23,涙と歪な過去
――俺たちは森を出てから二回目となる野宿の準備をしている。例によってミーニャが、だが
道中でトラブルがあったが、ミーニャの手によって何とかなった。
一つは、野生の動物が襲ってきたことだ。
突然走っている進行方向前に丸々と太った猪のようなものが現れて、いきなり突進してきた。
ミーニャは持っていたナイフをすぐさま投げつける。ナイフは寸分の狂い無く眉間に直撃。獣は即死した。
もうちょっと後で出てきてくれたら、夕ご飯にできたのに…、と残念そうに、その残骸を片付けていた。
見るとそれは昨日の夜、ミーニャがぶら下げて持ってきた動物と同じだった。
――その後、日が暮れる直前まで馬で駆けた後、川の近くを野宿地と決めた。
その辺の手ごろな石を、椅子代わりに座る。
木に繋がれた馬がその辺の草を、まずそうに食べている。
なんか、ミーニャの顔を見ていたら、他の動物の表情も分かるようになってきた気がする。
ミーニャは食料調達に行ったが結局、獣は狩れずヘビやヤモリと言った爬虫類を持ってきた。
それらを処理してぶつ切り、またはそのまま昨日と同じように焼く。
また、ミーニャが食べさせてくる。
見た目はちょっとあれだが、意外と食べられた。味の方はお察しだ。
食後になると、ミーニャがどこからか、謎の液体を大きな葉っぱの上にのせて持ってきた。
「これはずっと探していて、今朝方やっと見つけた薬草です。傷の治りがあっという間です!」
それはどうやら、その薬草をすり潰して出てきた粘度のある液体だった。
ミーニャはそれをまず自分の手にとり、俺の足にあてがう。
――思えば、ミーニャがいなかったら、俺はとうにこの世に居なかっただろう。
あの森すら出ることも無く、出られたところで食料調達、服や足の傷はどうにもならずに確実に死ぬ。
全部ミーニャがしてくれた。それに対して俺は何もしてない、穀潰しだった。
「――トピア様!?どうされました!?もしかして傷に沁みましたか!?あれ!?でもこれは沁みない薬草のはずでは!?」
――気が付くと頬には温かい液体が伝っていた。
それを見たミーニャは、とんでもなく取り乱している。
「違う、違うんだミーニャ、ただ何もできない自分が惨めに思えて、こんなんじゃこの世から消えた方がずっとましな気がして……」
自分でそう言っておいて、どんどん涙が大粒になってくる。
ミーニャはその様子をみて唖然としたのか、しばらく黙っていたが――
「トピア様はここに居るだけで私の心は満たされます。どうか、そんな卑下はしないでください…」
「でも実際、ここに来るまで俺は何もしてない……」
――すると突然ミーニャは俺に抱き着いてきた。
「でしたら、私を撫でてくれませんか?この間みたいに…、トピア様は何もしてなくないです。あなたがいるだけで、私は何だってできる気がするんです」
俺はその要求を飲み込んだ。
ミーニャの体を両手で満遍なく撫でる。
俺には頼れる人がミーニャだけだ。もしミーニャに見捨てられたら俺は…………。
だからこれはきっと、この行動は本能的なものなのだろう。
赤子が親に対して見せる生理的微笑のように、
母親に対して良い子でいようとした、かつての俺の子供時代のように、
もしまた裏切られたりしたら、俺はどうにかなってしまいそうだった。
だから確かめねばならなかった。俺は撫でながらミーニャに聞いた。
「ミーニャは絶対、俺を裏切らないよね?」
「はい、全てを敵に回してでも、お傍に……」
――今ここに共依存で歪な、そして赫赫とした絆が生まれた。
◇◆◇◆
――そして次の日、俺たちはついに町に着く。
町の入り口で、俺はこの先に待つ冒険心に焦がれていた。
――トピアが町に着いた三日後、メイは屋敷のある部屋に居た。
目の前に居る男はトピアをおい出した張本人の、あの初老の男だった。そして――
――その男は、もう既に絶命していた。
