9 二限目の『召喚魔術』は妹も参加します
二限目は『召喚魔術』だ。
今度も受講者はきっちり十名。一限目とガラッと顔ぶれも変わり、大人ばかりでなく、身内以外の子供の受講者もいた。
その全員が、召喚魔術の初心者に違いない。誰もが無爵であるには違いないし、マーミルにだって召喚魔術など教えていないのだから。
「今回は、実践にあたって補助具を用意した」
一限目の反省をいかし、俺は当初の予定通り、座学を端折らずきちんと行うことに決めていた。
オットゥスが参加者一人一人に召喚魔術の術式が描かれた術符と、召喚に使用する掌大の陶器の置物を配布してくれる。
術符というのは、魔術が定着するよう造られた特別な用紙に、あらかじめこうと企図する術式を描いておくことで、あとはそれに必要な量の魔力を流し込めば術式が発動される、という一種の魔道具だ。
このとき、術式を描く者と、魔力を流し込む者が一緒である必要はない。つまり俺が用意した術符は、俺以外の誰もが利用できる、ということになる。
とはいえ、すぐ実践とはいかない。まずは俺が黒板に描いた術式の模写から行ってもらう。
本来は術符を利用する際に、そこに描かれた術式を理解する必要などない。が、今日はそれを使うことが目的ではなく、学ぶことが目的なのだから。
もっとも、紙に術式を完璧に写し取れるようになったといったって、召喚魔術が成功する、というものではない。
正直、術符がある状態でも無理だと思う。
なにせ召喚魔術は操作が難しい魔術なのだから。
「はい、教官!」
ビシッと手をあげたのは、誰あろう我が妹だ。
「はい、マーミルくん」
「こんな配布されたものでは愛着をもてませんわ」
自分に配られた豚の置物を両手の上に置き、がっかり顔だ。
「召喚魔術の成功には、執着心も一つの要素となりうるって聞きましたわ」
「……」
俺は言ったことないぞ、そんなこと。そもそも、召喚魔術の話題自体、妹との会話中に出したこともない。
妹につけている魔術の教師も、そこまではできないはずだ。
となると、ベイルフォウスの助言に違いない!
確かにあいつの場合、魔槍ヴェストリプスを呼び寄せるために召喚魔術を習得したといっても過言ではない。それは確かに、執着心のなせる技かもしれないな。
「ですから、自分のおうちにあるものを想像できる人は、それを対象としてもよろしいですかしら」
「ああ、それでもかまわない。だが、それでうまくいくとは限らないから、覚悟はするように」
俺の忠告などどこ吹く風。妹はずいぶん自信があるようだ。まあ、最初から失敗するかもと心配しつつ挑戦するよりはいいか。
「まずは各自、黒板の術式を、手元の用紙に50枚、描き写してからだ」
「うへぇ……」
意図せず声を上げてしまったのだろう。マーミルはハッと口をふさぎ、恥ずかしげにケルヴィスを見た。
だが妹よ……気の毒なことに、ケルヴィスはお前の反応など全く気にした風がないのだが。一限目と同様、キラキラした視線をずっと黒板に向けているのだから。
「術式を描き写しながら、同時に召喚すべき対象もじっくり観察すること。実際に手に触れ、撫で、感覚として覚え込み、目を瞑っても思い浮かぶくらいにな。匂いや重量なんかも、要素の一つと捉えるといい」
まぁ、今回のは陶器の置物だから、匂いはないんだけども。
嬉しいことに、今回の受講者たちは全員が授業内容に、ちゃんと興味があるようだった。なにせみんな、真剣な表情で黒板を模写しだしたからだ。
なお、妹は相変わらずネネネセと相談しながら術式を描いていたが、受講者同士の交流は禁じていないのでかまわない。
むしろそれで別の視点に気づけるなら、交流はどんどんしてほしい。
その間、俺とオットゥスはただボウッと座っていた訳ではない。ちゃんと各生徒をまわって、アドバイスを与えている。
絵を模写するのが難しいのと同じで、術式を完璧に写し取るのも、そう簡単ではないのだ。
その合間にオットゥスの様子をそれとなくうかがっていたのだが、今回の授業運びに不服そうな表情は見受けられなかった。
昨日の打ち合わせ時点では「50枚もですか?」と、ちょっと不服ともいえる雰囲気を醸し出していたのに。一限目の後、なにか心境の変化でもあったのだろうか。
他の生徒の中にはデーモン族の成人女性も混じっていたが、指導のため近づいても、一限目のような秋波を感じることはなかった。むしろ必死で術式と向き合っており、好感が持てる。
子供たちも素直にこちらのアドバイスを聞く子ばかりで、なにも問題がなかった。
間違いなく、一限目よりうまくいってる――そうだとも!
