第1話「隔離島」
なんとびっくり、一年越しの更新です。(*´∀`*)
内容覚えてる人はいないと思うので、Prologueから読み直すのが良いと思います。
尚、今回の投稿は某所で開催中の「次回Web投稿作品選定コース」に支援頂いた「柊まな」さんへのリターンとなります。
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西暦2098年現在、日本国における教育制度はみかんが冷凍される以前の2030年前後のものとは多く異なっている……というのは、当の冷凍みかんから聞いた話だ。当時の日本における教育制度は小学校六年、中学校三年が義務教育、中等教育後期課程として大多数の者が進学する高校、そしてやはり多くの割合で進学する大学へと続くのが日本における教育制度だったらしい。
俺にとっては生まれる以前から変わらない当たり前の事であっても、当時と比較できる者から見ればそれは大きな違いで、奴もよく愚痴をこぼしていたものだ。
現代において義務教育とされるのは小学校にあたる基礎教育校のみである。その上も段階を経るごとに進学者は激減していくのが普通だ。
基礎教育校では基本的に六年、学力が規定に達しない場合は留年もあるので、最大で九年かけて日本国民としての義務を学び卒業する事になり、その卒業を以て成人として見なされる。最短だと十二歳で成人だ。
中には当然卒業できない者もいるわけだが、そういった者は日本国民としての権利を大きく失う事になる。未就学児童でも受けられる警察や医療などの公共サービスは別として、高度な国民としての活動、選挙権や被選挙権、婚姻、株や不動産の購入、公的機関への就職や起業に伴う資格を得る事ができず、財産の相続も行えない。
病気や事故、止むに止まれぬ事情で休学は許されるし、再教育支援制度も存在しているものの、よほどの事がない限り例外は存在しない。
『有り得ないくらい厳しいんだけど。……一体何がどうなったら、こんな事になるのか。人権屋は一体どこに消えたんだ……』
当時、解凍された直後で義務教育課程の進捗調査中だった解凍みかんはそう言っていたが、今にして思えばそれはセルヴァ技術で強引にシステムを作り上げた結果という事なのだろう。そう考えて見れば、過去の技術的なブレイクスルーや不自然な改革も自然な事に見えてくる。
とはいえ、現代の教育制度も別にそこまで高度な要求をされるわけではない。みかんの生まれた令和の時代でいう中学校卒業までの学力を有し、一定以上の倫理や社会規範を身に着けていれば問題なく卒業できるのが基礎教育校だ。範囲としてもそこまでかけ離れてはいない。ただ、授業を受けているだけでは合格できず、各種試験が極めて厳格になっただけとも言える。そして、ここで十分と社会に出る者も少なくはない。
その上……現代の中学校はそのまま中等教育を学ぶ学校だ。これは冷凍みかんの認識にある高等学校の内容になる。これが三年~六年。ただし、これは過去の高校の内容がスライドしただけではなく、多くの専門知識も含んだ内容になっている。
その上が俺が先日まで通っていた……というか、拉致されなければ卒業式に出席するはずだった高等学校……高度教育課程だ。これはみかんの認識だと大学に相当するらしい。
ここまでが、現代における通常の教育課程である。自慢するわけではないが、高校を18歳で卒業というのは進学した者の中でも半数にも満たない。単位が足りずに留年なんて、高校はおろか中学でさえ珍しくはないのだ。
だから、俺も将来も輝かしいとは言わないまでもそこそこ安定したものになるはずだったと言える。……なんの因果が、妙な方向にねじ曲がってしまったようだが。
ちなみに、この上に大学は存在するが、ほとんどの者は進学を選ばすに就職する。俺も、資格自体は有していても上に進学する気はさっぱり起きなかった。専門学校の連中もそうだが、現代における大学はそれほど異次元な場所なのである。
「必要でなければ、好き好んで行く場所じゃあないですね」
最終的な俺の履歴確認をしつつ、向かいに座った面接官はそう言った。そういえば、国の機密に関わるような仕事をしているのだから、この男もそういう類の存在か。
「あの地獄が今の私の土台になっているのは確かですが、三度の飯よりも研究したくて堪らないと思える人しか生き残れません。ある程度方向性が決まっている専門大学ならまだしも、総合は特に」
どうやら、この面接官は各都道府県に一つずつしか存在しない総合大学の出身らしい。
現代において、大学というのは本当のエリート養成機関である。一部の天才と呼ばれる連中が狭き門を潜り抜けて、血反吐を吐きつつ勉強・研究を続ける地獄のような場所であり、その学歴は官僚など高度な知識が必要とされる職業を除けば不要なものだ。そもそも学歴と呼んでいいのかすら怪しいとさえ思っている。
籍を維持するだけで一般企業の管理職並の給料が発生し、実績を残せなければ問答無用で解雇される。卒業という概念すらなく、本業と併せて二重生活を送っている者がほとんどだ。プライベートな時間などほとんど持てないだろう。すごいのは分かるし尊敬もするが、全然憧れない。
「興味があるのでしたら、私の体験談でもお聞かせしましょうか? 地獄の一丁目どころか本丸と呼ばれる大学生活の闇を克明に語りますよ」
「いえ、結構です」
目の前の男が苦しんだ過去には興味があるものの、別段今聞きたい話でもない。元より進学する気もなかったし、その可能性も完全に絶たれたのだから。
「まあ、大多数の人は知らなくてもいい世界ですしね。ここから行く場所では尚更……学歴など飾りですし」
「意味がないのは分かりますが、どうせなら卒業してからにしてもらいたかったんですが。なんというか、区切りとして」
「就職が正式に決まってしまうと、情報操作が面倒になるものでして」
そりゃそうだろうなとは思うが。それはそちらの都合だ。
「それに卒業式に出席できないだけで卒業資格は得られますよ。後ほど卒業証書もお送りします」
「それなら逆に、もっと早くに勧誘してもらえれば、就職活動や試験に四苦八苦する事もなかったんですが。……パンフで見ましたけど、別に18歳の制限があるとかないですよね?」
「早いほうがいいのはもちろんですが、枠が増えたのはつい先日の事なので。それから裏工作をして、あのビルをセッティングしてと忙しかったですよ、本当に」
