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お金が欲しい侍女エルフさんと天才ダンジョンストリーマー

 ある日、愛しの王女様がおっしゃいました。


「地球に住みたいですわ」


 何を馬鹿なことを。心の内でそう思っても、絶対に口には出しません。

 なぜなら私は代々王族に仕える家系で産まれた侍女だからです。優秀な侍女ならば答えはひとつ。


「かしこまりました」


 ──あれから数ヶ月。


 私はコンビニに住み込みで働いています。

 最低賃金より少ない時給で働き、節約しながら貯金を積み上げているところです。

 王女様にはこんなひもじい生活をさせられません。目標金額は100万円。それだけ貯めれば贅沢できます。


 〜〜♪


「いらっしゃいませ」


 そのお客様は店に早足で入ってました。本日は快晴。通り雨でもありません。

 不審に思い、怪しく眺めます。お客様は商品棚を無視してレジの前に立ちました。タバコでしょうか。いいえ。幼い。そこにいたのは、帽子を深く被った少女でした。


「あなたが噂のエルフさん?」


 地球に来てもう長いですから、こんな失礼も慣れっこです。


「そうですけど何か?」


「どこのダンジョンから来たの?」


「すぐそこのダンジョンですけど。……何かご注文はございますか?」


「じゃあ竜田揚げを1つ。揚げたてちょうだい」


「かしこまりました」


 電子マネーで決済したあと、壁に貼られたマニュアルを見ます。とても親切なマニュアルです。文字が苦手な私のために、絵でもやり方を教えてくれます。


 冷えた食材をカゴに入れたら、人差し指でボタンを押すだけ。あとは機械がやってくれます。

 とても便利で冒涜的な調理法です。教えてくれた店長も、壁に貼られたマニュアルも、神への祈りが欠けています。もちろん私は祈ります。


「エルフのお姉さーん。こっちでお話ししようよー」


 祈りの時間を邪魔されました。ですが、こちらのお客様も神様。彼女の頼みを無視すれば天罰が下ります。そのように店長から教わりました。


「どんなとこに住んでたの?」


 〜〜♪


 他のお客様が来店されました。人が居ない時が無いくらい次々とお客様がやってきます。

 そんな中、今いる店員は私と店長だけ。深夜働いた店長はバックヤードで休んでいます。この時間帯はアルバイトの方もシフトが入っていませんし、本来なら、おしゃべりしていい時間なんてありません。

 ですが、お客様は次々とお買い物を済ませて店を出ていきます。全てセルフレジのおかげです。

 もしもセルフレジが無かったらと思うと恐ろしい。他のお客様を不機嫌にした天罰を受け続け、私の身は保たなかったでしょう。


 私は竜田揚げの出来上がりを待つ間、小さな神様の質問に答え続けました。彼女はしつこいくらいにプライベートを聞いてきます。まもなくこの苦行が終わると思ったそのとき、彼女が言いました。


