2 夜更けの訪問は、ご遠慮願いたいものです
魔王城を筆頭として、我らが魔族の建築物は、階をあがるごと部屋が豪勢になるのがお約束のようだ。
しばらくの住まいとなる断末魔寮もその例に漏れず、二階あたりは一フロアに十数の部屋が配されているというのに、最上階はといえば、前室も備えた立派な個室が、わずか四部屋あるのみ。大変、贅沢な間取りになっている。
さらにそこを、今回は随員も少ないからと、俺がたったの一人で利用している状況だった。階の移動には転移陣があるといえ、気分的に面倒なので、下の階でもいいと言ったのだが拒否された。
その最上階にあてがわれた部屋でくつろいでいたとき、その人物はやってきたのだった。
うん……相手がジブライールとかなら、驚きはしても諸手をあげて歓迎したろう。
だが、登場したのはこんな夜更けにやってくるには相応しくない人物――胸板も立派な金獅子、プートだったのだ。
「領地に帰っていなかったのか……」
客人のために手ずから温かい茶を入れ、ぽつりと呟く。
っていうか、プートが修練所に顔を出していたとは思わなかった。てっきり設置から撤収まで配下に丸投げで、一度も足を運んでいないと思っていたのに。
「そなたに修練所を明け渡すにあたり、不備があってはならぬであろう。ゆえに、我自らわざわざ最終点検をしてやっていたのだ。問題なしである! と、胸を張ってそう保証しよう!」
実際に、プートは黒光りするゴリラ胸を張って言うが、俺は言葉通りに受け取る気にはならない。
「それはわざわざありがとう。報告は受け取った。あとは自分の城で、ゆっくり休むといいんじゃないか」
早く帰れ。俺は明日に備えて、早く休みたいのだ。間違えてもお茶請けなど、出してやらない。
「我に対する気遣いは不要である」
あくまでも普通サイズのカップなのだが、プートがその大きなゴリラ手で持ち上げると、おままごとの道具のように見えてしまう。
彼はズズズ、と音をたてて茶を一気に飲み干すと、ガチャン、といささか乱暴な手つきでカップをソーサーに置いた。
どれも魔王様の所有物だというのに。ヒビでも入ったら、ちゃんと自分で弁解、弁償してもらうからな!
「余談ではあるが、こたびの運営、そなたと副司令官が行うと聞いておる」
ほら来た! 余談どころか、むしろこれからが本題だろう! アリネーゼだ。絶対、アリネーゼ目当てだ!!
こんな時間にやってきたのも、俺にではなく、アリネーゼに会うために決まっている。
プートのところは全期間中、副司令官四人が一斉につめていたらしい。そのせいで、俺のところもそうだと思いこんだのだろう。
俺に挨拶しにきた体をとりながら、せっかくゆえアリネーゼの顔を見たいとか言いだし、さらには久しぶりに話が弾んだ、こんな夜更けに領地に帰るわけにもいかぬ、とかなんとかいって、この宿舎に泊まっていこうと企んでいるに違いない。
「そうだが、担当期間は分割してるから、しばらくは俺一人だ」
「ほう……そなたと副司令官、それぞれが開所中、交代で業務に従事するわけか」
「だから副司令官は一人として来ていない。あ、ほかの担当日は知らないからな」
もちろん、そんなわけはないが、プートのところならあり得る話なんだから、もしかすると信じてくれるかもしれない。
もっとも、ここで誤魔化せたとして、情報はすぐ割れるに決まってる。そうなると、アリネーゼの担当中にはプートのみならず、サーリスヴォルフだってやってくることだろう。
だが、アリネーゼも俺の副司令官となった以上、いつまでも二人との接触を避けられないのは覚悟済みなのだから、後はきちんと自分で対応してもらいたい。
とはいえ、俺自ら情報を流したとあっては、心証が悪い。万が一、信頼に値しない、などと思われては今後の施政にもかかわる。
だから俺は、しらをきることにした。
するとどうだ。金獅子が圧の強い瞳で俺をじっと見据えてくるではないか。その眼力で、情報を吐かせようとでもいうように。
正直、目をそらしたかったが、あんまり弱腰になっても今後のためになるまいと、頑張って耐えた。
あまりにも無言が続き、さすがにそろそろ気まずい……という段になって、プートはようやく「ふむ」と目を伏せてくれた。
思いっきり息を吐きたいところだったが、なんとかこらえる。
「ところで、そなたの妹御も、今回の修練には参加するのか?」
「ああ、その予定……」
はっ! 今度はアレスディアか!! 侍女である彼女が、マーミルについて来るとみなしての質問だな! なぁ、この金獅子、ウォクナンとダブって仕方ないんだけども!
「だが、いつ来るのかは知らない」
「あれほど兄を慕っておる妹御のことだ。それはもちろん、初日から来よう」
その通りだけども!!!!!
我が運営期間中は、子供を含む無爵のための区画で、いくつかのテーマ毎に魔術を教える教室を開くことになっている。
それが今回が初めての試みということもあって、初日にはこの俺自ら、教鞭をとるつもりでいるのだった。
ブラコンの妹が、その機会を逃すはずがない。
城を出ようとする俺に、「ネネネセと一緒に初日からいきますわ!」と、我が妹は魔王立ちで、鼻を膨らませながら宣言してきていた。
そうだとも。間違っても初日からやってくるであろう誰かさんに会いたいから、参加するのではない。
「ケルヴィスも初日から参加するって、お手紙に書いてありましたわ……」などという台詞は、空耳だったに違いないのだ。
「うむ。ならばもう夜も更けた頃である。竜を飛ばすに忍びぬゆえ、本日はこちらに――」
ほら、きた。何が「ならば」なんだよ、何が!
