6 教室の指導者は、俺をのぞいて全員伯爵です
さて、今度こそ修練所に戻って初日の打ち合わせにとりかかろう。
魔術教室があるのは、やってきた挑戦者がまず手続きをする受付と同じ階層、つまり15階あるうちの、1階部だ。
日も暮れはじめた頃、その魔術教室の一室に集まったのは、この十二日間に教官をつとめる予定の俺ほか6名。その全員が伯爵で軍団長だった。
軍団長を交えての会議はよく開いているが、一人一人、全員ときちんと向き合ったことはない。それどころか、面と向かって会話したことがあるのは、今この中ではリンドングだけだ。
あとの5名は全員がデヴィル族で、打ち合わせが始まった時点では、顔と名前が一致していなかった。申し訳ないけども。
もっとも幸いなことに、全員、顔が別の動物だから、打ち合わせ中には覚えられそうだ。
「当番表を確認して、役割を間違えないようにしてくれ」
5名いる伯爵のうち、1名が受付――他の無爵が請け負う場合もある――をし、他の5名で5教室の教官を受け持つ。そのため、全員の得意な魔術を書き出し、まとめた当番表を作っていた。
そうして今、座学に使う教室に7脚の丸椅子を円形に並べ、全員でその当番表を確認中なのだった。
「初日だけは俺の補佐を、オットゥス、頼む」
「はい、承知しております。造形魔術以外は得意とはいえませんが、精一杯つとめさせていただきます」
オットセイの顔をした彼は、丁寧な口調がエンディオンやフェオレスを思い起こさせる、第七軍団の軍団長である。
正直、エンディオンがいなくて寂しいので、ややとはいえ雰囲気の似ている彼のような人物がいてくれて、ちょっと嬉しい。
ちなみに俺が担当する初日の『その他』の授業は、一限目が『魔剣の扱い方』、二限目が『召喚魔術』、三限目が『造形魔術』だ。
日によって『雷魔術』や『浮遊魔術』などの授業も予定されている。
「ここまでで、なにか気になることは?」
「閣下、一つよろしいですか?」
鹿顔の伯爵が手をあげる。彼も口調がとても丁寧なタイプだったが、不思議なもので、エンディオンに似た雰囲気は全くない。
彼は確か、第四十九軍団軍団長の――そう。
「ソナレ」
「はい」
合ってた! よかった……。
「今回の魔術教室には、閣下の妹君やマストレーナも参加されると聞きました。また、他の大公閣下のお子さま方も同様に、いつ参加なさるやもしれません。そういった場合は、他の子たちと同じ扱いでよろしいですか」
「もちろんだ。親兄弟がいくら強くとも、本人には関係のない話だ。みんな同じように扱ってくれ。どんどん厳しくしごいてくれてかまわない」
なぜか、リンドングが苦虫を噛み潰したような表情で見てくる。
「いや、ある程度、加減してあげましょうよ……」
「もちろん、加減はするさ」
子供や無爵を鍛えるのに、俺が全力を出すわけがないだろ。
「閣下の加減って……」
なんだよ、その反応!
別に俺は特別厳しくなどないというのに! むしろ、子供相手だと優しいほうだと思うが?
リンドングのことは、直接鍛えたことがある。たぶん、子供にもその時と同じような感じで接すると思っているのじゃないだろうか。
いくら俺でも、相手が伯爵と子供とでは、鍛え方を変えるに決まっている。
「強くなりたいってやってくる相手だぜ? 閣下の言うとおり、むしろビシバシいくべきだぜ!」
勢いのあるピューマ顔の彼は、確か、えっと……第四十六軍団軍団長、名前は、クー……クー……。
「クーガー! お前だって、子供のころは優しく両親に教えてもらっていただろう?」
「俺んちは結構厳しかったぜ! ちびっこの時分から、兄弟といきり立った竜の巣に放り込まれたり、大蛇をしとめろと毒沼に沈められたり、自力で登ってこいと崖から落とされたりしたぜ! 兄弟の一人は大人になる前に死んじまったけど、おかげで俺はこうして強くなれたぜ!」
えええ……なにそれこわい。
いや、俺は正直、子供の頃から竜とか大蛇とか、まったく怖くなかったけれども。鍛錬の対象がどうこういうより、親の教育方針が怖い。
だって鍛錬中に、兄弟が死んだってことだよな?
