31,亜人の血
――俺は屋内の部屋に至るまでの細い通路にて、フィアルの左手を圧迫止血しながら先程のことを謝罪した。
「あのフィアル、さっきの事はその、明らかに俺が言い過ぎた。本当にごめん」
「いいの、私が拒絶するようなことを強要したのが、悪いの、もう気にしてないわ。それどころか、こちらこそあんな取り乱した姿まであなたに見せてしまって…ごめんなさい」
フィアルは何も悪くないはずなのだが案外、彼女は生真面目な性格なのかもしれない。
先程の丁寧な口調は、俺も丁寧だったからかもしれない。
「後、その……癖で止められないのかも知れないけど、あまり自分で自分を傷つけないでほしいな」
「アル!信じてほしいの、決して普段からやってるわけじゃないの!その……あれは本当に嫌なことがあって、衝動的にやっただけで…その、アルがそういうなら今後絶対しない……」
「無理に止める必要は、無いからね……」
俺はやさしく、諭すように言った
普段から自傷している人は、無理やりにやめさせても意味が無い。
自傷は、つらい状況をくぐり抜けるために本人だけのための、唯一の解決策だ。
そのような状態で表面化した現象だけをやめさせるのは、些か酷な話というものだ。
また、自傷する人の多くは、ああしろこうしろと命令したり、決めつけられたりするのが苦手だ。そうすることによって、余計に自傷したい衝動に駆られてしまう人もいる。
それに、もう二度としない、などと無理やり約束させられでもしたら、それこそ自傷の事を誰にも打ち明けられなくなってしまう。
前世であんな境遇だったものだから、職場で自傷している人が居た。
痛々しくて自分で何とか彼の力になれないかと思って、自傷について調べたことがあった。
結局、ついには自分から話しかけることができなかったが…
「本当に大丈夫、心配してくれてありがとう。後もう左手、抑えなくていいよ。随分前から血も止まっているし」
見ると確かに血はもう流れていないようだった。あれだけ深々と刺さっていたにも拘わらず、その創傷はもう閉じかけている。
「え!?なんで…?」
「――これは、亜人の血のせいだよ。この髪もこの瞳も、そして傷の治りが早いのも、全部私の中に流れる亜人の血の表れだよ」
物思いにふけるように落ち着いた声で言う。それは先程の雰囲気からまたまた切り替わったような様子だった。
「俺もその能力があったらいいのに――」
「――こんなの無い方が良いに決まっている!」
彼女は毅然とした態度できっぱりと言い切った。
「私は今までこの能力のせいで周りから気味悪がられ、この容姿と相まって化け物扱いされたことだって何度もある。アル、あなたと出会えて私は、この絶望から救われたんだ」
“救われた”か、前にもメイがそう言っていたな。結局今はもうどんなものだったんだか知ることはできないが、
それはそうとして、俺は彼女を慰めるように言った。
「その髪もその瞳も唯一無二の君だけの個性だよ。俺は綺麗でいいと思うけど…」
自分でも気障なセリフだと思った。でも、フィアルにとってはそうでもなかったようだ。
忌憚のない意見を俺が告げると、告げるとフィアルは健気に笑いながら言った。
「君は前にもそう言ってくれた……その言葉にどれだけ救われた事か……――」
フィアルはまた泣き始めた。俺にはこういう場合どう接するのが正解なのか分からない。
すぐに涙を手で拭って、彼女は続けた。
「ごめん、何度も泣いちゃって、この癖、直そうと思っても直んなくて…」
「そんなこと――」
「いいよ、気を使わなくて、アルはやさしいだけだから」
思わず、口を噤んでしまった。一瞬気まずい空気が場に流れる。
それを打ち破ったのはフィアルの方だった。
「そういえば名前!私の名前思い出してくれたんだね!」
先程のような笑顔をみせて言って来た。
「あ、いやそれは――」
「忘れるわけないよね!アルが付けてくれたんだもん!あなたと同じ文字が入った名前、私はこの名前が大好きなの」
結局、俺はその笑顔を見せつけられ何も言えなくなってしまった。
すぐに看破されるような嘘、それでもその笑顔を前に違うとは言えなかった。
どうするのが正解だったのだろうか……
◇◆◇◆
――フィアルと俺は今、先程まで居た部屋の中で二人きりでいる。
ベットの脇に二人で座り、お互いに体を向き合っていた。
ミーニャはというと、俺の服を小川で洗いに行っている。
先程、外でフィアルにまとわり付かれた時、彼女の左手首から出た血が俺の服に付いた。
それを見たミーニャは「大変だったのにまーた洗わなくちゃいけないんですか!?」といってぷんぷんしながら、俺から服を剥ぎ取って部屋から出て行った。
“また”ということはフィアルに切られた時の俺の血も、彼女が洗ったのだろう。
服を丸ごと着替えるという手もある中で、その選択肢を取る。
理由はさておき、それはミーニャがあの貰った服を大事にしているということだろう。
何はともかく、俺は今、下着を残して半裸状態だった。
フィアルは何とか落ち着いてくれたようだ。
手首の傷口に、薬草をすり潰した物を塗り込み、その上から俺が布を巻いた。
彼女は先程座っていた椅子に戻って座り、瓶にそのまま口を付けて飲み干していた。そう、俺に飲ませようとした“酒”だ。
酒は憂いを払う玉箒という言葉もある。別にフィアルが一人で飲む分には何も言わない。
フィアルはこっちの視線に気付いたようで、思い出したように話しかけてきた。
「私が持っているお酒はこれで全部だから、あなたが酒が嫌だっていうならこれで絶対最後にするから、これも捨ててもいいんだけどもったいないから、ね?」
そのセリフは、止めない人が言うようなセリフだと思うのだが……
俺がじっと見つめているのに気にもせず、落ち着いた様子でフィアルは言った。
その声色は、先程取り乱していた人ではなくどこか大人びた女性のよう、倒れる前に広場で見たあの少女のものだった
何でこんなにも口調や態度がころころと切り替わるのだろうと思っていたが、おそらく酒が入っているのだろう。
おそらく酒で人格が変わるのかもしれない。
ああ、くそ。それはそれで嫌な記憶を思い出させてくれる。
フィアルはあいつらと同じような目で見たくない、けどどうしても重なって見えてしまう。
――これは、呪いなのかもしれないな……
お酒は20歳になってからにしましょう。




