25,仕事と市場
ミーニャが示した仕事の条件とは――!
――ミーニャを一日中撫でまわすことだった…
前にも思ったが彼女は感情の上がり下がりが激しいらしく、宿に戻るころにはまた機嫌が直っていた。
ミーニャは初めて俺に撫でられた時から、あの快感の虜になってしまったようだ。
流石にそれが仕事というのは、さすがにあれでは?と意見を述べると――
「トピア様、先日食堂前で私を泣かせたことに見返りをくれると言っていましたよね」
――あげるとは言ってはいない気がする…
「その見返りがそれです!私を撫でる仕事に就くこと、それです!」
――結局、興奮したミーニャに捲し立てられ、成す術なく俺はこの世界初めての職に就いた。
仕事の報酬はしっかりもらうようにした。生活費はミーニャが出すと言って譲らなかった。
でも例えば、俺が個人的に欲しいものはその報酬で買うという取り決めになった。
撫でるだけでは、さすがに簡単すぎるので撫でた後にブラッシングもしよう。と提案するとミーニャは目を輝かせてぶんぶんと首を縦に振り回した。勢いがありすぎてちょっと怖い
――そして今、俺は仕事の真っただ中だ。とても忙しい。
「――ああっ、そこです、そこ、次はもうちょっと下の辺りもお願いします」
ミーニャは装備を脱いで宿のベットに寝転んだ。撫でるついでにマッサージもやらされた。
「いやーいやはや、これは極楽ですねー、これならお金が伴ったとしても誰もが納得しますよー」
ミーニャは俺の膝を枕に寝転がり、犬なのに喉を鳴らしている。
傍からその様子を見たなら、その構図は飼い主とそのでかいペットがじゃれっているみたいだ。
「あっ、お腹の辺りは弱いので、撫でなくて……あ!やっぱりやさしくお願いします」
ミーニャに言われるがまま注文通りに、腕を動かしていく。
もしこれが人間の女性だったら、俺はこの仕事を間違えなく拒絶していただろう。
なぜならミーニャを人間の女性に置き換えると、女性の柔肌を俺の手で蹂躙しているようではないか。
俺がミーニャを、女性とは認識してないからこそできることだった。ペットのような感覚にに近い
やがて、ミーニャが満足すると今度は、彼女のブラシを借りて全身をブラッシングする。
やり方が分からないので、ミーニャに聞きながら。
頭から尻尾にかけて。背中からお腹に向かって、程よい力加減でブラシを動かしていく。
ミーニャは普段から自分自身でブラッシングをしているからか、引っかかることも無くスムーズにブラシが通る。
「尻尾は念入りにお願いしますー、私の一番の自慢なのでー」
リラックスしながら俺に注文をする。俺はその注文通りに丹念にブラシを何度も通す。やがて――
「――これは大満足です!トピア様お上手です!これからもよろしくお願いします!」
大絶賛された。ここまで褒められるのは久しぶりだ。ちょっとうれしくなる。
初めてなので、賃金は多めに貰った。
しかし正直これがここで、どのくらいの価値があるのか分からない。
ミーニャはリラックスしすぎて、そのまま気絶するように眠ってしまった…
早くこのお金で買い物をしたかった俺は仕方なく、こっそり町に出て探検の続きをした。
再びフードを深々と被り、町に出る。
町の市場でいち早く買いたいものがあった。それはこの世界の地図だ。
俺は今、知識欲に体を支配されている。
あの屋敷で得ることができなかったこの世界の知識、魔石とかいうものも機会があれば見てみたい。
一先ず地図だ、今俺がどこにいるのか、この町がどこにあるのか理解するには地図が手っ取り早かった。
こうやって考えてみると地図ってどこに置いてあるんだ?
前世ではコンビニにも置いてあった。本屋とかならあるかもしれない。
などと考えて露天市が軒先に張り出た通りを歩いているが、本屋は一向に見えない。
この世界では本は貴重品なのかも知れない。
――ふと外から見えたものが気になって途中にあった雑貨屋に入った。
中にはフラスコに入った色とりどりの液体が置かれていたり、お土産みたいなのが置いてあったりそして――
――あった。地図が――
しかし、それは売り物ではないようで、カウンターの奥にタペストリーのように飾られていた。
それは周りに海があって、縦に細長い形をしている陸地が示されていた。
なるほど、屋敷で読んだ神話の通り、巨人が倒れて大地ができた。というのも理解できる。
その形は頭を下にして倒れている人型にも見える。
小さい文字で各地の都市も分かるようになっている。
思わずカウンターの奥で座っていた店主に聞いた。
「そちらの奥にある地図を売ってもらえないでしょうか?」
その男はもじゃもじゃの立派な髭をたくわえて、ぎろりと俺を見た。
「なんだおめー?こんなのが欲しいのか?でもお生憎様、これは正確に測られた最上級の地形図なんだよ。お前みたいな貧乏人は安物の地図でも眺めているんだな」
あんまり客に対しての態度がなってないと思うのは、日本に住んでいた俺独特の価値観だろうか。
仕方がないので店を出て、さっきと同じように通りを抜けていく。
進んでいくと広場のような場所に出た。
俺が通ってきたとおりの幅の数倍以上はある広さのそれは、過密と言えるほど出店が密集して並んでいる。
人もたくさんいて、自分がどこにいるか分からなくなりそうだった。
俺は小さい体を活かして、人の間を縫うように進む。
途中で出店の若い店主に呼び止められる。
「お嬢ちゃん!ん?いや坊ちゃんか?まあいいや、お客さん!今好きな人とかいないかい?」
目が合ってしまったので、仕方なく出店の前に立ち止まる。
「おっ、興味津々だね!」
そんなことは一切ない。
店主は中身が見えない試験管のような容器を見せて言う。
「これは所謂あれだよ、“惚れ薬”ってやつさ、どっかの優秀な冒険者の薬剤師が調合した品らしくてな。髪とか爪とかの自分の一部を、薬に溶かして恋慕の相手に飲ませりゃあ、その相手は無意識に自分の虜になる。しかも無味無臭で料理に入れても気づかれない!しかも今ならなんとたったの10万スティア!」
ペラペラと饒舌に、そして淡々語る店主は商売上手のようだ。
しかし、俺は前世でも好きな人などいなかった。かつての俺は自分のことで精いっぱいで他人を好きになる資格すらなかった。
ちなみに、この国のお金の単位は“スティア”らしい、さっきの雑貨屋の商品棚に書いてあった。
あの店は全部の商品に値段が書かれていたので、ぼったくられる心配がないある意味良心店だった。
しかし、目の前のこの商品は胡散臭い上に、相場が分からない。ましてや興味が無いものを買おうとするはずもなかった。
俺は無言で早々に店の前から立ち去ろうとする。
「あっ、ちょっとお客さんちょっと――」
――店主がこちらに手を伸ばしてくる。
そして、その手は俺のフードの後ろを掴まれ、そして――
――俺の白髪が広場の民衆にさらされる。
「―ひっ!?」
広場の店主は短い悲鳴を上げた。
フードを掴まれそして離された俺は、勢い余って目の前の人にぶつかる。
運が悪いことに目の前にいたのは巨漢の大男だった。
男は俺の髪を見るなり、わざと周りに聞こえるように大声を張り上げた
「おいおいおいおい!“呪い子”がこんな町中に居ていいのかよ!また俺たちを殺しに来たのか!?」
――辺り一帯が静寂に包まれる。
俺は何が起きたか理解できず、しかし確実にまずいことになったことだけは分かった。