エピローグ
次に俺が目が覚めた時に映ったのは、白い天井。
視線だけゆっくりと辺りを見渡すと、見覚えのある病室だと気づく。
「気づいたかね」
その言葉で無意識に体を声の方へ動かそうとする。
しかし体は思うように動かず、変わりに激痛が走る。
短い悲鳴を零してしまう。
「急に動かさない方が良い、まだ傷が塞がってないからね」
優しくそう言う声の主の言葉通り、ゆっくりと頭を声の方に向ける。
そこには爺ちゃん先生が居た。
「二日間も目が覚めないから流石に心配したよ」
優しい瞳で爺ちゃん先生は俺にそう言う。
「二日……?」
枯れた声で繰り返してしまう。
あれから二日も経っていたのか?
正直実感が沸かない。
包帯だらけの体も、二日も経っていた事も、まだ実感が沸かない。
それを伝えると、爺ちゃん先生は優しく笑う。
脳がまだしっかりと動いていないだけだと。
徐々に話でもしていれば直ぐに何時も通りに考えられると。
教えてくれた。
「じゃあ、そうだね……あの後の事を教えようか」
じいちゃん先生はあの後の事を話始める。
まだ覚醒しきっていない俺に解るように、ゆっくりと。
俺は廊下で倒れた後、直ぐに別の手術室に運ばた。
頭は割れているわ、出血多量だわ、鼻は折れているわ、アバラは折れているわ、頬まで裂けている始末。
治療の内容を聞いているとよく生きていたな、と自分でも感心する。
あ、一回死んだが。
そして。
同じくあの医者も治療を受けたらしいが直ぐに気がついた医者は錯乱して暴れ周り大変だったらしい。
ある程度の話を聞いた後、俺は絶対安静を告げられる。
流石にこの状況では完全に治るまでは外に出る事は禁止された。
その日はそこで話を終えて一日が終わった。
次の日、俺の部屋に先生と悪友二人。
そして親達と一人の警官が集まっていた。
親達の怒号が病室に飛び交う。
既に説教は二回目なのか、悪友二人はうんざりしている具合だ。
暫くの説教の後、警察が割って入ると静止した。
医者は淡々と俺達の所業が犯罪である事、刑罰を受ける事になるであろう事を説明してくれた。
覚悟の上だったが、やはり言葉にされると心に刺さる。
とんでもない事をしでかしたのだ。
散々話した後、最後に「だが」と警察は付ける。
その付け足しの意味が解らず俺は首を傾げてしまう。
既に聞かされているのか、悪友二人の表情は変わらない。
警察がその先に言った言葉で俺は理解する。
俺が寝ている間に事件という物は既に無くなり、解決していたのだと。
それは爺ちゃん先生が手を回してくれていたのだ。
アゲハの外出届のサインを何時のまにか獲得していたらしく、果ては俺達の行動が治療療法だと言う事にしていた。
ご丁寧に書類まで用意し、どの書類にもしっかりとアゲハの承諾サインが書かれている。
確かに元々は治す為に行った行動だ。
流石に無理があると思ったが、警察は思いの外にあっさりとそれを受け入れたらしい。
既に話はついていた。
色々と手配してくれた爺ちゃん先生には感謝してもしきれない。
それでも、行動自体の罪が完全に消える事は無いようだが。
特に、大人達に手を出した悪友二人は逃れられないようだった。
二人は学校から厳重注意として、謹慎という扱いを受けた。
イケメンは内申がぁ……と、ブツブツと呟き。
筋肉馬鹿は楽しかったと笑い飛ばし、二人は甘んじて罪を受けとめていた。
正直申し訳無いという気持ちが強いが、何も言わないアイツらが、求めている言葉では無いだろう。
だから何も言わない。
いつか恩を仇で返してやる。
実際俺もあの鬼畜医者を思いっきりブン殴ったわけだけど。
その点に関しても警察が教えてくれた。
……凶器を持った状態という事で、俺の行為自体は正当防衛と扱われた。
流石にやり過ぎだとは言われたが。
錯乱している医者の発言や状態から、殺人未遂の言い逃れは出来ないそうだ。
血の付いたメスを持った状態だと言う事と、血が付いたハンマーも既に発見されているらしい。
警察が教えてくれたのはここまで。
それから鬼畜医者がどうなったかは爺ちゃん先生が教えてくれた。
異常なまでの錯乱に、良く医者が飲んでいた錠剤が調べられた途端、警察は慌ただしくなったのだ。
俺達の事など構っている暇が無くなったくらいに。
爺ちゃん先生の話が簡単に通った理由の一つなのかもしれない。
結局、罪が軽くなったのだから良い方向に進んだと考えて良いのだろうか。
何にしろ、全ての罪を背負うようにして、あの医者は消えた。
もう、会う事は無いだろう。
それから傷が治り切るのに1ヶ月。
その後退院し、更に2週間が経とうとしていた。
……そして。
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寒い風は徐々に暖かい風へと変わろうとしていた。
もうすぐ春が来ようとしている。
いつもの道を通り、いつもの受け付口。
俺の顔を見て呆れたような看護師さんの顔もいつもの事。
毎日毎日良く頑張るね、なんて皮肉めいた台詞と共に見送られる。
階段を上がり、白い廊下の突き当り
窓から大きな木が見える病室だということを俺は知っている。
病室のノックを数回。
この動作も毎日やれば慣れる物で。
「開いてるよ」と言ういつも通りの声が聞こえる。
俺はドアノブに手を掛け力強く握り締める。
緊張のせいかドアノブがうまく回らない。
一度、息を呑んで、もう一度ドアノブを回す。
今度はすんなりと回ってホッとする。
チャンスは………
一度切りだ!!!
