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「お嬢様、シェリステラ様がお越しになりました」
数日前に遊びに行くと知らされていた友人の訪れにアリーシュは客室の間に急ぐ。部屋には既に優雅な所作で紅茶を飲んでいたシェリステラがこちらを向いた。
「久しぶりね、アリーシュ」
強い眼差しを感じさせる真紅の瞳が少し和らいだ。アリーシュはあとは自分に任せるように使用人に伝えるとシェリステラの向かい側の席に座った。
シェリステラ・オデュセイラ。王家に仕える騎士の中で最も優れ、強さを誇る者を選出してきたオデュセイラ家の娘である彼女は確か第二王子オルフェス殿下と婚約したので、多忙な日々を過ごしているはずだとアリーシュは記憶している。
「お久しぶりですね、シェリステラ。どうぞ、楽にしてください」
「………あー……ほんと、この家は私の理想郷だ」
深く息をついたシェリステラは一気に素の自分を現した。そこには優雅で冷静な令嬢はいない。ただの私の唯一の友人、シェリステラだ。
「毎日毎日パーティーやらお茶会やらで最近全く息抜きしていなかったから、気詰まりしすぎて破裂するかと思ったぞ。その点、ここは令嬢とは何ぞやとか身分差とか気にしないでいいから、気が楽だ」
「それはどうも。………第二王子の婚約者は大変なんですね」
「ああ。婚約破棄になったから、もう私は第二王子とは何の関係もないんだ」
「え!いつの間に……」
「数週間前かな。アリーシュに手紙を出した日には言い渡されていたんだ。なんでも、私は悪役令嬢になっていたらしい」
「?」
「オルフェスが言うには、私の従姉妹のシルヴィアに悪質ないじめを繰り返したことが許せなかったらしいぞ。まあ、その悪質ないじめとやらは心当たりはないんだけどな」
「それは………大丈夫なんですか?」
王家との婚約のためにシェリステラは相当な努力をしたはずだ。常日頃からオデュセイラ家の令嬢としての矜持を崩さないために素の自分を押し殺すような真似をしていたのだから、婚約者としての自分も必死に形成したとアリーシュは知っている。
だが、シェリステラは少しだけ笑っていた。
「元々、あまり仲良しというほどの関係を築いていなかったから………正直に言えば、ほっとしている。オデュセイラ家という貴族であり勇者の血族に生まれた時から、政略結婚は覚悟していた。令嬢としての振る舞いも我慢できた。だが、その覚悟が足りなかったか我慢が見えてしまったからこうして婚約破棄されていることが、どこか自然な気がするよ」
「だけど、シェリステラは悪役令嬢ではないし、努力をしてきたのだから不当な扱いではないでしょうか?」
「まあ………兄は怒っていたかな。あの人は真面目で冷静な男だと思っていたから、あまり感情に流されないはずだったんだが、今回のことは納得いかないと憤然としていた。父も、私には口にこそしないが、兄と一緒になって第二王子に直訴しているようだ」
「シェリステラには話していないのに、どうして第二王子に直訴していることを知っているんですか?」
「私宛てに第二王子から抗議の手紙が送られてきたからな。………第二王子は自分の意志と感情を尊重する男だから」
「それは、………大変でしたね」
「それを思えば、シルヴィアが妥当だったのだろう。私を悪役にしてでも第二王子と結ばれたかったのだから、性格の出来はお似合いだよ、あの二人は」
「…………肩の荷が、下りましたか?」
「尊敬できる人であれば多少の無理をしても私は第二王子との関係を保ちたかっただろうな。けど、尊敬もしていない、好意も抱けない相手とこれ以上婚約関係を続ける気にはなれないから、正直なところ、救われた」
シェリステラは晴れやかな表情をしている。
「それに兄と父の結束が固まったから、良かったんだよ、これで」
「シェリステラが、そう思っているのなら、良かったです」
「アリーシュは最近どうだったんだ?私は婚約破棄の件があったから欠席していたが、魔王復活の兆しを受けて勇者一族の結束パーティーがあっただろう?」
「自分の眷属を見つけておくよう、魔王復活に備えよ、とのことです」
「今更だな」
勇者の血を引く者はその魔力に見合う魔物を眷属として使役することができる。魔王との戦いで勇者は魔物に己の加護、つまり魔力を与えることで眷属化し、自分の剣、時に盾として共に戦ったと記録されている。そういうことで己の眷属を見つけることは勇者の血族の中では義務化に近い行為だった。
「シェリステラの眷属は、元気ですか?」
勇者の眷属は主従関係、序列を重視する。誇り高く、冷徹な彼らは己の名前を主人にしか呼ぶことを許さない程に執着するのだとアリーシュは知識として備えていた。
「ベルベットは困るくらい元気だ。婚約破棄の件で私の扱いが不敬だと怒る一方だから、顕現するのを控えているだけで力は有り余っているよ」
「………これはわたしの意見ですけど、こう考えてはいかがですか?」
「ん?」
「嘘を見極めることができず、素のシェリステラに気づくこともできない曇った目を持つ第二王子オルフェスは相応しい殿方ではなかったのだ、と」
シェリステラの目が瞬く。そしてすぐににやりと悪そうに、しかし嬉しそうに目を細めて笑う。
「時々、私はお前が魔王なのではないかと思うよ。第二王子にそこまで嫌悪を抱く勇者の血族はお前くらいだ。それに、私はこれでも王家の筆頭騎士オデュセイラ家の娘だというのに………不敬罪で訴えられるぞ?」
「シェルステラはこの程度では不敬などと言わないでしょう。そして思うことすらしないと、わたしは知っています」
「確かに、アリーシュの目は曇っていないな。………お前が王子だったら、きっと私は婚約破棄を認めなかっただろうな」
「それは、褒められているのでしょうか?」
「褒めているさ。あの執着深いベルベットが、お前だけは私の友人であることを認めているのだから」
「シェリステラは他にも友達がいるでしょうに………」
「オデュセイラ家のシェリステラには、な。私個人の友人はお前だけだよ」
そう断言するシェリステラに、アリーシュは言葉に詰まり、しかし笑ってしまった。
「あなたの眷属に伝えておいてください。わたしはシェリステラの友人で、幸せだと」
そして第二王子オルフェスにも感謝せねばならないとアリーシュは思う。婚約破棄が、唯一の友人との時間を取り戻してくれたのだから。