50,絶望
――俺は徐に後ろを振り返る。
辺りに人の影があるとすれば俺とメイ、跪いたフィアルとミーニャ、この4人以外となると、
頭部を貫かれて剣が刺さったままの黒ずくめの倒れた死体しかない。
だから俺はその言葉を聞いたとき、黒ずくめとミーニャを勘違いして言ったのだと、いや、そうであってくれと思った。
しかしメイの顔を見ると無慈悲なことに、その視線は間違いなくこちらを…ミーニャを示している。
再びミーニャを見る。慌てて彼女のその口に手をかざす。
俺はその時生きた心地がしなかった。
――呼吸は………まだある!――まだ死んではいない!
俺は深く息を吐き、心の底から安堵する。
ミーニャの顔はぐったりとはしているが、生気はあった。
首に刃物が刺さっている。だが傷はかなり浅く頸動脈を傷つけたわけじゃない。だから出血もせず、これは今すぐ致命傷にまでにはなりえるとは思えない。
俺は後ろに向かって文句を言った。
「まだ生きてるよ!!何で勝手に死体とか言うんだよ!!」
やや怒りが込め切れていないものだったが、精神的にはこれが限界だった。
「――どうせ、そいつらはすぐ死ぬもの、だったらそれは死体と大差ないでしょ」
メイのその発言が俺は更に怒らせる。
「何でそんな事分かるんだよ!」
「――だってあたしがその矢尻に猛毒を塗ったんだもの――」
「――はっ?」
しかし、メイの次の発言は俺を怒りではなく、絶望に突き落とした。
「――はっ?――――えっ?――――なに?――――どく?――」
「そう毒!どういう原理か私も研究途中なんだけどね!多分内蔵の筋肉を麻痺させて呼吸困難に陥らせるものなんだけど!でね、これが意外と身近な植物の細胞から抽出できて、しかも簡単に高純度に精製できるの!外はこんな危険な生物ばかり、だから私はあなたに外に出てほしくなかったし、外に出た時はすごく心配もした!外にはこれ以上の――」
――メイはまだ意気揚々と話を続けたが、俺には全くもって無意味な内容だった。
もう矢が刺さってから時間が経ってしまっている。毒は体にもう回ってしまっているだろう。
矢をどう治療しようかなどと考えていた数分前の俺がひどく愚かしかった。
――終わった。――完全に終わった――
これ以上俺にできることはもう何もない。
フィアルの方に首を向けても、ミーニャと同じような様子だった。
二人ともまだ生きているというのに、俺はただただ死にゆく二人を眺めることしかできないというのか。
俺は急に鬱な気持ちになり、自分自身もこれから死ぬような気持になっていた。
俺は何もない虚空を眺めながら、ふとこう思った。
――なんでこうなった。これは誰のせいだと。
そして俺はもう、一つの事しか考えに縛られていた。
どうせなら、最後に、最後に一つ、死にゆく彼女らのためにできることがあるのではないか。
そう例えば、彼女らを殺した相手に復讐して同じく命を奪うとか………
俺はミーニャの傍らにあったそれを見た。彼女が愛用していたと言っても過言ではないナイフだった。
俺はそれを無言で手に取ると、すぐ後ろに立っていた人物にそのナイフの切っ先を向けた。
これは俺の得物ではない。
でも使い方くらいは分かる。
どうすれば人が死ぬのか。
どうせなら苦しませてから殺してもいい。
俺は肩幅に足を開き、両手でナイフを握りしめた。片手で持つと震えてしまうから、
その刃先を向けられたメイはと言うと、まだ俺に向かってしゃべり続けていた。
しかし、俺の様子を見ると、ただただ困惑し苦笑いをしていた。
そして俺に問いかける。
「どうしてそんなに悍ましい顔をしているの?――」
俺は笑っていた。その感情はどこから来るのか分からない、でもついでに涙も出そうだった。
「――もしかして、怒っているの?わたし何か怒らせちゃった?あ、もしかして話が長すぎた?こんなところで再会とか雰囲気が良くなかった?なんか臭うし………それとも迎えに来るのが遅かったとか?これでもかなり、急いだんだの!あなたの居場所が分かっても夜中まで待てとかほざく奴がいたから、切り捨てて来たの――それも違う?じゃあ他に何かあったかしら?」
俺の表情が次第に怒りに染まっていくのを見て、自身の発言の過ちに気づいたのか。
しかし、次々と可能性を並べるも、どれも的を射ていない。
逆に、なぜそのたった一つの理由が思い浮かばないのか、不思議でしかたなかった。
もう迷う必要は無かった。こんな倫理観がずれている人間を殺すのは。
しかも今聞いた限り人を既に二人殺しているような人間、殺しても少しくらいは許してくれるだろう。
――しかし、メイは俺が憤慨している理由を、今になってようやく的中させた。
「もしかして、怒っているのはこの膝を屈めている二人にあたしがしたこと?」
今さら的中させたからなんなのだ。寧ろ、今まで出てこなかったことに激怒した。もう二人は死ぬんだ。目の前のこの女が言ったことだろう。何も逡巡する必要などない。
だから俺は雄叫びを上げながらナイフを先頭にメイに突っ込む。
案の定、メイは俺の攻撃など華麗に交わした。いや、横に逸れただけだ。でも完全に見切られていた。
ここまでは予想どおり。でも予想外だったことがある。
それはメイが耳元で囁いた言葉だけだ。
それは気持ち悪いくらい甘ったるい声だった。
「――もし二人を助けたいなら、助けられるよ………」




