五十一話め.偽物ヒーロー
気づけば河合くんの後ろ姿がそこにあった。
小さな男の子の姿だけど、彼を見間違える事は無い。
……可愛い。
ここは知ってる。白い世界。
父と母との事故の後にも、気づけば居た場所。
つまり、河合君がそこに居るという事は。
そういう事なのかな。
……。
それで私がココに居る。
それはちょっと都合が良過ぎな気もする。
誰かが教えてくれたのかな。
少なくとも、私がここにいる意味は解った気がする。
小さな姿の河合くんが動き出した。
声を掛ける事も無く河合君の後ろに付いていく。
階段を上がっている河合君は気づかない。
ずっと後ろに居るのに気づかない彼は相変わらずらしい。
前を見て、後ろを振り向かない。
河合君はひたすら上がっていく。
父や母の事を忘れられず、後ろばかり見ていた私とは対照的で。
やはり河合君は河合君らしい。
河合君の景色は沢山の感情が入り乱れていた。
とても、綺麗。
少しづつ姿を変えていく彼と違い私の見た目に変わる気配は無く。
それは妙に皮肉っぽくて。
貴方は、こんな所で死んでいい人じゃない。
これからも……沢山の感情を、沢山の人を助けて行くんだろうね。
この映っている景色の人達を助けて行ったように。
だから。
生きて。
誰かがいないと誰かを助けられないというなら。
父や母が、私にそうしたように。
私は、貴方に生きて欲しい。
死なせない。
貴方は満足しないと思うけれど。
私に関わってくれてありがとう。
最初で最後だったけれど。
私は満足したから。
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今ならお父さん達の気持ちが解る。
手を指し伸ばされた時、正直揺らいだ。
もし、私が生きていられたら。
沢山楽しいんだと思う。
きっと。
いっぱいっぱい幸せになれて。
泣いて。笑って。怒って。
……でも、私は結局幽霊でしか無くて。
今、感情があるからこそ解る。
無心であった自分にゾッとする。
苦しめられた14年間は私の心を十分に破壊させていた。
私はきっと、戻れない。
生きようと、思えない。
河合君。
ごめんね……。
私がここに来た時、この扉の手前で父に落とされた。
優しい笑顔で私を落とした父の気持ちはこんな気分だったのかな。
西洋風の両扉に手を掛ける。
軽く押すだけで扉は迎えるように優しく開いた。
強い光が漏れ出す。
ドアの先には、一つの黒い影。
強い光によってはっきりと見えない。
でも。
その影は、見間違える筈も無く。
あれから何年も経っているのに姿は変わらない。
また涙がポロポロとこぼれてしまう。
嗚咽交じりになってしまう。
喋り難い。
感情っていうのは大変みたい。
それでも、心から。
熱い気持ちが込み上げる。
鼻にツンと来る悲しさと一緒に沸き上がる暖かい感情。
これは、嬉しさが込み上げてるんだよね。
「おかえり」
影が優しく私に語りかけてきてくれる。
小さい頃には良く聞いていた言葉。
落ち着いた、透き通った声。
感情が動かなくても、何年経っても。
その声を忘れた事は無かった。
「ただいま」
涙をボロボロと零しながら、私も返す。
嗚咽の混じった涙声は、伝わったのかな。
14年間。
帰っても、誰も居ない部屋があるだけ。
「おかえり」なんて誰も言う筈が無かった。
そんなのどうとも思わなかったのに。
久々に聞いた言葉に、掛け合いに。
今は、沸き上がる思いが止まらない、
影に向けて、手を差し伸べようと、光溢れるドアに踏み込んだ。
光が、私を優しく覆って行く。
ああ、お母さん。
話したい事がいっぱいあるの。
私ね?
私ね。
好きな人が。
居たんだよ。
俺は。
何してたんだっけ。
ぼうっとする頭は、徐々に動き出す。
薄っすらと目を開ける。
ここは……?
辺りは暗く、薄っすらと見えたのは木々。
森の、中?
