0 プロローグ
「魔王様って、会議中にウィストベルに見惚れてる様子、ないですよね。思わず、きれいだなぁとか、かわいいなぁとか、思っちゃったりしないもんですか?」
「……」
答えてやらぬが、見惚れていないわけではない。
魔王城にて七大大公が一堂に会する会議はままある。が、心中ではどれだけウィストベルに心を惹かれていたとして、それを表情に出すことはないだけだ。それに、いくらなんでも話が入ってこないほど、夢中になっているということはない。
というか、私は仕事中なのだ!
そんなどうでもいい話をふってくるな馬鹿者め!
そうだとも――
今日も今日とて、ジャーイルめは許可もしておらぬのにずかずかやってきて、「いや、実は、ジブライールと付き合うことになったんですよね」などと、全く興味をひかぬことを話しだしたのだった。
お前が誰とどうなろうが、どうでもよいというのに!
「わざわざ宣言とかはしていないんですよね。とはいえ、別に隠してもいないわけで……なので軍団長とかはなんとなく知ってるっぽいんですが、そのせいか、俺とジブライールの会話になると、会議中だってのになんか微妙な空気になるんですよね……ちょっとやりにくくて仕方ないというか……」
などと、促してもいないのに話し始め、冒頭の質問となったわけだが、もちろん答えてなどやらぬ。
なにせ、執務机の上に山積みになった書類、その内容を精査し、脇目もふらず紋章の焼き付けをしている私のこの姿――多忙であるのは一目瞭然だよな?
「ところで、魔王様の所に、ウィストベルはどのくらいの頻度で泊まりにくるんです?」
「……」
「ウィストベルが大公を辞めて、魔王妃に収まる予定はないんですか?」
「……」
本心を言えば、そうしてほしいと思っている。いいや、なんなら私が魔王位についた最初から、そう思い続けているし、彼女自身に口説いてもいる。
だがそれは魔王妃として側にいてほしい、ということではない。彼女が魔王として君臨するのが、本来のあるべき姿なのだから。
しかし、ウィストベル自身がその立場を望むことはないだろう。
「まぁ、魔王様の場合は、他に愛人が何人もいますもんね」
「……」
否定しないからといって、肯定しているということではない。事実に反している訳でもないが。
「ところで魔王様の通信具、八秘宝に数えられることになったんですっけ。あれの造り方、教えてもらえませんか?」
「……貴様、よくぞ自らその話題をふったな。あの時の仕打ちを、忘れたわけではないのだからな」
「あ、いや……」
書類から視線をあげて睨みつけてやると、ようやく己の失言を悟ったようで、ジャーイルはみるみる青ざめた。
そうだとも。私は忘れていないのだ。
いたいけな子供姿の私が内緒にしてくれと頼んだにもかかわらず、大声で通信具の存在を知らしめたその仕打ちを!
責めてもよかったところを、世話になったことも事実ではあるし、私自身、すすんで思い出したくないこともある故、目を瞑っていただけだというのに。
「そもそも貴様、通信具を二組持っておるであろう。大公には一組、貸与しているとはいえ、もう一組も返さぬとはどういうことだ? さあ、すぐさま返すがよい」
椅子から立ち上がり、ジャーイルに向けて手を突きだした。
「え? いや、そもそもあれは魔王様がミディリースに……」
「それは片方だけのことではないか。貴様が使ったどさくさに紛れて、対の腕輪も返しておらぬことを、気づいておらぬわけではないのだぞ! さあ返せ。今すぐ返せ。まさか、持ってきておらぬとは言わぬであろうな?」
「……持ってきてません」
しまった、という表情の後、にへら、と誤魔化すように浮かべた笑顔に苛つき、差し出した手でそのまま首を掴み、壁際に追いつめた。
「ちょ……」
「おい貴様……がめる気ではあるまいな?」
「く、くる……死ぬ……し……」
つり上げてやると、バンバン腕を叩いてくる。
意識を失う一歩手前でようやく自由にしてやると、ジャーイルはそのまま床に崩れ落ちた。
「げほっ、げほっ! ひどい……本気で死ぬかと思った……」
大公の威厳など、どこへやら。ジャーイルは涙目で嘆いている。
いいや、この男ならば、いつもこんなものか。
「わかりました、ミディリースに持ってきてもらいます。せっかく禁書の閲覧許可がもらえたっていうのに、遠慮してなかなか思い切れなかったみたいですから、いい口実になるでしょう」
「……ちゃんと護衛はつけるのだぞ」
「もちろんです。ご心配なく。……っていうか、少しは俺にもその優しさください」
「身内でもないお前に、なぜ優しくしてやらねばならぬ」
そう言ってから、我ながら言葉選びを間違ったと気づいた。
なにせそんな言い方をしては、ジャーイルが突っ込んでこぬ訳がないからだ。ミディリースだって身内じゃないでしょう、と。
だが、ジャーイルは私の思っていたものと違う反応をみせてきたのだった。
「じゃあ、甥っ子にはもっと優しいってことですか?」
しまった……。
「……誰のことを言っているのかはわからぬが、公的な場面では、相手の地位によった対応をするに決まっておる」
「公的な場面では? じゃあ、私的な場面だと、伯父として甘々ってことですか? 思えば、魔王様が彼女に夜這いされて不問にしたのも、義妹だったからなんですね」
「夜這いとか言うな! 義妹と言い表すのもやめろ!!」
魔王ともあろう私の背筋を、震えが襲った。蘇りかけた記憶を振り払うように頭を振る。
今までだって、あの女性……デイセントローズの母に対し、そういう意識で接してきたことはない。なにせ、『甥』である彼と対面したのも彼が成人してから……どころか、大公になったそのときが初対面だったのだ。
甥はともかく、あの女性を義妹と呼ぶには大いなる抵抗がある。
「でも――」
「というか、私は忙しいのだ!」
いつものように追い出してやろう、という決意を込めて、拳を握りしめる。だが、こいつが来るたびに窓を破っていてはキリがない。毎度のことすぎて、さすがに近頃は自重しようという気になっているのだ。
そのため、まずは口頭で注意を促すことにし、それでもまだグダグダ言うようなら容赦はしないと決める。
「お前とて、こんなところで世間話をしている暇があるのか? 修練所の準備のため、この魔王城に来たのであろう。とすれば、配下どもが待っていよう。とっとと仕事に戻れ!」
「いや、まぁ……そっちはいいといえばいいんですが。でも、今回はちょっとご挨拶だけのつもりだったんですが、結局、長々お邪魔しちゃいましたね」
意外にも、ジャーイルは長居を改める気があるらしい。と、思えたのも束の間――
「どうせ暫くいるんだから、また来ますね!」
そう軽薄に言いおいていくのを聞いて、やはり蹴り出してやるのだったか、と後悔したのだった。
修練所編は、2月頃から初めていければいいなと思っています。