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続・魔族大公の平穏な日常  作者: 古酒
家令不在編
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6 観客のない小芝居は必要ですか?

 現在、俺たちは広大な毒沼の岸辺にいる。

 それも、結構なその腐臭漂う泥水を、頭から浴びた状態で……。

 いいや……泥まみれなのは、俺だけか。


 ウィストベルはちゃっかり、ミディリースをもかばって結界を張っている。

 ついでに俺のことも、守ってくれたらよかったのに……。やっぱりまだ、機嫌が悪いのだろうか。

 いや、そりゃあお前大公なんだから、自分の身は自分で守れよ、と言われたら……うん、返す言葉もない。


 そもそもなぜ、こんなことに……。


 ここに来たのは、打ち合わせ通りだった。

 アリネーゼとの密約のせいで他の場所を検討する時間がなくなり、問答無用でダァルリース推薦の毒沼に場所が決定してしまった。

 そこから導き出した、当日の運びはこうだ。


 ウィストベルがいつも大公城ばかりではつまらぬ、たまには外の――それも、少し変わった風景でも見てみたい、と言い、ミディリースがそれならば、と、自宅近くの名所に案内する、という脚本ができあがっていた。

 実際に俺たちは図書館から出た後、家臣たちの前でしらじらしい小芝居をして、それからこうしてこの毒沼のほとりにやって来たのだった。


 そこまではよかった。

 打ち合わせではここから手漕ぎの船で沼に漕ぎ入り――本当は入りたくないが――、ダァルリースの言っていた毒蛇を一匹俺が捕まえて――捕まえたくもないが――、ミディリースが「これはおいしいんです、うちに寄ってもらえれば母が調理します」

と勧めてき、結果、男爵邸に寄るということになっていたのだ。


 え?


 そもそもそんな小芝居は必要だったのかって?

 ズバリ、別に必要じゃない。ただ、設定を考えていたら、色々思いついたんで、せっかくだから遊んでみようかと……いや、違う、そんなことは本題ではない。

 問題は、毒沼についたらすでに……。


 ダァルリースが大蛇と格闘していたことなのだ!


 竜とその毒含む大蛇は、天敵らしい。近づけると面倒なことになるというんで、少し離れたところで竜から降り、件の沼に近づいていったその時……。


 誰が思う?

 沼の真ん中から、大蛇の生首が牙をむいて飛んでくるだなんて!!

 あと少しで、口の中にすっぽり収まるところだったんだぞ!

 それはすんでのところで避けたからいい。

 だが、沼の中央から、すっぱり首を両断された、それでもまだ生きているかのようにその身をくねらせた胴体が、すさまじい速さで天に向かって立ち昇り――あげく、泥水が盛り上がって、水際を打ち付け大地に毒をまき散らしたのだ。


 いや、その大波だって、ちゃんと避けられた。これでも大公だ!

 けれど思えばその時、すでにウィストベルは結界を張っていたのだった。俺もそうすべきだったのだとは思う。

 なぜって、その切断面に、大鉈と呼ぶに相応しい自身の身長を越す刃を、操縦桿のように突き立てたダァルリースの姿を見つけてみろ。思わず呆気に取られたって、無理ないと思わないか?

 それで体長五十mはありそうな大蛇の尾が、最後の断末魔のように水面を叩くのを、俺は目にし損なってしまったのだった。で、結局、毒成分の濃い泥水を、頭から被ってしまい……。


「閣下……臭い……」

「……」

 鼻をつまみ、眉を顰めて後退さるミディリースが目の前にいた。

「どんくさいの」

 ウィストベルも冷たい。やっぱりご機嫌ナナメのようだ。いや、いつもそんなものか。

 さらに、泥水も冷たい。べったり重くて不快だし、毒がシュウシュウいいながら俺の肌を焼こうと頑張るから、ちょっとチクチクする。

 ハッ! ちょっと待て!

 この毒、まさか髪は溶かさないだろうな!?


「おや、閣下」

 俺たちに気づいたダァルリースは、大蛇の切断面を蹴って、大鉈を引き抜いた。そうして、まるで風にさらわれた羽のような軽さで一回転し、俺のすぐ近くに着地する。

 一方で刃の抜けた大蛇の胴体は、まるで小さなミミズかのようなあっけなさで大地に投げ捨てられ、その巨躯は地面を揺らし、すでに先にしとめられていたのだろう、同じように首のないお仲間の体躯に行き当たって、やっと停まった。


「お早いお越しですね」

 毒沼の中から現れたはずなのに、ダァルリースは一滴の泥水も被っていない。まあ、ふつうに考えて結界を張っていたのだろうが……。

 こんなの余計、俺一人が目立つではないか。


「……なぜ、君がここに……」

「あっ」

 とりあえず髪の泥を落としながら聞くと、ダァルリースはハッとしたように目を見開いてみせる。それからいかにもわざとらしく――

「今日はどうも――そう、なんだか不意にお客様がいらっしゃる予感がしたので――ごちそうを召し上がっていただこうと、名物の蛇をしとめに――」

「母さん……」

 ミディリースがため息をつくのも頷けるほど、見事な棒台詞っぷりだった。

 そもそもここにいるの、俺たちだけだし、別に小芝居そのものの必要がない気がするんだが。

 まあいいや。途中までノリノリだった俺が言えることでもないだろう。この脚本を考えたのも、実は俺だしな。

 だが、そんなことよりも……ダァルリースも大蛇とは言っていたが、こんな大きいとは聞いていなかった。一体どれだけ食わせるつもりだ。


「ダァルリース。こちらが大公ウィストベルだ」

 ともかく、ウィストベルを紹介する。

 俺自身はこんな姿だけれども――


「これは――」

 ダァルリースは湿った大地に片膝をつくと、それでもウィストベルの瞳を下から見据える。

「大公ウィストベル閣下。このようなところで、御身にお会いできるとは――この上もない僥倖に、将来の不運が怪しまれます」

「主がダァルリースか……想像していた風体とは大いに違ったが――」

 ウィストベルも、もっとか弱い女子を想像していたのだろうか?