「ボクの仕事を手伝ってくれない?」


「仕事中なのですが」


「あなた、お金が必要なんだよね? 今どのくらい貯まってるの?」


「2万円ほど」


「全然じゃん」


「出費が重なりまして」


「王女様に良い暮らしをさせたいなら、ここに居続けるのはちょっと良くないんじゃない?」


「はあ」


「出来高次第だけど、ボクのところならもっと稼げるよ」


 魅力的な提案ですが、美味い話には裏があります。悪人にとって、身分の無い私はきっと良い餌に見えるのでしょう。このコンビニに拾われるまで、何度も苦い経験をしました。

 ここで働けるのは、全て店長の温情のおかげ。目先のお金に釣られて出ていくのは裏切り行為です。慈悲深い店長を裏切ることはできません。


「最大で100万は出せる。一日でね。どう?」


 でも、短期間なら店長も許してくれますよね。


「どのようなお仕事をされているのですか?」


「ダンジョンストリーマーだよ」


「ダンジョンストリーマー?」


「そう。ボクはD-St(ディー・スト)チャンネルのシア。ダンジョンの解説動画で稼いでる」


「それで、私に何をさせたいのですか?」


「あなたの故郷にボクを案内して欲しいの。再生数に応じて報酬を支払うわ。この仕事、受けてくれる?」


 故郷へ案内? 接客よりも簡単じゃないですか。


「やります」


「あなたのことはなんて呼んだらいい?」


「オリビアと申します」


 そうして、私はコンビニを離れました。店長は寂しいお方ですので、私が出て行くと言ったら、とても悲しんでおられました。もしもシアさんに騙されていたなら、またここへ戻ってくるつもりです。店長も了解してくれました。



 視界いっぱいに広がる草原。すり潰された雑草の汁。朝露に濡れたモンスターのフン。懐かしい香りが鼻の奥を突き抜けました。


 今日は朝早くにコンビニを出ました。こちらの世界も陽が昇る途中のようです。日光の温度を感じていると、人影がチラつきました。


 振り返ると、分厚い壁がどっしりと構えています。筒を持った地球人が壁の上から手を振って見送ってくれました。


 隣では、背嚢を忙しく漁るシアさんが見られます。彼女は変な形の棒を取り出しました。続いて、料金決済に使うデバイスを棒の先と合体させます。

 彼女は棒を伸ばしてデバイスを高く掲げると、空に向かって語りかけました。


「イェーイ☆ みんな待ったー? てーんさいダンジョンストリーマーのシアちゃんでーす♡」


 どなたかおられるのでしょうか。気になって空を仰ぎますが、どこを探しても鳥しかいません。


「ボクは今どこにいるでしょーか?

 5秒あげまーす。チッ、チッ、チッ……

 正解はー。

 言いませーん! 特定班頑張れー」


 シアさんの目は棒の先のデバイスに向いています。どうやらあれに語りかけているようです。


「いつもなら正解を教えるけど、今回の動画は特別編なのです。問題にならないように極力モザイクをかけていきます。ご了承くださいね」


 その後、棒を下ろしたシアさんは、ノートを開いて読み始めました。今なら話しかけられそうです。


「どなたかにお電話されていたのですか?」


「電話? あはは、違う違う。動画の収録だよ。スマホ使ったことないの?」


「店長が使っているところはよく見ました」


 シアさんは棒からデバイスを外して、その背面を指差します。


「この部分あるじゃん。これがこの機械の目になるわけ。この目を通して見た景色は全部記録されるの。見てて」


 シアさんがデバイスの表面を撫でると、画面の中にシアさんが出てきました。


『イェーイ☆ みんな待ったー? てーんさいダンジョンストリーマーのシアちゃんでーす♡』


 再び撫でると、画面の中のシアさんが口を開けたまま止まりました。


「ほら、さっき撮ったやつだよ。これでボクらの旅を記録するの」


「なるほど。私が着替えてる時、店長が頻繁にこれを向けてきましたが、あれは記録していたのですね」


「オリビアさん。あのコンビニには二度と行っちゃダメ」


「え? どうしてですか?」


「住む場所に困ってるなら、出費はボクが工面するから。いいね?」


「非常にありがたいお話ですが……。余計なお世話かもしれません」


「王女様もあのコンビニに住ませるつもり?」


「そうですけど」


「王女様の純潔を守りたいなら、絶対にボクの話に乗ったほうがいいよ。考えといて」


 シアさんの真剣な顔を見て、私のために怒ってくれているのだと感じました。もしかしたら、他の悪人たちと同じように、店長にも悪い一面があったのでしょうか。だとしたら、少し怖いです。


 シアさんはデバイスを棒にセットしました。再び収録が始まります。


「今回訪れるのはエルフの里です☆ 一部の人しか知らないダンジョンの秘境に、D-Stチャンネルのカメラが潜入するよ」


 シアさんが手のひらを下に向けて上げ下げしました。『しゃがめ』と言っているようです。


「一般人の立ち入りが許されない異世界人の領域。当然ボクだけではその場所を突き止められません。プロ探索者でも難しいかも。だから、特別な案内人を雇いました。ご紹介します」