……だから緊急で面接場所が本社から変更になったのか。OB会から説明もあったから、怪しいとすら思わなかった。いや、そもそもこんな事態を想定しろというのが無理な話なんだが。
「正直に言うと、今回増えた枠というのは計画外の事なんですよ。そのパンフにも載っている、ランキングトップの滝沢さんが自分のポイントで突然枠を増やしたというのが実情でして」
「17歳の人ですよね? 日本どころか地球圏のトップという」
「はい。ダントツですね。ちなみにかなり間は空くものの実は二位も日本人です。三位は海外の方なので詳細は分かりませんが、所属はフィンランド、上海、カリフォルニアと続きます。長期で固定されているのはここまでで、この下はかなり変動してますね」
「フィンランドはともかく、上海とカリフォルニアですか?」
アメリカと中国では? 上海のほうは一時期、内戦で国が分裂していた時は国号として使っていた事もあるはずだが……ああ、例の申請単位の話か。
「気付いたようですが、お隣は表向き統一されてはいるものの、裏では未だに分裂状態というわけですね。アメリカのほうもすべてではないですが、個別に登録している州が複数あります。仮にセルヴァがいなかったとしたら、完全に分裂していたかもしれません。それこそ世界大戦とか」
こんなご時世に戦争とか、実にキナ臭い話である。とはいえ、直接関わりがなければ気にするような事でもないか。どうせ島とやらから出る機会もないんだろうし。
「まあ、ランキングに関しては特に気にする事はないかと思います。総合ランキングならともかく、地球圏で一位だからといって別段何があるというわけでもありませんし、収入に関してはそもそもランキング下位でも異次元の領域です」
「いくらか知りませんが、そんなに貰って何に使うんですか?」
「詳細は私どもも把握してませんが、公開されている範囲なら……額として一番大きいのは寄付ですね」
「……寄付?」
「使い道がないって事なんじゃないでしょうか。実際、国家予算規模の収入があったところで、何に使うんでしょうね?」
「国家予算……」
近年膨れ上がり続けている国家予算の額を思い出して気が遠くなりそうだった。個人で消費できるような額ではないし、容易に動かしていい金額でもないだろう。
いくら大量に金を稼いでも、それの使い道がないんじゃあまり嬉しくはないな。
「私のような一般人には見当も付きませんが、当事者的には何に使うと思いますか? 割と近い将来の話ですよ」
そういえば、確かにそうだ。いきなりトップと同じって事はないだろうが、少なくとも就職予定だった企業の給料よりは遥かに多いはず。
初任給貰ったら買おうと思っていたような物なんて、額からすれば誤差のようなものだし……どんな使い道があるんだ?
「そんな事を言われても……家とか、土地とか? あとは車とか」
「車はともかく、家や土地など、島外の不動産は購入しても活用方法がありませんよ。まったくではありませんが」
「あっ……」
島から出れないんじゃ住むわけにもいかない。資産運用目的なら使えなくもないが、それなら普通に稼ぐほうがよっぽど早いと。
「家族が住む家を用意した方もいますが、それくらいですね。というわけで、収入があっても使い道がないというのが少し問題になっています。面倒だからと寄付する程度には」
「……貯金しておけばいいような」
「そこは国としてお願いして使ってもらっているという切実な状況でして……」
あんまり大量にプールされると困るって事か。額を考えるなら分からなくもない。
しかし、使い道がないとか、実に贅沢な悩みだ。……俺も他人事ではないはずなのだが、まったく実感が湧かない。
実際、そんな大金何に使えばいいんだ? 金持ち連中は一体どういう贅沢をしているんだろうか。さっぱり思い付かない。
「島では家賃、光熱費、医療費、食費もかかりませんし、保険だって不要です。娯楽だって、数百万、数千万単位で必要になるようなものなどそうそうないでしょうし、それが毎月となると買うものなどなくなるはずです。かと言って、評価基準として見る面もある金額を減らしてモチベーションを下げるような事もしたくない」
「だから寄付に行き着くと?」
「投資も紹介してますけどね。パトロンとかいいかもしれません」
まったく想像のつかない世界だな。しかし、何かしらは考えておいたほうがいいんだろうか。宝くじが当たったらどうする、なんて話をした事はあるが、毎月一等当たったらなんて考えた事もないのだ。
「まあ、何かしら言って頂ければ国で用意できるものは用意します。……ある程度なら違法なものでも」
「……国がそれをやっていいんですかね?」
「いいんですよ。正しく治外法権です。今向かっている島は表向き存在しないはずの場所ですから大使館どころじゃありません」
違う意味でこれからの事が不安になって来たな。無法地帯って事でもあるじゃないか。
「そういえば、俺の戸籍とか、そういった扱いはどうなるんですか? まさか死んだ事になるとか……」
「元の戸籍はそのまま残ります。処理上は例の企業に就職後、同盟国の支社に出向という形になるはずです。念の為にカバーストーリーが作られますので、関係者と連絡をとる必要ができた場合はそれを利用して下さい」
「日本の同盟国っていうと……」
「ああいや、この場合条約を締結している国ではなく、セルヴァ加盟国の何れかという事です。技術交換などを目的として水面下で交流している国がいくつもあるので、その中かららしい場所を選んでという事になるでしょう。もちろん、表向きは実際に存在する国になりますが」
なるほど。セルヴァの存在自体表に出てないわけだから、そういった裏側の国際関係も存在するわけだ。表向き国交がない国でも、水面下では手を結んでいるかもしれないと。
小さな国でも戦士個人が頑張れば国際的に価値のある技術や資源などを手に入れられる。それはセルヴァ製の技術や資源に限らず、本来両国が保有する交渉材料でもいいわけだ。資源の輸入枠を拡大する代わりにとか、国際会議の議決権の代わりにとかも可能になるって事だな。
「カバーストーリー用はそれでいいとして、島にいる俺自身の扱いはどうなるんでしょう?」
「日本の情報上は存在しない扱いになります。もちろん、表面上そういう扱いなだけで日本人に準拠した扱いになりますし、偽装用の身分はこちらで用意します。もし不動産を購入されるのでしたら名義はこちらになりますね」
二重に存在するわけにはいかないから、そこら辺は妥当か。
「つまり、親に電話する時などはそういう設定を説明すると」
