5 ケルヴィスくんの気持ちが推し量れません
「閣下!」
修練所の入り口前に一人ポツンと立っていたその人物は、俺と視線が合うなり、瞳を輝かせて駆け寄ってくる。
「お久しぶりです!」
エンディオンからでも、俺が通常の敬礼が苦手だと聞いたのだろう。フェオレスがよくやる胸を手に当て、腰を少し折るタイプの挨拶を向けてくる。
まだまだ彼やエンディオンほどの優雅さはないが、それでも様にはなっていた。
この少年は、なにをしても器用にこなすのである。
「ケルヴィス、久しぶりだな」
そう、その少年とは、以前、我が城で宝物庫の手伝いをしてくれていたケルヴィスだ。魔族には珍しい魔剣好きで、我が妹マーミルの初恋の……………………なんでもない。
とにかく、彼とは確かに久し振りだった。なにせ父親の奪爵で、今は他領へと引っ越していたのだから。
「変わりないようで……うん、とりあえずよかった」
というのも、彼の引っ越し先はプート領だったからだ。
しかし、少年の見た目は以前と変わらない。ヨルドルと違って、まだムキムキには侵食されていないようだ。少なくとも、今のところは。
「閣下はどちらかにお出かけだったんですか?」
「ああ、時間ができたんで、ちょっと御殿にな。そういうケルヴィスは、修練所に挑戦にきたのか?」
「はい、そうです!」
こんなところにいるんだから、そりゃあそうだよな。
彼は修練所には魔王陣運営の初期から、定期的に通っているはずだ。もうすぐ成人を迎えるだろう身で子爵を目指すと言っていたが、正直なところその程度の実力にはとっくに到達している。
それでも努力家のケルヴィスのことだ。そうと知った上で、鍛錬を怠らないのだろう。
「だが、開所日を勘違いしているぞ。今回から、陣営を変更する際には、撤収と準備で二日、閉所することになったんだ」
もっとも、ケルヴィスが勘違いするのも仕方が無かった。
もともと、魔王陣営からプート陣営に転換する際の撤収・設置のための準備期間は、双方あわせて一日の猶予しかなかったのだ。
しかし、最大36階まで設置できる三区画すべての撤収には、魔王陣営も初めてということもあってか、半日以上、なんなら夕刻前までかかったらしい。
当然、撤収が遅れれば、設置にとりかかれるのもその分遅れることになる。
つまり、プート陣営の準備時間は、半日もなかったのだった。
俺ならその時点で魔王様に掛け合うところだが、プートは違った。「予定通りやりきれ」と命じるに留まったのだ。
なお、プート自身は現地にいなかった、と聞いている。
結果、プート陣営の運営業務従事者たちは、こちらも初回で慣れていないこともあってだろうが、夜を徹して準備作業に励むこととなった。
辛くも開場には間に合ったそうだが、彼らの疲労困憊な様子を見た魔王様が、次回からは陣営転換に二日設けること、とあらためられた。
おかげ我が陣営からは、ゆっくり準備に取りかかれることになったのだ。
「だから修練所が開くのは、明日からなんだ」
「あ、知っています!」
間髪入れず、返ってきた言葉に俺は驚いた。
え? 知ってるの?
明日からしか開所しないことを、知っている?
知ってるのになぜ、今日、今、ここに?
ん??
んん????
「一番乗りしたいので、並んでいるんです!」
俺の疑問に答えるように、ケルヴィスが元気よく応じた。
「え? 今から??」
「……はい」
目が泳ぐ。今の間はなんだ?
修練所なんて、そんな並んでまで挑戦するものじゃないだろう。百歩譲って、当日の朝ならともかく、前日からって……意味がわからないんだが?
だってそうだろう? 別に一番に入場したからって、二番目以降と挑戦の内容が変わるわけじゃなし。
「父上には断ってきたのか?」
いくらすでに爵位を得られそうなほど強いとはいえ、一応まだ未成年だ。それが、一晩家に帰らないとなれば、家族だって心配するに違いない。
たとえばこれがベイルフォウスなら、未成年の頃からふらふらと女性のところを渡り歩いて、一日と言わず何日も帰ってこなかったなんてザラかもしれないが、なにせケルヴィスはドのつく真面目くんなのだ。
「父は、強くなる修練のためならと、喜んで送り出してくれます」
「いや、だとしても……さすがに前日からこんな外で待っているとは思わないんじゃないか?」
「そうでしょうか?」
ケルヴィスは首を傾げる。
本当に断ってきたのか?
これがマーミルなら、俺は絶対に反対する。許可などしない。
いいと言ったのなら、父親はちゃんと意味が分かった上で、送り出したのか?
ケルヴィスは時々、突拍子もないことをするからなぁ……ちょっと心配になってきた。
「見たところ、何も持っていないようだが、夜はどうするんだ? まさか、扉の前で立って寝るわけでもないだろ? 食事は?」
「一食二食、抜いたところで問題ありません。それに、寝るのもそんな重要なことではないので」
いや、仮にその二つはまだいいとしても、トイレはどうするつもりだ? 生理現象だぞ。それに、風呂だって入らないつもりなのか? 戦いを控えた身で? 俺は嫌だ。
「いや、修練所だぞ? 確かに一番右なんて、君にとっては容易なレベルとはいえ、それでも一応、戦うんだぞ? 万全の体調で臨まず、うっかり怪我でもしたらどうするんだ」
「修練所には、医療班がいますし」
確かにいるけども! 腕のいい医療員たちがな!
とはいえ、治してもらえるならうっかりで怪我をしてもいいとでも?
