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第五話:父と娘の私達 前編

 どれだけリンネが気に入らないと言っても、誓約の魔術で隷属を強いられている私に拒否権はない。

 だから今の状況だって仕方ないと、この屈辱を甘んじて受け入れるしかないのよ、ウルハ・ミヅチ……!


「あぁ、お姉様。大変よくお似合いです」

「……そう」


 ひく、と頬が引き攣った。私の首には、目立つような大きな首輪がつけられている。余裕があるので首が絞まるという事はないけれど、その存在感が嫌でも私が首輪をつけられているという事実を浮き彫りにさせてくる。

 ペットになるのだからと渡された首輪の着用を拒否すれば罰として心臓を締め上げられる。結局、逆らう事が出来ずにリンネのペットの証をつけることになってしまった。


「それでは、そろそろ行きましょうか」

「? 行くって、どこに?」

「家に帰るんですよ。お父様が血眼で私達を探しているでしょうからね、そろそろ捜索に回されている人達も休ませないと可哀想でしょう?」

「……そう、ね」


 私達のお父様、ミヅチ公爵家の当主であるシスイ・ミヅチ。私には甘いお父様だけれど有能な法務官として名を馳せている。

 家族の前では温厚だけれど、裁判や国の法を司るお父様は、仕事では冷酷とまで言われている。仕事柄、その方が良いからと噂を放置しているというのは誰の言葉だったか。

 正直、会いたくない。会ってどんな顔をされてしまうのかが想像できない。罵られる? それとも失望される? どの顔も……見たくない。

 私にとってお父様は、優しい人だったから。そんなお父様まで私を見放した目で見たら、私はどうにかなってしまうかもしれない。


「大丈夫ですよ」

「え?」

「大丈夫です、お姉様」


 何が大丈夫なのか。ただ、大丈夫と言うだけでリンネは何も言わなかった。

 私より一歩先に歩く妹の背を追って歩く。今、私が歩いていられるのは彼女の後ろだけだ。

 それが惨めで、消えてしまいたいという思いに駆られそうになる。それを誤魔化すように、私は胸を張ってリンネの後を付いていった。



 * * *



 リンネの屋敷を出れば、事前にリンネが呼び出していたのか馬車が来ていた。その馬車でミヅチ公爵家の屋敷へと戻れば、門番がギョッとした目で私達を見た後、慌てて屋敷の中へと入っていった。

 そう時間を置かずに屋敷から飛び出して来たのはお父様その人だった。お父様は公爵家当主に相応しい背広を纏っている。白髪交じりの濃茶の髪は少しくたくたになっていて、青色の瞳が私達を捉えて離さない。

 やつれたようにも見える細身だけれど、その眼光は鋭く威圧感がある。僅かに肩で息をしながら、お父様は呼吸を整えて何か言葉を発しようとする。それに割り込んだのはリンネだった。


「お父様。リンネ、ただいま戻りました。お姉様もご一緒の朝帰り、まことに申し訳なく思っておりますわ」

「……ッ! リンネ! お前は何をしでかしたのだ! 先日の婚約破棄の事は私の耳にも入った! しかし、お前が奇妙な魔術を行使した後、ウルハを攫ったというのはどういう事なのだ!?」

「お父様、そんな大声を出してはお姉様が怯えてしまいますわよ?」

「ぐぬっ……!」


 リンネによって勢いを崩されたお父様は歯噛みをしている。私は少し驚いて二人を見つめてしまう。リンネとお父様はこのように会話を交わすのか、と。

 今までリンネとの接触を控えていたので、二人がこうして話している姿を思えば見かけた事がなかったと気付く。


「……ウルハ」

「……お父様」


 少し落ち着いた様子のお父様が私の名を呼ぶ。私もお父様を呼び返す、一体どんな目で私を見るのかと思っていたら、お父様は私と目を合わせようとしなかった。

 悔いているような苦渋に満ちた表情を浮かべていたお父様は、一度も視線を合わせないまま背を向ける。


「……居間に来なさい。そこで話がある」

「はい。……お父様、心から申し訳ございませんでした」


 私はつい、頭を下げてしまった。腰を折り、深々と頭を下げる。公爵令嬢として相応しくない行いをしたと、今なら認められる。お父様に、ミヅチ公爵家に迷惑をかけてしまった事が申し訳なくなって、自然と謝罪という行動に出ていた。