「おや、実家に連絡などされるので?」
「たとえです」
俺が実家と疎遠な事など当然把握しているだろう。これも言った通りただのたとえで、本当に実家へ連絡するつもりはない。向こうから連絡をとろうとする事もないだろう。
「こちらとしては検閲のし易いメールなどのやりとりのほうが助かりますが、そうもいかない場面はあるでしょうし、現地の設定なども含めて資料が用意されるので、もし会話をする際はそれを元に上手く説明して下さい。最悪の場合、会話の相手を処分する必要すら出てくるので気をつけて下さい」
「例の……今向かっている島に連れて来ればいいだけでは?」
「穏便に対処する場合はそうなりますが、そうも言ってられない場合もあります。どこにネズミが潜んでるか分かりません」
「まさか、俺の関係者に怪しい人がいるって話じゃないですよね」
俺自身が寝耳に水な話なのだ。まさか、事前にスパイが紛れ込んでいたとは思いにくい。そこまで交友関係は広くないが……。
「直接の関係者ではいないはずですが、友人の友人などといった間接的な繋がりまで追えているわけではありません。セルヴァ由来のセキュリティでガチガチに固めた上で管理している適性情報などの国家機密だって、完全に漏れていないとは言い難いですから」
「それは日本の体制の問題ですか?」
「いえ、技術的な問題です。より高度な情報技術を手に入れる事が不可能でない以上、楽観視はできないという話です。可能性だけなら、セルヴァに隷属しているすべての国家にあるもんで」
ああ、なるほど。どれだけガチガチに管理していようが、いつ他国がそれ以上の技術を手に入れるか分からないと。独自開発ならそれなりに予兆もあるだろうが、突然ポンと渡された技術を事前に察知するなどできるはずもない。それが可能である以上、楽観視はできない話だ。スパイ技術にしても同じだ。
絶対にないとは言えないってレベルでしかないとしても、俺の適性が漏れていてピンポイントで監視していたって可能性もなくはないって事だな。
まあ、冷凍みかんに聞いていたような、スパイ天国だったかつての日本よりは遥かにマシな状態と。
「戸籍などを含め、可能な限りはこちらで偽装・隠蔽を行うので、直接的なやり取りをする場合は極力気をつけてという話です」
「了解です」
「極力外部と連絡をとらず、必要な事はメールなどで済ませれば問題はありません。電話などでも、判断に困ったら社外秘ですってゴリ押ししてもいいわけですし」
普通、そんなに突っ込んだ話なんてしないもんな。飲み会で会社の自慢をしてコンプライアンス違反で降格や解雇なんて結構聞く話だし。
「ないとは思いますが、消したい相手を狙って情報を漏らすとかはやめて下さいね」
「そんな事しませんよ」
ちょっとは考えたが。
「もし、本当に排除したい相手がいるのなら、別途ご相談して頂いたほうがこちらとしては助かります」
「まさか、国で暗殺を請け負うなんて事はないでしょうね?」
「それはないですね。ただ、どうしてもというなら手段はあるという話ですよ。……といったところで、そろそろ着くようです」
特にアナウンスがあったわけでもないが、不穏な話になりそうな雰囲気が漂ったところで、ちょうど目的地に着いたようだ。
乗っていたのはせいぜい二、三時間。ヘリの速度が分からないしルート偽装している可能性もあるが、普通に考えるなら太平洋上のどこかってところだろうか。
着陸どころか離陸した感覚さえないままだったが、実はどこにも移動していなかったというオチもなく、開いた扉の向こうは違う景色が広がっていた。
……どこかの、おそらくは島の飛行場らしい。
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だだっ広い飛行場を面接官の男に連れられるまま移動する。俺たちが乗ってきたヘリ以外何も見当たらない。そういえば、管制塔すら見当たらないな。それだけ利用者が少ないって事か。
「大型の輸送ヘリが定期的にやってくるくらいですね。利用者はほとんどいません」
俺が考えている事が分かったらしい面接官が疑問を解消してくれた。
「という事は、通販しても何日かはかかると」
「そこを気にするんですか。……基本的にはそうですが、急いでいる場合などは即日でも届けてもらえると思いますよ。輸送費の問題ではありませんし」
やっぱりセキュリティ上の問題なんだろうな。いくら宇宙外知性体謹製のセキュリティとはいえ、人の出入りがあればそれだけ問題は発生しやすくなるだろう。どうやってるのか知らないが、場所も秘密みたいだし。
……結構大きな島みたいだが、本当にどうやって隠蔽しているんだろうか。普通に衛星から見えそうなもんなんだが。
「最初に引き継ぎを済ませてしまいたいのですが、よろしいでしょうか」
「引き継ぎ?」
「ええ。私はこの島の住人ではないので、出入りできる場所が限られるんですよ。特に訓練施設や武器のある場所へは近づけません。その点、専任の担当官なら一部を除いてどこへでも入れるので」
具体的に聞いてみれば、面接官の男が自由に行き来できるのはこの飛行場と連結する施設の一部のみで、それ以外はいちいち申請が必要になるらしい。
この面接官はあくまで外部との繋ぎ役という事か。所属自体は政府なんだろうが、知らなくていもいい情報を分担しているのだろう。
「おまかせします」
俺が返事をすると、男は端末を取り出してどこかと通話を始めた。ああ、専用の電話なら使えるんだったか。
「臨時なので、準備にちょっと時間がかかるみたいですね。それじゃ、ちょうど昼ですし、昼食をとってから担当官と合流しましょうか。食べ終わった頃にはゲストカードも発行されるでしょう。その後は担当官におまかせという形で」
まだ腹は減っていないが、断る理由もなかったので同意しつつ建物へと移動した。
そのまま飛行場の建物内部で営業しているレストランへ入る。ここに来るまで俺たち以外に人がいなかったので営業中かどうか不安になるが、特に問題もなく席に通された。
確か全国展開している高級レストランのチェーン店だったはずだが、これまで利用した事はない。主に価格的な理由である。
ランチタイムではなかったので適当に高そうなメニューを選んで注文する。面接官もやはり高い物ばかり選んでいるのは経費だからだろう。どうも、ここに来る度に利用しているらしい。
「このチェーンを利用した事は?」
「ないです。高校生にはハードル高いですよ」
