09
遊園地から帰って何日か経った後。
私は未だに、柊木さんの言葉の真意を確かめられていなかった。
「はぁ……」
洗濯物を畳みながらため息を吐く。
柊木さんは昨日の夜からどこかに出掛けていて、昼間になってもまだ帰ってきていない。
スッキリしない私の心の中と連動するように、天気も曇り空だった。
(あの後……改めて何か言われると思ったのに)
そんなことは全然なくて、柊木さんはいつも通りで、動揺をしている素振りも何も見えなくて。
私の方から聞ければよかったのに、勇気が無くて踏み込めず……自分の不甲斐なさに腹が立った。
やはり、からかわれていたんだろうか。
何人もの女の人を手玉に取ってきた柊木さんだ。
私みたいな小娘一人を弄ぶぐらい、容易いだろう。
柊木さんに認められるだけで、私が一方的に柊木さんを想ってるだけで、それで良かったのに。
今の私はもっともっと、と強欲になっている。
「このままじゃ、ダメですね……」
柊木さんの迷惑にならないよう、気を引き締めないといけない。
洗濯物を全て畳み終わった私は、立ち上がるとすぐに掃除機を取りに行った。
校則でアルバイトが禁止されている為、お金を稼げない私が柊木さんの役に立つ方法……
それは、家事だ。
柊木さんが驚くぐらい部屋を清潔にし、皺一つ無くシャツをアイロン掛けし、頬が蕩けて落ちてしまう程美味しい料理を作る。
それが、今の私に出来る精一杯のことだ。
そうして私は家事をこなしていく。
どんどん時間が経つ内に、曇り空は雨空へと変化していった。
最初はパラパラとした小雨が、ザアザアと滝のように降り注ぐ土砂降りになり、日が落ちても柊木さんはまだ帰って来なかった。
何も言わずに夜中に出かけるのはいつものことだったけど、こんなに長く帰って来ないのは初めてで、なんだか不安になる。
こんな時、スマホでもあれば連絡が取れるのかもしれないが、誘拐された時犯人に奪われてからまだ新しい物を買えていない。
……自分のお金さえあれば、と思う。
(柊木さん、傘持ってるのかな……)
もしかしたら、どこかで雨が止むまで待っているのかもしれない。
だとしたら迎えに行きたいのに、柊木さんの居場所が分からないのが歯痒かった。
窓辺に座って、雨が降るのをぼんやりと眺めながら、私はただ柊木さんを待ち続けた。
やがて日が完全に沈み、辺りが真っ暗になった頃、私はようやく立ち上がった。
柊木さんが帰って来る前に、夕飯を作っておきたい。
出来れば出来立てを食べて欲しいけど、それが叶わなかった時の為に、冷たい物にしようかと考えていた時だった。
玄関からガチャ、と音がして、私は期待に満ちた目でバッと扉を見た。
扉は僅かに開いている。が、それ以上開く気配が無い。
「……?」
一気に警戒心が沸き上がる。
泥棒、強盗……様々な可能性が頭に浮かんだ。
私は足音を立てないように玄関へと進み、傘立てに置いてあった傘を掴むと、そっと扉を開いた。
結論から言うと、そこに居たのは柊木さんだった。
床に座り込んでぐったりと扉に寄りかかり、まともに立ち上がれそうな雰囲気ではない。
柊木さんの横には、びしょ濡れになった透明のビニール傘が転がっていて、辺りに水溜まりを作っている。
どこか怪我をしたのか、具合が悪いのか。
一瞬肝が冷えたが、よく見れば柊木さんの頬は紅潮していて、仄かに酒の匂いが漂ってくる。
酔っ払っているだけのようだ。
「この人は……」
安堵が半分、呆れが半分。
どうやっても立ち上がってくれそうになくて、床に転がった傘を傘立てに入れると、私は柊木さんの脇の下に腕を差し込み、家の中へ運んだ。
女性とはいえ柊木さんは大人だし、何より背が高くて、運搬は一苦労だった。