 シアさんが隣でしゃがみ、くっついてきました。頬と頬がひっつくくらい顔を近づけて、デバイスの画面をこちらに向けます。


 デバイスの画面には私とシアさんの顔が映っていました。目はデバイスの背面にあるはずなのにです。


「こちらにも目があるのですか?」


「目? こちらがエルフの里に案内してくれる、王女付き侍女のオリビアさん。おっぱい大きいからって目移りしちゃダメだぞ♡」


 シアさんが立ち上がり、移動を始めたので私もついて行きます。


「すごーい! 原っぱがいっぱい広がってる。まだ朝なのに探索者の姿も見られますよー」


 コンッ、とシアさんが何かを蹴りました。薄汚れた白い玉みたいな物が草の上を転がります。


「あ、ラッキー☆ 見て見て。これ、スカルビーストの頭。夜だと手強いモンスターだけど、今は朝だからこの通り。魔石だけ貰っておこうかな」


 わっ。あれはモンスターの頭蓋骨です。ばっちいですね。

 鈍色の槌を手に持ったシアさんは、モンスターの頭蓋骨に向けて槌を振り下ろそうとします。


 それを寸前で止めました。


「ばっちいですよ。やめましょう」


「ここはカット」


 そう言って、シアさんが歩き始めました。


「ところで、シアさんの武器なんですけど。もしかして、その槌だけですか?」


「ううん。これと、ナイフが3本あるよ。2本は解体用だけど。いざとなったら使えるね」


 加勢は期待できなさそうです。


「モンスターと戦闘になったら隠れてくださいね」


「うん!」


「即答ですか。ダンジョン関連のお仕事でしょうに」


「見つからないことが一番だよ。基本戦わない方針なんだ」


「今まで良く生きてこれましたね」


「得意なんだ。音を消して歩くの」


 確かに、言うだけあって草のすれあう音しか聞こえません。ですが、森のモンスターを甘く見過ぎです。他のダンジョンはどうか知りませんが、ここはそんな小細工で生き残れるほど簡単じゃありません。身を守る道具が必要そうですね。


「これをお貸しします」


「指輪?」


「それを嵌めて指輪に念じてください」


 地球人に使えるか心配でしたが、ちゃんと指輪が働きました。


「消えた!」


 姿が見えなくなったことに驚いたようです。今どんな顔をしているのか見てみたいですが、透明で見えないのが残念ですね。


「スマホも消えてる! ここにあるのに! ちゃんと動画撮れてんのかな。オリビアさん、これどうやったら解けるの?」


「もう一度指輪に念じるのです」


 姿を現したと思えば、すぐにデバイスを確認していました。店長もそうですが、みんな取り憑かれたみたいにデバイスを離しませんね。


「撮れてない……。この指輪は最終手段だね」


「そろそろ先頭を歩いてもよろしいでしょうか? 装備を回収せねばなりませんし」


 すると、シアさんは元気になってデバイスの目を向けてきました。


「エルフの里は危険なモンスターがうろつく森の先にあるんだ。でもオリビアさんを見て。武器らしい物は何もない。これには理由があるんだ。彼女は地球へ来る前に装備を隠したんだよ。ボクらを怖がらせないようにね。すごく気遣いのできる人なんだ。さすが王女付きの侍女。とっても優秀なの。彼女とどこで出会ったか知ってる? コンビニだよ? みんなは外国のコンビニで働ける?」


 シアさんは、まるで求愛するオス鳥のように絶え間なく話していました。独り言とは違う感じです。画面の向こうに誰かいるみたいに話しています。これが収録なのですね。少し怖いです。


