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夜明けのまにまに  作者: AL Keltom
本編
15/88

15,勉強と術数

 


「――でこの文字とこの文字が合わさると、こっちの単語と同じ発音になるんです。」


 ミーニャは教本を指さしながら丁寧に文字の用例を教えてくれている。

 俺は今、高認を取る時以来の集中力でミーニャに文字を教わっている。

 こんな真面目に勉強しているなんてあの家に居た時以来だ。

 まあ社会人として働きに出た時は毎日が勉強だったとも言えるが、それはそれで勉強の質が違う。


 勉強があまり得意だったとは言えない俺が、ここまで集中できるわけそれは単純に文字を覚えることが面白いからだ。


 例えば英語が嫌いになる人の原因として、文法や熟語が覚えられないからというものがあるだろう。

 しかし俺は、この世界の言語の文法、熟語はもちろん発音なども音として覚えられている。

 つまり、音を文字に置き換えて覚えるだけでよいのだ。

 慣れるまで時間はかかるだろうが、それでも文章を読めるようになるまでには数日もあればなんとかなりそうだ。


 文字の書き取りはやらない。筆記用品や紙などは用意されていなかったからだ。

 メイは俺がずっとこの屋敷で暮らしていくと思い込んでいる。

 だから本を読むのに必要が無い書き取りはやらせてもらえないようだ。


 おそらくだが、かつての俺が患っていた脳委縮による障がいはこの体になってから無くなっている気がする。

 それというのも前世で人と話すときの妙なもどかしさを感じないし、この勉強だってすらすらと頭に入ってくる。

 それはこの体の地頭が良いのもあるのだろうが、俺はかつてこんな感覚を体験した記憶はなかった。


 途中休憩を挟みながらも着実に勉強は進んでいた――



「――そろそろ夕餉の時刻が近づいているので今日はこの辺にしておきましょうか」


 ――ん?


 部屋に備えられた窓から外を見ると空はもうオレンジ色になっていた。

 空気が澄んでいるからか、空の色は夕日のような真っ赤ではなく朝日と同じような色合いになっていた。


 体感だと俺が屋敷の探索を終えたのが大体9時頃で、そこから部屋に戻って勉強し始めてから今、恒星の傾き的に5時頃だろうか。

 公務員のような職務時間で俺はずっと机に向かっていたのか…

 ずいぶんと集中できたものだ。勉強内容が面白く、ミーニャの教え方も分かりやすかったからだろう。


 いやそんな俺よりもミーニャはその間ずっと俺が座っている椅子の傍で立っていた。

 休憩中や俺が一人で復習している時は近くの席に座っていたが、それでも全体の時間量からみればごく僅かだ。


 食堂前でも見せたあの身体能力もそうだったが、やはり人間とは体のつくりやタフさが違うのだろう。


 そういえば、俺は昼食をとっていない。

 この世界の言語に“昼食”という単語はないので、おそらく一日に二食しか食べない文化なのであろう。


 言われてみれば、かつての世界が三食だったのは偉人が自ら発明した調理器具をもっと売るために、三食にするように世間を誘導したという話を聞いたことがある。

 だから人間は、もともと日に二食でよいのだ、ペットの食事だって一日二食にしている人が多いだろう?


 一人で納得しているとミーニャが話しかけてきた。


「そういえばトピア様、若干顔つきが変わりましたね。なんというか自信に満ち溢れているようです。夜明け前に見たときの顔は、正直パッとしないというような印象を受けましたが…」


