11 反省は必要ですが、そればかりでは気が滅入ります
魔術教室がすべて閉講した後の夕食は、教室担当の五名の伯爵と、宿舎食堂でとることになっていた。初日の感想会を行うのである。
「妹君とマストレーナのお二人は、さすがに大公閣下のお身内とあって、普段からよく鍛錬されていらっしゃるんでしょう。なんでもそつなくこなしておいででしたね」
一限目に指導をしてくれていたヒッチが、妹とネネネセを誉めてくれる。なにやらくすぐったい。
俺からすると、ケルヴィスのほうがよっぽどそつなかったのだが、それでも妹とネネネセだって有爵者に手が届くと思える仕上がりだから、決しておべっかではないだろう。
それに炎なんかはベイルフォウスの指導だったりするからな。実際、うまくやるに違いない。
「他に目立ったと言えば、ハイラマリーという、伯爵のお嬢さんが優秀でしたね」
「ああ、あの小娘な!」
クーガーが声を弾ませながら、確かに生きがよかった! と、言ったところを見ると、彼にとってもみるべきところがあったのだろう。
「我が輩のところで目を引いたのは、梅鼠色の瞳をしたデーモン族の姉妹ですな。あの二人は見所がありそうでした。我が輩の反復練習に、文句もいわず最後までついてきていましたからね」
コアッドルが汚れた嘴をふきふき、感想を述べる。
「梅鼠色の、というと……ああ、あの子らは強くなりそうだったな」
大階段でぶつかった姉妹を思いだし、賛成した。
「ところで、閣下のところは一限、二限と、続いて医療班が出動したらしいですが……」
「ああ……」
意外にも、他の教室では医療班の出動が一度もなかったらしい。
となれば、リンドングからの視線に、呆れたような色が混じっていたとしてもやむを得まい……。
「明日は、教室には参加されないんですよね」
なにその、いかにも参加してくれるなと言わんばかりの確認……。仕方ないけども……。
「明日はな。でも、今日の経験をいかして、もしかするともう一回くらいは……」
「では、その時はリンドング伯爵、補佐を頼む」
「ええ、俺!?」
オットゥスの言葉とリンドングの態度に深い意味はないと思いたい……。
その夕食は、俺に限って言えば反省会の様相を呈していたのだった。
そんなわけで、俺は少々、気疲れしつつ、自身の部屋に戻ったのだ。
だが――
「おかえりなさいませ、閣下」
部屋に一歩はいるなり、ジブライールが出迎えてくれたおかげで、それまで感じていた精神的疲労など霧散してしまった。
服装も、昼間にみた軍服ではなく、また朝とは別の、今度は裾が足首まである、銀髪によく映える水色のワンピースに着替えている。
「ただいま、ジブライール」
しかし、ぎゅっとしようと思って延ばした手は、空をつかんだ。ジブライールがひらりと身を翻したためだ。
いや、嫌がってのことじゃない……そもそも、わざとでもないはずだ。だっていそいそといった感じで、テーブルに駆け寄っているのだから!
しかも――
「座って一服されるかと思って、お酒をご用意しておきました!」
どうぞご覧ください、みたいな感じで、ババンと俺にテーブルの上を示すのだから。
これを無下になどできようか。
俺はふかふかの長椅子に座った。
「いただくよ」
「はい!」
ジブライールはすぐ左手に座り、差し出したグラスに炭酸酒の瓶を傾けてくる。シュワシュワとかすかな音をたてて、酒が注がれた。
だが、いいだろうか? 相手はジブライールさんである。彼女はこういうときには少々、不器用なのだった……。
酒は並々と杯を満たし――そのまま、俺の手にも注がれた。ちょびっと。
これでも即座にグラスを持ち上げたから、少しかかっただけですんだのだ。
「あっ! す、すみません!!!」
「うん、大丈夫」
俺は人差し指と中指にかかった酒を、舐める。――と。
ジブライールが、目元を真っ赤にしながら、俺の手元をじっと見ているのに気付いた。
「ジブライール?」
「わ……わわわ……」
「わ?」
「わたっ、わたっ、私、がっ!」
「私が??」
「はっ! いえ、なんでもありません!!」
と、いいながら蓋が開いたままの酒瓶を振り回そうとするので、俺はあわててその手首をとる。
相変わらず、加減を間違えると折れそうなほど、細い手首だ。
「落ち着こう――な? とりあえず、瓶を置こうか?」
「は、はい、すみません!」
慎重に酒瓶をテーブルに置くまで、気は抜かなかった。
よかった、酒まみれにならなくて……とホッとしてから、いや、別に酒まみれになればなったで、一緒に風呂に入る口実になったのでは? と気づく。
なにせ一緒に風呂に入ったのなんて、最初の一回だけだからだ。
「あの、私、実はハンドマッサージを覚えてきたんです! 閣下のお疲れがとれればと思って……。お手に触れていいですか?」
「うん? もちろん」
「では、失礼して」
そういえば、テーブルに飲み物の瓶やグラスの他に、小瓶が置いてあるではないか。
ジブライールはその小瓶からどろりとしたオイルを掌に取り出すと、まずはそれを自分の両手に広げるように塗った。
「痛かったりしたら、言ってくださいね」
両手で俺の左手をそっととり、まずは手の平を、次に手の甲を、それから肘から指先にと、包み込むようにさすりだす。
指を引っ張られるところは少し力が入っていたが、全体的にソフトなさわり方で、痛いはずがない。
「この匂い……」
「はい、閣下がお好きな金木犀です」
ツボがどうとかはわからないが、いい匂いと柔らかな手の感触に、実際に疲れがほどけていくようだった。
「私……実は、手フェチなところがありまして……」
「……」
実はそうじゃないかと思ってはいた。今までも何度か手をにぎにぎ握られたりしたし、あのリーヴ家の地下での道標……そうでなければあんな不気味な手の彫刻なぞ造らないだろう。
「中でも本当に、閣下のお手が……本当に……」
……ジブライール? ジブライールさん?
