20,偶然か 必然か
――朝、目が覚める。
俺はどうやらまだ、生きているようだ。
夜の冷え込みは感じなかったが、これも例によって意識が無くなる現象のせいだろう。
まだ体も問題なく動く。俺は再び同じ方向に歩き始める、それしかやることもできることも無いから。
昨日の夜から食事どころか、水分も取ってない。
ここは過ごしやすい気候だから汗で水分を失うことは無いが、あと数日も持たせるのは無理だろう。
――一時間ほど歩いた。まだ森以外の景色は見えない。
――半日ほど歩いた。まだ森以外の景色は見えない。
――日が暮れるまで歩いた。まだ森以外の景色は見えない…
あの屋敷は、随分と辺鄙なところに建てたらしい。
これは予想してたことだがそれにしても想像以上だった。
屋敷内に居た頃、外庭探索で森の手前まで来たとき、壁近くの森まで来たのにもかかわらず何も聞こえなかった。
正門を出てすぐに町でもあるなら、何かしらの喧騒が聞こえてくるはずだからだ。
また孤独な夜がやってきた。
一日中歩いてもずっと同じ景色で頭がおかしくなりそうだった。
飲まず食わずで移動したため、体も衰弱している。
――今度こそ死ぬかもしれないな
俺が意識を手放そうとしたその時、
ふと目の間に黒い影が見えた。
星明りは僅かで、輪郭すらぼやけているが何かが確実にいた。
俺はとうとう死神が迎えに来たのかと思ってぽつりと――
「――こんなんで俺の人生は終わるのか……」
いよいよ意識が薄れてきたところで、意識を失う前に最後に聞いた言葉が――
「――トピア様はこんなところで終わる人間なんかじゃあありません!!」
◇◆◇◆
――再び目が覚める。
俺の手足からはふわふわの感触がする。
天国に着いたのかな。なんて思ってふと下を向くと、そこには見覚えのある白と黒の毛が見えた。
ミーニャは俺の胸の中ですやすや眠っていた。俺が木にもたれ掛かり、それに抱き着くような格好で。
ミーニャと一緒に起きるのはこれで6度目だった。
一夜しか一緒に居なかっただけなのに、この光景を見たのはひどく昔のことのように感じる。
何故か嬉しくなって、でも胸が締め付けられるようで、ふと俺は胸の中に居るミーニャを両手で包み込んだ。
「ふあぁぁーーあん?おはようございますトピア様、あれ?私、今トピア様に抱きしめられています?」
抱きしめたことにより目が覚めたミーニャは、胸に顎を乗せるようにしてこちらを見上げた。
そのモフモフした感触は今までの人生で最高のものだった。
この感触を知っていたら、俺は前世で真っ先にペットを飼っていただろう。
溜まっていた疲れが癒えていくようだ。思わず手で毛並みを撫でてしまう。
「あ、これ、思ったより気持ちいいですね。ずっと摩っててもらいたいです」
俺とミーニャは思う存分、撫で、撫でられたのだった――
◇◆◇◆
「何でミーニャがここに?」
思う存分撫でた後、ひとまず落ち着いてあの体勢から離れた。
一息つくと、俺から切り出した。すると
「言ったじゃありませんか。“一生お傍に付いていく”と!」
声高らかに宣誓していたことを繰り返すように言った。
「いや、でもメイドの仕事はどうしたの?」
「実は私、本当はメイドじゃなくてメイドに偽装して屋敷の要人護衛、所謂近衛メイドみたいな仕事内容でお嬢様に雇われていたんですよー」
俺が聞くと、ミーニャは淡々と語っていく。
「お嬢様…はもういいか、あの女には『この男を何があっても死守するように、もし何かあれば私がこの場で処理し、お前は故郷の土を二度と踏むことはないだろう』と命令されていたんですけどー――」
ということは、つまり――
「――結局こんなことになってしまって…命令通りあなたを守り切れなかったので、あの女が留守だったのをいいことに逃げてきちゃいましたーー」
てへっ!みたいなしぐさをするミーニャをみて愕然とするしかなかった。
もうメイをあの女呼ばわりしているし、言い方に棘を感じるのでやはりこの二人は相性が良くなかったのであろう。
見るとミーニャはもう黒ゴシックのメイド服の格好はしておらず、動きやすい軽装にマントを羽織ってよく見かけた冒険者みたいな恰好をしていた。
その腰には丈夫そうな鞄やその他、様々なものがぶら下がっている
「気づいた時には既に事の後になっていまして、私も急いで屋敷から退散する準備を済ましてトピア様の後を追うことにしました!」
護衛なのにその護衛の職務を全うできてないあたり、やはり彼女はどこか抜けているのだろう。
「いやーもしかしてこっそり屋敷内に潜伏してるのかな?なんて思って敷地内を探し回っていたんですけど、正門の前に真新しい足跡を見つけたので、急いで追ってきたんです!」
時間がかかってしまい申し訳ありません!と続ける。
正門前を先に見ていれば先に足跡を見つけられて、もっと早く来れたんじゃないか?
