05:スペツィエ様のご訪問
あれから毎日、私はあの胡荽畑に通い詰めていた。
両親にはかなり心配されたものの、メアリーが護衛としてついているからと一応許してはもらえた。
勉強やら社交やら、日々の忙しさを吹き飛ばしてくれる癒しの畑。私の胡荽は徐々に土から芽を出し、順調に伸びて来ていた。
「わあ、なかなか元気でございますね。この分だともしかすると予想より早く収穫できるかも」
「通常はどれくらいの期間かかるのですか?」
「種まきから最短で五ヶ月でございます」
最短で……五ヶ月!?
私は正直仰天した。そんなにかかるのものだとしたら、その間にスペツィエ様が……!
私はとにかく肥料と水をたくさん与えて、胡荽が少しでも成長しやすいようにと努力した。
そんな私を、メアリーはいつも微笑ましげに見つめている。どうしてだろう、なんだか恥ずかしくてたまらないのだが……。
「とにかく早く育ってくださいまし。私の愛する、スペツィエ様のために」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ある日のこと。
胡荽畑に立ち寄り、屋敷へ帰って来た私たちは、バッタリ彼と出会してしまった。
「あ……」
凛々しい黒い瞳、美しく切り揃えられた御髪。
背がすらりと高く、きっとそのお姿は誰をも魅了するだろう。
私の父と向かい合い、客人用の椅子に座っていらっしゃったのは、彼――第一王子スペツィエ様だった。
どうしてスペツィエ様がここに? そう思うと同時に、私の頬はとても熱くなっていた。
想いを寄せる彼がすぐ目の前にいるという事実に浮かれるとともに、私はあることに気づいて呆然となった。
今の自分の格好が、農作業で薄汚れたドレスだったからだ。
「ええと……スペツィエ様」
「あ、アンか。久しぶりだね」
少し驚いたような、そして気まずそうな態度。
本当にどうされたのだろう。今までは普通に声をかけてくださったというのに、戸惑いを隠せていない。
「申し訳ございません、このような見苦しい姿で。出かけた先で少し転んでしまい」
「あ。ああ、そうなんだ。アンはか弱いのだから気をつけないと」
普通なら親愛のこもった言葉であるはずなのに、スペツィエ様はどこか上の空。
もっとも、今まで農作業をしていたことなんて言えるはずもない私もかなりあたふたはしていたのだが。
「スペツィエ王太子殿下、お会いできて光栄でございます。お嬢様は少し転んでお洋服をお汚しになりましたので、少しばかり失礼致します」
メアリーはそう言うと、私を引っ張るようにしてスペツィエ様から離れさせた。
仕方なく彼女に従って歩きながら、私は思わず背後を振り返る。
そこには、こちらを見つめて何かを考えていらっしゃるスペツィエ様の姿があった。
私はなんだか胸が痛くなって、逃げるように立ち去った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「スペツィエ様は、何のためにご訪問なさっていたのかしら……?」
父から聞いたところによると、私との婚約の件でいらしていたらしい。
けれどどうして? 私との婚約はとっくに結ばれているはずだし、それに突然やって来るなんてはずがない。
ここで私は、一つの結論に思い至った。
スペツィエ様はもしかして……私との婚約破棄を望んでいるのではないか?
スター・アニス嬢にぞっこんになったスペツィエ様は私が邪魔になり、父に言って婚約を解消したがっている。
そんな予想を立ててしまった私は、顔を覆わずにはいられなかった。
「大丈夫でございますよ。そこまでご心配なさらなくても」
メアリーがいつもの薄笑いをしながら私を慰めてくれる。
胡荽を育て始めてからというものの、グッと私との距離が縮まった気がする。それ自体はとても嬉しいのだけれど、この薄笑いだけは気持ちが落ち着かなくて仕方ない。
「メアリーに何がわかると言うのですか」
「王族貴族の方のお心は複雑でございますからね。私奴にはわかりません。が……」
彼女はにこりと笑って、
「お嬢様がスペツィエ殿下をお慕いしていらっしゃることだけはわかっているつもりでございます」
頬が赤くなるのが、鏡を見ていなくてもわかる。
私はあまりにも恥ずかしく、思わずぷいと顔を逸らすのだった。