なんか……気のせいかな?
ちょっと、ハアハアしてきてないか??
今、ゴクリとツバを飲み込みませんでしたか??
「次は右手をやりますね」
なんだか声が掠れてる気がするのだが?
左手のマッサージが終わったらしく、ジブライールが再度、オイルを手に塗り直す。
その頬がほんのり色づいて見えるではないか。
ちょっと待って。これ、風呂の後にしてもらったほうがよかったのでは?
「ああ、うん……ありがたいが、一旦、酒でも飲んで休憩したらどうかな……?」
「あ、いえ……私は……」
ジブライールがテーブルの上をちらりと一瞥する。
そういえば、テーブルの上に用意されていたグラスは一客きりだ。
「ジブライールは飲まないのか?」
「はい、私は結構です」
ほとんどの魔族は酒で酔ったりなどしない。もっとも、俺に限ってのことをいえば、ただ一つの銘柄をのぞいて、ということになるが。
そして、この酒はそれではない。つまりは水を飲むのと変わらない。
要するに、酒が用意されているからと言って特別なことではない。ないのだが、とはいえ、一人でのどを潤しているのも……待てよ。
もしかして――こういうことか?
「ジブライール?」
「はい」
名前を呼んで、こちらに顔を向けさせてから、俺は発泡酒を口に含み、ジブライールに口づけ――
「んっ」
口移しで酒を流し込んだ。
長椅子に、華奢な身体をゆっくりと押し倒しながら――ようやく、手以外の柔らかな感触に触れる。
「んんっ、ジャ……」
あれ? 違った? てっきりそのつもりかと思ったのに!
驚いている反応をみるに、どうやら違ったらしい!!
でも、まぁ……いいか!
右手をジブライールの耳から後頭部に這わせ――
「ふっ」
咥内から酒がなくなってからも、暫くお互いを堪能した。
時々開かれるジブライールの葵色の瞳が、だんだんと濡れそぼってゆく。
ここで――この場で全て奪いたくなる気持ちをなんとか抑え、俺は身体を起こした。
正直、乱れた髪と吐息に、もう一度ひかれそうになったが。
「とりあえず、風呂に入ってくる。ジブライールは?」
「わ、私は、さっき入りましたので」
身を起こしながら、恥ずかしそうに下を向く。
「別に何度入ってもふやけたりしないと思うぞ」
「いえ、ほんとに! お背中ならお流ししますけど、一緒に入るのはご遠慮させてください!」
なぜ? 背中を流してくれるなら、結局同じことではないのだろうか?
だが、ジブライールはきっぱりと手を振った。その態度はかたくなで、とりつく島もない。
なんだかわからないが、入浴に関しては自分なりのこだわりがあるようだ。
「わかった……なら、一人で入ってくる」
長椅子から立ち上がり、風呂場に向かおうとすると、ジブライールが袖をつかんできた。
見ると、心配そうに瞳を曇らせている。
「……怒りました?」
「いや、別にそんなことで怒ったりしないが」
「本当ですか?」
「本当に、怒ってない」
微笑んでみせると、ジブライールはようやくホッとしたように手を離す。
「あの、じゃあ私、今日はこれで」
は? え? なんて??
ジブライールが部屋を出ていこうとするのだが???
「え? 俺の部屋に泊まるのでは?」
「え? いえ、閣下はお疲れでしょうから、おひとりでぐっすりお眠りになりたいでしょう」
ジブライール! わざとか? わざとなのか?
それとも天然か? 天然なのか?
いや、ジブライールのことだ! 天然なのだろう。
「おやすみなさ」
「いや、ちょっと待った」
俺は本当に扉を開けて出て行こうとしたジブライールの腕を取り、扉を閉め、壁際に追いつめる。
焦りすぎでかっこわるいと言われたって、別に気にしない! だって本気で焦ってるからね!
「ジブライールが一緒に寝てくれた方が、俺としては疲れがとれるんだが!」
「えっ……で、でも……?」
真っ赤になりながら、急にしどろもどろでモジモジしだすのがまた可愛らしいのだが?
「もちろん、待っていてくれるよな?」
耳元で囁くと、ビクッとしたと思うや、両手で顔を覆ってしまう。その状態でコクコクと、首を小刻みに縦に振った。
そのままずりずりと、床に崩れ落ちそうになったので、抱き上げて寝室に連れて行き、寝台におろしてから、もう一度念を押しておく。
「隣で寝てるだけでいい。先に寝てくれてていいから、いてくれ」
「はい……」
消え入るような声だった。
俺は焦っていることを気取られないよう、格好だけは悠々とした足取りで風呂に向かうと、速攻で自身を磨き上げ、それから寝室にとんぼ返りした。
俺の心配をよそに、ジブライールはちゃんと待ってくれていた。
それからはもちろんただ隣に寝ているだけとはいかず、睡眠時間を削って英気を養ったのだった。