04
「お前、今夜空いてるか?」
突然アタシの予定を確認してきた男。
髪を金髪に染めてたり、耳やら口やらにピアスを着けたその姿は見るからにチャラ男だが、この岩津聡という男は、根は真面目な奴だった。
アタシは咥えていたスティックキャンディを口から離すと、チラッと前を見た。
「信号青だよ」
「あ?……あぁ、わりぃな」
そう言って、岩津はしっかりと両手でハンドルを握りながらアクセルを踏む。
周りの車は皆猛スピードで飛ばしているというのに、今乗ってるこの車はきっきり法定速度だ。
「んで、空いてるのか?」
「どこ行くの?」
「いい店見付けたんだよ。酒が上手いし雰囲気も良い。……お前が好きそうな女も居たぞ」
いつものアタシなら、二つ返事で「行く!」なんて言っているが、今日は違った。
「うーん」
悩むアタシの頭には、一人の少女の姿が浮かぶ。
キッチンで料理をしながら、あるいはテーブルに勉強道具を広げながら、ムッとした顔で「お帰りなさい」と言ってくれる少女の姿が。
自然と頬が緩む。
「……今日の夕飯、角煮なんだよね」
「はぁ?」
岩津が呆れた声を出した。
だけど、こんなやり取りはいつも通りだ。
「よく分かんねぇが、空いてないんだな」
岩津は何故か人には伝わりにくいアタシの言葉の意味をちゃんと汲み取ってくれる。
十五年という付き合いの長さもあるだろうが、コイツとは気が合う。
車のトランクから、ガタッと音が鳴ったが、アタシも岩津も振り向かなかった。
「珍しいな、いつもなら女って聞くだけで付いて来るのに。遂に……恋人でも出来たか?」
「あはは、ご想像にお任せするよ」
「……お前みたいな女誑しが、誰か一人に入れ込んでるの、想像出来ねぇな」
「アタシもしかしてディスられてる?」
ガタガタッと、トランクの音が大きくなる。
面倒だな、とぼんやり思っていると、岩津は車を地下駐車場に停めた。
「起きたみてぇだから、黙らせてくる」
「お、行ってらっしゃいー」
周りに人が居ないことを確認してから車を降りる岩津を見送って、私は天井を見上げた。
人の呻き声と、岩津の話し声。
アタシはそっと耳を手で塞いだ。
いつまでこんなことをやらないといけないんだ、なんて昔はよく思っていたけど、慣れてしまった今ではうるさいとしか思えなかった。
(本当に慣れたのかな)
ただの麻痺かな。
目を逸らすのは、とても楽だ。
そんなこんなしてる内に、岩津が戻ってきた。
耳を塞いでいるアタシを見て、岩津は不思議そうに首を傾げている。
「何してんだ?」
「何でもないよ」
岩津はそれ以上聞かずに車に乗った。
車が駐車場を出ると、日光がアタシの目を刺す。
堪らず目をぎゅっと瞑ると、隣の岩津から鼻で笑われた気がした。
アタシ達が乗った車は、そのまま走り続ける。
もうトランクから音は鳴ってなかった。
「……柊木さ、前より明るくなったよな」
「アタシそんな変わった?」
「前からふざけた奴だったが、今は前より明るいふざけた奴だな」
あまりにも酷い言い草だと思ったが、そんな不満は飲み込んだ。
明るくなった、その心当たりがあったからだ。
前よりも、心が軽くて暖かい。
この気持ちを表す言葉を知らなかったけれど、それでも良い気分ということは確かだった。
「面白い子、拾ってさ」
最初は、いつも通りだった。
可愛い子だったから、しばらく一緒に暮らして、懐柔して、そしてしばらくしたら手を出してみようかとか、そんなことを思ってた。
手を出した後のことはあまり考えてなかったけど、家出してきたみたいだし、学生だし、しばらくしたら家に帰らないといけないだろうから、なあなあにして程よい頃に出て行って貰おうかなんて。
そうしたら、思っていたより大変そうだった。
父親への連絡を聞いていたけど、あの親はきっと良くない親だ。
難しいことになったな、と困っていた時だった。
『なんなんですかこの部屋……ちゃんと掃除してるんですか……?』
『あの、柊木さん、洗濯機を使いたいんですが、洗剤はどこに……えっ買ってない?え?』
『すみません柊木さん、私の勘違いだったら申し訳ないんですが……冷蔵庫空ですか?』
