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第六話:父と娘の私達 後編

 リンネに手を引かれるままやってきたのはリンネの私室だった。今までリンネの私室に足を踏み入れた事はなく、彼女の部屋は新鮮だった。

 特に変哲もない部屋で、本だけはたくさんある。紙には論文と思わしき文章が綴られている途中だった。

 勉強家なんだろうか? そう考えればリンネが魔術に詳しいのも納得できる。


「やれやれ、お父様にも困ったものですね」


 私のためなのか、椅子を引いた後にベッドに腰を下ろしたリンネは溜息交じりにそう言った。


「……リンネはお父様に厳しいのね」

「あっちも私に厳しいですからね。お姉様にとっては甘く優しいお父様なのでしょうけど、私にとっては鬼のように厳しい方ですからね」

「……それって私のせいなの?」


 ぽつりと、私はリンネに問いかける。私とリンネで態度が全然違う父上、その理由は私にあるのかと気になってしまった。


「お姉様のせいと言うよりは、お母様の死が原因でしょうね。お母様の死はお父様にとって少なくない衝撃を与えました。お姉様にお母様の面影を見出してしまうように、お母様の死の要因となった私を愛せないように」


 母にそっくりな私と、母の死と引き換えに生まれてきたリンネ。態度の差が出てしまうのはわかるけれど、あんな露骨なものだったとは知らなかった。


「それに私は将来、婿を取ってミヅチ公爵家を継がなければならない身ですから。愛情の欠片もなく、ただ義務で私を育ててたって感じですね」

「……何とも思わないの?」

「育児放棄している父を父親だと思えと? 私にとってはただの気難しい上司ですよ、お父様は」


 上司。そう言い切ったリンネは平然としていた。そこに執着のようなものは一切ない。割り切ってしまっている関係に私が息を呑む程だった。

 私は、少なくともお父様に愛され、甘やかされて育てられてきた。その影でリンネは娘だと思われないような扱いをされていたのだと思うと、私の恨みは筋違いなものに思えてしまった。

 だって、お母様を殺したのはリンネじゃない。リンネと引き換えに亡くなってしまったお母様だけど、リンネが自分の意志でお母様を殺そうとした訳じゃない。

 ……そんな事、考えればすぐにわかる事なのに。


「感情というのは解きほぐすのは至難の技ですからね。まぁ、お父様も可哀想な人ですよ。だから嫌ったりはしてませんし、憎んだりもしません。ただ、私はこのミヅチ公爵家を受け継ぐ者として、この家の正常化に努めなければならないだけです。その為に一番邪魔だったのはお姉様だった訳ですが」

「うぐっ……」

「皇太子の婚約者、公爵令嬢という立場を勘違いしてよくもあれほど我が儘三昧が出来ると感心した程でしたよ」

「わかった、わかったから傷を掘り返さないで……」


 失恋した痛みもあって、恋という熱病は冷めてきた。冷めてきて冷静になればなるほど、自分でも自分をないな、と思ってしまうようになってきた。


「お母様はとても優しい方だったそうですからねぇ。その面影をお姉様に見てしまって区別ができなかったんでしょうね。いつかきっと母のようになってくれる。自分の娘なのだから。そんな現実逃避ですよ」

「……お父様はずっと苦しんでいたのね」

「お姉様の前ではそんな素振り、一切見せませんでしたからね。気付けなくても仕方ないかと」


 リンネに言われて、初めて我が家の現状が危ういものだったのだと気付く事が出来た。公爵としてはともかく、家庭を顧みることのできない父親。姉は傲慢に振る舞い、特権意識で我が儘三昧。

 そんな二人がいた家庭で育ったリンネは、実は私達の事を恨んでいてもおかしくないのでは? と思う程に悲惨だ。子供として愛して貰えず、姉からはいない者として扱われてきた。

 ある意味で捻くれてはいるけれど、悪辣だとは思えない。


(……いや、待ちなさい? 本当に?)


 この子、私をペットって呼んでるわよね? しかも逆らえないように魔術までかけて。これで悪辣じゃない? ……いいえ、十分悪辣だったわ、この妹。

 そうしてしまったのが仮にも自分とお父様のせいなのだとしても、今の状況に納得する訳にはいかない。ペットなんてご免よ!