そりゃあ、聞いたリンドングもどん引きの表情を浮かべるよ。彼も、俺より他の同僚に注意を向けるべきだと思い知ったのではないだろうか。
「対人戦をやるわけではないから、大丈夫かとは思うが、万が一にも参加者に欠損のないよう気をつけてくれ」
そうだとも――単に魔術の練習をするだけだ。リンドングが心配性なだけで、そもそも魔術教室では怪我人すら、出るはずはない。
せいぜいが魔力切れを起こして疲労困憊になるくらいだと思うが……。
とはいえさっきのクーガーの言葉を聞いては、さすがの俺も念を押さずにはいられなかった。
そうして全員でそろって各教室の広さや設備を確認して回り、無事にその日の打ち合わせを終えたのだった。
***
一夜明け、いよいよ今日が修練所開所日初日である。
朝から食堂でしっかり朝食をとり、修練所管理区画への転移陣がある玄関ホールに向かう。
その玄関ホールに隣り合ってこぢんまりとした応接室があるのだが、そこに続く扉の前に、なぜか不自然な人だかりができていた。
「なにしてるんだ」
「あ、ジャーイル閣下!」
俺が近づいていくと、たちまち全員がこちらを興味津々の体で見てくる。
なにこの既視感――
「お兄さま!」
なるほど――応接室をのぞいて、たちどころに理解した。そこには、マーミルとネネネセがいたのだ。
妹は、俺の姿を認めると、駆け寄ってくる。
もっとも、俺の妹がいるからといって、こんな野次馬が集まるわけはない。
そうだとも――護衛として、妹たちを連れてきてくれたのが、他ならぬジブライールでなければ。
集まっているほとんどは軍団長で、ジブライールとは旧知だ。とはいえ、彼女は割と怖がられているふしがあるし、さらに俺の妹はいるしで、声をかけていいかどうかわからず見守っていたのだろう。
ちなみに、妹たちには侍女が一人、付き添ってきているが、プートの予想と違ってアレスディアではない。かといって、あのユリアーナでもなく、アレスディアがいない間に臨時で侍女をしてくれていた、ナティンタというもう一人の侍女がついてきている。
これはプートの来訪後に、俺がそう指示しておいたからだ。
ちなみに、通信室で話した時のアレスディアの反応はこうだった。
「ええ、わかります。お嬢様の付き添いで私が魔王城に行こうものなら、デヴィル族の男性が修練所への挑戦とは関係もなく、ひきもきらさずやってきて、運営業務の妨害となるでしょうからね」
いや、その通りなんだけども……。プートのことだけでなく、その危険性も考えてこその指示であるには違いないんだけども。
「みんな何してる。転移陣が混むだろ。準備ができた者から、とっとと行くように」
俺は野次馬を追い払いつつ応接室に入ると、ぴったりと扉を閉め、ついでに音も漏れないよう結界を張った。
「こんな時間から、みんな出勤しますの?」
「ああ。色々準備があるからな」
一応、開所時間まではまだ一時間以上ある。だが、初日の準備もあることだし、順次、余裕をもって出勤することになっていた。
今日は点呼はしていないが、さすがに遅刻者はいまい。
「そういうお前たちも、えらく早くからきたな」
ネネネセはともかく、マーミルはたまに早起きするだけで、基本的には朝はしっかり寝ているほうだ。
なにせまだ、お子さまだからな。睡眠欲には逆らえないのである。
今日この時間に到着しようと思うと、夜中のうちには出てこないといけなかったのではないだろうか。
妹たちはいい。竜の上で、寝ることもできただろうから。だが、竜を操るほうは――
「まさかジブライール、夜通し竜を駆ってきたのか?」
「いいえ、心配なさらないでください」
「実は昨日の夕方のうちにやってきていて、みんなで宿泊所にお泊まりしてましたのよ。お兄さま、気づかなかったでしょう?」
友人たちとのお泊まりは楽しかったのか、妹がウキウキした風に答える。
確かに、気づいていなかった。夕方ということは、教室で会議をしていた頃か。
こんなに広い魔王城では兄妹であっても、待ち合わせもせず出会うなど無理がある。
それに宿泊所は修練所管理部の管轄だし、いちいち誰が来ているだとか、誰が泊まっているだとか、こちらに報告の義務はない。
しかし待てよ……夕方に着いた? ってことは、もしかしてマーミル、ケルヴィスに会ったのでは……?