怒られた、凄い怒られた。
ちゃんと掃除をしてくれと尻を蹴られ、ちゃんと服を洗えと尻を蹴られ、ちゃんと飯を食えと尻を蹴られる。
今まで、まともに叱られたことが無かった。
怒りをぶつけられることはあったけど、それはいつも苦痛を伴う物で。
これはこうしちゃダメなんだ、こうされると、人は嫌な気持ちになるんだ。
これをこうしないとこうなるから、こうしなくちゃダメなんだ。
義務教育で学ぶようなことを、アタシは今教えてもらってる。
一般的に見れば、煩わしいと感じる人も居るかもしれない。でも、きっとそれは、アタシの為だから、アタシがこの先困らないようにって、思ってくれてる物だと思うから。そんな物を貰うのは、初めてだから。
だから、その厳しさが、とても嬉しい。
角煮が食べたい!とわがままを言った私に対してため息を吐きながらも、ちゃんと作ってくれるあの優しさも、全て。
「そいつのこと、相当大切なんだな」
「そうだね」
あの子は、今まで抱いてきた人達とは違う。
「好きだよ」
アタシがそう言うと、何故か岩津は頬をほんのりと赤くして、気まずそうにはにかんだ。
別に岩津に言った訳ではないんだけど、と思ったが、そう言えば、岩津は色恋沙汰に弱かったことを思い出した。
「……お前も足を洗う時が来たのかもな」
「あはは、それ冗談?」
「そいつと柊木がどんな関係なのかは知らないけどよ、今の状態じゃ……」
「…………」
アタシは何も言わなかった。
というか、言えなかった。
岩津もそれ以上何も言わなかった。
なんだか変な空気になって、柄じゃない反応をしてしまったと軽く後悔した。
やがて、車はとある廃工場の前で止まった。
「行くか」
「はぁー面倒!」
やれやれとため息を吐いて、アタシは車のドアを開けた。
そして、降りようとするアタシの後ろから、岩津が声をかけてきた。
「悪い、さっきは無神経だった」
「謝んなくていーよ気にしてない。それに、岩津もアタシと一緒でしょ」
「……そうだな」
そのままアタシは車から降りる。
何年も放置された廃工場には草木が生い茂っていて、自然って感じがした。
ふと、近くの低木に目が行った。
低木の枝には蜘蛛の巣だらけ。
蜘蛛の巣には、何匹もの虫が絡まって踠いていた。
「どうせ逃げたところで、どうすればいいのか分かんないんだし」
ぽつりとそう呟いた。
アタシの一人言は、岩津にも聞こえなかった。
◇◇◇◇
岩津が運転する車が、アタシが住んでるアパートの前で止まる。
「ここでいいか?」
「うん、ありがと」
岩津にお礼を言うと、アタシは車から降りた。
「んじゃまたな」
そうして、岩津の車はその場から去って行く。
アタシは、車が見えなくなるまで手を振っていた。
とっくに日は沈んでいて、電柱の灯りに照らされるアタシの手には、一つの紙袋が握られている。
「ミキちゃん喜んでくれるかな~」
鼻歌交じりに階段を登って、部屋の前へ。
中からは、ミキちゃんがキッチンで料理をする音が聞こえてくる。
とても―――
扉を開く。
「ただいま!」
そうして来る返事を聞いて、アタシはまた暖かい気持ちになるんだ。
以下プロフィール。
柊木明美
年齢・永遠の20歳(自称)
身長・172cm
職業、年齢不明の謎のお姉さん。
20歳を自称しているが実際は25、6程。
根っからの女好きで女誑し。
大人になりきれてないのに大人になっちゃった子供みたいな人。かもしれない。
ミキちゃんへシュークリームを買って帰った。
学はない。
盛川美希
年齢・17歳
身長・163cm
生徒会長をしている高校3年生。
文武両道で家は超大金持ち、家事も完璧にこなせるハイスペック人間。真面目である。
普段恥ずかしがってあまり大きな声では言っていないが大の甘党。
特にシュークリームが好きらしい。
岩津聡
年齢・23歳
身長・175cm
見た目チャラ男な純情ボーイ。
女性とは手も繋いだことない。ちなみに、その女性に柊木はカウントされていない。
見た目や口の悪さで避けられることが多いが、根っからの悪人ではない。
柊木とは15年の付き合い。