「確かにそうかもしれないですね。しかし残念。この店舗は本土の物より一、二ランク上なんですが、比較ができないとは」
それは残念だが、高級レストランのランクの違いなんて分かる舌は持っていない。高級和牛ですと言われて、適当な牛肉出されても気付かないレベルだ。冷凍みかん曰く、昔は結構な違いがあったらしいが、現代じゃ値段くらいしか変わらないような気もする。
「あちらの窓から街が一望できますよ」
食事を待つ中、そう言われて店内の反対側にある巨大な窓に近づくと、いかにもリゾート地として用意しましたという雰囲気の町並みが眼下に広がっていた。
ただ、この島の性質上の問題なのか往来する人は少ない。飛行場のようにまったくいないというわけではないが、シーズンを外しまくった観光地のようだ。
そして、気になるのは住人らしき者への違和感。
「随分とアンドロイドが多いですね」
「おや、分かりますか? 一般で使われる物とは見た目も精度も異なるはずなんですが」
確かに遠目で見る限り人間にしか見えない。だが、いくら本物に近付けようが、その所作から漂う演技臭さは抜けない。僅かな違いなのだが、洗練され過ぎているのだ。それは役者に似ているが、普段からそんな所作をしている奴はまずいない。まあ、この島の前情報がなければ違和感を感じる程度だったろうが。
アンドロイド技術がセルヴァから齎されたものだとすると、本土で使われてる物や或いは軍用アンドロイドも劣化品で、この島のアンドロイドが正規品なのだろう。あまりに急激な技術の進化を誤魔化しているんじゃないだろうか。
「仰る通り、この街の住人は八割ほどがアンドロイドです。ウチとしてはもう少し人間の割合も増やしたいところなんですが、色々とハードルがね」
良く分からないし興味もないが、一生島から出られないとかそういった条件をクリアするには問題があるんだろう。
「むしろ、二割も人間がいるんですか?」
いわゆる戦士枠もそこに含まれるとして、あとは職員とかだろうか。その人たちも外に出れないルールがあるとなるとかなり厳しいような。
「ご存知の理由だけでなく、色々と訳ありの人間を保護する場所としても活用しているんですよ」
「えーと、犯罪者とか」
「いえいえ、そういう人ではなく、本当に訳ありというだけで人格的な問題はない方ばかりですよ。そんな危険な真似はしません。訳というのが千差万別過ぎて説明は難しいのですが」
「気を使ったほうがいい人もいるとか」
「巷で上級国民とか呼ばれるような人もいますが、あなたは気にする必要はないでしょう。少なくともこの島では更に上の特権階級ですから、むしろ気を使われる側です」
上級国民とか……この男の立場的に使っていい言葉なんだろうか。場所が場所だから構わないって事なのかもしれないが。
その後、食事が運ばれてくるまで窓から見える街の解説を受けた。
レジャー施設は常に完璧に整備されていつでも利用可能。二十四時間稼働しているコンビニやスーパーもあって、品揃えは本土のものと変わらない。
ここにない物も日本国内に在庫があるものだったら翌日には配送可能で、海外の物も日本経由で問題なく購入できる。定期便というのも、時間はズレるが一日一回らしい。ただ、防諜の関係から配達が遅れるものはあるとの事。
「ここからだとちょっと見えませんが、あの高台の向こう側に専用の邸宅が用意されています。事前に話した通り、管理者しかいない半ゴーストタウンですが。気が向いたら見学にでも行くといいでしょう」
専用の邸宅はまさしく豪邸らしいし理想郷ともいえる環境だろう。余生を過ごすならいい環境に見える。
「そういう自由時間はあるんですか?」
「着任してからの事ならば、むしろ拘束時間はほぼありません。ご自身で組まれた予定を無視しなければ、あとは自由時間です。もちろん、この島からは出られませんけど」
囚人のようにガチガチに決められたスケジュールとは思ってなかったが、思ったよりも緩い環境なんだろうか。
「直近の事ならば、いくつか手続きが必要なのと、研修を受けていただく以外はご自由に。必要なら車も出してくれるはずです。着任の許可が降りるまでは、おそらく数日かかるでしょうし」
「おそらく?」
「知らされてないんですよね。これから会う担当官なら知っているはずですが。結局のところ私は外部の仲介役で、内部で行われている業務についてはほとんど知らないという有様でして」
「管轄が違うと?」
「省は一緒なんですがね。機密というやつです」
つまり、この男に聞いても詳細については表面的な事しか分からないという事だ。それだって表では機密なんだろうが、最悪流出しても問題ない程度のものって事なんだろう。
「それでも戦士の方と面談する事はあるので、簡単になら中の事もご説明できますけど」
「……ああ、そういえばその『戦士』ってやつ、どうにかならないんですか? 自分が言われてるとなると、ちょっと恥ずかしいんですが」
「似たような事を言ってる戦士の方もいましたね。……とはいえ、まったく理由もなく適当にそう呼んでいるわけでもないので」
日常において、基本的に『戦士』という単語は使われないし、そう呼ばれる存在もいない。せいぜい、ファンタジックな創作物の中で散見されるくらいだ。『勇者』よりはマシな気はするものの、どちらにしても自分が呼ばれるのはちょっとという感じである。
「軍所属でない者を兵士と呼ぶのも不適当ですし、選手とも言い難い。それていて戦う者ですから、まあ戦士だろうと。そういう話なんです」
「セルヴァから何か呼称が付けられていたりとかは?」
「あー、おそらくですが、この島の中での呼称は『シン』になります」
なんだ、あるんじゃないか。
「どういう字ですか?」
「分かりませんので、カタカナでシンです。……というか、実はこれが戦士を指す言葉なのかも分かりません。多分違うんじゃないかなとは思うんですが、ローカルルール的にこの島では戦士をシンと呼んでいます」
「ちょっと意味が分からないんですが」
「彼らは……セルヴァの中で我々を担当している存在は我々の事を指すのにシンと呼ぶんです。あなたもシンで、私もシン。地球……いや、日本人くらいの意味合いかもしれません」
それはまた、随分大きな括りだ。だが、それならここ以外で使ってもいいような気がするのだが。……機密的な問題だろうか。
「このシンもあまり良くない意味が含まれてるんじゃないかと言われてましてね。奴隷とか、隷属者とか、下位の者とか。正確なところは分かりませんが、国としてはあまりそういう意味が含まれている言葉を使いたくないと」
