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第二話:朝、迎えて

 微睡んでいた意識が浮上する。開けた視界に映し出されたのは知らない天井。


「……ここ、は」


 喉が少し掠れているような気がする、まるで喉を痛めたかのよう。喉の不調に眉を顰めながら体を起こすと、自分の格好がドレスではなく寝間着に着替えさせれている事に気付いた。

 寝間着に着替えた記憶はないと思い返して、私は全てを思い出した。


「ッ、リンネ!」


 突然の婚約破棄。あの忌々しいホタルという女を庇うように立っていた公爵家の跡継ぎたち。そして絶望を味わっていると現れたリンネ。そのリンネの契約書から現れた焔に焼かれた己の胸。

 慌てて寝間着を指でずらせば、私の胸元には焼き印のようなものが刻みつけられていた。令嬢として恥ずかしくないように磨き上げた自分の肌に刻みつけられた刻印は、嫌という程に目立っている。


「あら、お目覚めですか。お姉様、おはようございます」


 指で刻印をなぞっていると扉が開く音がして、リンネが中に入って来た。相変わらずの黒一色の格好で、髪や肌の白さが一層際立っている不気味な妹。

 何がそんなに嬉しいのか、ニコニコと笑いながらベッドまで近づいて来たリンネの胸ぐらに手を伸ばして掴む。


「リンネッ! 貴方、私に何をしたのッ! この刻印は何!?」

「もう、お姉様。挨拶は淑女の嗜みですよ? ほら、〝おはようございます〟は?」


 私の怒りを受け流すように平然としながら、リンネはそう言った。すると心臓が締め上げられるような痛みが走り、リンネから手を離してしまう。呼吸が苦しくて、身を折って痛みに堪える。

 死ぬ、死んじゃう。そう脳裏に過った瞬間、私は震えながら救いを求めるように言葉を発していた。


「お……おはよう、ございます……」

「はい、よく出来ました。偉いですね、お姉様。でも今度は自然と挨拶してくれるとリンネは嬉しゅうございます」


 よしよし、と頭を撫でてくるリンネの手が不愉快で払い除ける。さっきまで感じていた心臓の痛みは嘘のように消えていた。


「さて。お姉様も目を覚ました事ですし、朝食に致しましょうか。丁度、食事の準備が整った所なんです。さぁ、お姉様」


 リンネが手を差し出して来るけれど、私はリンネの手を取らずに立ち上がる。リンネはそれでも笑っている。笑う事しか出来ないのかと、そう言いたくなる程に。あぁ、忌々しい。