「シアさん。これから森に入ります。危険ですので静かについてきてください」


「みんな、ここから先はデンジャーゾーンだよ。少しの間お別れだね。もしものことがあれば永遠の別れになるかもしれないけど。幸運を祈ってて。オリビアさん、カメラはつけたままでいい?」


 カメラ? 多分、デバイスの別名でしょう。地球では、ひとつの物に複数の名前がついていて覚えるのが大変です。コンビニの仕事でもっとも苦労したのはタバコの銘柄を覚えることでした。

 なんたらライト、なんたらメンソ、なんたらショート、なんたらロング、電子タバコと紙のやつ。

 あれは今でも慣れません。番号で伝えてくれるお客様がいちばん好きです。


「オリビアさーん?」


 あ、忘れてました。カメラですよね。


「光に集まる虫はいますけど、毒は持っていませんので大丈夫だと思います」


「よかった。なら、つけっぱなしでいけそうだね」


「ここから森に入ります」


 草原をばっさりと遮る壁のように、不自然な雑木林が並んでいます。

 目の前には入り口らしいところもなく、似ている木々ばかりで周りに目印などもありません。でもちゃんと覚えてます。ここを真っ直ぐ進めば装備を隠した場所に辿り着けます。


「やっぱり正規ルートじゃないよね」


「正規ルート? 渓谷のことですか?」


「うん」


 森にはいくつかの山があります。山峡には大きな川が流れていて、草原の先まで続いています。雨が降ると渓谷は大変危険な場所になるので、森のモンスターも飲み水を確保するときにしか川に近づきません。


「そうですね。森を突っ切るなら川沿いに進むのが一番安全です。ですが、私の故郷は森の中にあります。私から離れないでください」


 邪魔な茂みを木の棒で切り裂きながら進み、地球へ行く前に見つけた目印を探します。確か、この辺りに……。


 ありました。赤いマークの板。あれ? これって。


「ここ、本当に大丈夫?」


「そういう意味だったんですね」


 地球人が立てた目印とは思っていましたが、最初見た時はなにが書かれているか知りませんでした。ですが、何冊もの漢字ドリルをクリアした今の私にはわかります。


「《立入禁止》と書かれてますね。想像通りです。あそこはモンスターも寄りつかない場所ですし」


「モンスターが寄りつかない場所? どういうこと?」


「毒の花粉を撒き散らす花の群生地があるんですよ。布越しに呼吸してください」


「毒の花畑? そんなのガイドブックには無かったけど。でも看板が立ってるってことは……」


「地球人は賢いですね。故郷には言い伝えしかありません。看板を立てるなんて誰も試みませんでした」


 ロープを潜って、先へ進むと、甘い香りがしてきました。頭がフワフワします。気持ちいいですが、長時間嗅ぐとこれが吐き気に変わり、息もできないくらいの苦しみを味わうことになります。


「わぁ……! 青い花畑!」


「花には触らないでください」


 絞った花の汁を薄めれば、除草剤として使えます。ですが、触ると肌が爛れるので取り扱いには注意が必要です。ひと昔前に代用品ができたので、今では誰も扱いません。


「急いで装備を回収してきます。ここを動かないでください」


 ここは花のお世話をする人も来ないので、周囲には枯れた木がそのままになっています。だから、空洞化した木の中に装備を隠しておきました。


 ありました。隠したときのままです。弓と矢と防具。それと簡単な日用品。これだけあれば、森で1ヶ月は過ごせます。


「んっんっ、ちょっと太りましたかね」


 胸当てがパツパツです。弦が当たらないと良いですが。

 さて、毒が回らないうちに急いで出ましょう。


「お待たせしました。行きましょうか」


「わわッ! びっくりした〜〜!」


 青い花のところに戻ると、シアさんが慌てて背嚢を背負い直しました。なんだか色々入っているみたいで重そうな背嚢です。休憩がてら降ろしていたのでしょう。こんなところで休ませてしまって申し訳なく思います。