とりあえず玄関に寝かせると、靴を脱がし、肩を掴んで軽く揺すりながら、柊木さんに声をかける。
「柊木さん……起きてください……ここ、玄関です。風邪引きますよ」
「う”……ミ………ん……」
本当は夕飯を食べて欲しかったし、風呂にも入って欲しかったが、起こすのは難しそうだった。
私はため息を吐くと、もう一度柊木さんの脇の下に腕を差し込む。
「ベッド……行きますよ……!」
そう声をかけ、汗だくになりながら、引きずるようにしてリビングまで柊木さんを運んでいく。
途中で柊木さんの足がテーブルに当たってしまい、とても痛そうな音がしたが、柊木さんが目を覚ます気配はなかった。
必死な思いで、なんとかベッドの上に柊木さんを乗せることに成功した私は、縁に座って顎から垂れる汗を拭う。
柊木さんはと言うと、人の苦労も知らず、気持ち良さそうに眠っていた。
起こさない程度に頬を指でつつくと、反応する素振りを見せるが、それでも起きない。
「もう……」
柊木さんのサラサラの髪を撫でながら、私は口を僅かに尖らせた。
ずっと貴女の帰りを待っていたのに、貴女と話せないなんて、ガッカリだ。
でも、柊木さんの寝顔を見ることはそうそうなくて、これでもいいなんて思えてしまう。
自分の夕飯と、ベッドから離れようとした時、柊木さんの口が動いた。
うっすらと目も開いていて、起きたようだ。
「………ゃ………?」
「……?」
「ぉ…よ………かわ…い……ね……」
「なんて言っているんですか……?」
よく聞き取れず、柊木さんの口元に耳を近付けた瞬間のことだった。
柊木さんの手が私の頭を掴み、引き寄せる。
そして唖然とした私の唇に、何か柔らかい物が押し付けられた。
柊木さんの吐息が鼻に当たって、柊木さんの匂いを感じる。
何をされたのか、理解した途端、まるで燃えてしまっているのではないかと錯覚する程、私の顔は熱くなった。
「ちょ……っと……!柊木さ……」
押し退けようとするが、力を込めると更にその倍の力で引き寄せられ、また同じことをされる。
角度を変えて、長さを変えて、啄むように、喰らうように、次第に深くなっていく。
それどころか、柊木さんにベッドの上に引き上げられ、寝かされる。
私に馬乗りになった柊木さんはやはり酔っているようで、目の焦点が合っていない。
でもその焦点の合っていない目に、いつか見た“熱”をまた感じて。
私の体の芯にもその熱が移ったようにドッと押し寄せて、まるで金縛りにあったかのように動けなくなった。
「好きだよ、ミキちゃん……大好き」
「あ、っ……柊木さ……待っ……」
「待たない」
狼のような視線に射抜かれて、逃げられないことを悟った。
ダメだ、これは、違う、柊木さん、なんで。
絡まる思考、柊木さんの匂い。
そして、また。
雨が降っている。
軋む音も、誰かの声も、何もかも、土砂降りの雨に搔き消されて溶けていった。
以下プロフィール。
柊木明美
年齢・永遠の20歳(自称)
身長・172cm
職業、年齢不明の謎のお姉さん。
20歳を自称しているが実際は25、6程。
根っからの女好きで女誑し。
仕事終わりに岩津と飲んできた。
途中で相席した素敵なお姉さんをちょっと口説き落としたかもしれないけど、連絡先は交換しなかった(いつもはしている)
盛川美希
年齢・17歳
身長・163cm
生徒会長をしている高校3年生。
文武両道で家は超大金持ち、家事も完璧にこなせるハイスペック人間。真面目である。
元々上手かった料理が、柊木さんと住むようになってからプロ並みになった。
柊木さんと2人で飲食店を経営するところを想像してしまって、思わず自分を殴りそうになった。
調理師免許を取ってみようか、なんて思っている。