「お姉様。ここに使用人はおりませんが、寝間着からお着替えになられますか?」

「……そもそも、ここはどこ?」

「私の名義で購入しました、帝都の外れにある別荘です。別荘と言っても、屋敷のような大きさはございませんが」

「……貴方、どうやってそんな別荘なんて買っていたの? お父様はご存知なの?」

「いえ? お父様もご存知はないかと。今頃、私とお姉様を血眼で探してるんじゃないでしょうか?」


 しれっと言うリンネに私は不快さと恐怖を感じて仕方ない。同じ人間と喋っているのかも怪しくなりそうだ。

 昔からこの妹が嫌いだった。不吉で不健康に見える妹が、自分と同じ母の腹から生まれたとは思えなかった。その母もリンネの出産後、体調を崩してこの世を去ってしまった。

 そう、この妹が――母を殺したのだと憎んでいた。だからいないものとして扱った。リンネもたまに接触してくる程度で、普段何をしているかなどは感心がなかった。

 ……一体、この妹は何なのだろうか? どうやって警備が厳重なオモイノカネ学院に入り込んだのかもわからないし、あの場で私に施した魔術も私の知らないものだった。


「お姉様にはこちらの黒のワンピースドレスがお似合いかと思うのですが、如何でしょう?」


 リンネはクローゼットを開けて、何故か私のサイズに合わせたと思われるワンピースを取り出して微笑んでいる。……ダメだ、どこから突っ込めば良いのかわからない。

 というか、かなり良いワンピースドレスだ。全体的に黒で、アクセントとして白のフリルや赤のコサージュで飾られている。正直に言うと、私の好みのデザインだった。

 ……なんでこんなドレスが別荘に用意されているのかしら? けれど、寝間着で動き回るというのも抵抗がある。


「……着替えるわ」


 着替えさせて貰ったワンピースドレスは、恐怖を感じる程に私に合わせられたサイズだった。



 * * *



「さぁ、お召し上がりください。お姉様」

「……この食事、リンネが用意したの?」

「はい。腕によりをかけてご用意させて頂きました」


 イツノカミ帝国では主食である米、その米を食べるのに適したおかずが並べられた朝食に空腹を思い出したように鳴った。

 現在、帝国は文明開化と呼ばれる時期にある。古き良き伝統から、他国との交流が盛んになった事で外国の文化が流入してきた過渡期だ。

 なので朝食も他国の形式に合わせたものが増えてきている。物珍しさが一番なのでしょうけど、他国の形式に合わせるのは貴族としての力を見せ付けるという事もあって、古き良き食卓というのは貴族の間では廃れつつあった。

 そんな中で原点回帰をするような朝食を並べられている。……悔しい事に、おかずも私好みのあっさりとしたものだった。朝はそんなに強くないのだ、私は。


「ささ、冷めないうちにどうぞ」

「……頂くわ」


 お米に味噌汁、塩味の効いた紅シャケに口休めの漬物。まず米を口に運べばふっくらとした食感と米の甘みが口の中に広がっていく。すかさず紅シャケを箸で割り、口に運べば溜息が零れてしまいそうになる。

 しかし、紅シャケはなかなか塩気が強い。これでは舌が疲れてしまう。そんな時は漬物で一度仕切り直す。この漬物も良く漬かっている。時代遅れとされて貴族の食卓からは消えつつある漬物だけれど、朝は漬物があった方が良い。

 そして味噌汁。これも優しい味だ、外国形式の朝食は少し油が強い。朝が弱い私は難儀していたのだけれど、朝食はこれぐらい素朴なもので良いと思えてしまう。


「ふふ……」


 そんな私の食事風景をリンネが幼子を見るかのように眺めている事に気付いて、私はハッとしてしまった。いけない、これはリンネの懐柔策……! 危うく引っかかる所だったわ!

 つい緩みそうになった頬に力を込めて、極めて無感動を装って食事を終える。……残しはしなかったわよ、だってお腹が空いてたもの。


「お粗末様でした。食後のお茶は如何ですか?」

「……その前に答えなさい。リンネ、貴方、一体何を考えているの?」


 腹も満たされた事でようやく脳が回り始める。それでもリンネの意図がまったく見えて来ない。

 リンネには謎が多すぎる。関わろうともしてこなかった妹は、一体どうしてあのタイミングで介入してきて、何故私に朝食を振る舞っているのか。


「一体、何がどうなったの? 私にわかるように説明なさい」

「えぇ、構いませんよ。それでは片付けをしてからにしましょうか、お茶の用意もしてくるので少々お待ちを」


 テキパキと食器を片付けて、お茶を用意するリンネ。メイドのような手際の良さに思わず驚く。……この子、私と同じ公爵家の令嬢よね? なんで料理や、メイドの真似事が出来るのよ?


「それでは、まず何から話せば良いでしょうかね?」


 二人分のお茶を用意してからリンネは私に問いかけて来た。何から聞くべきかと考えて、私はまず意識を失った後の事を尋ねた。


「私が意識を失った後はどうしたの?」

「ヒュウガ様には、姉が大変失礼致しましたと謝罪した上で退出させて頂きました」

「……よく退出できたわね」

「呆気に取られてましたから。誰も私の介入を予想していなかったでしょうし、それに私が使った魔術も恐ろしいものに見えたのでしょう。お姉様も気絶してしまいましたし」

「貴方、私に何の魔術を施したの!?」


 机を勢い良く叩いてリンネを睨み付ける。私に一体何の魔術を施したのか、この妹は!


