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わたしの従者は転生魔王   作者: ネムミヤコ
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  アリーシュは絶句していた。目の前にいる魔物の姿に、困惑を禁じ得ない。


 緩やかに波打つ長い髪、瞳を縁取る長い睫毛、そしてその眼差しは本来はきっと怜悧なものなのだろうに、しかし優しく甘やかに、アリーシュを見下ろして唇は嬉しそうに弧を描いている。


 それは蠱惑的な美貌であり、触れるのを躊躇う美しさであり、そして。


(初めて見た……黒の色を持つ魔物)


 黒の色に近い魔物ほど強大な魔力を持つという記述を本で読んだことがある。それを信じるなら目の前にいる魔物は序列が貴い存在なのかもしれない。


「あの、あなたは誰かの眷属なのでしょうか?」

「いいや。僕は誰のものでもないよ。だから、ノアと呼んでいいんだよ」

「……でも」

「それに僕は君の眷属になりたい。駄目かい?」

「わたしは、あなたに相応しい器ではないです」


 黒に近い色を持つ魔物ほどの価値と渡り合える実力がないのだから暗に無理だと言ってもノアは食い下がる。


「そんなことはないよ。僕が選んだのだから、間違いない。君は守るに値する存在だ」


 ほわほわと嬉しそうに微笑みながら断言するノアにアリーシュは言葉を失う。魔物というものは、魔物の眷属化とはもっと、難しくて恐ろしいものだと思っていたからだ。それが、こんなに穏やかなものだと信じるには少し時間がかかりそうだとアリーシュは思って、首を振る。


(こんなに望んでくれているのだから、この機会を逃さないほうがいい)


 この機会を逃せば自分には眷属が決して訪れることはないだろう。だから、アリーシュはそっと手を伸ばして魔物の眷属の儀式をしようとした。そんなアリーシュに、ノアは嬉しそうににっこりと笑う。


「ああ、そういえば我が君の名前を訊いていなかったね。名前はなんて言うんだい?」


「アリーシュ・リーンシュタルト、です」

「ではアリーシュ。少し手を貸してくれるかな」

「はい」


 アリーシュの手をノアが握る。そして指をひとつひとつなぞり、左手の薬指にノアは優しく唇を落とした。


「アリーシュ・リーンシュタルト。君に忠誠と加護を与えよう」

「……っ」


 瞬間、ぐわんと頭部を揺さぶるような感覚にアリーシュは意識が拐われた。遠退く意識の中、最後に目にしたのはノアの漆黒の瞳と、見知った深紅の色が近づく光景だった。




「目が覚めたかい?」


 優しく髪を梳く誰かの気配にアリーシュははっと意識を取り戻した。視界にいたのはノアと、祖母エルデリンドだ。エルデリンドはほっと息を漏らして「気分はどう?」と気遣う。


「倒れて帰ってきたので心配しましたよ」

「お祖母様……あの、彼は、わたしの……」

「眷属化したのでしょう。話は大体聞いています。あなたが倒れたのは、彼を眷属化したからです」

「……魔力の枯渇、ですか?」


 ノアを眷属にしたことで僅かな魔力が枯渇状態になり、倒れたのだろうとアリーシュは思った。しかしエルデリンドは首を振る。


「いいえ、あなたは魔力を奪われていません」

「……?でも、眷属化の儀式に、魔力を与えないと」

「そうですね。普通の儀式はそうします。ですが、この魔物が普通ではないこと、そしてあなたの魔力が乏しいものであるのはもう理解しているでしょう?」

「はい」

「この魔物はあなたに魔力を与えたのですよ。あなたが倒れたのは魔力の枯渇ではなく、魔力の過剰摂取によるストレスによるものだったのです」

「え。……それは、眷属化の儀式として、成り立っているのですか?」

「成り立つよ」


 ノアが微笑みながら続ける。


「魔物の眷属化、という言葉で分かりにくいけれど、要は魔力と意思の同調ができてしまえばいいんだ。それで服従を示したほうが眷属になる。だから魔物だけが眷属になるということではないよ」