メイが自身の手で、人を殺めたのはこれが二回目だった。
そしてその亡骸は異常としか言いようがなかった。
顔も体も原型が分からないほどの刺し傷や、硬いもので殴られたのか窪んでいた。
異常を検知して、屋敷に居たメイドや、亡くなっている男性が引き連れてきた甲冑の男共が部屋に次々入ってきた。
部屋に入ってきた者らがそこに倒れている人を認めると、メイドは悲鳴を上げる。
男共は持っていた武器を傍に立っていた女に向けた。
「――今のリングハルト家当主はこの私よ、従者なら武器を下ろしなさい」
武器を向けられた女は、凛々しく声を発する。しかし、その声には何も感情が籠っていない。
「我々は傭兵です!リングハルト家に忠誠を誓っているわけではありません。そこに倒れている男に個人的に雇われた者達です」
神妙な顔持ちで傭兵のリーダが続ける。
「そして、主が倒れたらその敵討ちも、その男との契約に含まれています。たとえそれが、その方のご息女であろうと、その契約は変えられません」
「――そう、随分と無駄に律儀なのね」
相変わらず声には感情が無い。
――次の瞬間、メイは男の中で一番弱い者に狙いをつけて、その者の懐に飛び込む。
肩や足が震え、明らかに場慣れしていない者だった。
持っていたナイフで首を掻き切ると、その者が持っていた槍を用いて他の男を惨殺していく。
ある者は槍で喉を貫かれ、またある者は頭を正面から柄で叩き潰された。
その様子はどこまでも華麗で、舞踊を嗜んでいるようだった。
そして屋敷の白い部屋の中に鮮血が舞う。メイドは目の前の光景にショックで失禁している。
――やがて静寂が屋敷を覆う。
「――あれ…?トピアがいない…?あ、そっか、こいつがこいつがこいつが!!!……私からトピアを奪ったのね…」
衣装や顔に鮮血を染め、金髪と赫が相反して互いを際立たせる。
その絵画から切り取ったような少女は、部屋を後にする。
「探さないと…」
あの殺した男が言っていた事が真実なら、トピアは一週間も前に追い出されたことになる。
生きている保証も何もなかった。でも探さないという選択肢もなかった。
そういえばあの護衛のために雇ったクソ犬も屋敷から居なくなっている。
だから、犬畜生に任せるんじゃなくて、全部自分の手でやりたかったのだ。
でも、彼に私の全てをあげるには、今の私が頑張らないといけなかった。
他の貴族の挨拶回りや交渉で手を回したり、私がこの屋敷でずっとトピアと暮らせるように手筈を整えたり。
数日間、彼と会うのを我慢すれば、一生一緒にいられるはずだった。
彼の食事に薬を入れようとしたけど、初日にとったあの様子に呆気にとられて入れそびれた。
彼が好きだった匂いも使ったけど、記憶が無いから反応もしてくれなかった。
メイド達には“アレ”を嫌がるから大丈夫だと思ったけど、彼に近づかせないように彼に対する更なる嫌悪を与えた。
彼女らの髪型を全員バラバラに変えさせたのは、彼の女性の好みが知りたかったから。
一時でも彼から目を離したから罰が下ったんだ。
父に見合い相手を勝手に紹介され、憤怒で思わずトピアのことを伝えてしまった罰が…
外の世界へ逃げにくいようにと、この立地にしたのも裏目に出た。
自分を内側から引き裂いてやりたかった。
あの愛しい人との日々の記憶も名前をも消して、やっと自分の物にできたというのに、こんな事ってないでしょう。
――彼女はもう、感情が麻痺していた。
もうトピアが私から離れられないようにしないと、私しか脳内で考えられないように…
四肢を拘束して、彼自身では何もできなくする。私がいなければ生きていけないように、
そうすれば、彼は私しか見なくなる。私に依存してくれるはずだ…
――それから、屋敷に残っている者に最低限の指示を出すと、彼女は正門前から出て行った。
鮮血に染めた赤い衣装で笑みを浮かべたまま……消えかけている彼の足跡を追って――