56,悩み
「――そういえばさっき言っていた約束って何のこと?」
流石にベッドに引き釣り込まれたままでは、まともに話ができない。
なので、俺は一旦離れて用意した丸椅子に座りなおし、フィアルはベッドの背板に背中を預けるような形で座っている。
傍から見れば患者を見舞いに来た親族か何かに見えなくもない。
俺は脱線してしまった話を本筋に戻した。
それは先程、フィアルが俺に言った言葉だった。
すると、彼女は顔を赤らめながら俺に言ってくるのだった。
「――あの時、うっすらと意識があったから知ってたんだけど……ってまさか忘れてないでしょ?私を見捨てたり、置いて行ったりしないって約束のことだよ!」
「あーー……」
俺は苦笑いを思い浮かべそうになるも、それを必死に抑えた。いや、決して忘れていたわけではない。
あの時はとにかく感傷的になっていたフィアルを宥めるために必死で、あまり意識せずに彼女の言葉を聞き流していたとかそういう訳ではない。
だから、結果的にあんな惨事になったと言っても過言ではないのだが……
「あと、私と結婚してくれるっていう約束も、もちろん守ってくれるでしょ?あなたがそう言ったんだもの!」
彼女は躊躇いもせず再びあの恍惚と表情を見せ、俺ににじり寄るように俺に言葉を投げかける。
俺がたった今考えていて、なおかつ一番危惧している事をぶつけてきた。
確信犯かと思えるくらい、ちょうど良すぎるタイミングで……
「私、この約束のために窮地でもあなたの事を想って、絶対乗り越えて見せるから」
「あの……フィアルさん?」
「今のあなたはかつてとはちょっと違うけど、いや今の方が昔よりもっと私に対して優しくて好き。全部終わったら、あの頃みたいにまた一緒に二人きりで、その日暮らしの生活をしよう?依頼をこなして、その報酬でお酒を飲んだりは……は無くても――」
「…あのフィアルさん…」
「そうしていればきっと昔の事もいつか思い出してくれるって思ってるから……ん?何?どうしたのアル?」
フィアルは何食わぬ顔でこちらを見つめている。
彼女は分かっているかのように、俺が話し始めるのを遮ってきた。
いや俺の考え過ぎなのか。でも彼女がこちらの話を妨害してくるのは、あまりなかった気がする。
「――えっと…」
俺はどうしたものか苦悩する。
あの時、俺はそんな記憶はないとやんわりと否定したつもりだったが、それで結局うやむやになってしまっていた。
だからフィアルは今も俺の言葉を信じて、その言葉に縋っている。
拒絶するのは簡単な話だが、はたしてそれを真っ向から否定しまっていいのだろうか。
俺はフィアルをどう傷付けずに、答えようかいよいよ懊悩する。
――そこで俺に一つの邪な考えが浮かぶ。
――いっそのこと彼女を受け入れてしまう、というのはどうだろうかと。
いや、それは今この場を凌ぐには最適かもしれない。
いっそ開き直って、なんでも拒まず受け入れてしまえばいい。
しかしそれは、後の事を垣間見ればあまりに無責任かつ、あまりに刹那的な行動だ。
俺はそんな考えこそ湧くが、それを実行に移すだけの勇気も覚悟も無かった。
こんな時、ふてぶてしく図太い神経の人が羨ましくなってくる。
この場で俺もそうなれたらどれほど素晴らしい事だろうか。
俺は悪い意味で真面目な、そして愚直な人間なのだろう。
でもかといって、そうなると目の前の彼女にはなんて返答したら良いのか。
これではただただ振り出しに戻っただけではないか。
こんなことを考えている間にも、貴重な時間は過ぎていく。
「――ん?どうしたの?」
そして目の前には、フィアルの寝起きで吊り上がっていたはずの釣り目が丸くなって、俺に無言の圧力をかけてくる。本人は無意識だろうが、
「――ごめん、なんでもないよ」
「そう?気になることがあったら何でも気兼ねなく言ってね」
フィアルは、顔を緩めてそう言った。髪を下ろしているせいか、子供っぽく見える。
――俺は結局肯定も否定もせず、またもや問題を先送りにしただけだった。
フィアルから見たら俺が受け入れたかのように見えているが、これは別にそう言う訳ではない。
――受け入れる甲斐性も無く、かといって否定できるような度胸も無く。
どちらにも決められない時点で俺は、フィアルに受け入れられる人間なのだろうか。
かつての俺のことは知らないが、少なくとも今の俺にそんな器量があるとは思えなかった。
――思考することから逃げたわけではないが、少し前にメイに言われたことを思い出した。
食事の時間だから食堂で待っているというものだ。
もうあれから幾分か経ってしまっている。俺がメイの立場ならすぐに来ないことを疑問に思うだろう。
そういえばフィアルは、あのぼろ小屋の惨事の時に意識があったと言うが、どこまで今の状況を理解しているんだろう。
少なくとも、今の状況にメイが関わっているのは知っているのだろうが、
でも今はそれを聞くよりも、食堂に行く方が優先だ。フィアルの食事もきっとメイドたちが後から持ってきてくれるだろう。
「――しばらくの間、席外すね」
俺はフィアルにさりげなくそう告げる。
何故かと聞かれたら答えられないが、必要以上の事は言わなくていいだろうと感じた。
「どこに行くの?」
しかし、彼女は抜け目なくそう聞いてきた。
「えっと食事にいこうかと……心配しなくてもフィアルの分もあとで――」
「いっちゃダメ!どうせあの女のところにいくんでしょ!?」
――どうやら小芝居は通用しなかった。
それは間違ってはいないが、あくまで食事が俺の主なる目的だ。
「フィアルが心配していることは絶対無いから!ただ食事しに行くだけだから!」
「アルの事じゃなくて、あの女があなたに何かしてくるのが怖いの!だからお願い!」
フィアルは俺の腕にしがみ付きながらそう言ってくる。
しかし俺は、その願いを聞いても冷静に諭すように彼女に告げた。
「それでも、そうだとしても何か誤解があるかもしれないから話し合いとかできるでしょ?」
俺の説得に納得いったのか、それとも渋々了承したのか定かではないが、それでも一応腕を離してくれた。
そして、彼女は俺に忠告をくれた―。
「……できれば一緒に行きたいけど、私はまだ下半身の痺れが取れてないから行けない。だからこれだけは言わせて。あの女はあなたをきっと惑わしてくる、だからいう事に絶対信じちゃダメ。あんな奴じゃなくて私だけを信じて、私はあなたを絶対裏切ったりしないから」
彼女はそう続けると、俺の手を固く握った。
俺はその熱い目に感化され、なにか胸に込み上がってくるものを感じていた。
まだ初対面の気丈なメイの方が印象強いが、異常な面も俺は見ている。用心に越したことは無いだろう。
「うん、わかったよ――」
――俺はそう言いうと椅子から立ち上がり、うしろからフィアルの視線を感じながら彼女のいる部屋を後にした。