「え!?そうなんですか?」

「うん。魔物の眷属になる人間もいるよ。勇者側の情報操作であまり公にされていないようだけれどね」


 ちらりとエルデリンドに視線を向けると苦々しい表情をした。ノアは「それでね」と微笑む。


「アリーシュには定期的に僕の魔力を与えて、順応して欲しい。僕は君の眷属だから、使役することもあるだろうし、その時に魔力が枯渇してしまったら大変だ」

「……あなたの魔力をもらってしまっても、大丈夫ですか?」

「うん。魔力量には問題ないよ。魔力質は君のほうが綺麗だから、魔力汚染することなく順応することも問題ないと思う」


 魔力汚染は肉体に宿る魔力に、調和できない魔力を流し込まれた場合に身体に不調をきたす現象だ。


「わたしの魔力質が、綺麗?」

「洗練されているというのかな。今の君の身体でこんなに綺麗なものは珍しいよ。きっと他の血族とは違い、努力と研鑽を欠かしていないからだろう。この調子なら、君は誰よりも強い勇者になる」

「……わたしは、」

「アリーシュ、あなたの眷属はきっとあなたを甘やかすでしょうから、気をしっかりね」

「はい……お祖母様」

「ではアリーシュ。……頼みましたよ」


 エルデリンドはそう言ってアリーシュの自室から出て行った。アリーシュはずっと髪を梳くノアを見上げる。


「……わたしの髪は、楽しいですか?」

「綺麗な白銀色の髪だね。珍しい色だ。あとさらさらしてて、僕と違うね」

「本当はあまり長くしたくないんですけど、髪の短い令嬢はあまりいないから……目立ちたくないので伸ばしてます」

「僕は好きだよ。誰にも触れて欲しくないくらい」

「…………」

「どうしたんだい?」

「……初めて、言われて。……ありがとう、ノア」


 礼を言うとノアは一層柔らかく微笑んだ。


「可愛い我が君。僕もありがとうと言うよ。……僕を見つけてくれてありがとう、アリーシュ」




 十三歳になった春が過ぎて、夏が訪れようとしている。


 ゼアトリーチェ王女へ手紙を書き終えたアリーシュは涼しい朝から夏の暑さを思い出したかのような昼頃に友人であるシェリステラの屋敷に向かおうとしていた。馬車に乗っているのはアリーシュだけだが、側には魔術で姿を隠しているノアもいる。本来なら護衛も必要なところだが、ノアがいるので大丈夫だろうと父にも了承は頂いているので、御者であり侍女でもあるラヴェンツァだけが同行している。


「ラヴェンツァ、久しぶりに自分だけで好きに休暇を過ごしてもいいのに……」


 アリーシュがそう言えばラヴェンツァはふるりと一つ首を横に振った。


「お嬢様の侍女は私だけですし、お嬢様のお側をご一緒できるのですから休んではおられません。お嬢様の眷属への教育も、十全とは言い難いですし」


 アリーシュの眷属を見たラヴェンツァは従者の心得をノアに叩き込むことを決意したらしく、アリーシュが領主としての仕事について勉学に励んでいる間、ノアにも教育を施しているらしい。黒の色を持つ魔物にも臆することなく接している使用人はラヴェンツァくらいかもしれない。ノアを紹介した時にラヴェンツァは顔面蒼白になって、それは魔物に対する恐れからかと思ったが。


「お嬢様に甘やかされてる……ずるい……!」


 という独り言を言っていたので、アリーシュは「あ、平常運転ですね」とすぐに安心した。ラヴェンツァは元々アリーシュが見出した侍女で、その血筋は辿っていけばオデュセイラ家の分家にあたる。とはいえ実家で妾の子として迎えられていた彼女は令嬢とは程遠い生活を過ごしていたらしく、妹に虐げられていたところをアリーシュが居合わせたのだ。その様子を見てアリーシュが引き取っていいかと交渉したら、厄介者を払うことができて好都合と快く認めてくれた。