 頭を下げているのでお父様の反応は見えない。ただ、お父様の足は半身になってこちらを見ているようで、そこから動きがない。


「……謝罪は後で聞く。まずは中に入りなさい」


 ただお父様の声は静かだった。そのまま歩みを再開したお父様の背に付いていくため、私は顔を上げて屋敷の中へと歩き出した。

 お父様が先を行き、居間へと辿り着く。メイド達が私に向ける視線には好奇心がありありと混ざっていた。私が婚約破棄を突きつけられた事はもう広まっているのだから、婚約破棄された傲慢な令嬢がどんな反応をしているのか気になるのだろう。

 居間に入った事でその場にいるのは家族だけとなる。ようやく好奇心に満ちた視線から逃れられて、私は息を吐けた。こんなにも実家が息苦しいと思う事はなかった。


「……ウルハ」

「……はい」

「婚約破棄までの一連の流れについては私にも報告が上がっている。……愚かな事をしたな」

「……はい」

「婚約破棄の宣言は、前例にない事ではあるが皇帝陛下が認可しているものだ。こればかりは覆す事が出来ない。……お前とヒュウガ様の婚約は破棄される」


 きゅっ、と拳を握り締める。唇を噛んでしまいそうになるのを堪えながら、私は小さく頷いた。

 ……本当に好きだった。婚約者に決まった日から、ずっと、ずっと。でも、この思いが成就する事はない。

 さようなら、と心の中で呟く。失恋の痛みは大きいけれど、その痛みでさえどうでも良くなってきた。


「……お前がホムラ公爵令嬢にした事を思えば、お前をこのまま家に置いておく事は出来ない。そう考えていたが……」

「それはさせませんよ、お父様? お姉様は私の可愛いペットになったのです。引き離そうなんてとんでもない」

「リンネ……ッ!」


 私に向ける態度と、リンネに向けるお父様の態度は全然違う。私にはまだ申し訳ないというか、どこか甘さを捨てきれていないのにリンネに対しては厳しいように思える。


「私は次期ミヅチ公爵家を継ぐものとして行動致しました。一体、何を咎められると言うのでしょうか?」

「ウルハに一体何の魔術を施したのだ! それに、そのまま連れ去るとは! 何を考えている! それがミヅチ公爵家にどのように利すると言うのだ!」

「私の研究材料が増えました。このお姉様という尊い犠牲、ごほん、実験体を経て、私の権威は更なる高みへと昇ることでしょう。公爵家の汚点は払拭され、未来の展望が開けました。これを利と言わずしてなんと言うのでしょう?」

「リンネ……! 貴様ッ!」


 冷淡とも言われることが多いお父様が怒りを露わにしている。普段見たことないがない姿で、そのままリンネに掴みかかってしまうのではないかと戸惑っているとリンネの視線が私に向いた。


「お父様? ほら、お姉様が怯えてるじゃないですか。顔を正面からご覧になれば良いのではないですか?」

「……ぐっ……!」

「自分で咎める事が出来ないのであれば、誰か人に任せろとあれほど言いましたよね? お母様の面影がそんなに恐ろしいですか? あぁ、家庭を顧みずにお母様の死に目に会えなかったのが、そんなに今でも恐ろしいですか。お姉様はお母様ではないというのに」

「――リンネッ!」

「何度も呼ばれずとも貴方の娘、リンネです。図星を突かれたくらいで恐ろしい顔をしないでくださいよ、お父様?」


 人を食ったような笑みを浮かべるリンネの視線は、ただ冷たい。私に向けるものとはまったく違う事に初めて気付いた。

 リンネとお父様って、もしかしていつもこんな感じだったの……?