 青い花の群生地を離れた私たちは、道を切り拓きながら森を進みました。一流の狩人ですら手こずる大狼の群れが近づいてきたときは肝が冷えましたが、息を潜めてやり過ごしました。もしかしたら、服に付着した青い花の香りが大狼を遠ざけたのかもしれません。大狼は賢いので何度も使える手ではありませんが、なんとか命拾いしました。


「ずっと同じような景色が続いてるんだけど。ちゃんと近づいてるの?」


 シアさんはもう何度も同じ質問を繰り返しています。その度に元気づけていますが、いい加減疲れてきました。分け与える元気が空っぽです。


「次、弱音を吐いたら置き去りにしますよ」


「機嫌悪くした?」


「はい。もっと信用してください」


「信用してるけどさー」


 進むペースが落ちています。重い背嚢に加え、不安定な足場がシアさんの体力を奪っているのでしょう。


「疲れているなら少し休みましょうか?」


「いいの?」


「もちろんです。まだまだ先ですから」


 二人分座れそうな木の根を見つけて、お昼休憩にします。今日のために廃棄のおにぎりを多めに貰っておきました。包装フィルムを剥がすと海苔の匂いが広がります。

 モンスターが寄ってくる可能性は捨てきれませんが、昨日のうちに用意できる物で、移動に最適な食べ物はおにぎりくらいしかありませんでした。菓子パンも沢山貰いましたが、これはみんなへのお土産なので手をつけません。


 シアさんのお昼ご飯は、乾燥野菜のチップスとちくわを一本。それから、白くて四角い食べ物にマヨネーズをつけて食べてます。こんなに近いのに匂いがしません。


「シアさんの分のおにぎりもありますけど食べますか?」


「一個欲しいな。交換しよ」


 白くて四角い食べ物に砂糖醤油を垂らし、マヨネーズをかけてから渡してくれました。


「いただきます」


 この食べ物は乾燥しているようで、持った感じは軽いです。口に入れてみると、最初はサクサクとした食感。それから舌の水分を奪ってトロリと溶けました。お米みたいな味がします。まろやかなマヨネーズの旨味が良いアクセントになり、砂糖醤油が唾液の分泌を促して渇いた舌を潤してくれました。


「……おいしいッ! これはなんという食べ物ですか?」


「凍り餅だよ。日持ちするし腹持ちも良いんだ。リスナーに教えてもらったの」


「リスナーさんは物知りですね」


 一気に食べると勿体無いので、前歯で少しずつ削りましょう。口の中がパサパサになるのが難点ですが、お茶を飲めば解決です。


「あーあ、無くなっちゃいました」


 まだ足りないので、残ったおにぎりを食べますか。


「あれ? おにぎりがありません。盗りましたね?」


 シアさんの方を見ると、真っ青な顔で固まっていました。視線は上を向いています。


 どこを見ているのか、その視線を辿ると、上から黒くてヒラヒラした物が舞い落ちてきました。


「海苔?」


 反射的に弓を取り、木の根を蹴って飛び降ります。空中で矢を番え、照準を定めました。


 大猿! それも4匹!


 一番大きな大猿は、尻尾を枝に巻きつけ、逆さの状態でおにぎりを食べています。大猿は主に家族で行動します。一番大きいこいつがおそらく父猿です。他の3匹は各々別の枝に座り、シアさんから盗んだ食べ物を食べていました。


 その中に凍り餅もあります。許せない。


 照準を父猿から、凍り餅を食べる子猿に変えます。

 接地と同時に矢を放ち、その場を離れながら、次の矢を番えました。

 もう一度、照準を子猿に合わせ直します。矢は子猿の右頬を掠めていました。もう一発。


『ギュェェーーー──ッッ!!!』


 撃つ前に父猿が威嚇しました。その間に、母猿が2匹の子猿を抱え、枝を蹴って逃げ出しました。

 母猿の背中を撃ち抜いてやろうと思いましたが、その前に父猿が動きます。

 人の3倍はありそうな手で背嚢を掴み、背嚢を背もたれにしていたシアさんごと脇に抱えて走り出しました。


「待てッ!」


 父猿の背中に照準を合わせ、弓を引き絞り、放つ。


「ッッ!!!」


 痛ゥゥゥ〜〜ッッ!