「百面相、面白いですね。お姉様」

「ハッ……! み、見るんじゃないわよ!」

「はいはい。それでは心温まる姉妹の会話をして心を休めましょうか。この後、お父様を交えた家族会議が待っていますからね」


 茶化すように言うリンネは、まるで悪戯をする直前の猫のような顔をして笑うのだった。



 * * *



 お父様が私達と会話に臨んだのは、夕食の後だった。

 夕食の席は無言、ただ重苦しい空気の食事は味が感じられなかった。原因はお父様だ、眉が寄って戻らなさそうな顰めっ面をして食事を進めていた。

 リンネもリンネで澄ました表情で夕食を食べていたので気が気じゃなかった。そして全員が食事を終えたのを見計らって、お父様が口を開いた。


「……リンネよ」

「はい、お父様」

「……婚約破棄の事、もしや事前に知っていたのではないか?」


 お父様は睨み付けるようにリンネを見ながら問いかける。その圧力は食事を終えたばかりのお腹に少しよろしくない。

 リンネは口元をそっと拭いながら、皮肉げな笑みを浮かべてお父様を見つめ返した。


「えぇ、知っていましたが」

「何故、私に報告しなかった?」

「報告した所でどうしていたと言うのですか?」

「…………」

「お姉様を説得も出来なかっただろうお父様に何が出来たと言うのですか。事前にヒュウガ様と話をつけましたか? お父様が出てくればホムラ公爵とて黙っていないでしょうに。そうなれば話はお遊びでは済まなくなります」

「遊びだと!?」


 お父様の怒鳴り声が強く響き渡る。身を震わせてしまいそうな怒鳴り声を受けてもリンネは皮肉げな笑みを崩すことはない。


「遊びも遊びですよ。こんな茶番、所詮はヒュウガ様に経験を積ませるだけの茶番以上にどんな意味があるというのですか? そもそも悪いのはお姉様の普段の振る舞いに、ホムラ公爵令嬢に対しての陰湿な行いが原因です。責任問題にするのではなく、一方的な断罪で婚約破棄なら良い方でしょう。だからお遊びですよ、お遊び」

「……そのお遊びでウルハの将来が――」

「そんなものは元からありません」


 私の未来が一瞬にして斬り捨てられる。私もつい反抗してしまいそうになったけれど、自分の身から出た錆だと言うのは嫌でもわかっている。

 それはお父様も同じだったのか、私と同じように口を閉ざしている。その表情はどこか悔しげなものだった。


「お姉様を誰も止められなかった以上、お姉様の公爵令嬢としての末路は決まっていました。なら、別の待遇で将来を保証してあげるしかないでしょう」

「……お前が保証すると言うのか? リンネ」

「えぇ。お姉様には私のペットという名誉を与えます」

「ペットだと!?」

「躾のなってない令嬢なんて畜生にも等しいでしょう? 何も虐めて遊ぶつもりありませんよ? あぁ、可愛がって嫌がられる事はするかもしれませんけど?」


 ケタケタと壊れた人形のように笑うリンネに背筋に怖気が走る。……やっぱ、どこかおかしくなってるんじゃないかしら? この妹。

 

「良いじゃないですか、これでお姉様はずっとこの公爵家に飼われて生きていきます。手放さなくても良いんですよ? カワイイ娘でしょう? お父様」

「……私は、」

「――何もしなかったお父様に、お姉様の末路に口を出す権利なんてないんですよ。まだおわかりにならないんですか?」


 不意に笑みを消して、感情が失せた声でリンネはお父様に突きつけた。それは突き放すような言葉であり、同時に苛烈なまでに切り捨てるような響きが込められていた。


「貴方がやった事は育児放棄、つまりお姉様の未来に対しての無責任です。今さら貴方が何を言おうともお姉様の評判は変わらない。お姉様の性根も戻らなければ、婚約破棄がなかった事にもならない」

「……」

「令嬢としての未来なんて、貴方が見捨てた時点でどこにもないんですよ。それならペットの方がまだマシでしょ?」

「全然マシじゃありませんけど!?」

「おや、私のペットは不満ですか? それなら心を入れ替えて真っ当な人間になってから出直してきてくださいね」

「ぐっ……!」


 ま、まったく反論が出来ない……! 悔しさに歯噛みしていると、リンネを睨み付けていたお父様が不意に視線の圧を弱めた。

 萎んでいくように肩が落ちていくお父様は、まるでやつれきってしまったようだった。一気に変わり果てた雰囲気になったお父様に私は思わず不安な心地にさせられる。


「お、お父様!? 大丈夫ですか!?」

「……あぁ。……ウルハよ」

「……お父様?」

「……すまなかった」


 呟くようにお父様が謝罪の言葉を告げる。同時にその目から涙が伝って落ちていった。

 お父様の涙に私は目を奪われて、言葉を無くしてしまう。あの優しかったお父様が途方に暮れたように泣いていた。


「……リンネの言う通りだ。認めたくなくて、この年にもなって意地を張ってしまった。そんな意地がお前の為になどならないのにな。すまなかった、私が不甲斐ないばかりにお前には苦労をさせる……」