と言いたいところだが、こちらは現状こんな身なので口を噤む。
それにしても、逃げるなら一人でも十分逃げられるのに、なんでミーニャは俺の後を追ったのだろうか。
一生お傍に?命の恩人?とか言ってたっけ?それは彼女が大袈裟すぎるだけなのに。
思えば、メイの恩とやらも今となってはもう知る機会が無くなってしまった。
この道にずっと居ればメイとは会える気もするが、いつまでも待てるわけじゃないし、もう別に知る必要もないかな、って思った。
それよりも早く外の世界に行きたい気持ちの方が強かった。
「ああ、そういえば忘れていました!食べ物と水を待ってきましたので早く口に入れてください!」
ミーニャは懐から何かを取り出すと、目にも留まらぬ速さで俺の口に突っ込んできた。
「むぐっ!?」
それは変な味だった。ナッツのような歯ごたえの、おそらく木の実なのだろう。
「こんなものしかなくてすみません。台所から食料を拝借できればよかったんですけど、何せあのへんな人達に見つかったらただじゃすまないと思ってこそこそ隠れていたので、できませんでした…」
これは途中の木の上で見つけてきました。とミーニャは続けた。
「こんなの俺は見つけられなかったのに…」
「地上からは見えない場所に生っているんです。上の方にしか日光が届きませんから、日の当たるところでしかこの実は生らないんです」
するとあれか?ミーニャはこの周りの高い木々を登ったのか?
木々は所狭しと生えているが、低所に枝は無く、少なくとも俺にはそんな芸当無理だった。
あとミーニャは屋敷の周りを囲うあの壁をどうやって越えて来たのか?門は固く閉ざされ、壁も登れるようなところも、穴が開いていたりもしなかった。
もしかしたら、門は内側から開けられたり、秘密の抜け道もあるのかもしれないが、
「あと昨日の夜、トピア様は脱水症状寸前にまで陥っていたので持ってきた水分も飲ませときましたよ!」
意識が朦朧としていたのは覚えている。また昨日まであれだけあった喉の渇きも消えていた。
意識もないのにどうやって飲ませたのだろう、と思案する暇もないままミーニャは次の言葉を紡ぐ。
「それにしても、よくここまで歩きましたね。森の出口はあと半分くらいですよ!」
あと半分もあるのかと絶望しつつ、一通り身支度をし終えた俺たちは再び森の出口に向かい、歩き出そうとしたが――
「――いてっ!?」
俺が足の異常を感知し、倒れこんだ。
「トピア様!?大丈夫ですか!?」
見てみると、足の裏には皮が裂傷や剥がれて、赤い肉の部分が露出していた。
俺はあの時中庭で寝そべっていて、芝生の上は気持ちいいからと、素足でいた。
そのまま追い出されたものだから、今も裸足のままだった。
そして、この舗装されてない道は、辺りに木の根っこや尖った小石がところかしこにある。
また、屋敷でぬくぬくしていた俺は、長距離を歩きなれておらず、この有様だった。
布製の履物でも似たようなことにはなっていただろうが…
「どうしよう…さすがにこれは…」
まだ森は半分もあるというのに、こんなところで立ち往生なんて……
「大丈夫、問題ありません!私が背負います!」
声のした方向を見ると、そこにはミーニャが鼻を鳴らしてどこか自慢げに立っていた。
その体躯はメイよりも身長が高く、俺なんかの中坊からすればかなり大きい部類だ。
でも、男が女性に負られるのは、なんか恥ずかしい。
「いや、さすがにそれは――」
「――急ぎますからね、さあしっかり掴まっていてくださいね」
有無を言わさず、俺を持ち上げて背中に回すと、太腿をガシッと持たれて動揺する。
不安定な体勢で太腿を持たれたので、バランスを崩す。
あわてて近くにあった掴まりやすい物に掴まる。そう、それはミーニャの肩首だ。
それと同時にミーニャは猛スピードで走りだす。初日の朝を思い出した。
あれはおんぶではなくて、お姫様抱っこだが……
そんなことを考える余裕も無く、森の道を石火の如く通り抜ける。
――こうして俺とミーニャは森の出口へ向かったのだった。