単純な術式とはいえ、全員が納得して50枚を描き終えるには、授業時間の半分を要した。
それが終わると、次は術符をもって隣室に移動し、いざ実践だ。
今回は座って操術に取りかかれるよう、実践場にも長机と長椅子を置いてある。術符に魔力を込める際は、慣れていなければ余計に、座って力を抜いた状態の方がよいからだ。
生徒たちは机上に術符を置き、一斉に魔力を込める。だが――ほとんどの術符は光を放つだけに終わった。
一度目で召喚に成功したのは、ケルヴィスただ一人。彼だけは狐の置物を、見事に召喚できたのだった。
「すごい! さすがケルヴィスですわ!!」
マーミルが尊敬の瞳でケルヴィスを見つめている。尊敬の瞳で――そうだとも。うっとりと、とかではない。頬が赤いのだって、気のせいだろう。
だいたい、他の受講者たちも全員がケルヴィスに感心の目を向けているのだ。マーミルだけではない!
「召喚魔術は、一度や二度の練習で習得できる魔術ではない。有爵者ですら、習得している者なんてほとんどいないんだ。うまくできないからって、がっかりすることはない」
「あの、お兄さま……じゃなかった、教官!」
別にお兄さまでもいいんじゃなかろうか。どうせみんな知ってるんだし。
「どうした?」
「やっぱり私も、まずは隣の部屋の小物で試してみてかまいません?」
珍しく、気弱な声音だった。
どうやら妹は当初の自信を失いつつあるようだ。対象をすぐ確認できるものに切り替えたほうがよいと判断したらしい。
「私たちも」
マーミルに付き合って、自分の所有物を召喚すべきと頑張っていたネネネセも、同じく隣室に用意した小物を対象と変更したようだ。
「もちろんいいさ。他の者も、もう一回試すなら、じっくり見てきていいんだぞ。術符は何枚でも用意してある。時間内は何度でも挑戦するといい」
術符は魔力を込めると、たとえその効果は不発でも、一度で消えてなくなってしまう。だから挑戦するたび、新しい術符が必要なのだった。
それにしても、本当にみんな、やる気に満ちている!
ケルヴィスを除く全員が、座学室に自分の召喚すべき対象を確認しにいったのだから。
オットゥスがそれに付き添っていき、実践場には俺とケルヴィスだけが残った。
俺はケルヴィスが召喚魔術を一度で成功させたことを、まぐれだと思っていない。なにせ展開図を描くという座学の時点で、ケルヴィスだけは他の者と理解度が違ったからだ。
なんなら、過不足のない完全な展開図を一つ二つ見せられて、その作業を免除してもいいのではないかと考えたくらいだ。本人が喜んで模写し続けていたので、止めなかったが。
とはいえ、まさか一度でモノにするとは――ほんとになにをやらせてもそつがないな。
「君も別のもので練習するか?」
「はい、次は自分の物で試してみようとおもいます」
「家から私物を?」
「いえ、今日の授業で試せるかと思って、ロギダームを宿泊所に置いてきたんです」
確かに、珍しく持っていないな、とは思っていた。一限目が魔剣の授業だったことだけが理由じゃなかったらしい。
「僕が初めて召喚魔術を見たのは、閣下が大公位争奪戦でコルテシムス公爵と対峙なさった時でした。あのとき、閣下は<死をもたらす幸い>を召喚なさいました」
「ああ、そんなこともあったな」
まぁ、せっかく召喚した魔剣も、すぐに相手のシェアミットに折られてしまったんだが。
「それ以来、僕もいつか召喚魔術を習得できたら、魔剣を召喚してみたいと思っていたんです」
なるほど……ケルヴィスはベイルフォウスと同じタイプか。
「ケルヴィスなら、術符がなくてもできるだろう。せっかくだ。自分で術式を描いてやってごらん」
「はい!」
果たして――ケルヴィスの実力は本物だった。
術式も自身で完璧に構築し――多少のアドバイスはしたが――、見事、魔剣ロギダームを己が手に召喚できたのだ。
「おお、さすがだな!」
手を叩いて誉めたたえると、ケルヴィスは照れたように鼻の頭をかいた。
※オットゥスさんは語る
「私は召喚魔術は習得していません。術式の描き方に対するアドバイスはできますが、何かあったときにとっさの対処ができません。一限目の様子をみても、実践の時間は少ない方がよいかと……」