少年が俺との約束を守っていれば、昨日はちゃんと宿泊所に泊まっているはず。
いや……だとしてなんだというのか。仮に昨晩のうちに偶然会ったからといって、二人はただの友人同士。「こんばんは」を言って終わりだったろう。
せいぜい、夕食をともにしたくらいだ。そうだとも。
それより――
今日のジブライールは軍服ではない。よろしいでしょうか? 軍服ではないのです。
白いブラウスに、瞳に合った薄紫の長めのフレアスカート、華奢な生足首にサンダルの紐がからむ様子が艶めかしい。
長い銀髪は、スカートと同じ色のリボンで、ふんわり編み込まれている。
一言でまとめると、清楚……つまり俺の好きな感じ、ということだ。
それで、はにかんだ風に微笑まれてごらんなさい。
触れてもいいだろうか?
しかしマーミルがいる前で……恋人宣言はしたものの、やはり妹の前でいちゃつくのははばかられる。
いや、いちゃつくまでするつもりはないけども!
ちょっと触れてみたいだけだけども!
「お嬢様、お兄さまはこれからお仕事です。お忙しいでしょうし、これ以上の長居はいけませんよ。お顔も拝見したんですから、そろそろお暇しましょう」
すごい……侍女が妹にまともな助言をしているのを聞いたのは、これが初めてな気がした。
アレスディアやユリアーナではなく、ナティンタに付き添いを頼んで正解だったに違いない。
いや、もちろんずっと妹の世話を焼いてくれているアレスディアには、常々、感謝しているのだが。
「そうですわね。じゃあ、行きましょうか」
「あ、マーミル」
「なんですの?」
「結局、どの教室に参加するのか、決めたのか」
妹は、俺がその他の授業を担当することは、もちろん知っている。だが、一限目の魔剣については全く興味がないのと、いつでも俺の指導を経験できる自分が、他の人の機会を奪ってはいけないと、別の授業を受けると言っていたのだ。
「まずは火の授業にしようと思っていますわ。ねぇ」
「ええ」
マーミルはネネネセと頷き合っている。
火か――確か今日の担当は、フェネック顔の第五十軍団軍団長、ヒッチだったはず。
昨日話した感じでは、伯爵にも軍団長にもなりたての、まだ若い真面目そうな初々しい青年、という印象だった。
とりあえず、クーガーでなくてほっとした。
「あとは?」
「お兄さまの召喚魔術は受けようと思っていますわ。ちゃんとご指導できているか、一度くらいはチェックしませんとね。その後の三限目は、水にしようと思っていますの」
「そうか――」
水は誰だっけ。確か――ああ、そうだ。鹿顔のソナレだったはず。
とりあえず一日目は俺以外の二人とも、丁寧な指導をしてくれそうな教官のようだ。
「その間、ジブライールとナティンタはどうするんだ?」
「私はこの機会に本を読もうと、色々もってきております」
そういえば、侍女のナティンタはミディリースと仲がよいのだった。だからと言うわけではないだろうが、珍しく読書を趣味としているらしい。
ん? 逆か。趣味が読書だから、ミディリースと仲良くなったのかな。
どんな内容の本を読んでいるんだろう。今度、聞いてみよう。
「私は……その、お邪魔にはならないよう気をつけますので、管理区画を少し、見学していってもよろしいでしょうか……せっかくきたのですし」
ジブライールがモジモジしながらいう。
「ああ、もちろんだ。ジブライールは副司令官なんだし、好きな時に出入りしてかまわない。下見というならなおさらだ」
もっとも――今日の俺はずっと教室に出ているから、総司令室に来てくれても一緒にはいられないのだが。
そうして昼を一緒に食べる約束をした後、妹一行は宿舎から去ってゆき、俺は転移陣を利用して、修練所に出勤したのだった。