書き込みから即レスの勢いであったという。


「IPアドレスの引き当てなんてよくできましたね」

「いや引き当てなんてできないし」

「え!?」


 あっさりと言う会長に、俺は思わず驚きの声をあげてしまった。

 どういうこと?


「逆。家庭科室に向かう南を見たって奴がいたから、カマをかけただけ。見事ひっかかるとはなー」


 会長の知り合いが削除された書き込みの復元だけはやってくれたそうで、更に目撃者も会長の知り合いだそうで。

 その顔の広さにはもうツッコミを入れるつもりもない。ただすごいすごい、と思うだけだ。


「あいつな、家庭科室に向かう時、手にロープを持ってたらしい」


 目撃者がそう言っていた、と会長がぽつりとこぼした。


「ロープって!」

「何をするつもりだったんだろうな?」


 本当に犯罪者になろうとしていた奴だった。

 俺は再び恐怖を覚えた。結構普通そうに見えたのに全然普通じゃない。


「いいんですか! 見過ごして!」

「まだ何にもやってないからなー。でもあのタイプはどっかで自滅すると思う」


 そんな悠長な、と言いかけて、代わりにため息を吐く。

 会長を責めたところでしょうがない。

 やっていない犯罪は、犯罪じゃない。ロープだって証拠にはならない。


「宮上先輩、マジで危ないとこだったんですね」

「閉じ込められててよかったよな」


 そうだ、準備室に閉じ込められて鍵をかけられたと言っていた。

 今の話だとドアノブをがちゃがちゃしていたのは南だろう。

 もしドアが開いていたら、悲惨なことになっていたことは想像にかたくない。


「閉じ込められて、宮上先輩は守られてたってことですか」


 誰が宮上先輩を閉じ込めたのか、はこの際置いておくとして、閉じ込められたことが宮上先輩を救ったことは確かなようだ。

 もしかしたら鍵をかけたことに悪意はなかった、とか?


「あのな、宮上を痛めつけてほしいの書き込み、返信の方は南だろうってすぐ推察はできたけど、本体の書き込みはIPアドレスなかったんだってさ。たまーにそういうことがないわけじゃないけど、なんか不気味じゃね?」


 会長はため息まじりにそんなことを言った。

 緊縛プレイとかそそられない? とか言い出したら本当に心から軽蔑するところだったが、その一線は守ってくれたようでほんの少し安心したというか。


 本当に奇妙なことだらけで、意味がわからなかった。

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