「嫌いではない」

「恐れ入ります」

 ダァルリースは畏まって頭を下げた。


 なんだろう、この、俺だけ置いてけぼり感。

 一人違う芝居をしているような気がするではないか……。

 いいや、気のせいだ。畏まった雰囲気に、俺だけがそぐわないだなんて、そんなことあるはずがない。

 ほら、ダァルリースだって立ち上がって、今度は俺に仰々しく――


「……とりあえず、我が家にいらして、汚れを落とされませんか?」

 憐れまれているように見えるなんて、絶対俺が穿った見方をしてしまっているだけに決まってる!

「うん……ぜひ、お願いするよ……」

 最初の予定とはちょっと違ったが、とにかく俺たちはダァルリースの男爵邸にお邪魔することになったのだ。


 ***


 その男爵邸は、毒沼からまあまあ離れた丘の上に建っていた。

 最上階の露台に出て眼下を望むと、狭い荒野を挟んで街壁を巡らせた、人間の小さな町が見渡せる。どうでもいいことだが、先々代の男爵は、ここからあの町を一度ならず焼き払ったそうだ。

 それでもまた、懲りずに同じ所に町を造るのだから、人間という生き物は強いんだか弱いんだか、よくわからない。


 え?

 なんでそんな所に、お前はぽつんと一人で立っているんだって?

 そりゃあ、俺も町を焼き払うため――ではない、もちろん。

 うん、だって……。


 俺は背後を振り返る。

 露台から続く広い部屋では、三人の女性がお茶を愉しみながら、和気藹々と会話に興じていた。


「そうか、夫の居場所が掴めぬか……我が領地であれば、協力もしてやれように」

「そのお気持ちだけで、感謝の念にたえません」

 どうやら、ダァルリースが以前彼女の父のものであったという伯爵邸の、そこで働いていたという夫に向けて出した手紙は、宛先人不明で戻ってきたようだ。

 ミディリースがなんとも言えない複雑な表情を浮かべている。


 俺が泥水を落とすため、風呂を借りている間に――余談だが、俺の髪が無事だったことは断言しておきたい――、ウィストベルとダァルリースは親交を深めたようだった。

 その事自体はもちろん、憂えるべきことではなく、喜ぶべきことに違いない。

 だが、状況については考えてもみてほしい。

 女子会に、たった一人の男――最初から混ざっていたならまだしも、途中参加とあっては、俺がその雰囲気になじめないとしても、それはそれで仕方ないのではないだろうか。


 一応、努力はしてみたんだ。

 ああ、そうさ。それが、ただ、うまくいかなかっただけのこと――

 女性三人の盛り上がりに、男が途中から口を挟める訳などないのだから。

 ちょっと風に当たると露台に出たからといって、何が悪い。

 女性三人の――あ……。


「だいたい、あなたは体力がなさすぎるんです。ほとんど自由のなかった私より、まだ弱いとは……」

 おっと……主題が父親から、目の前にいる娘のことに移ったようだ。ミディリースが涙目でこっちを見てくるではないか。

「これからは引きこもる必要もない、それどころか、最低限、自分の身は自分で守れるよう、逆に努力すべきなのです。ビシバシいきますからね!」

「も、もう、すでに……」

「それがよい。そのうち、内気な性格も矯正できるやもしれぬ」

「そんなぁ……」


 ……悪いな、ミディリース。

 俺にはウィストベルに対して覚悟が必要な話し合いが、今日明日のうちにも控えているのだ。その前に疲れてしまいたくないではないか。ここは思う存分、女性三人で仲良く話をしていてくれ。

 司書の境遇には大いに同情を覚えながらも、その助けを求めるような視線には気づかないフリをし、俺はまた眼下の風景に視線を戻した。

 ああ、隣家の寝室は魅惑的、という俗語があるが、人間の街のなんと平穏に見えることだろうか。


「主はいったいいつまで、そうして一人で涼んでいるつもりじゃ?」

 他ならぬウィストベルの背後からのかけ声に、涼むどころか肝が冷える。

「で、そろそろ考えついたか? うまい言い訳を――」

 女性らしい細く柔らかい手が、俺の首筋に触れる。そこを軸にしたように、彼女は手を置いたまま正面に回り込んできた。

「言い訳だなんて――」

 もちろん、問われているのはアリネーゼ来城の件に決まっている。


 さて、事の発端はミディリースとダァルリースに求めることができるわけだし、彼女たちの存在が緩衝材となってくれることを期待して、誓約の話をすべきか……それともやはり自身の城に帰ってから、差し向かいできちんと話をすべきか……。

 やっぱり、後者かな――


「では、正直に話してみるがよい。私がデヴィル族を嫌悪するごとく、デーモン族を嫌っているあの女が、なぜよりによって主の城を唐突に訪ねてきたのか――」

 首筋を撫でられて、背を震えが走った。


 ウィストベルのその口元には、微笑が浮かんでいる。だが、俺と同じ赤金の瞳には、容赦のない責めの色が見え隠れしていた。


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