 弦がッ! 胸に!


「いけない!」


 痛がってる場合じゃない! 追わないと!


「どうした!?」


 進行方向の茂みから誰かが飛び出して来ました。いけない! ぶつかる!


「避け!」


 衝突の瞬間、チカッと光が見え、目の前が真っ暗になりました。


「はっ……。痛たっ……」


「ようやく目を覚ましたか」


 声の方を見ると、成人の女が干し肉を齧っていました。装備を見るに、狩りの最中だったようです。


「ここは……。大猿は!? シアさんは!?」


「落ち着け。大猿なら仲間に追わせている。シアさんというのは、攫われたお前の仲間か?」


「は、はい。仲間というか雇い主といいますか。ちょっと待って。……その声、もしかして、ソフィアですか?」


「久しぶりだな。オリビア」


「本当に久しぶり。なんだか雰囲気変わりましたね。前はもっと、こう、お淑やかでしたのに。それに狩りまで。あなた医者でしたよね」


「失礼な。今も医者だよ」


 ソフィアが私の胸を指差しました。胸に薬が塗られています。頭にも。


「小人の都市で働いてんだけどさ。チビ共に言い寄られるのが鬱陶しくてね。身を守るために態度を変えるしかなかったんだよ」


「あなたも大変ですね」


 ガサガサッ


 茂みから大きな音がしました。弓を探しますが、ソフィアの手がそれを阻みます。


「おかえり」


「うん」


 茂みから出てきたのは大男でした。ラガーマンみたいな背丈と肩幅を持っています。声は高音で、顔は幼い。まだ未成年のように思えます。アンバランスな大男でした。

 耳が短いので、エルフではありません。地球人でしょう。どうしてソフィアと一緒に地球人が?


「ひとりか? 攫われたオリビアの仲間はどうなった?」


「大猿の寝ぐらで吊されてた」


「死んでたのか?」


「死んでた」


 そんな……。


「嘘を吐くな。わかるんだぞ。本当は生きてたんだろ?」


「生きてた」


「ほらな」


 私にしか聞こえない声でソフィアが囁きました。


「こいつ、嘘を吐くときは目を瞑るんだよ」


 だとしたら、どうして嘘を吐いたのでしょうか。


「なんでひとりで帰ってきた? お前なら助けられるだろ」


「地球人だった。地球人はバイ菌だから触りたくない」


 明らかな差別発言に怒りが湧きます。


「どうしてそんな酷いことが言えるんですか! あなたも地球人でしょう!」


「地球人違う! 誇り高き小人!」


「貴様みたいな小人がいますか!」


「待て待て。そこまでだ。こう見えてこいつは小人の子なんだよ。突然変異ってやつだ」


「だからって差別していいわけじゃありませんけどね!」


「気を悪くしないでくれオリビア。彼らの地球人嫌いは根が深いんだ」


「……どういう意味ですか?」


「小人の国は地球人が持ち込んだ感染症に今も苦しめられている。だから、彼らは地球人を避けるようになったんだ。万が一接触しないよう、子どもの頃から地球人への憎しみを植え付ける教育をしてるんだよ」


「だから、シアさんを見捨てるんですか?」


 すると、ソフィアは大男の胸ぐらを掴みます。


「おい、大猿の寝ぐらはどこにあった?」


「あっち」


 大男が指差したのは、茂みから出てきたときと同じ方角でした。


「だそうだ。悪いが一緒には行けない」


「いえ。充分助かりました。怪我の手当てもありがとうございます。これ、お礼です」


「これは?」


「地球のパンです。ほっぺたが落ちるほど美味しいですよ。徹底した衛生管理のもと作られていますので、病気になる心配もありません。信じられないなら、食べなくて結構ですが」


