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続・魔族大公の平穏な日常  作者: 古酒
家令不在編
16/181

15 エンディオンの帰城まで、あとまだ約四〇日

 かなり重量のある手紙が届いたのは、翌日のことだ。

 その厚みから、てっきりミディリースからかと思ったほどの。

 けれど彼女は今日から図書館へと通いでの勤務を再開しており、朝その挨拶を受けたところだったから、差出人を見ずとも思い違いにはすぐに気づいたのだった。


 その封筒の裏を見て、俺が相好を崩したのも無理はあるまい。

 優雅な筆跡と雄々しい鷹の紋章が示すのは、エンディオンその人に違いなかったからだ。


「なんだろう。近況報告かな」

 このところ心沸き立つことのなかった俺は、信頼する家令からの手紙というだけで、もうワクワクしてしまった。

 まずは長い暇の詫びに始まり、実家での簡単な暮らしぶりに、予定通りに出産が運びそうだ、というようなことが記されてあった。


 よかった――

 万が一のことがあれば、休暇の延長も考えられただけに、予定が順調と聞けたのは俺にとっても存外の喜びだ。

 なんだったらもっと、普段の暮らしぶりを長々書いてくれてもいいのに――と思えるほど、エンディオンの私生活についてはあっさりとした文でまとめてあった。

 厚みを作っていたのは、その続きだったのだ。


 いらぬ心配をかけぬように、と、殊更現状については知らせぬようにしていたのだが、我が家令は離れていても俺の近況については十分に把握しているらしい。

 現在の俺の立場を、ことごとく言い当てた文が記されてれてあったのだから。

 さらに手紙はこう続いていた。

 もちろんセルクとキミーワヌスが適切に対応をするだろうから、自分が今から書き記すことは、暇つぶし程度の知識に留めていただきたい、と。


 そこに書かれていたのは、以前の大公位争奪の実例のいくつかだった。

 しかしそれは暇つぶしなどとは到底呼びがたい、今回の事件の対応や心構えのために役立ちそうな事象ばかりだったのだ。


 手紙で十分に要点は抑えられていたが、その上有り難いことに、さらに詳細な情報を求めるには魔王城の公文書館でどの資料を閲覧すればよいか、ということまで追記してあった。

 その資料集めをミディリースにでも命じれば、さすがの彼女も公文書館を目的あって訪れるという好機を、自分の臆病のために逃すはずはないだろう、というようなアドバイスまでくれていた。


 ***


「お兄さま……なんだか、嬉しそうですわね……」

 おっと。久しぶりにエンディオンが側にいてくれたような感覚に、気分が高揚していたのを妹に見破られてしまったようだ。

 逆に、どうしたことか妹は元気がない。もっともそうと聞いていたから、今日は久しぶりに兄妹二人きりで昼食をとることにしたのだ。

 マーミルが気に入っている、百合の花が見えるテラスでの昼食だというのに、そんなことでは機嫌も直らないらしい。 


「ねえ、お兄さま。ご相談があるんですけど」

「言ってごらん」

「マストレーナたちとも話していたんですけど……アリネーゼ様のお子さまたちを、私たちのお茶会に呼んでもいいかしら?」

「どうして?」

「どうしてって……だってやっぱり、家族に奪爵なんてあったら、落ち込んじゃうでしょう? スメルスフォはアリネーゼ閣下をお見舞いにいって、元気づけているみたいだし、シーナリーゼもお世話のお手伝いにいったみたい」

 ああ……気をつけてくれと言ってあるのは妹に対してだけだしな。スメルスフォならそうするだろう。


「でも、私は子供だから、きっと二人についていってもなんの役にも立たないって思うの」

 近頃背伸びをするのをやめたのか、妹は随分殊勝だ。……以前に比べれば。

「だからせめて、年齢の近いお子さまたちの気分を、少しでも紛らわせることができたらって……ダメ、かしら……?」

 俺があまり妹にアリネーゼの家族と接触をもたせるな、とセルクに言っていることを知ってか知らずか、妹は遠慮がちに尋ねてくる。

 俺は妹の小さな頭を撫でた。


 どうやら妹は俺が思っていたよりずっと、心根もしっかりしてきているようだ。そうだな……あのころと、今では違う。マーミルも随分成長したし、俺だけしかいなかったあの時と違って、今では頼りになる親友たちもいる。

