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夜明けのまにまに  作者: AL Keltom
本編
9/88

9,疵,そして自信

※全体的に胸糞展開なので注意してください。

 







 ――そう、俺は……


 いや、もう取り繕うのはやめよう。


 そう、()は幼い頃、両親に虐待を受けていた。


 少なくとも彼らは僕の存在を望んでいなかったのだろう。

 母からは言うことを聞かせるために体罰や暴言、父からは疎まれそしてネグレクト。

 そして週末は何人も家に人が来て、両親も僕を放置してそれらに交じって酒盛り、それを毎週。


 放置ならまだよかったのだろう。そのうち何人かは嫌がる僕に無理やりポルノ画像を見せてくる奴もいた。

 今思えば毎日が虐待のオンパレード。


 食事は家にあったカップラーメンを食べていた。お湯を掛ける事なんて知らなかったか乾燥して硬いままのものをだ。

 その頃僕はまったく外に出してもらえず、家という狭い世界の中で母だけが救いだった。


 母は僕に対して体罰や暴言を繰り返したが、それはつまり僕に関心が向いていたということだ。

 それに対して父は僕に対しての関心、感情、反応それらすべてに於いて無を貫き、僕の存在を否定した。それはもはや一種の才能だ


 愛情の反対は憎悪、ではなく無関心だとどこかのシスターが言っていたがそれは少なくとも当時の僕にとっては至言だった。

 母に関心を向けられていることが唯一の救いだった。


 だから僕は母には可能な限り従った。

 母は僕を想って叱ってくれていたと信じていたから……、信じるしかなかった。


 けど、事実は違った。


 僕がどんなに良い子で居ても、母は体罰や暴言を僕に浴びせることが何度もあった。

 僕は、それは何か母の気に障ることを僕が仕出かしてしまったのだろうと考えた。

 だけど、それは違った。


 母はただ僕に感情をぶつけ、ストレスの捌け口にしていただけだった。

 それに気づいた時、僕の心の中の何かが砕けて散らばった。


 その後、5歳になると同時期に近所からの通報で児童相談所に保護された。

 両親はもう僕のことなどどうでもいいらしく、施設職員との対話にすら応じず僕を引き払ったらしい。

 そして僕も、カウンセラーが両親のことに関して尋ねても無反応だったらしい。


 保護施設の定員は既にあふれかえっていたということで、僕は里親に預けられその家の養子になった。

 その里親とは子宝に恵まれなかった初老の夫婦で、僕を孫のように可愛がってくれた。

 もちろん小学校にも行かせてもらえたが、そこでも問題が起こった。


 僕は友達と会話がうまくできなかった。

 まれに感情のコントロールが利かなくなり、癇癪を起こす。

 運動も特に球技が絶望的に下手だった。

 動いている物体を目で追うのが僕には難しかったのだ。


 心配した夫婦が僕を病院に連れていって、MRIなどの精密検査をするとやはり脳に異常が見つかった。

 長期間虐待にあった児童にはよくあることなんだそうな。

 僕の脳は歪に部分的に肥大化、また全体的に委縮していた。



 そんな状態なら、必然的に学校でいじめられもする。

 夫婦は自ら進んで俺を学校に行かせないように俺に促した。

 彼らかつて、学校でいじめられ懊悩にまみれたまま自殺した人を見たことがあるらしい。

 学校に無理やり行かせてそうなるくらいなら不登校でもいいと彼らは言ってくれた。


 その後、家でできる範囲の勉強を夫婦に教えてもらいながら、僕なりに頑張って勉強をした。

 そして18歳になった僕は高認の資格を取り、里親の元を離れて働き始めることにした。

 その頃には精神的に安定して過去の虐待によりできた疵も癒えていた。


 僕は対人でコミュニケーション力が必要な業務内容は極力避けた。

 その結果、僕がたどり着いたのは運送業者倉庫の管理担当だった。

 実入りがいいわけではないが、そこは正に僕にとって天職だった。