「……お父様」


 幼い頃の記憶が不意に蘇る。それはまだお母様が存命だった頃の記憶だ。

 お父様も、お母様も、本当に優しくて温かかった。小さな私を抱き上げて、強く抱き締めてくれた。

 本当に大好きな二人だった。お母様が亡くなってからも、お父様だけは変わらないでいてくれた。

 ……違う。私達は、変われなかったんだ。お母様を亡くした日から。


「……いいえ、いいえ。お父様、私も悪いのです、今さらながら我が身の愚かさが身に染みました。本当に申し訳ありませんでした」

「……ウルハ」

「そして、私達が本当に謝らなければいけないのは……きっとリンネなのです。確かにこの扱いに納得はいきませんが、リンネの言う事は否定出来ません。私達がこうだったから、リンネもこうなるしかなかったのではありませんか?」

「それは……」


 ちらり、とお父様が気まずそうにリンネを見つめた。……涼しい顔で茶を啜っていた。

 お構いなく、みたいなジェスチャーでリンネが手を振る。お父様が気が弱った目で私を見てきた。私も微妙な表情でお父様を見てしまう。


「……なんというか、その……すまない、ウルハ」

「いえ、その、本当に……心中をお察し致します」


 この子がもうちょっと、こう、儚げというか、こんなに図太くなかったらお父様もここまで頑なにならなかったんじゃないかしら……? これって責任転嫁かしら? 私とお父様が悪いの? 本当に?

 素直に自分が悪いと思えなくなってしまうリンネの不貞不貞しさに苛ついていると、当の本人が空気を入れ換えようとしたのか手を叩いて注目を集めた。


「では、ようやくお姉様もお父様も人並みになったみたいなのでお話し合いをしましょうか。今後についてです」

「……うむ」

「とは言っても、そんなに特別な事はするつもりはありませんよ。お姉様には罰として私のペット兼侍女見習いとして更生して貰う予定です」

「はぁ!? 私が侍女ですって!?」


 身分の低い貴族令嬢が、高位貴族の家に奉公という事で侍女を務める事はある。けれど公爵令嬢である私が侍女をやるだなんて前代未聞過ぎる。

 思わず不満を感じて叫ぶと、感情のないリンネの瞳に見据えられて言葉に詰まった。


「おや、飼い主に口答えですか? お姉様」

「…………で、でも非常識じゃない」

「非常識の塊が何言ってるんですか。これは確定事項ですよ、お姉様には折角ですから私と一緒に学生生活をやり直して貰います」

「……まさか、学院の随伴も私にやらせるつもり!?」


 貴族学院には一人だけ従者を連れて行く事が出来る。貴族である以上、身の回りの世話の必要があるからだ。

 私は特定の従者はおらず、入れ替えで学院に着いてきてもらっていた。けれど本来は信頼を置いている従者を一人連れてくるものだ。

 例外はホタル・ホムラだ。あの子は平民として生活をしていた事もあって、従者を連れずに一人で生活をしていた。……そういう所も庇護欲をそそったのかしらね、あぁ、忌々しい。


「罰としてはそれぐらいやるべきでしょう? 私、生徒会入りも目指しますから。お姉様には是非とも、私と一緒に学院内で起きる問題解決に従事して貰いましょう」

「……それ、生徒会の面倒な業務だけ私に押し付けるって事でしょ!?」


 生徒会は、生徒の自治を担う憧れの会だ。会長ともなれば名実共に優秀の証である。私の代はヒュウガ様がいらっしゃったのでヒュウガ様が会長を務めていたけれど、皇族がいない場合は選挙制となる。

 なので有名な貴族令息や、貴族令嬢であれば入学してからすぐに生徒会入りをする事も叶う。そして生徒会の仕事というのは学院内での催しの運営や、普段の日常生活で起きる問題の解決だ。

 私が在学中は、そんなわざわざ自分で働くなんてご苦労な事ね、と思っていたのだけど……。


「まさか、嫌だとか言いませんよね? お姉様」

「…………」


 嫌って言わせる気ないじゃない。なんとなく心臓がちくちく痛いのよ……!


「……しかしだな、リンネ。必ずしもお前が生徒会に選ばれるとは限らんぞ?」


 助け船を出すようにお父様がリンネにそう言ってくれた。そうよ! ただでさえ醜聞を抱えた私を従者にするのだから、リンネが生徒会に選ばれるとは限らないわ!


「多分、その心配はありませんよ」

「へ?」

「私、今はまだ非公開ですけど〝特級魔術師〟の資格を持っていますから」

「はぁッ!?」

「何だと!?」


 リンネの口から飛び出たとんでもない事実に、私とお父様の声が重なって響くのだった。


 

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