29,蠢く感情
空色の少女が目の前で泣いている。
声を発さず、暴れるでもなく、下を向いてただ静かに泣いている。
ミーニャが彼女のもとへ駆け寄り、俯いた彼女お背中を摩って慰めた。
俺はというと、少女を泣かせてしまったことに罪悪感を覚えつつも、なぜ彼女が泣いているのか理解できなかった。
そして、ミーニャが彼女にすり寄っているのも……
ミーニャが俺の知らない所で、少女と打ち解けあえていることに納得ができなかった。
その事に対して、どうしてだか分からないがイライラが募る。
やがて空色の少女がすこし落ち着いたようで言葉を発した。
「ごめんなさい。その、あなたが記憶を無くしていることは、分かってたはずなのに、いざそんなことを言われると……その、感情が抑えられなくて……」
多少落ち着いただけで彼女はまだ泣いたまま、言葉を紡いだ。
俺はまあ、そうだどうやら女性を泣かせる才能が有るらしい。
ほとんど、泣かせてしまったのはミーニャだが……
前世で女性と関わったことは無いが、もしも交友関係があったのならきっと女性を泣かせていたのだろう。
「――そうだ、これを飲めば思い出すかもしれないわ!あなたが好きだったものだから、一緒に飲んで楽しめた思い出のものだから、ね?」
そう言うと彼女は瓶をどこからか取り出し、握りこぶしほどの小さなコップにトプトプと入れた。
そしてこちらに渡してきたので、そのまま受け取ってしまった。
「あなたと一緒に飲みかわしたくて、二日も我慢したのよ?さあ一気に飲み干して?」
その臭いはかつて、そしてついこの前も嗅いだことのある臭いだった。
かつてとは、子供の頃、親が家に連れ込んできた人達が飲んでたもの。そしてついこの前とは、広場で空色の少女に顔を寄せられた時に嗅いだ臭い。
――酒だった。
俺は、煙草はもとより酒なんかも絶対に飲まない人間だ。正確には飲めなかった。
子供の頃の、大人たちの週末の酒盛りを思い出してしまう。嫌な記憶がフラッシュバックするだけだからだ。それは味どころかその臭いだけで吐き気を催すほどだ。
そんなものを俺が飲もうとするなんて、正気じゃできなかった。
ミーニャも――
「――ちょっ!?あなたトピア様になんて物飲ませようとしているんですか?だめですよそんな物飲ませたら!!」
ミーニャの制止も聞かず、少女は俺の方をじっと見つめている。
やがて、俺は――
コップに口すら近づけずに、少女に返した。飲めるわけがなかった。
彼女は唖然としながらも、しつこく食い下がってきた。
「お願いアル、一口でいいから飲んでみてほしいの!これはあなたのためなの!」
彼女の押しつけがましいその言葉は、ひどいキレイゴトのように感じる。
彼女は再び俺にコップを渡そうとしてきた。
酒の臭いを嗅ぎたくないから、返したのにこれではまた臭いが漂ってきて鼻を衝く。
苛立ちと気持ち悪さが相まって思考が鈍る。
それが俺にはどうしても耐え難くて、つい彼女に言ってしまった。
「――もうそんな物俺に近づけないでくれ!!もうあんたも俺達の前に居ないでほしい!!」
それは完全に勢いだけの八つ当たりのようなものだった。俺の中にあった謎の苛立ちを隠そうともせず、少女にぶつけてしまった。
その俺の言葉の衝撃で少女の手が緩み、手に持っていたコップが俺の寝ていたベットの上に落ちシミが広がっていく。
「あ…、あ…、あの…、その……、ごめんなさい…、ごめんなさい…、あの…、アルが消えてほしいというなら……、あなたがそうして欲しいなら……わたしは消えるね」
さよなら、と言って少女が目をこすりながら、部屋から急いで出て行ってしまった。
女の子に対して、最低なことをしてしまったとは思う。
俺はやってしまった、という感情よりももうあの少女と関わらずに済むという安堵の気持ちの方が大きく、その場で脱力する。
――ぽすっ! ぽすっ!
気が付くとミーニャが俺の頭の上を何度も叩いている。手に平で叩かれ、その平には肉球がある。それでも少し痛かった。
そしてミーニャは俺に告げた。
「トピア様、彼女の後を追ってあげてください。それがあなたの今の使命です」
俺は心底納得できなかった。なぜミーニャがあの少女にそこまで肩入れするのかが、だから言った。
「ミーニャは俺を絶対裏切らないって言ったよね!?それなのに――」
「――はい、私は確かにトピア様を裏切らないと言いました。――」
「――だったら――」
「――ですが、トピア様、それはあなたの言動を全肯定するものではありません。ダメなものはダメだという権利くらい私にもあります」
俺はその時、自分の中の苛立ちの原因に気が付いた。
それはミーニャが俺の思い通りに動いてくれなかったから。一種の嫉妬のような感情が俺の中で蠢いていた。
俺が恐怖した少女にミーニャは何故親しげに接するのか、俺を肯定してくれないのか。
少女がミーニャと親しげなのもその要因だった。
つまり俺はミーニャが俺以外のものに反応を示しているのが気にくわなかったのだ。
それは、独占欲というやつなのだろうか。しかし、そんなこと彼女に命令できるはずがない。
ミーニャは人形じゃない。意志を持った人間なんだ。
その事が俺の今とさっきの行動の稚拙さを表していた。
俺は、今までの発言をひどく恥じた。
「あの少女はあなたの命の恩人なのですよ?あなたの前の知り合いで、今までずっと探してくれていた人でしょう?そんなあなたへの好意を無下にするなんて、たとえトピア様でもそれは許されません」
彼女はきっぱりと言い放った。
「彼女の後を追って誤解を解いてあげてください」
そう彼女は言いつつもーー
「――でもこれだけは言わしてください。たとえ、どんな結末になろうとも私はあなたの傍を離れません。失望もしません」
だから、自信をもって彼女と接してあげてください。そうミーニャは続けた。
――気が付くと、俺は部屋の外を走って少女を追っていたのだった。
部屋から出るときに、ミーニャはこちらに微笑みながらぽつりと言った。
「ああ、そうそう、一応言っておきますね。あの少女の名前は――――」