「下手すれば蔑称の意味があるかもしれない。……だから無難で分かり易い戦士と?」
「はい」
他に戦士なんて呼ぶ存在がいないから、区別も付きやすいわけだ。
でも、実際負けて隷属している以上、侮蔑の意味合いがあろうが仕方ない部分があるような気がしなくもないんだが。ここではそう呼んでいる以上、国としての見栄のようなものなんだろうか。
俺としては、戦士と呼ばれるよりは意味の分からない言葉で呼ばれるほうがいいな。
「ちなみに、外国はまた別らしいですね。内部の呼称は分かりませんが、英語圏だとファイターだそうで」
そのままである。戦士って呼称もそこからきてるんじゃないだろうな。
「個人的にはシンという呼称も分かり辛いと思うんですよね。同じ発音の言葉が大量にありますし。真なのか新しいのか、はたまた罪の意味なのか。セルヴァなら発音上も間違えようがないんですけど」
短いとどうしてもそういう事になってしまうんだろう。
「実は戦士……シンの中にも慎という名前の方がいまして」
うわ、面倒臭え。
詳細は専任に任せたほうがいいだろうという事で、面接官とは当たり障りのない会話をしつつ、食事を始める。
……美味い。美味いが、値段相応かと聞かれたら首を傾げてしまう。そういう味だった。こんな俺が贅沢三昧とか、まったく笑わせる冗談だ。
「どうしようもないものもありますがね。例えば関係者以外は招く事もできないですし、生のスポーツ観戦やライブも参加できない。中には同人誌即売会に参加できないと嘆いた人もいます。島の中でのみ使用可能な端末は用意されますが、外部と電話もできませんし……職員の話では、最大の不満点は話相手がいない事だそうです」
「……引き篭もりには楽園なんじゃないですかね」
「ネットへのアクセスが出来ても、書き込みなどはできないので……どうでしょうね」
「うーむ。……理想郷でもないか」
「山岸様」
そうして、島内の娯楽と規制によってできない事について話をしていると、タキシード風の制服を身に着けた従業員らしき男がやって来て、面接官に伝言を伝えていた。
「引き継ぎの準備ができたようです。この後、案内します」
それは大体予想していた内容だった。名残惜しく……はないが、この面接官ともそこでお別れだろう。当たり前だが、普通の名前だったんだな。
……レストランから出る時に時代錯誤な名刺も渡された。所属や役職は記載されていないが、どうやらこの面接官は山岸道というらしい。道と書いてトオルだ。……珍しいが、自分で付けたんだろうか。
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引き継ぎの場所というのは案外近く……というか、同じ建物の中で行われるらしく、エレベーターで階を移動するだけで目的の場所に到着した。
専用の個室に通され、担当者間の引き継ぎを行う間はそこで待機する事となったが、そのやたら豪華な内装とソファの感触が急に現状の非現実感を呼び起こす。
……今更だが、なんでこんな事になってんだろうか。ご自由にどうぞと言われた酒類に手を出せば気が紛れるかもしれないが、酒どころか他の飲み物にも手が出ない。
「はじめまして。私、環境省の十和田遥と申します」
しばらくして、引き継ぎが終わったらしい担当官とやらが姿を現した。俺よりも背の高いスーツ姿の女性だ。正確な年齢は判別できないが、若い。官公庁所属としては違和感を感じるほどに。
軽く挨拶をして、改めて席に座ると説明が始まった。あの男……山岸から聞いたようなこれまでの歴史の裏側やこの島で行われてる事、そしてこれからの俺の待遇について。
概要を聞いてはいたものの、こうして改めて数字で出されると尻込みするほどに強烈な高待遇だ。支度金代わりと言われて出されたカードの金額だけでも軽く金銭感覚が狂うほどに。
「寮で使われていた私物に関してそのままの形で搬入と……それで、契約内容に関してはいかがでしょうか。金額に関してはご不満な点があっても、他のシンとの兼ね合いから変更する事は難しいのですが」
「……えーと、他の戦……シンも同じ待遇で?」
「はい。ランクごとに発生する報酬や年金は異なりますが、基本的な部分に関しては共通です」
さっき食事したレストランの料金なんて誤差にもならないな、こりゃ。戦う事によって発生する報酬を抜きにしても、大企業の利益を一人で受け取っているようなもんだ。しかも、これはあくまで国から出る報酬であって、セルヴァから出るものとは別扱いと。
「着任すれば分かると思いますが、敗北した場合に発生するファイトマネーですらこれよりも遥かに高額なので、ここから上乗せする場合は戦闘において勝利するかボーナスを獲得という形になります。ただこちらのほうはポイントと金銭の換金レートも関わってくるので、詳細を出すにしても現在のという形になりますが……」
「いや、不満ってわけじゃないです、はい」
この条件で不満な奴などいるんだろうか。業務内容的にやりたくないって奴はいるだろうが、これで足りないと言う奴はないだろう。
「まあ、私も立場上かなり高額な報酬は頂いてますが、それでも一般人の範疇ではありますので、異常な世界だとは思います」
「そ、そうですよね」
そういえば、この人自身は別にシンではないのだから、普通に国から給料を受け取っているはずだ。仕事上のものとはいえ、こんな額の契約を見て嫌になったりしないんだろうか。
「ただ、国がシンから受け取っている利益はそれどころではないので。セルヴァの齎す技術や資源というのはそれほど規格外に有益という事です。それに比べれば、この待遇はむしろ過小といっても過言ではありません」
「は、はあ……これで過小」
当事者とはいえ、実感がない身では生返事しかできない。
「国としても足りないとは思っているんですが、なら何を用意すればいいのかという問題もあります。待遇改善などの案がありましたらお声がけ下さい。こうした契約の場合は一律変更するしかありませんが、それ以外の事でしたら個別対応も容易ですので。一応、過去にシンから出された要望もこうして纏めていますので、そちらを参考にして頂いてもいいですし」
と言いつつ差し出してきた冊子には、想像を絶するような内容の要望が書き連ねられていた。名前の記載はないし、非公開のものもあるらしいが、どれもこれもどこの成金だと言わんばかりの内容だ。……あまりに即物的な欲求の数々に恐怖すら感じる。正直、遠い世界の話にしか見えず、あまり惹かれるものはなかったが、却下された要望もあるので、判断の基準にはなるだろう。
