4 時間のある時は、魔王城を堪能しましょう
思わぬ暇ができてしまった……さて、どうしようか。
今日一日は修練所の準備で忙しいつもりだったから、夕方までどうやって時間をつぶすか、何も思いつかない。
となると、やっぱり魔王様の顔でも見に行くか……となるのは当然だ。なにせ俺は、魔王様の忠臣……いや、寵臣なのだから。
余裕もあることだし、〈御殿〉までは〈大階段〉を登っていこうと決意する。
それで管理区画から大階段の下まで、転移陣を使って一気に移動したのだった。
ほら、見上げればわかる、この〈大階段〉のすばらしさ! まっすぐ魔王様の居城へと、千段が伸びる圧巻のこの威容!
とはいえ、踏み面をゆったりとった上に、休憩所なども設けられた踊り場があるので、休み休み登っていくのは子供であっても容易だろう。
だというのに、俺のように階段を上って頂上まで行こうという者が、極端に少ない。
なんならずらっと列ができていてもいいくらいなのに、今見回しても、ざっと数えられるくらいの人数しか、登っていないのだ。
わかっている。それが転移陣のせいだってことは。
俺が考案した魔術を、みんなが便利に使ってくれることに対し、嬉しい気持ちはある。俺自身、たった今、この大階段の下まで使ってきたことだしな。
が、それはそれとして、この大階段ももっと利用してほしい、とはどうしても思ってしまうのだ。
なにせ俺は、この階段を仕上げた現場職人たちの苦労を間近でみているのだ。彼らとずっと一緒に過ごしたジブライールほどではないといえ。
それにほら、こんなピカピカなのは、毎日ここを掃き清めている者がいるからだ。……いや、箒じゃなくて魔術での仕業かもしれないけども。
なにより、ちゃんと自分の足であがって、途中の踊り場で振り返って遠景を視界におさめたときの、この爽快さ!
みんなにも味わってもらいたいじゃない?
魔王城の前なんて、なにもないからね! 遠くの森や湖まで見渡せて、それはそれは絶景なんだよ?
いっそ、「足腰の弱さが魔族全体の弱体化につながるおそれがある。だからもっとみんな大階段を使うよう、促すべきでは」とか、尤もらしく魔王様に進言してみようかな。
サンドリミンに相談したら、なんらかの根拠をねつ造してくれないかな。
そんな事を考えつつ登っていたら、勢いよく駆け上ってきた小さな子に、後ろからぶつかられた。
「おっと」
その子が尻餅をつきそうになるところへ、慌てて手を差し出す。
ちょっと前のマーミルを思い出す、幼いデーモン族の女の子だ。だからだろう。つい、抱き上げてしまった。
お、軽い。当然か――本当に小さな女の子だもんな。この間、ガルムシェルトで小さくなった小魔王様ほどの幼さだ。
「ふぇ?」
梅鼠色のどんぐり眼が、驚いたように見開かれている。
それはそうだろう。転ばずすんだとはいえ、急に知らない男にだっこされたら、びっくりもするよな。
「ナル!」
慌てた様子で駆けてきたのは、幼女に顔立ちのよく似たデーモン族の少女だ。
俺が抱き抱えた子より、こちらの子の方が、今のマーミルに近い年頃に見えた。幼女と髪の色は違うが、瞳の色が同じだから、姉妹だろうか。
しかし人見知りが激しいのか、その子はこちらに近寄ってまではこず、一定距離を保ってピタリと足を止めてしまったのだった。
「ニラリヤーナ! ナルテラーナ!」
続いて父母だろう、姉妹それぞれと、片親ずつ髪の色が同じ、無爵と思わしき男女があわてた様子で駆け寄ってくる。
母親が立ちすくむ姉らしき子を抱き留め、父親が俺のそばまでやってきた。
彼らは俺の素性がわかるらしく、膝をついて礼を示す。
「申し訳ありません、閣下! 娘が大変、失礼なことを――」
あれ? ちょっと声、震えてない?