行くぞ……!
ドアを力強く開けると、上半身と下半身を素早く脱いだ!
部屋に前転で進入!!
転がり込みながら後方良し! 前方良し!
標的に向かって片足だけ立てて親指を立てて!
体を黒く油ギッシュに塗りたくったこの光沢を見よ!
この姿だけでも笑いは取れる! しかしそれだけでは止まらないのがこの俺よ!
親指で自身を指し、堂々と言い切る!
「上半身も! 始めました!」
さあ来い! ビッグウィング!!(笑いの風)
駆り立てる思いを風に乗せて爆笑するのだ!!
「……取り敢えず君は何してるんだね」
爺ちゃん先生の、思いの外に冷静過ぎる言葉が飛んでくる。
「いえ……あれ……面白く無いですかね」
俺の言葉に先生は溜息を零した。
笑い上戸の先生が笑わなかった程につまらなかったの!?
コレ体に塗るの大変だったんですよ!? ドアノブ開けようとしてもツルツルして開けるの大変になるんだよ!?
ベッドの近くに座っていた先生は視線をチラリとベッドに向けた。
それに合せる様に俺も視線をそちらに向ける。
ベッドには、小さな寝息を立てている彼女が居た。
表情が青白いものの、彼女はしっかりと生きている証を示すように、胸が上下している。
アゲハは、そこに居た。
目覚めたその日に、アゲハが生きている事を教えてくれた。
慌てて確かめに行こうとする俺は制止され、今はまだギリギリの状態なのだと教えられた。
それからモヤモヤしたものが心に残ったまま面会を許されたのは俺が退院してから数日後だった。
管が通されたままの姿の彼女がそこに居た。
痛々しい姿だが、それでも彼女は生きていた。
それから、俺は許される限り毎日彼女の病室に来ている。
来る度に体に刺さっている管が減っていき、しっかりと回復しているのが見て取れるのは嬉しかった。
今はそういった管も無くなり、仰々しい機械も見当たらない。
先生によれば、手術自体は成功したらしい。
唯、意識は未だに戻っていないとの事。
それでも生きていてくれている事を喜んだ。
何故意識が戻らないのか。
それに関しては先生は首を横に振る事しかしない。
元々心臓の手術自体がかなりの負担をアゲハに掛けている。
それらがアゲハを植物人間にしてもおかしくない程の負担。
そもそも無心病という奇病から生き残った異例な状態は、先生でも始めての事は何とも言えないらしい。
それでも確実に、彼女がしっかりと回復しているのは見えているのだ。
それだけで今は十分だ。
いつか目覚める事を信じて毎日通う。
そんな俺の様子に先生も最初は優しい目で見てくれていたのだが、最近の視線は妙に冷たい。
流石に毎日ギャグを続けられるのは嫌らしい。
「ほら、普通に面会するなら早く体のそれ流して来なさい病院のシャワー使って良いから」
呆れた様子でそう言われながら俺は促される。
先生も俺のいつもの様子に既に慣れっこなようだ。
唇を尖らせながら俺は一度病室から出る。
今回のは懇親の出来だったんだけどな。
彼女は昔よりも無頓着になってしまったようで。
何を言っても、どんなギャグをしても、見る事も聞く事も無く。
眠ったまま。
それはまるで、本当に死体になった様に無反応だけれど。
それでも俺は毎日ふざけ続ける。
彼女がいつか起きる事を信じて。
手を叩いて笑い転げる姿を夢見て。
彼女のヒーローで、有り続ける為に。
もうちょっと続くよ!