「ここまでの待遇だと一体何やらされるんだって不安になってしょうがないんですが、研修とやらでその詳細も教えて頂けるって事でいいんでしょうか?」
「いえ、予定されている研修はあくまで日本が提供しているもので、シンの活動内容には触れません。一番多いのは融資についての講習で、機密に関わるのもせいぜい島内の事についてですね」
「……ひょっとして、戦闘訓練というのも?」
「インストラクターはただの退役軍人ですから、内容も軍基準のものばかりになります。もちろん、他のシンから話を聞いて必要と思われるメニューに絞ってありますが」
結局のところ、着任しないと何やらされるのか分からないって事か。
「担当官である私も、シンのやっている事の詳細は知らされていないのが実情でして……。この島の地下……シンに用意された領域の向こうに足を踏み入れた事すらないんです」
セルヴァの存在やこの島自体も機密だが、それ以上に厳重に機密が守られてると。外との折衝役であるこの人が知らない……知らないという話を信じるなら、絶対に漏らせないような情報があるってわけだ。
「専任の担当官でも立入禁止って事ですか」
「正確に言うなら、シン以外は入るのは許可されてもそこから出てこれないという話になります。立場上、それはちょっとできないので」
「ああ、なるほど。実際にそういう人がいたとか?」
「人……ではありませんね。あなたにも用意されますが、身の回りの世話を担当するアンドロイドが一体専任で付けられます。着任の前日くらいには紹介できるかと」
専用のアンドロイド。……確かにありえなくはないのか。個人で保有している人など知らないが、アンドロイド自体は普通に販売されているわけだし。異常な高待遇の中ではむしろ普通の部類といえる。……あまり考えてなかったが、炊事、洗濯などは気にしなくてもよさそうだ。
「となると、シン以外中の様子を知っている人がいないって事になるわけですが、実際に着任した後、そこら辺の説明は誰から?」
「推測でしかありませんが、おそらくはセルヴァ、あるいはその従者あたりではないかと」
推測かよ。
「案外、別のシンが新人について教育って事も有り得ますが……あんまり他者に干渉しようとしない人たちなので、可能性は低そうです」
「いわゆる同業者になるって認識だったんですが、シン同士もまったく関わらないんですか?」
「ないですねー。ほとんど上にも上がって来ませんし」
聞いていた話では、定期的な面談以外は干渉を拒否する権限があるって事だったが、同じシン同士でもとなるとずいぶん極端だ。ランキングのある仕事だからライバル意識でっていう可能性はあるが、ここまで聞いた感じだとそんな印象もないんだよな。
「一応、メッセージを送付したり、こうして面談依頼をする事はできるんですが……」
十和田さんがそう言いながら何かのリモコンを操作すると、俺の後ろの壁にディスプレイが表示された。そこには、スケジュール管理用表のようなものが表示されている。
日付は今日付近のものだが、その中身は何も書かれていない。スクロールしても、定期面談くらいだ。
「話を聞きたいって言っても叶う要望じゃなさそうですね」
「相手もシンなので、こればっかりはなんとも。……あれ?」
表示がスクロールして一番下の部分……唯一、名前が書かれてる枠に予定が書き込まれていた。表示されている名前は……俺だ。
「滝沢君からの面談依頼? ……ひょっとして知り合いだとか?」
「いや、知りませんが。滝沢って地球圏ランキング一位の人ですよね?」
知人・友人、親戚まで見渡しても滝沢という姓はいなかったはずだ。無論、ランキング一位の人もパンフレットで見たのが初見である。
「はい。あなたの着任予定は他のシンも知らないはずなんですが……そもそも計画外ですし。……この枠は滝沢君が用意したものだからって事? ……どうします? 拒否もできますが」
「一位の人に逆らうとかアリなんですか?」
「アリかナシで言えばアリです。基本的にシンの権限は同じなので。流石に心象に関しては保証できませんが」
どんな反応をするかなんて千差万別なんだから、そりゃそうだろう。つまり、理由がないなら無難な対応をしろって事だな。
「せっかく向こうが会うと言っているんですし、会います。先輩なら聞きたい事も多いですし」
「ならこちらで処理しておきます」
「一応、シン同士で話す場合の注意点なんかも教えて頂けると……」
「あ、はい。そうですよね、島内の住人も含めて注意点をまとめたものはありますので……」
その後も、確認作業を続ける。十和田さんは見た目と違って話し易いから、会話が弾むというのもあった。あの山岸はちょっと胡散臭かったからな。
例の面談依頼については、画面で指定されている日は複数あったが、どの道シンに直接会う事ができるのは着任後の事らしく、その初日に合わせてもらう事になった。
……結局のところ、事前に何かが分かるわけではないって事だ。
「シンとしての登録が完了するまで数日はかかる予定ですので、そういった要望も含めて今後の事を検討しつつのんびりと過ごしてみてはいかがでしょうか」
「戦闘訓練や研修などもあると聞いていたんですが」
「一応予定には組み込んでますが、必須ではありません。もちろん、今後の事を考えれば受けておいたほうがいいのは確かなので、こちらの端末を使い、先ほどと同じのスケジュール画面から依頼を出して下さい。基本的には前日までに予定に組み込めば対応可能です」
そう言って十和田さんがテーブルに置いたのは一台の携帯端末だった。見たところ普通の端末で使用感も似たようなもののようだが、通話機能はこの島内でしか使えず、他にも多くの独自機能があるらしい。
-4-
訓練や講習を予定に入れるにしても最短でも明日からという事で、今日はいきなりやる事がなくなってしまった。やたら膨大な支度金はあるし、各種レジャー施設や店舗なども利用可能ではあるが、何をすればいいのか分からない。
とりあえず、数日間利用する事になるという宿泊施設に案内されて、充てがわれた部屋へとやって来たものの落ち着かない。高級と思った昨日の部屋よりも遥かに高級っぽい内装にビビっていた。
アンドロイドとはいえ、コンシェルジュがいるホテルに泊まった事などないのだ。持ってもらう荷物なんかねーよ。