 以来、ラヴェンツァはアリーシュの侍女だ。まだ幼く、しかも地位が低い家の令嬢の侍女になることに抵抗はないかと聞いたが、彼女は美しく微笑んで。


「あの時にお嬢様が訪れなかったら、私は犯罪者になっておりました。一見、あの女に虐げられているように見えたかもしれませんが、お嬢様は違うのでしょう?……私はあの時、あの女を殺そうと思っていたのですから」


 そう。ラヴェンツァは強かな女性である。あの場に居合わせれば誰でもラヴェンツァが虐げられていると思うだろうが、実際あのままにしておけば死んでいたのは妹の方だった。妹は気づいていなかったが、ラヴェンツァの堪忍袋は切れかかっていた。ラヴェンツァが虐げられていたのは逆らうことが面倒臭いからで、傷ついていたわけではないのだとラヴェンツァが教えてくれたのだから間違いない。


「妾の子として認知されるまで平民として生活していた時の方が幸せでしたからね。亡くなった母は令嬢としての心得のようなものを身につけさえすれば認められると思っていたようですが……屋敷に迎えられた時、父親の態度ですぐにわかりました。あ、これは令嬢ではなく使用人が欲しいと思っている目だ、と」


 父親の蔑視をすぐに感じ取った妹は使用人の前ではやらなかったものの、気に入らないことがあると八つ当たりするようになったのだという。それはラヴェンツァが関わっていてもいなくても同じで、とにかくストレス発散していた妹に最初は付き合っていたラヴェンツァだったが。


「あの時の私はふと我に返りました。令嬢として姉として認められていないのにこれ以上何を我慢する必要があるのか、と」


 こいつの私に対する評価など知ったことか。と殺意が芽生えた時にアリーシュと出会ったのだという。


 アリーシュはその心眼(魔眼)でラヴェンツァを見抜いて、選択肢を与えた。リーンシュタルト家の使用人として働くか、平民として働くか。実際最初にラヴェンツァが考えていたのは後者だったが、よく考えてからでもいいと言われ、それからしばらくするとリーンシュタルト家の使用人として働くことにした。


 リーンシュタルト家は確かに地位が低い。だが、それゆえになのかどういうわけなのか、権力に振り回されない振る舞いができるおかしな貴族として有名だった。実力主義の使用人たちは確かにこの屋敷は変わっているが、気分は悪くない仕事環境だと笑った。そんな使用人たちが忠誠を尽くす、当主であるグウェンは頼りないように見えて使用人の仕事環境は把握している、元王族のエルデリンドは使用人に足りない知識を教えてくれる。そして一人娘のアリーシュは人を見る目が鋭く、使用人たちの話をよく確認するように話しかけてくれた。何故そんなに気にかけてくれるのか、という言葉に対しアリーシュは不思議そうに首を傾げて。


「使用人のことを把握できない者に領主の責務は果たせませんから」


 その言葉でラヴェンツァはアリーシュの侍女になることを目指したのだという。幼い少女に、計り知れない希望と尊敬を抱いて。


「お嬢様、もうすぐ着きます」

「はい」

「……ねぇ、アリーシュ。僕はいつ姿を見せていいのかな」


 見えないが隣で寂しそうな声が聞こえて、アリーシュははたと気がつく。そういえばラヴェンツァが「お嬢様にべったりするんじゃありません」と言ってからノアは姿を消していたのだった。だから馬車から降りて、シェリステラの屋敷に入ったらと言っておく。