今日は誰もいないっていってるだろ!
「一泊するなら〈西の宮〉にどうぞ!」
頂上の〈御殿〉から空中回廊でつながり、向かって左手に建つ〈西の宮〉は、高位魔族が滞在時に利用する、いわば迎賓館だ。
俺は今は修練所の仕事で来ているから、この〈官僚区〉に滞在しているだけのこと。
プートは撤収を終え、本来なら帰途についているはずなのだから、宿泊するならその西の宮だろう。
「さすがにこの時間に陛下を煩わすのは申し訳ない」
「魔王様を通さなくても、侍従長が手配してくれるだろ。それも憚られるというなら、『爪牙寮』を使うべきじゃないか?」
プート陣営の宿舎である爪牙寮は、この断末魔寮からみて北北西に建っている。実際に撤収に携わった彼の配下が今日も泊まっているなら、その宿舎であるはずだ。
「なぁ、プート。この際だから、はっきり言っておくが――」
毎回毎回、これではいけない、と、俺は決意する。
とはいえ内心ドキドキしながらなのが、俺の小心――繊細なところだが。
「俺たちは同盟者ですらない。ならばそれなりの距離感というものがあると思うんだ。今後はそれをふまえた対応を――」
「一理ある!」
思わぬ大声にビクッとしたのは内緒だ。
「確かに同盟者でもない相手を、格別の理由なくこのような夜更けに訪れたのは、我が失策であった」
……え? マジで? マジで、プートが同意した? 遠慮してほしいって言う俺の意見に? そんなあっけなく? 本当に?
「なるほど、同盟者でもない身で親しげにふるまいすぎるというそなたの主張、もっともである。故に今後は我が対応も、適度な距離というものに配慮いたすこととしよう」
え? 本当に? 本心で? 今後は、大祭以後、顔を合わせる度に行われていた、俺の領地の美女に対する、俺へのアプローチがやむのだろうか? だとしたら、とても有り難いんだが!
「だが、今日はせっかくゆえ、別の申し伝えをもって終えるとしよう」
実際に、プートは今の今までと、態度をあらためてきた。前のめりだった姿勢を正し、どっしりとソファに座り直す。
こんな大公第一位に相応しい、引き締まった凛々しい表情を見るのは、久し振りな気がする。ずっとこのままでいてほしい。
「なんだろうか」
「例の男のことである」
例の男?
「先に大罪を犯し、我が領にて使役しているあの男である」
ああ――ヨルドル、か。我が城の図書館司書であるミディリースの父、我が領の男爵であるダァルリースの元夫。
リシャーナにそそのかされて人間に手を貸し、魔王様の魔力を奪ってプートの城を襲撃した、大罪人であるその男だ。
「肉体改造を施し――」
えっ! 肉体改造!? 何をどうやって?
「筋肉は六十%増強――」
ムキムキ? もとからそんなヒョロヒョロでもなかったが、六十%増量って……この短期間にしては結構な数値じゃないか?
大公城再建のため、労働させるって話だったはずだから、肉体労働の末ってことだよな? 何かこう、無理矢理、医療班によって魔術的処置を施した、とかじゃないよな??
「おかげであの陰鬱な性格が矯正され、今は清々しい様で、日々、筋肉万歳を叫ぶようになっておる」
プート麾下のあの、金獅子を声高に賞賛し、筋肉を盲信している様子が目に浮かぶ。ヨルドルもああなったってことなのか? 確かに元々、優柔不断な感じだったけど……とうとう脳が筋肉に浸食されちゃったか……。
俺、プート領で育たなくてよかった。
「さらに、魔術の知識については、確かに大したものであると認めてもよい。故に、我は数百年はあれを我が領にて使役することと決めた」
つまり、デーモン族嫌いのプートが徴用しようと思う程度には、ヨルドルのことを人材として気に入った、ということだろうか。
それが彼にとって幸か不幸か、微妙なところではある。まぁ、そもそもあれだけのことをして、死を免れている時点で幸運なのかもしれないが。
こういっちゃなんだが、プートの魔術は力業中心で技巧に欠ける点が多い。それで不動の大公一位、というのがすごいといえば、すごいんだが。
しかしだからこそ、弱者であるにもかかわらず、魔術的造詣が深いヨルドルの視点が新鮮に感じるのはわからないでもない。
「故に、その妻子は望むのであれば、我が領で受けいれてもかまわぬ。もっともさすがに罰を与えている現状、今すぐとはいかず、将来の話ではあるが。同盟者ではなくとも、そのくらいの便宜は図ろう」
「え? 妻子を?」
配下の移領って、同盟者じゃなければ格別の便宜になるのか。いや、まぁ、そうかもだが……。
にしても、ミディリースとダァルリース母娘をプート領に?
「……家族には言付けておくよ」
妻子といったって、ダァルリースのあの様子では、元の鞘に収まることはないんじゃないかな。
だが、ミディリースはどうだろう? 生まれて初めて父という存在を得た今、一緒に暮らしたい、という気持ちが芽生えていても、不思議ではないのかもしれない。
つまり俺は、優秀な司書を失うということで……。
まぁ、話をしてみてのことだし、彼女がそう望んだところでまだ先の話なんだから、今から気にするのはやめよう。
結局、プートは今晩のところは爪牙寮で寝泊まりするとのことで、それから特に長滞在もせず、辞していったのだった。
……やれやれ。