さすがにこんな話を聞いて、放っておくわけにはいかない。俺だって、相手がいい大人なら奇特なと感じても好きにさせるさ。
だがなにせ、何度も強調するが、彼は一応未成年なのだ。
「せめて、昼飯はとったのか?」
「あ、いえ……」
ここまでの流れで、さすがにばつの悪さを感じたのか、眉を下げる。
「なら、付き合ってくれ。俺もまだなんだ。久しぶりに魔剣の話でもしよう。どうだ?」
これでケルヴィスがうんと言わないわけはない。
なにせ彼の腰には、今日も愛剣たる魔剣ロギダームがさしてあるのだ。
案の定、さっきよりいっそう瞳をキラキラと輝かせ、ケルヴィスは満面の笑みで「はい」と元気に頷いたのだった。
「官僚区に行ったことは?」
「いえ、僕は修練所にばかり来ているので、他の場所はほとんどいったことがないんです」
「なら行こう。食事を持たせてくれる配給所があって、大瀑布を見ながら食べると、より美味く感じるんだ、これが」
「はい、お供します!」
俺はケルヴィスを連れ、歩いて官僚区に向かう。
もっとも、さすがに昼食を食べたからってそれで「はい、さよなら」、という訳にはいかない。
なぜって、ケルヴィスのことだ。放り出したら、絶対にまた扉の前で意味なく並び出すに決まっている。
俺は年長者として、子供には飯を食べさせるし、夜もちゃんと、宿泊所に泊まると約束させてみせる。そう決意したのだった。
そのためには、なんなら俺との手合わせを餌にしてもいい。
「閣下は挑戦者のお相手は、されるんですか?」
「まぁ、公爵位挑戦者の相手なら、たまにしてもいいかなと思っている」
じゃないと、ずっと総司令室で座っているだけなんて、暇に違いない。
しかも、場合によっては魔王様の愛人と二人きりだなんて……。
「だが、初日は別の箇所を担当する予定なんだ」
「別の箇所? 下位を担当されるということですか?」
大公がわざわざ下位の相手を? とでも思っているのだろう。ケルヴィスは怪訝顔だ。
「実は、無爵区画で魔術教室を開く予定なんだ」
「魔術教室?」
あれ? 一応、昨日のうちには公表しておいたんだけどな。
「ああ。子供って、周囲の大人の得意な魔術に影響されがちだろ。他に自分に向いた魔術があっても、環境次第ではそれに気づくこともない」
「そう、かもしれません」
ま、正直、俺やケルヴィスは親が有爵者だから、そういう環境からは遠いほうだとは思うが。
「だからな、魔術教室を開くことで、子供や……まぁ、大人の無爵者もだけど、そういった限定的な環境にいる者が、自分の新しい可能性に気づけるかもしれないと思ったんだ」
「それは、すばらしいですね!」
ケルヴィスは、心の底から感嘆したように、声をあげた。
「そんなわけで、基本的な『火・水・風・土』と、それ以外の魔術を教える『その他』の、5つの教室を開くことにしていてな。で、ひとまず初日は、俺がその他の授業を受け持つことにしたんだよ」
「閣下が、直々に、魔術を――」
「あ、担当教官は伏せておくことになっているから、これ、内緒な」
「はい……!」
これでも俺は大公閣下なのだ。
先に予定を公開してしまうと、純粋な鍛錬目的以外の思惑をもった受講者が、殺到するかもしれない。それを極力排除しようと、授業内容は先に公開しても、担当教官は公開しないことになったのだった。
「とはいえ、一限目は魔術というより、魔剣の扱い方という、かなりイレギュラーな授業になってるんだが」
「あの、それって……」
ケルヴィスが、やや遠慮がちに声をあげる。
「聞いてしまった僕が、受講することは可能でしょうか……」
「あ……」
そりゃそうか。その内容でケルヴィスが受講を希望しないわけはない。それなのに、内緒と断った上で、考えなしに言ってしまったのは俺だ。俺が悪い。
その上、かなり特殊な内容となる一限目は、受講希望者がいない、なんてことも考えられていた。
なにせ、魔武具に興味のある魔族なんて、ほとんどいないからだ。残念ながら――
なら、受講者がたとえケルヴィス一人であっても、いてくれたほうが俺も嬉しい。
とはいえせっかくだ。これをうまく利用することにしよう。
「俺との約束を守れるなら、受講を申し込んでもいいことにしよう」
「なんでしょう!?」
ケルヴィスは乗り気だった。
「さっきみたいに扉の前で夜通し待ったりしないこと。ちゃんと宿泊所で休んで、朝食もきちんと食べてから並ぶならいい。これが約束できるなら、俺の授業に申し込んでもいいことにしよう」
「……」
ケルヴィスの表情が、瞬間、凍り付いた。
いや、なんで……?
そうまでして、たった一人、並びたいか?
他にだれ一人、並ぶものなんていない中で?
並ぶ意味が、ほんとにわからないんだが?
なんらかの性癖ですか?
単に並ぶのが好きとか?
プートの時も、毎回並んでたのか?
だが、心配は無用だったようで、逡巡をみせたのは一瞬のことだった。
「お約束します!」
少年は、力強い口調でそう宣言する。
よし、これで一安心だ。確認などしなくとも、真面目なケルヴィスが俺との約束を違えることはないだろう。
その後、俺とケルヴィスは役所の片隅につくられている軽食配給所でいくらかの食料と飲み物を調達し、大瀑布前の湖に沿って設置されているテラス席で、歓談しつつ夕方まで時間を過ごしたのだった。