06:募る想い
スペツィエ様への恋心を抱いたきっかけのあの日を思い出していた。
初めて見る彼の姿は、私にはとても眩しくて。
それこそ一目惚れだったのだと思う。
『君の名前は?』
そう問われて、かなり震えたことを覚えている。
おずおずと名乗った私に、彼はにっこりと微笑んだ。
『そうか。じゃあ君のことは、アンと呼ぼう。よろしく、アン』
それはきっと、何気ない出会いだったのだと思う。
けれど私はその時、とても嬉しかったのである。
私を愛称で呼んでくれたのは彼が初めてだったし、それからもずっと彼だけだったから。私にとって彼は特別で、そして今もそれは変わらない。
たとえスペツィエ様が私に飽きたとしても、私はきっと彼を虜にしてみせる。
そしてまた、優しい声で呼んでほしい。
「それだけが私の心からの願い……です」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
私は胡荽畑を見つめながら、想いに耽ることが多くなった。
いつも愛しい人の顔を思い浮かべて切なくなる。その代わりのように、ついつい胡荽を愛でてしまうのだ。
「お嬢様、また考え事でございますか?」
害虫がついていないかと必死で探し回っていたらしいメアリーがやって来て、私に声をかけてくる。
本当に彼女はよく働いてくれている。もう少し休んでもいいのに……。付き合わせているのは私なのだけれど。
「……何でもありません。メアリー、ご苦労様です」
「いえいえとんでもございませんよ。まだまだ働けます」
私はふと、気になって訊いてみた。
「どうしてメアリーは私を手伝ってくれるのですか? 私は、ただ土で手を汚して草を育てているだけで、何をしているわけでもありません。それにあなたの本当の仕事もあるでしょうに」
メアリーはあくまで公爵家の料理メイドで、こんなところに来る暇は本来ないはずなのだ。
問いかける私に、彼女は当たり前のように言った。
「恩返しができたらいいなあって思って。……元々村娘で、お金に困っていた私奴をメイドに選んでくださったのはお嬢様でした。だから、今度はこちらがお嬢様の力になりたいのでございます」
……そういえば、そんなこともあったなと私は思った。
百姓の娘で、本来ならば奴隷として売られてしまうはずだった彼女を引き抜いたのは私だった。
でもそんなのはもう何年も前の話だ。今更何を言っているのだろう?
しかしメアリーは「それに、」と言葉を続けた。
「――私奴は恋する乙女の味方でございますから」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
メアリーにあんなことを言われて、私は恥ずかしくて仕方なかった。
しかし私の内なる恋情は収まることを知らず、さらに加熱していくばかり。
胡荽を育てれば育てるほど愛が形となっていく。それを実感していた。
「恋する乙女、ですか……」
メアリーの言葉は言い得て妙だ。私は恋する乙女なのだろう。
本来、これは政略結婚であるのだけれど……せっかく夫婦になる未来があるのなら、愛し合いたい。私はそう思うようになったのだ。
それにメアリーの期待にも応えなくては。
私の想いはそうして、胡荽とともに日に日に大きくなっていくのだった。