まさかな。自分でいうのもなんだが、俺は見かけだけは優しく見えるとよく言われるんだ。その上、今は怒った様子をしているわけでもないのだから、恐怖心など与えるはずがない。
でなければ、無爵からでもちょいちょい気安く接される覚えがないではないか。
ベイルフォウスとかみたいに――男限定とはいえ――、その姿を現すだけで恐れられるとか、あこがれた時期もあったが、今ではもうあきらめている。
この無爵の両親も、怖がっているのではなく、俺の地位がわかるからこその緊張感だろう。
「いや、こんな小さな子にぶつかられたくらい、失礼というほどのことはない。だからそんな風に跪かなくてかまわない」
こっちもぼーっとしてたし、避けられなかったのは、俺がことさら人の気配に鈍いせいもあるだろう。他の強者なら、そもそもぶつかられる前にひらりと避けたかもしれないのだから。
とはいえ、両親が心配する気持ちもわかるではないか。ぶつかったのが俺だったからよかったが、これがヴォーグリムみたいな傍若無人な輩であってみろ。相手がデーモン族嫌いのデヴィル族なら、なおさらのことだ。
幼さは考慮されず、最悪、その場で手打ちにされる危険だってあるのだから。
うん、こうしてこんな幼い子供たちが、楽しそうに階段を上ってくれてきたことは本当に嬉しい。
できればこれからも、ぜひ階段を使ってほしい。
だが、一応、危険性については注意を促しておいたほうがいいかもしれない。
「だけどお嬢さん、君は前を見て走ろうな。ここには怖いお兄さんやお姉さんがたくさんいる。うっかり気の短い相手にぶつかったりでもしたら、子供とはいえ大変だぞ」
床におろし、じっと目を見て言い聞かす。
「はい、ごめんなさい」
それにしても、なんだか物怖じしない子だなぁ。
反省はしているようだが、臆することなく真正面から見返してくるではないか。
魔力はそんな強いとまではいかないが……いや、両親をみる限りどうあっても無爵の環境下で育ったのだろうし、それにしてはこの幼さで、これだけの魔力があれば十分なのかもしれない。
あの魔王様にしたって、小魔王様の頃にはたいして強くなかったようだし。
なにより、この気概……。案外、こういう子が、将来強くなるのかもしれない。
姉の方も、遜色ない魔力を保持しているようだし、明日から始まる教室には、こんな子たちが来てくれればいいんだが。
「いい子だな」
頭を撫でてやると、幼女は少しはにかんだように表情をゆるめた。
子供の素直な反応というのは、かわいらしいものである。とはいえ、俺はそんなに子供の相手が得意ではない。
相手の両親も緊張が解けないようだし、ここはさっさと去るに限る。
「それでは」
俺はそれ以上、その一家には関わらず、大階段を登り切り、魔王様に挨拶すべく〈御殿〉を訪れたのだった。
だというのに――
魔王様が冷たい。
準備の合間に、わざわざ時間を割いて挨拶にいったというのに……いや、暇つぶしでいったわけじゃない、本当だ。とにかく魔王様は、「予は忙しい、毎日来るな」などと侍従長に言付け、今日は会ってもくれなかったのだ!
せっかく上まで階段をあがっていったというのに!
だいたい、俺にそんな冷たい言葉を伝えないといけなかった侍従長の気持ちも考えてあげてほしい。ものすごく申し訳なさそうにしていて、ちょっといたたまれなかった!
「もしかして、ウィストベルがきてる?」
「いえ、本日はいらしておりません」
えー。ならなんで会ってくれないんだろう。
しかし、文句を言っても仕方ない。
魔族の強者は傍若無人なものなのだ。慈悲深いと名高い魔王様であっても、これである。
やれやれ――
仕方がないので、俺は一旦、修練所に戻ることにした。もしかすると俺の手が必要な、なんらかの用事ができているかもしれないからな。
とはいえ、別に呼び出されてもいないのだから、早く戻る必要もない。
できれば魔王様と一緒に、と思っていたから昼飯もまだだが、今のところそれほど腹も減っていないので、ゆっくり帰ることにした。
大階段を徒歩で下り、今度は転移陣も使わず、外周を東に回り込む。
そう、東といえば――ほら見るがいい、この〈竜舎〉を!
四季の移ろいに応じて、色とりどりの草花が咲き乱れる丘陵――竜穴がその奥に見事に隠されているおかげで、知らなければまさかここに数百の竜がいるとは誰も思うまい!
こちらもまた地面から見上げていると、まるで本物の自然の丘のように見えるだろう?
当然、俺や配下が自分の城から乗ってきた竜も、この一角で世話されている。なんだったら、その様子をみに寄ってもいいかもな……。
いや、さすがに腹が減ってきた。とりあえず、修練所の食堂に戻って、何か腹に入れよう。
俺は寄り道もせず、北面までぐるっと一周、歩いて戻ったのだった。
そちらからだと、今度は修練所の正面左手、公爵や侯爵に挑戦する区画への入り口が、近くに現れる。
本当は、そこから中に入ればよかったのだ。
どこからであれ、各受付の奥に、修練所管理区域につながる転移陣があるのだから。
しかし、俺はそうしなかった。腹もそこそこすいていたというのに。
恐らくなんらかの勘が働いたのだと思う。
そのときの俺は、修練所の正面を横切ることにしたのだ。
そうして無爵区画の入り口の前で、俺はよく見知った相手を見つけたのだった。