 初めは下っ端から愚直に働き、その真面目さを買われ店長的な地位にも就いた。

 職場で部下との会話もあったがそれは会話というよりは、業務的な内容を一方的にしゃべるだけ済んでいたのだった。



 しかし、それも長くは続かなかった。

 僕に昇進の話が出て、現場職ではなく本社の方に営業管理職として就かないか?というものだった。

 僕は能力的に自身でも無謀だと理解していたので、自分の脳の障がいについて何度も説明をして断りを入れようとした。

 しかし、上からは人員が足りないからどうしてもと言われ、半ば強制的に昇進させられたのだった。


 そしてそこでなぜ人員不足に陥っているのかを理解した。

 現場で働いていたときはタイムカードでの時給制だったのだが、営業管理職になっては給料が支払われない時間外労働が圧倒的に増えた。

 始業前出勤やサビ残は当たり前。

 10階もの建物を謎の社則で毎日上り下りさせられ、

 そして何より上司が最悪だったのだ。


 上司は現場上がりの僕を目に敵にしていた。

 僕以外の同僚にも当たり散らしていたが、特に僕はひどかった。

 管理職なのに営業と同じような、業務をやらせたり、

 僕の脳のことを知りつつ、わざと難題な業務を押し付け仮に良く出来たかと思えば、上司が手柄をかすめ取る。

 でもそんなことは滅多になかったのでいつも俺は上司に怒鳴り散らされていた。



 そんな日が続き、そして何度も怒られていたある日、僕はかつて幼い頃に受けていたあの光景が脳裏に浮かんだ。

 僕を想って叱ってくれたと思っていた母が、単に僕をストレスの捌け口の道具としか見てないことに気が付いた瞬間のこと。




 ああ、そうだ……

 すべておもいだした……



 あの時、僕は発狂してその場から逃げ出したのだった。

 頭の片隅にこれでもかと押し込んで閉じ込めて、思い出さないようにしていたあの日々。


 どこまでも頭の中は空っぽで、最後に覚えているのは何か硬いものを突き破る感覚、体が落ちる感覚そして最後に、とても短い期間ながらも体に走る壮絶な激痛。


 僕は狂乱状態で会社のガラス張りの箇所を突き破り、外に飛び出たのだった。



 会社の隣は確か工事現場だったと思う。

 お昼時だったし、現場に人はいなかったと思う。

 だから間抜けな僕の巻き添えで死んだ人はいなかったとはずだ。




 おもえば僕は学校に不登校になったときから人と会話する時、どうしても自分に自信が持てなかった。

 一人称が『僕』なのもその自信の表れだ。


 一人称を俺とかいうやつは、僕から見れば自信がありふれた人が使うものだという認識があった。

 普段から心の中では自身のことを俺と称している僕だが、人前で話すときや独白ではどうしても僕という言葉を使ってしまう。


 だから、先程見せた僕の弱々しい口調はただ本来の口調なだけであった。違和感があったのは、ただ僕が忘れていただけだ。



 かつての日本に、いや前世に未練があるとすれば僕を育ててくれた里親の夫婦ことだ。

 最後に会ったのは還暦祝い、こんな僕をしっかり看てくれて、愛情を注いでくれた唯一の人たち。

 先に死んで、親不孝という恩を仇で返すような真似をしてしまったことが悔やまれる。


 しかし今、この世界に来たからにはもう過去の憂いは断ち切ろうと思う。


 僕は、いや俺はこの世界で前世を後顧することはない!

 これはきっと、神が俺に与えてくれた機会だ!

 この世界で人生をやり直してやる!


 本能に刻まれたものはそう簡単に変えられるものではない。

 しかし、自分の意思を強く持つことは可能であるはずだ。

 まだすべてに於いて自信が持てるかと言われれば、それは違う。


 それでもこの独白によりこの異世界で自分に自信がついたことを実感した瞬間だった。

 そしてこの世界で人生をやり直し自信をもって生きていくと誓ったのだった。

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