 ただ寝起きだったからですかね?と苦笑するミーニャは食堂で俺に何があったのかを知らない。

 目の間に居たメイですら知らないことを、どうしてミーニャが知ってようか。

 顔つきに自信が出ているなら、口調も頑張って変わってほしいものだが…


「朝みたいに遅れてしまったら大変です。道中何があるかわかりませんので時間に余裕をもって行った方がいいでしょう!」


 彼女は鼻を鳴らして自慢げに言う。

 この部屋から食堂まで走っていけば一分ほどで行けるだろう。

 まあ、それでは朝と同じ轍を踏んでしまいそうなので、控えるべきなのであろう。


 ミーニャは台所に時間を確認してきます!と言って足早に部屋から出ていった。


 この部屋に、現在の時刻が分かるものは置いてない。

 屋敷中の部屋を探索した時、時計のようなものはどこにもなかった。あのメイの私室というか書斎にすらも…

 まあ、このゆっくりと時間が流れるこの屋敷で時間なんか気にしていたらもったいないよな。


 ミーニャの口ぶりをみるにメイドたちは現在の時刻を知る術がある。

 食事のスケジュールの時間の管理は使用人の仕事なのだろう。

 しばらくすると廊下の方からあわただしい音が聞こえてきた。

 ドアをノックするそして――


「――トピア様ー!お食事の時間もう過ぎていましたー!すぐに来ないと料理が冷めちゃいますよー!」


 朝の恭しさはどこへやら、と思考しながら――


 ――時間を過ぎているって?ミーニャは相変わらずどこか抜けている。

 …そしてそれは、かなりまずいのではないか。

 メイはミーニャにあたりが強い。それは今日の様子を見ていれば分かった。


 朝食に俺が遅れて来た時、彼女はそれに対してそこまで言及はしなかったが、それはおそらく相手が俺だったからだろう。

 朝だけでならず夜の食事にも遅れたら、それは確実に呼びに来たミーニャの責任になる。


 にもかかわらずミーニャの扉越しの声色にはその危機感がまるで感じられない。

 気づいてないのか、それとも何か別に叱責を喰らわない理由があるのか…


 少なくとも前者である場合、これ以上遅れるべきではないだろう。

 俺は足早に扉に向かおうとするが、先程の心配は杞憂だった。


「そういえばお嬢様は今日の午後から出かけられてしばらく屋敷を空ける、ということを忘れていましたー、

 台所に確認に行ったときに同僚に言われて気づいたんですよー」


 扉を開けて部屋の中から俺が出てきたことを認識すると、飄逸という口調で俺に言ってきた。

 ですので食事はお一人でとってくださいねーと続ける。ミーニャはそれはもうウキウキの様子だった。よほどメイのことが嫌なのだろう。


 部屋から出てミーニャと一緒に朝も歩いたというか通過した食堂までの道のりを歩く。

 先導する彼女は尻尾を高速で左右に動かしながら、振り返って言った。


「そういえば、聞きましたよ!私の失態を庇ってくださったのですよね!」


 何のことだ?

 ああ、そういえば食堂でメイに頭皮に付いていたミーニャの体毛に関して、庇うというにはあまりに杜撰な答弁を披露したことを思い出して、はにかむ。

 まあ、元はと言えば全部ミーニャが悪いと言えなくもないのだが…


「トピア様が庇ってくださらなかったら、私はこの世に存在しなかったでしょう!トピア様は私の命の恩人です!」


 …それはさすがに色々言い過ぎだろう。

 メイもさすがにそんなことで人を殺めたりはしないだろう。多分。だから俺が命の恩人にはなりえない。

 勘違いさせたままではなんか申し訳ないのだがここで俺はああそうだ、と思いついたことを口走る。


「じゃ、じゃあさっき言ってた僕からの見返りに――」

「この恩は今生以降も絶対忘れません!一生お傍に付いていきます!」


 ――充ててくればいいよ。と言い切る前に言葉をかぶせられ、その勢いに押されて俺は二つ返事のように頷いた。

 その俺の様子を見て歓喜するかのようにありがとうございます!と彼女は続けた。

 考えてみれば、ミーニャを泣かせた事に対する見返りと、命の恩人では秤にかけた時の重さが違うだろう。

 それを等価交換するのはもったいないともいえる。

 もともと恩人というのもミーニャの勘違いなので、とてつもない罪悪感を感じるのだが…




 ――この時俺がミーニャの術中だとは知る由もない。きっかけがあれば彼女は何でもよかったのだ。


 ――そしてこれが後に俺が後悔することになった初めての軽率な行動と思考だった。


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