「シェリステラには眷属の話はしてあるので……ってあら?」


 屋敷門にいる二つの人影にアリーシュは首を傾げる。


「シェリステラと、シェリステラの眷属がなんか揉めてます」

「シェリステラは君の友人だったかな?」

「はい。でも慌てているような……」


 近づいていくとだんだん会話が聞こえてきた。


「ベルベット!落ち着け、あの馬車はアリーシュが乗っている!不穏なものではない!」

「いや、シェリステラ、あの馬車からとんでもない魔力を感じるのだ!アリーシュの気配はこんなものではない、もっと弱く、小さいだろう!?」

「ベルベット、そんな大声で私の友人を侮辱しないでくれ」

「シェリステラ、オレはあなたの眷属として、」

「いいからその暴走した口を閉じろ!!」


 ごっ!とシェリステラの拳が眷属の顎を振り抜いた。アリーシュは静かに目を伏せて馬車の窓からそっと離れる。今見たことを、見知らぬ振りをすることにアリーシュは決めた。それが友人としての配慮なのだと信じて。




「ごきげんよう、シェリステラ」


 屋敷の客室でアリーシュはにこりと形式的な微笑を浮かべた。その傍らには顕現したノアが、シェリステラの足元にはベルベットが跪いている。


「……挨拶ついでに聞くが、アリーシュの眷属は、その、ベルベットを知っているのか?」

「僕は知らないよ」

「オレが一方的に知っているだけだ……この方の記憶に残るなど、おこがましいことだ」

「……つまり、ベルベットよりも格上ということか。まあ、予想はできたが………」

「というか、何故貴方がアリーシュ、」

「ずいぶんと気安いね」

「……リーンシュタルト嬢の、眷属になられたのか聞いてもよろしいでしょうか」


 ベルベットの呼ぶ声に敏感に反応を示したノアだったが、ベルベットを鋭い刃のように見下ろしていた眼差しがふわりと和らぐ。その視線はベルベットではなく、アリーシュに捧げられていた。


「どうしたんだい?アリーシュ」

「……ノア、あまり警戒しなくていいのですよ。この人はシェリステラの眷属ですから、威圧しないように」

「君が望むなら善処するよ。……けれど君が侮られるのはあまり気分が良くなくてね」

「そういう気分にあんまりさせたくないけど、わたしはあまり尊敬される人間ではないから……」


 色無しと軽蔑されることが常で、シェリステラという地位ある貴族の令嬢と友人になれたのは運が良かったのだ。他の令嬢が見ればアリーシュとシェリステラの関係はおそらく、シェリステラとその取り巻きという感じだろうとアリーシュは思っている。


「我が君」


 そっとアリーシュの手をノアが触れる。


「君はまだ幼いけど、既に充分美しい魂の輝きを放っている。そしていずれ君のことをただ色無しと蔑む輩はいなくなるだろう」

「……そうでしょうか?」

「勇者というものは力があるだけではなく、他者を引き寄せる魅力がないといけないからね。心の強さは一朝一夕では成長しないし、君の戦闘技術はそこら辺の人間より遥かに上達しているから続けるといいよ」

「……魅力、ありますかね?」

「あるよ」「あるとも」


 ノアと、シェリステラの声が重なる。ノアはおや、とシェリステラを見遣り、ベルベットは冷や汗を流し、シェリステラは気にせず続けた。


「アリーシュは令嬢の皮を必死に取り繕っていた私を見抜き、受け入れてくれた。それがどれほど救われたか、知っていたか?」

「……救い?」

「ああ」


 シェリステラは快活に微笑んだ。


「オデュセイラ家は規則正しい、礼儀を重んじる家だ。そんな家の令嬢が、淑女のように振舞えないことは恥なんだよ。だから、私はきっと死ぬまで本当の自分を隠したまま、仮面を被ったような人生なのだろうと漠然と思っていた。……けれど、アリーシュは気づいてくれた。それどころかそんな私を見過ごすようにしてくれた」


 シェリステラは思い出す。初めて出会った時の、アリーシュという少女のことを。



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