ここに来て、異様な焦燥感に襲われる。何かしなければと、潰されそうなプレッシャーが今更押し寄せてくる。あまりに急激な変化がようやく追いついてきたとも言えるだろう。
なんで俺はこんなところにいるのか。選択はしたものの、半ば以上俺の意思とはいえないどうしようもないものだ。逃れる事はできなかっただろうし、逃れた先も碌な未来は待っていなかったはずだ。だから、ここにいる事は正しい道を歩いた結果だ。そうに違いないし、それ以外の道も想像できない。
しかし、ここから先に続いてる道が果たして幸福なものかと言われると自信がない。一本道のはずなのに、先がさっぱり見えない。
金銭に困っている者からすれば贅沢極まる話なのだろうが、金に困る事はないだろう。……いや、使い道がなくて困るといえばそうかもしれないが、少なくとも足りないという事はない。
贅沢はできる。それこそ想像も付かないような、世界のほとんどの人間が体験し得ないレベルだ。しかし、一方で庶民的な幸福は有り得ない。地に足がついたような、誰もが想像できるような人生は送れない。詳細など分からないが、それは確信できる。
これで良かったのかも何もないが、どうしてもそういった疑問が頭をよぎる。不安で堪らない。これまで歩いていたあぜ道が急に高速道路に切り替わったような唐突感がある。
「あーっ!! もうっ!!」
部屋でじっとしているから変な事を考えるのだ。なんでもいいから体を動かせば、多少はマシになるだろうと散歩に出る事にした。
ちなみに、ロビーでの手続きなども必要なく、すべてフリーパスだ。なんなら、いつ来てもすぐに部屋を用意してくるらしい。
……そもそも、このホテルに利用者はいるんだろうか。俺と職員以外いないんじゃないだろうな。
この島に来て初めて一人で飛び出した街は、やはり違和感を伴うものだった。閑散としているわけではないが、行き来しているのがすべてアンドロイドという事もあって、作り物の街に迷い込んでしまったような気さえする。
アンドロイドを含めた人口自体も少ないのか、立ち並ぶ店舗の利用者もほとんどいない。どの店もガラガラだ。営利目的なら普通に立ち行かないだろう。
とはいえ、店の種類は普通である。こんな場所だから高級店ばっかりかと思ったが、事前に言われていたコンビニやスーパーに加えて、庶民的な飲食店や居酒屋もあった。どこの街でも見かけるようなチェーン店も多くある。
俺の趣味の一つである紙の本屋もあった。これまでの人生でも数えるほどしか見た事なかったから、少し嬉しい。
というわけで、本屋に入ってみる。かなり巨大な店舗で、ビル一つが丸々本屋らしく、階ごとにジャンルが違うらしい。
確かに、場所をとる商品で点数も多ければこういう形態になるだろう。ひょっとしたらみかんが冷凍される以前の本屋というのもこういう形だったのかもしれない。
「……なんか、着任までの日数ここだけで時間潰せそう」
新品しかないので古い本は復刻版なのだろうが、それでも想像以上に冊数が多い。電子本のサイトでも見た事ないものも多かった。
ただ、同時にこれだけの量となると持ち運びも大変そうだなと、本屋が廃れた理由の一つにも思い当たったりもした。やっぱり、スペースの問題は大きいな。
「およ?」
それに遭遇したのは、娯楽小説のフロアを散策していた時だった。他に客が誰もいないフロアで本の入れ替えをしている少女がいた。アンドロイドの店員かとも思ったが明らかに反応が違う。向こうもこっちが人間だと気付いたらしい。
「いらっしゃいませー。珍しいけど、人間ですよね?」
「あ、ああ。……って、やっぱり珍しいんだ」
「他の店ならともかく、アンドロイドは紙の本なんて読みませんし」
ああ、そりゃそうだ。電子データならインストールすれば済む話なのに、わざわざ実物を手にとったりはしないだろう。
「えーと、初めての人ですよね? 環境省の方とか?」
また環境省だ。ここの管轄はやっぱり環境省なんだろうか。まったく関係ない気がするのだが。
「いや、俺はここのシン……って言って通じるのかな、地下で戦うために連れて来られた……」
「え、本当に?」
通じはしたが、えらくびっくりされている。一応、ここの住人に話していい情報については聞いているから、禁則事項って事はないと思うんだが。
やっぱり、シンは引き籠もりばっかりっていうのは間違ってなかったのか。
「……実在したんだ」
そのレベルかよ。どんだけ外出ないんだ。
「まあ、正確には着任前だからシンって言っていいのかは微妙なところなんだが」
「でも、しばらくしたら例の地下に行くんですよね? それなら変わらない気も……あっ、言葉遣いとか大丈夫ですか?」
「他のシンは知らないけど、俺は別に。昨日まで普通の高校生で、社会経験すらないし。……シンが相手だとどうとか、そういうマニュアルがあったり?」
「とりあえず遜って媚売っておけと」
立場的にはそれで正解なのかもしれんが、納得し難いものがあるな。
「まあ、俺には関してはそういうのナシのほうが助かる。ここまで別世界のエリートかアンドロイドとしか話してないから気疲れしてるんだ。……いや、ここにいるって事は君もその手の人だったり?」
「その手の人? ……ああ、いわゆる訳ありらしいですけどその訳を知らない人なんで、良く分からないです」
ここに押し込まれるって相当だと思うんだが、あっさりとヘヴィな事話すんだな。なんにも知らないならむしろそれが普通なのか。
「あーでも、他の人はどうでしょう。ここの住人はあんまり関わりたがらない人は多いので。あたしみたいなのは多分少数派かと」
「友達とかは?」
「いないです。というか、こんなに話したのも久しぶりで、実は結構心臓がばっくんばっくんと」
「あー、じゃあ嫌じゃなきゃ暇な時に話し相手にでもなってもらえると助かるな」
こういう普通の会話ができる相手ってのは多分貴重だろう。下心がまったくないとは言わないけど。
「今でもいいですよー。どうせお客さんなんて来ませんし」
「俺が客なんだが」
「あ、そうだ。……じゃあ、店の案内しましょう! わざわざ来たって事は、紙の本に興味があるって事ですよね? まさか、ただの散歩とか」
「いや、趣味。でも、読むのは電子化も復刻もしてないような古本が多いんだよな。新刊だと漫画ばっかりで」
「ここの地下が古本のスペースです。あんまり整理されてなくて倉庫みたいになってますけど」
「マジで!?」
「うおぉ、めっちゃ食いつきがいい。とりあえず趣味は読書ですって言う人じゃないんですね」