「食べるよ。ありがとう」


「さようなら。いつかまたお会いしましょう」


「健闘を祈るよ」


 ソフィアたちと別れ、急いで大猿の寝ぐらを探します。手遅れになる前に助け出さないと、シアさんが食べられてしまいます。


 方角を忘れないように、真っ直ぐ突き進みます。邪魔な茂みは全て切り裂き、怖いモンスターが居れば息を潜めてやり過ごす。そうして、ようやく辿り着きました。


 大猿の寝ぐらです。寝ぐらは山の崩れた部分にできた穴倉にありました。

 入り口では子猿が遊んでいます。1匹じゃありません。3匹の子猿です。いったい、あの穴倉に何世帯住んでいるのやら。

 他に侵入口が無いか探します。しかし、偶然できた穴倉にそんな穴は見つかりません。正面から入るしか無いようです。


「指輪があれば楽でしたが」


 透明になれる指輪はシアさんに渡してしまいました。私に残っているのは、弓と矢、それと知恵だけです。


 伊達に長く生きてません。戦争にも参加しました。戦時中、これよりも酷い状況で人質を救い出したことがあります。歴戦の脳みそが何か打開策を閃いてくれるはず。


「あっ!」


 来た来た。ひらめきです。身を切る思いですが、シアさんを助けるためです。やるしかありません。


「おーい子猿どもー! 美味しいパンがありますよー!」


 菓子パンをちぎっては投げ、ちぎっては投げ。子猿たちは怯えながらもパンのカケラを拾い、それを齧りながら寝ぐらに持ち帰りました。


「よし!」


 菓子パンを適当な場所にばら撒き、入り口に近いところで息を潜めます。お願い。掛かって。掛かって。


『キキッーー!!』『キィーー!』


 よし! 釣れた! 大猿たちを穴倉から追い出せました!


 すごい数です。4世帯以上は居ます。正面から行ってたら確実にやられてましたね。


 急いで中に入り、臭ッさ、臭ッ! おぇ……!


 臭ッ、シアさんッ、居た!


 吊るされてるというか、天井の岩に背嚢が引っ掛けられています。いつでも抜け出せそうな感じですけど、降りなかったみたいです。

 賢いですね。大猿が選ぶだけあって、この穴倉の天井はかなり高いところにあります。落ちれば骨折は免れないでしょう。透明指輪で姿を隠しても歩けなければ意味がありません。


「オリビアさん? 助けに来てくれたの!?」


「シアさん! 飛び降りてください! 受け止めます!」


「うん!」


 いい返事をすると、シアさんは大きく体を揺らし始めます。まさか。


「行くよ!」


「ちょっと! 背嚢は捨てッ! ガハッ!」


「ナイスキャッチ」


「背嚢は捨ててくださいよ!」


「ごめんごめん☆」


「急いでここを出ますよ!」


『ギュェーーン!』


 そう思ったのも束の間、穴倉にはまだ大猿が残っていました。大人の大猿です。ここで戦うのはまずい。急いで出ましょう。


 シアさんの手を引いて外へ……。シアさんが居ない!


 背嚢を置いて消えました。透明指輪を使ったみたいです。私を置いてひとりで逃げるなんて。そんな……。


「おい!」


 地球人への信頼が地に落ちようとしたそのとき、勇ましい声が聞こえました。


「これでも食らえ!」


 何も無いところから、青く輝く花びらが舞い、大猿の顔に向かって飛んでいきました。


『ギャォォオオオーーンッ』


「さ! 行こうオリビアさん!」


 伸ばされたシアさんの手は赤く爛れていました。


「はい!」


 私はその手を取らず、シアさんの代わりに背嚢を背負います。そして、私たちは穴倉の出口へと走りました。


「いやー☆ 大冒険だったねー」


「それよりもシアさん。手が」


「あはは、安いもんだよ。しばらくはピースできないかもだけど」


「故郷に行けば薬があります。急ぎましょう」


「うん!」



 地球へ戻ってきた私たちはホテルへ行き、疲れた体に鞭打って動画編集作業を始めました。手を怪我したシアさんに代わって私がキーボードを打ちました。操作に手間取りながらもようやく完成。慣れない作業に疲労が溜まり、動画投稿と同時に寝てしまいました。


