45,心
――フィアルの足元にある床が濡れ広がっていく。
彼女は呻きながら、ミーニャに喚き叫んだ。
「見ないで!!アル!!お願い!!こんなのって……こんなのって………!」
周囲に独特の臭いが漂っている。
フィアルは、床に顔を向けながら俯いて泣いている。
その表情は見られないが、とてつもなく苦々しい顔をしているのだろう。
「――ひどい臭い……ああ、ごめんなさい。本当に我慢していたとは思わず………
――でも自業自得です。あなたは自分の手で自身の信用を貶めたのですから…」
ミーニャは、ほくそ笑みながらフィアルを下に見ている。
普段のミーニャには似合わない無駄に丁寧でお淑やかな言葉遣いは、少なからずフィアルを小馬鹿にしているのだろう。
ミーニャはいつも毅然としつつも、俺に対しては甘えたり、やさしかったりで、
こんな声色は今まで聞いた事が無かった。
ただでさえ不利な側であるフィアルを辱め彼女を侮蔑するような物言い。ちょっと、ミーニャの印象が悪くなる。
「よくもアルの前でこんな辱めを!!いつか絶対にそれ以上の恥を与えて殺してやる!!」
フィアルは犬歯をむき出しにし、ミーニャを睨みつける。
彼女の顔は涙すら拭えずに、それでもどんどん新しい涙が流れていく。
「それは怖いですね。私は殺されたくないし、生かしておく理由も、もう無いですよね?」
ミーニャは相変わらず綺麗な言葉遣いで、最後に俺に質問してきた。
「ミーニャ、やりすぎだよ……もう十分でしょ…?朝の時まではあんなに、そりが合っていたのに」
すると、ミーニャは人格が変わったように俺の肩を力強く持ち、悍ましい怒りの面持ちで言ってきた。
「トピア様は甘いです!!私は番いとして、トピア様を危険から守る義務があります!!見たでしょう!この女があなたにしたことを!!協力者ならともかく、トピア様を奪おうとしたり、危害を加えるような輩には容赦できません!!脅威の排除も私の仕事なんです!!」
彼女は俺を諭すようにやさしく、しかし必死さも醸し出している。ミーニャの瞳がただ怖く感じる……
「――でも…!」
「トピア様の手を煩わせたりはしません。先ほどは咄嗟の事で躊躇いがありましたが、もう大丈夫です。トピア様は私の手が汚れるのを気にしてくれていましたが、私にそんな気遣いも無用です!」
フィアルの前に立つと、ミーニャはあのいつものナイフが握られている。
いやそういう事ではない!
その様子をフィアルはただ黙って、睨めつけていた。
「拷問しようかとも思いましたがせめてもの情けに、これくらいの恥辱を与えるくらいで許してあげます。あの世で後悔しながら、朽ちてください――」
ミーニャは手を振り上げる。
俺は慌てて彼女の腰に抱き着いて、制止する。
「――!?…トピア様!?なんで止めるんですか!?トピア様もこんな女早く死ねばいいと思っていますよね!?まさか、心変わりでもしたわけではないですよね」
ミーニャは俺を振り払おうと、力を強める。俺も対抗して
俺も何でミーニャを止めているのか分からなかった。
フィアルは俺と心中しようといていた。彼女自身は否定していたが、その言葉もどこまで信用できるものか分からない。
でも、ここまでフィアルが惨めにさらされて、同情心が湧かないわけがない。
それにミーニャの態度も嫌だった。それも彼女に一面なのだから、否定はできない。
でも、それ以上に、そんな高慢な態度のミーニャを見たくなかった。
しかし、俺はミーニャを止めさせる言い訳を思いつかない。
正直これは自分でも反則だと思うが、一つだけ有効なものがあった。
あまり多用すると、俺自身も信用が無くなるので連発はできないが、ここで使うべきだと思った。
「――ミーニャ、もう撫でないよ………」
自分の口から、それもまだ幼い変声前の声色なのに恐ろしく冷たい声が出た。
その俺の言葉を聞くとミーニャの動きはピクリと止まった。振り上げた腕が脱力し、肩から垂れる。
ミーニャはゆっくりと後ろを振り向いて、俺の事を見る。その表情は唖然というか、驚愕というか、複雑なものだった。
そのまま黙ったまま俯き、次の瞬間――
――ミーニャは手に持っていたナイフを床に投げると、フィアルを背にして俺を両手で抱き寄せた。
「さっきいっぱい撫でてくれるって約束したじゃないですか!!それなのに何で急に!?」
俺の目の前に顔を置いてミーニャは俺に問う。
「やっぱりこの女の事を気にしているんですね。でももういいです。私は限界です。トピア様にどう思われようと、これは正義の行いなんです」
なんとミーニャは俺の切り札の言葉を聞いても、動揺するだけで、行動自体を止めるまでには至らない。
一体どうすれば――
ミーニャは床に捨てたナイフを再び拾おうと――――
――拾おうとするが、床に落ちたはずのナイフがどこにもなかった……
――そして、さっきまで床に這いつくばるように居た者が、目の前に二本足で立っているのだった。
――落ちていたはずのナイフを手に持って……




