26,騒動
――辺り一帯が静寂に包まれ、その後、どよめきながら俺の周りにいた買い物客は、俺から一瞬で距離を取った。
俺の周りに俺以外誰もいない円の広場ができる。
ないかは分からないがとりあえずまずいことだけは分かる。
一目散にこの広場を離脱しようと試みるが――
「――おい、何逃げ出そうとしてんだよ。そうやってこそこそして盗みでもしてたのか!?」
逃げた先に居た良く分からないチンピラにマントを掴まれ、円の中央に投げ戻される。
そのままうつ伏せに倒れる。
「――呪い子は町から消えろ!」
女性の声が聞こえて、何か硬いものが体に当たる。
それは出店に並べられていた商品だった。
その一つを皮切りに、俺の向かってあらゆる物が投げつけられる。
「さっさとくたばれ!」「死んでしまえ!」「よくも姿を見せられたな!」「悪魔が!」
あらゆる罵声と共に、体の節々に痛みが走る。
俺はうつ伏せたまま、亀のように体を丸ませることしか出来なかった。
――俺が何をしたんだよ!?ただ市場で買い物をしていただけじゃないか!?
……痛い…やめろ!!やめてくれよ!!やめてよ!!!
俺の懇願など露知らず、投擲も罵声もやむはずがない。
これはかつての光景を思い出させてきた。
俺が小学校に上がったばかりの頃、会話がうまくいかなくて小1にしてクラスから浮いてた自分。
朝学校に行ったら、上履きに落書きされ、教室の机が倒され、里親に作ってもらった大切な体操着がトイレに捨てられていた。俺はもう何も考えられなくなっていた。
思考ができなくなっていた。それら行為全てを何も疑問に思うこともなく受け入れるようになっていた。
里親の老夫婦が俺の異変に直ぐに気が付いたから事なきを得たが、あのままいじめが続いていたらと思うと、体の震えが止まらなかった。
今の状況よりひどくはなかったが、それが一層今の悲惨さが浮き彫りにした。
――それが五分ほど続いたであろうか。
俺には永劫のように感じて、身に迫る恐怖からどうにかなってしまいそうだった。
やがて町の自警団が群集をかき分けてやってくる。
「おい!てめぇら、そこまでだ!あとはこっちでやる」
リーダーらしき男の一声にまた静寂が広場を覆った。
放心状態の俺は一切の抵抗することなく、俯いたまま複数の自警団の肩に腕を組まされる。
「なんだ、かわいい顔してるじゃねぇか。尋問室でたっぷりかわいがってやるよ。ひひっ」
俺が連れて行かれそうになったその時――
「――おいちょっと待て…」
その声は辺り一帯に響き渡るものではなく、近くに居た一部の人の耳にしか届かない。
大半の人々はひそひそと話しながら、自警団に連行されていく俺を見送っている。
「おいそこのゴミクズ共、待てと言っている!!」
群集はその一声で、音の方向を探るように見回している。
自警団のリーダーはそれが自分のことを指していると分かったように、後ろを向きながら言った。
「おいおい、俺はこの町を守る自警団様だぜ!?その義人に対して女が随分大きくでるなぁ!?ええ?」
悪びれる様子もなく、不遜な態度で言った。
「義人?厚顔無恥にも程度というものがある。恥を知れ下衆が」
俺も力なくも振り返り一瞬だけその少女を目にする。
周囲の罵声にも負けず劣らずの暴言を散らす少女、その髪は天から授かったが如くの空色だった。
視界に映ったのが一瞬だったにも拘わらず、その色だけが鮮明に脳裏に焼き付いた。
その色は光の加減で澄み切った青にも、淡い水色にも、夜闇のようにすらも見えた。
顔を見ようとしたが俺の前に立ったリーダーの体躯に阻まれて、その背中しか見えなくなる。
その挑発を受けるも、男はへらついた様子でその顔はにやにやしている
振り向ききり空色の少女を見やると、その顔のにやつきがさらにひどくなった。
「…おお、いい女じゃねえか……だがその口だけはいただけねぇな、口さえ良ければ俺の女にしたかったが、その減らず口二度と聞けねえようにしてや――!!」
――その刹那、男の後ろに居た俺は、謎の風圧を感じた。
見るとさっきまで気勢良く言葉を発していた男の首が消えた。
その胴体のから頭が生えていた場所からは、枝まで赤々とした花が活けられていた。
男は湾曲したサーベルを、前方斜めに構えた姿勢のまま硬直している。
そのサーベルも、首の部分より上が真っ二つに分かたれていた。
横薙ぎに刃物で切られたということは分かる。
それは、常人がいくら鋭い刃物を持ったとしてもできうる芸当ではなかった。
しかしそれ以上に不思議だったのは、男は空色の少女の間合いどころか数メートルは離れているということだ。
だというのに空色の少女はその手に持つ細すぎる剣を、横に振り払ったポーズをしている。
目の前のありえない光景に、唖然としていると足元に何かが落ちてきた。
――それは、胴体と永遠に袂を分かった男の首だった。
「――がっ!?」
そして俺の隣にいた若い男が短い悲鳴と共に脱力した。
みるとその頭部に刃物が刺さっていた。真っ二つにされたサーベルの片割れだった。
返り血が顔に付いた感触がした。
それらの光景はもはや常軌を逸している。
辺りは一瞬で騒然となり生き残っている自警団も、周囲の人々も蜘蛛の子を散らすよう一目散に広場から逃げ帰る。
俺はその場に尻を付いた。勿論逃げたかったに決まっているが、完全に腰が抜けてしまってその場に残されていた。
「あら?ちょっと確認したかったことがあるだけだったんだけど……まあいっか、これは自己防衛よね?」
人一人、いや二人殺害しておきながら空色の少女は冷淡に、独り言をいっている。
やがて女は武器をしまいこちらに歩み寄ってくる――
俺は俺の中に微かにある生存本能からか、腕だけを動かして後ずさる。
目の前の恐怖から来る腕の震えが不快すぎて、千切ってしまいたいくらいだ。
やがて空色の女は俺の目の前の来ると、屈んで俺に問いかけるように聞いた。
「アル?どうしたの?私よ?どうしてそんな目で私を見るの?」
その声はか細く透き通っていて、その声色だけ聞くならそれは儚げな少女のものだった。
目の前の少女から嗅いだことのある臭いがする。
恐怖で口まで震え始め、何も言えずに押し黙っていると――
「こんなところで再会できるなんて……そういえばアル、あなたはどうしてそんな髪色になっているの?」
片方だけ問答が一方的に続く。俺はその顔を見るのが悍ましくて直視できなかった。
やがて、何も物言わない俺を見て空色の少女は納得したように呟いた。
「そう、メイに何かされたのね。薬でも盛ったのか?あの女が得意そうなことね…」
先程の、切られた男に対する態度との差が俺との恐怖を深める。
「でもこうやって会えたのはとてもうれしいわ。また二人で旅しましょ?」
そう言って少女は俺の頬に両手をあてがおうとしたその時――!!
目の前の空色に向かって、横から飛んできた白黒の物体が少女を吹き飛ばした。
「ご無事ですか!?トピア様!?」
――そのここ数日で何度も聞いたその声はおれを安心を抱かせるのであった。