 そして、朝──。


「オリビアさん! 1日で再生数が1千万回超えてるよ!」


「それってすごいんですか?」


「報酬として100万円は出せるよ!」


「本当ですか?! やった!」


 これでやっと王女様に良い報告ができます。


 シアさんが嬉しそうにベッドの上で飛び跳ねます。私も一緒になって飛び跳ねました。


「はあ〜……」


 仰向けに倒れたシアさんは、急に浮かない顔になりました。


「どうかしましたか?」


「あのさ、オリビアさん。お願いがあるんだけど。聞いてもらっていいかな?」


「いいですよ。どんなお願いですか?」


「あのね。少しの間でもいいんだけど。ボクのアシスタントにならない?」


「え……」


「飲み込みが早いし。頼りになるし。ボクの手もこんなんなっちゃって。正味ひとりじゃ限界感じちゃったんだよね。

 それに、再生回数が伸びてるのは、きっとオリビアさんのおかげだから。……他の動画はこんなに伸びてないし。きっとリスナーもボクよりオリビアさんを求めてるし」


 こちらに背中を向けましたけれど、泣いているのが伝わってきます。


「嬉しい申し出ですが、私は……」


「そうだよね。王女付きの侍女だもん。ごめん。弱音吐いちゃった。この仕事をするってことは怪我も勘定のうちだもんね。ごめん」


 励ましたいですが、気の利いた言葉が出てきません。

 目のやり場に困り、パソコンを見ていると、通知のところに赤いマークが付きました。


「何か通知が来てますけど」


「ごめん。読んでくれる?」


「はい。読みますね。えーと、『このメールは、こちらの[エルフの里に行ってみた☆]という動画が弊社のガイドラインに違反していると判断され、削除されたことをお知らせするものです]』、えーっと……」


「はああああああッッッ!??!!」


 怒ったシアさんは無事な方の手でデバイスを操作し始めました。さっきの落ち込み具合が嘘みたいに元気です。


「ん? もう一通メールが」


 メールを開いてみると、それは私宛でした。


『オリビア、久しぶりですわね。ちっとも連絡寄越さないから、何かあったと思って探しましたのよ。まさかあなたがストリーマーになっているなんて思いませんでしたけれど。なんにせよ元気そうでよかったですわ。もしよければ』


 下にスクロールすると、文章よりも先に写真に目が行きました。豪華客船の甲板に立った王女様の写真でした。


 私が苦労してお金を稼いでる間に、あなたって人は……。


「ごめん。オリビアさん。報酬のことなんだけど」


「いいんです。それよりも、さっきのお話ですが。アシスタントの件。無くなっていないなら、お受けします」


「え! 本当に!?」


「はい。ダメですか?」


「なってくれるなら嬉しいよ! でも、王女様はいいの?」


「私も自分の人生を歩む時期が来たと、そう思ったんです」


 メールの削除ボタンにポインタを合わせます。そのとき、イラつく文章が目に入りました。


『わたくしのところに来ませんか? あ、ごめんなさい。わたくし、今、世界一周ハネムーンの途中でしたわ。あなたも楽しそうにしていましたし、おあいこですわよね。では、ごきげんよう』


 クリックで削除完了です。


「で、では、改めて。オリビアさん。ボクのアシスタントになってくれますか?」


「はい。少しの間とは言わず、末永くよろしくお願いします」


 赤く腫れた手を優しく取り、忠誠の口づけをしました。

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