むしろ、ここに来て一番の朗報だ。有り余る金で古本の図書館を作ろうとか思ってたくらいなんだから。
しかも、こんな結構大きいビルの地下が古本スペースとか期待するなというほうがおかしい。
「やっぱり、紙じゃないと駄目とかそういう人なんですかね? 手触りとか臭いとか」
「いや、そういうのはどうでもいい」
「ありゃ」
ありとあらゆる本が電子化されているのなら、別にそれで読んだっていいのだ。俺が好きなのは大抵絶版になってたりするから問題なのであって。
「名作でもなんでもない微妙なミステリーとか、現代社会じゃ鼻で笑われるようなビジネス本とかが好きなんだ。当時の社会背景が透けて見えるようなやつ」
すごく威勢のいい事書いてるのに、調べてみたら何年後かに逮捕されてたりすると最高だ。
大体、冷凍みかんの影響である。
「なるほど……変な人なんですね」
「……まあ、自覚はあるけど」
随分遠慮のない子である。さっき媚売るとか言っていたのはどこに行った。まあ、俺としてはこのほうが助かるが。
「じゃあ、とりあえず地下フロアへごあんなーい」
と言われて連れて行かれた先は、割と普通のフロアだった。古本でもちゃんと洗浄処理しているのか綺麗なものばかりで、パッと見は他のフロアと変わらない。
その後、適当に知らない本を五冊ほど購入して、実は東堂ユウリという名前だった店員と談笑して癒やされてからホテルに帰還した。結果的にはなかなかいい散策だったんじゃないだろうか。
……しかし、カタカナ名か。ずっとここにいるって、そういう事だよな。
-5-
「というわけで、私が戦闘訓練官の柳だ。よろしく」
翌日の事。先日のほのぼのとした雰囲気から一変して、戦闘訓練が始まった。
必須ではないとの事だが、ただでさえ情報が少ない中で、シンの意見を取り入れた訓練というならやらないという手はない。
「はい、宜しくお願いします、教官殿!」
「いや、そういうのはいいから」
「サーをつけろとかウジ虫扱いされたりとかは」
「随分古いな。いや、現代じゃどこもやってないと思うよ、そういうの。そもそも、ここ軍隊じゃないし」
かなり気合と覚悟を入れてきたんだが、肩透かしだったらしい。
とはいえ、この柳って教官は退役軍人だけあって雰囲気がある。ガタイからは歴戦の雰囲気すら感じられるほどだ。……まさか、この現代で実戦経験あるとかはないよな。
「軍事訓練でもない。希望があれば、同じメニューを用意したりはするけど、多分君には不要だろう」
「シンの意見を取り入れているとは聞いてるんですが」
「そう。実際にどういう戦いが行われているかは知らないけど、ルーキーの役に立ちそうな内容って事で意見はもらってる。一応、効果が出てるらしいとは聞いているけど、どの程度なのかは分からない。ま、気休め程度だろうね」
また不安になる物言いだが、できる事がほとんどない今は貴重な体験なのだ。
そして始まった訓練は、オーソドックスなストレッチから。その次に器具を使った筋力トレーニング。変わったものだと、反射神経や動体視力を鍛える訓練なども用意されていた。どれも本格的にやるのではなく、やり方を教えてもらうという形だ。どこにどう影響しているのかを含めて、ちゃんとした知識を持つ事が重要らしい。
「あの……シンって筋トレとかしたりするんですかね?」
「分からない。実際に会ってみると、そこにあるのが本当に筋肉なのか疑わしかったりするんだけど、トレーニング方法を知る事自体には意味があるって言っていた」
「会った事はあるんですね」
「あるよ。滝沢君を筆頭に十人程度だけど」
それが多いのか少ないのか良く分からない。聞いてみれば、総人数も公開されていないらしい。十和田さんなら情報として持ってはいるものの、やっぱり非公開情報だという話だ。
一通り体を動かす訓練を終えた後は銃器の訓練らしい。創作物などでは良く見かける射撃訓練場に移動して、基本的な銃の説明が始まった。
「なんか、随分古いものばっかりな気が」
「実際古いからね。ここにあるのは一番新しいものでも二十世紀末のものだから」
使いやすいものを選ぶという事で、ズラリと並べられた拳銃はどれもが古い作りのものばかりだった。古い映画などでは見かけるが、現代では骨董品扱いされるような代物だ。銃器に詳しいわけではないから、現代のものとどう違うのかは分からないが。
これらも、どうも実際に使う機会があるって話らしい。シン自身がそう言っているのならそうなのだろうが、かといって最新式の銃が使えないわけでもないという事だ。
「現代のものと違ってかなり反動があるから気をつけて。安全装置も物理式で……」
とレトロな銃の仕組みについて色々説明を聞きつつ、なんとなく手に馴染む感じがした拳銃を選んで射撃訓練を行う。
イヤーマフを着ける前に聞かせてもらったが、結構な音にビビる。反動も思っていた以上で戸惑うが、教えられた通りに撃てば前には飛ぶ感じだ。……昔の人はこんなので戦ってたのか。一番でかいのを常用してたら肩なくなりそうなんだけど。
そうして、数百発射撃訓練を終える頃には、ある程度人型のターゲットにも命中するようになってきた。かなり疲れているはずだが、銃を撃った興奮で自身の状態が良く分からなくなっている。
「さて、ここからが本番だ。ちょっとターゲットを変える」
「はあ」
ターゲットを変えたところで上達に大した違いなどないような気がするのだが。いきなり上手くなるような方法でもあるんだろうか。
「実は軍人でもいきなりこれをできる奴はあまりいない」
「えっ、そんな訓練じゃ、俺がやっても意味ないような……」
「いや、これは技術どうこうというよりも、精神的な問題なんだ。そして、シンの意見では一番重要視されている部分でもある」
「…………」
なんだ。いきなり不穏な感じになってきたぞ。何やらされるんだ、俺。
「というわけで、次の的はアレだ。良く狙って、どこでもいいから当てるんだ。できれば急所だと良い」
柳教官がそう言うと、俺が使っている射撃レーンのターゲットが後ろに下がり、代わりに地面の下から何かがせり上がってきた。
「……マジかよ」
それは、椅子に括り付けられた人間だった。
まだ主人公の名前すら出てない件について。(*´∀`*)
次回からしばらく「その無限の先へ」特別編の更新が続きます。詳細については活動報告を参照。
基本的に順番はそのままの予定ですが、内容によっては前後する可能性があります。
しかし、自業自得とはいえ、こんなに特別編を書く事になるとは。(*´∀`*)