「傍に置くのも怖い、自分で咎めるのも恐ろしい、とにかく触れられない宝物。ただ丁重にしまい込んでるだけで磨こうともしない。それがこの末路でしょう?」

「……なら、お前が」

「それは無理だと何度も進言したでしょう。お父様と同じで、お姉様は私を疎んでいらっしゃいましたもの。お姉様が疎むものを愛せない臆病なお父様?」


 お父様の顔が真っ青に染まる。その拳は硬く握られ、リンネを怒りと恐れ混じりの感情で睨んでいる。

 ……リンネはお父様にも疎まれていた? それは、やはりリンネがお母様を産んで亡くなったから? でも、私が疎むものは愛せないとはどういう事なの……?

 私が戸惑っていると、リンネがちらりと私を見た。でも、それは一瞬の事。リンネはすぐにお父様へと視線を戻す。


「お父様、いい加減お姉様から逃げないでくださいませ」

「…………」

「――お母様は私が殺したのです。ここにいるのはお母様ではなく、貴方の娘であるウルハ・ミヅチ公爵令嬢です。母の面影にいつまで怯えるつもりですか」

「……お父様が、私に怯えていた?」

「正確にはお母様の面影にです。そっくりだからこそ、お姉様の悲しむ顔など見れなくて育児放棄をしてしまったという事ですね。貴族であれば従者に育てさせるのも珍しい話ではないですけど」


 私は信じられない思いでお父様を見つめた。お父様は私から目を逸らし、その肩を震わせていた。

 ……本当に? お父様は、私にお母様の面影を見るのが恐ろしくて向き合えなかったと?


「……お父様、本当ですの?」


 思わずお父様に問いかけると、お父様はゆっくりと私へと視線を向けた。お父様の表情が強張り、一度は合った視線が逸らされてしまう。

 ……そんなに私の顔が見る事が出来なかったの? お母様の面影があるから? 今まで会話出来ていたと思ってたけど、確かに思い出せば目が合った事はないような……。


「まぁ、もう手遅れですが。という訳で、お父様。お姉様は私が貰い受けます」

「リンネ! 一体何が目的だ!」

「家族の幸せですとも。お父様はお姉様が恐ろしいですが、決して不幸になって欲しい訳ではないでしょう? けれど恐ろしくて手を伸ばせないなら、もはや手に取る資格なし。なら私が貰っても構わないでしょう?」

「ならばウルハにかけた魔術とは一体何だ!?」

「隷属の魔術、と言ったら?」


 お父様がリンネの言葉に目を見開き、そのまま手を伸ばしてリンネの胸元を掴み上げた。荒い呼吸に血走った目、悪鬼にも等しい形相でリンネを睨み付けるお父様に私は恐怖を感じてしまう。


「リ、リンネ! お父様を挑発するのは止めなさい!」

「はぁい、お姉様。……隷属の魔術は冗談ですよ、お姉様だって自分の意志で動いてるように見えるでしょう? そこまでお姉様が関わると見境を無くすぐらいなら、さっさと向き合ってれば良かったんですよ」


 吐き捨てるようにリンネは言って、お父様の手を乱暴に振り解いた。手を振り解かれたお父様は暫し呆然としてたけれど、ゆっくりと肩を落として顔を片手で覆ってしまった。


「……お姉様はお母様じゃないんですから。ちゃんと手を引いて、導いてあげなきゃいけなかったんです、お父様」

「…………」

「少し時間を置くとしましょう。ご心配をおかけした事は大変申し訳なく思っています。ですが冷静になるために一度、仮眠や休息でも取ってから話し合いましょう。ミヅチ公爵家の今後についても、ね」


 そう言ってリンネは私の手を引いた。こちらに視線を向けないお父様に一礼をして、居間を出て行こうとする。私はどうすれば良いのかわからず、手を引かれたまま歩いていく。

 部屋を出る間際、お父様を振り返って見る。お父様は片手で顔を隠したまま、ただ立ち尽くしている。居間の扉が閉まり、その姿が見えなくなるまでお父様は微動だにしなかった。

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