「いいだろう。思うようにやってごらん」

「ありがとう、お兄さま!」

 ようやくマーミルは、ホッとしたように微笑を浮かべた。


「ところで実は、エンディオンから手紙が届いたんだ」

「エンディオンから?」

 俺が日常のくだりが書かれた最初の数枚を渡すと、妹は瞳を輝かせる。

 食事を中断して、しばらく黙って読み続けるうち、その口元に徐々に柔らかな笑みが戻っていく。


「よかった……ちゃんと、赤ちゃん生まれそうですのね」

「ああ。ちゃんと、四十五日で戻ってきてくれそうだ」

「それでお兄さま、嬉しそうだったんですのね」

「お前も嬉しいだろう?」

「嬉しいですわ! 約束どおりに赤ちゃん、見せてくれるかしら!」

 どうやら妹の気分も、少しはもちなおしたようだ。


「生まれたという連絡をくれたら、こちらから祝いの品を届ける予定だ。お前、そのお使いをするか?」

「いいんですの?」

「かまわない。ただし祝いの使者となると、いくら相手がエンディオンでもなれなれしい態度はとれないぞ? きちんと礼儀を守って、型どおり挨拶をしなきゃならない。できるか?」

「やってみせますわ!」

「赤ん坊の顔だって、そのときには見る機会もないかもしれない。それでも?」

「ええ、喜んで!」

 俺は妹に頷いた。

「ならばお前に任せよう」

「ありがとうございます! 私、頑張りますわ!」

 妹はようやく、満面の笑みを浮かべた。


「ねえ、お兄さま!」

 上機嫌な声音と感じた次の瞬間、妹の表情がまたも暗く曇る。

 マーミルは冷たい色をたたえた瞳を、自分の前に置かれたスープに向けた。

「ところで……今日のお食事、これ、なんですの……」

 声にも絶望的な色が強い。

「イカスミ……じゃないですわよね? 泥? ものすっごく臭うんですけど、臭いだけで気分が悪くなってくるんですけど……」

「確かに見た目は悪い。臭いも悪い。認めよう。だが、一口飲んでみろ。絶対においしいから!」


 そう。

 今日の昼食は、例の毒沼でとれた毒の大蛇のフルコースだ!

 あれから、ダァルリースはちゃんと約束通り、うちの厨房に大蛇一匹丸ごとを届けてくれた。簡単なレシピも添えて……。  それを今日の昼食に、調理してもらっていたのだ。

 見た目のグロさと反する得も言われぬ極上の美味を、このギャップを、妹には一番に味わわせてやりたいではないか!


「ほんとに……?」

 妹は、スープをかきまぜながら、ちらちらとこちらを窺ってきた。

「本当だ! 自信を持って断言する。絶品だと!」

「お兄さまがそこまでいうなら……」

 妹は、おそるおそるスプーンにスープをすくいあげた。

「うえ……何これ。ヒドい臭い! あり得ない……」

 鼻をつまみ、しかめっ面で感想を述べる妹。

 しかし目に見えるようだ。

 最初はおそるおそるでも、一口、口内で味わった途端、行儀悪く貪るようにスープをすする妹の姿が――

 今回ばかりは仕方ない。俺も口うるさく注意しないよ。存分にお食べ。


 いよいよ――妹が、その黒いとも灰色とも言い難い、そのスープを口に含んだ途端――


「う……」

 妹は大きな赤い瞳を、さらに大きく開かせた。

「うまいだろ!?」

「う……」

「お前のその気持ち、よくわかるよ」

「う……」

「うんうん」

「うげえええええええ!」

 妹は……行儀悪く貪るどころか……行儀悪く、横に向いてスープを吐き出してしまったのだった。


「ま……まずい……まずいですわ、ほんとに泥!?」

「そんなバカな……」

 あの絶品スープが、まずい、だと!?

「お兄さま、味音痴でしたの!? それとも、私が嫌いでこんな嫌がらせを!?」

 青ざめ、涙目で叫ぶ妹。

「バカなことをいうな。お前こそ、味音痴なんじゃないのか?」

 俺は自分のスープをすくい、信じ難い想いで口に運び――


 吐きだした。


 ……得も言われぬ……まずさだった……。


「ばかな……まずい、だと?」

「ほら! やっぱり美味しくないでしょ!」

 美味しくないどころか……なんだこれ。舌が少しぴりっとする、どころの騒ぎじゃない。苦い。ほどよい苦み、とか、そんなかわいいものじゃない。苦すぎて舌が痛くなるほどの!

 一口、たったの一滴で、口の中に雷撃を放たれたかのような衝撃が走るではないか。

 しかもざらざらというよりはじゃりじゃりとして、マーミルの言うとおり、本当に泥でも飲んだみたいだ。


「おえ……なんだ、これ……」

 ダァルリースの出してくれた料理は、あんなにうまかったのに!

 レシピだってもらったって言ってたのに!

 どうしてこんな、全く別の料理に仕上がってるんだ!?

 え、まさか……ほんとに泥!?

 俺のこと嫌いな誰かが、ほんとに泥水を混ぜたとか……!?

 っていうか、これ全部毒じゃないのか!?

 いやいや。いくらなんでも、この実力主義の魔族社会において、大公にそんな嫌がらせをする度胸のある者がいるわけがない。

 しかし、ならばなぜこうなった!


「うえええええ」

 俺たち兄妹は、それから暫く何か口にする気もなくし、ただただ最初の衝撃的まずさを忘れるために、口内をゆすぎ続けたのだった。


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