「お姉様は禁呪とされる魔術はご存知ですか?」

「……国で危険視されてるけれど、万が一に備えて上層部で管理しているって言う特級魔術」

「流石、お姉様。正解です」


 ニコニコと笑うリンネに、私は背筋がゾッとして自分の身を抱き締めてしまった。

 禁呪は国で使用の制限がされている魔術だ。魔術の大元は世界に溢れる力に適切な形を与えて不思議な現象を起こすもの。その中でも禁呪は特に人を害為す事に特化していると言っても過言ではないもの。

 だから国で使用が制限され、取得もまた許されない。対抗策として残す為に一部の伝承者が受け継ぎ、管理しているとは耳にした事がある。


「貴方、その禁呪を私に!?」

「いえ、それは正確ではないですね。私は禁呪をたまたま知っていたので、それを出来るだけ害を排除した状態に仕立て直した魔術を使っています」

「は……?」


 魔術を仕立て直す? そんなのオモイノカネ学院の魔術科のエリートが狭き門を抜け、国が管理する魔術組織に属さなければ出来ないような芸当だ。

 この私にだって魔術の仕立て直しは困難なものだ。ましてや、禁呪などと呼ばれる取得も難しい魔術を仕立て直すだなんて一般的には考えられない。

 魔術の真髄は〝理解〟にある。魔術の仕組みを理解し、力の流れを適切に整え、望んだ形を引き寄せる。人間の体は魔術の元となる魔力の流路であり、その中継点に過ぎないという考えだ。

 仕立て直しというのは、元となる魔術を理解し、その魔術が変化する先もまた理解していないといけない。それだけ高度な行いなのだ。それを、このリンネが……?


「お姉様に使ったのは〝隷属〟の禁呪です」

「……ッ……!」


 禁呪の代名詞にして、誰もが口にするのも憚られる名前がリンネの口から出た。私は目を見開いて、唇を震わせてしまった。

 隷属の禁呪。それは他人の意志を縛り、己の思うままの人形に仕立て上げてしまう禁呪だ。禁呪と呼ばれる分類が出来た最初の魔術であるとも言われるものだ。


「本家に比べれば強制力は大したものではないですよ。それに通常の隷属の魔術とは効果も違います。あくまで基にしただけで別物ですから。現にお姉様が私に対して害意を向けていても、意志を奪われるような事はないでしょう?」

「…………挨拶をしなかった時に、心臓が苦しくなったわ。それは貴方の仕業?」

「あ、はい。それは私の魔術の影響ですね。私はこの魔術を隷属ではなく、誓約と呼んでいますが」

「誓約?」

「はい。これは互いに同意した内容に応じて、その契約の内容が遵守されてる間に効果を発揮するという魔術です。なので、お姉様がよほど私の不興を買わなければ、挨拶をしなかった時のような事はありませんよ?」

「ふざけないで! 私は貴方と何も契約してなんか……!」


 してない、と言おうとした時に心臓が痛んで、私は喘ぐように息をして机に突っ伏した。上手く呼吸が出来なくて涙が零れていく。死ぬ、今度こそ、死ぬ……!


「したじゃないですか。お姉様がもし、世界から裏切られて見捨てられたら私のモノになるって」

「……あ、れが……そうだったの……?」


 ……認めたら、途端に心臓が楽になった。呼吸を調えながらリンネを睨む。


「はい。姉上は婚約者にも、友人にも、取り巻きにも、そして父上にすらも見捨てられました。見事、全てに裏切られて絶望してしまいました。なので魔術による契約が履行されたという事ですね。流石に他の公爵家を纏めて敵に回してしまったので、この結末も致し方ないとは思いますが」

「……ッ……!」


 脳裏に、あの忌々しい女――ホタルが過る。

 あの女さえ現れなければ、あの卑しい女さえいなければ……!

 悔しさと怒りで全身がバラバラに引き裂かれそうになる。あの女に、私の全ては壊されたんだ。許せない、絶対に許さない……!


「――まぁ、こうなるとは思ってたんで私もお姉様に騙し討ちをしたようなものですが」

「は……? こうなると、思ってた……? ちょっと待ちなさい! 私があの契約書に署名したのはもう何年も前の話よ!?」


 少なくとも五年は前の筈だ。その頃、私は十三歳、リンネは十歳。まず、そんな小さな頃から禁呪を会得していたという驚き、更にはこうなる事を予見していたというリンネに得体の知れ無さを感じて怖気が走った。

 あの頃から私がこうなると予測していた? だから罠を仕掛けるように私を挑発して契約書に署名をさせた? 一体、何故? そんな予測が立てられるというのか。

 恐怖と困惑に震える私を見て、リンネが口の端を裂けさせんばかりに笑みの形に変えて言った。



「――えぇ、知っていましたから。もう何年も前から、お姉様はヒュウガ様に婚約破棄されて破滅の結末を迎えると」

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