「何だ生きてたのか、頭カチ割れてるのに良く生きてたなマジ妖怪だなテメー」
横からの声は、筋肉馬鹿、基もとい隆二。
顔は殴られた痕で晴れ上がり、服はズタズタになっていた。
そんな状態の筈なのに、俺に肩を貸してくれていた。
俺を引きずる様に運んでくれていたようだ。
体に加わる振動がズキズキと頭に響く。
頭に触れると、何か布地の様な物が巻かれているのが解った。
状況が読み込めない俺は放心してしまう。
振動による痛みに何度も襲われる。
その痛みが心に刻むように、ゆっくりと、思い出させた。
あれは、夢じゃなかった。
だったら、アゲハは。
思い出すと共に腹から込み上げる。
「お、おぇぇぇぇ…………」
認めたくない思いが。
体中が否定するように。
込み上げる思いを吐き出す。
「おいおい汚ねーよボケ」
呆れたように俺に言う隆二はそう言いながら立ち止まる。
零れる唾液も気にせずに唇を震わせながら俺は口を開く。
「アゲハが……アゲハが……」
誰に言うでも無く零す。
自身が確認するように。
隆二は何も言わずに立ち止まったまま。
それは俺の次の言葉を待つように。
俺は口を噤む。
言おうとした言葉を飲み込む。
そして、込み上げる思いが、今度は悲鳴へと変わる。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!」
森の中で俺の声が響き渡る。
吐き出すように。理解しようとした事を否定するように。
ボロボロと零れる涙等気にせず叫び続ける。
思い出した事を否定したくて。
認めたくなくて。
隆二は何も言わない。
泣き続ける、叫び続ける俺を、待つように。
喉が枯れて来ると叫び声は出なくなる。
何度かの咳と共に、俺は嗚咽を零す。
「気ぃ済んだかよ……」
隆二の言葉に、俺は枯れた声でボソボソと呟く。
「アゲハが死んだ」
俺の言葉に、隆二は何も言わない。
「死んだんだよ……」
しっかりと、受け入れるように。
確認するように。
俺はもう一度零す。
一瞬の間の後、隆二が冷めたように言葉を返した。
「……で?」
いつもらしい、隆二らしい返し。
こいつのそういう部分に救われる事がある。
コイツは同情もしないし哀れむ事も無い。
唯変わらずに真っ直ぐ受け止める。
そして、真っ直ぐに返す。
「泣き叫んで。お前は、どうすんだよ? 端っこでメソメソと蹲るかよ」
「………」
何も言わない俺に、急かすように皮肉の言葉をブツけてくる。
「どうすんだよヒーロー」
その言葉に、反射的に言葉を返す。
「俺はヒーローじゃない……」
助けられなかった人間の何がヒーローだボケ。
俺はそんな大層なもんじゃねーんだよアホ。
俺は良いとこデパートのヌイグルミぐらいで十分。
馬鹿やって笑顔振りまいて。子供に風船配ってるくらいの人間なんだよ。
望み過ぎちまったんだよ。
「アゲハは、そう思ってたぜ」
隆二の言葉に、へるぷみー、とふざけた台詞を俺に言ったアゲハを思い出す。
そんな大層なもんでも無い俺に何を求めたんだよアイツは。
結局、結果はこんなもんだったじゃねーか。
項垂れる俺に、何も言わない俺に。
隆二がゆっくりと、俺に言い聞かすように言葉を続ける。
「アゲハが求めてたヒーローはそんなもんかよ」
「…………」
その言葉に一瞬何も言えなくなる。
あいつの求めてた物ってなんだよ知らねーよ。
俺は、言葉通り、その程度で。
「そんなもんだったんだよ」
力無く声に出す俺に、隆二の表情が慰めに変わる事は無い。
寧ろ、苛立ったような表情。
その苛立ちは顔だけでは無く、行動にまで出る。
鈍い音と共に、容赦の無い頭突きが襲う。
「っぐ! アァ!」
呻き声が漏れる。
まだ止まっていない血は派手に飛ぶ。
怪我をしているとか関係無く、この男は容赦しない。
頭突きが頭に響く。
心のもやを、吹き飛ばすように。
「おい良く聞けオフザケ腐れ馬鹿」
自身の額に俺の血が付いている事すら気にせず隆二は怒りの声を上げる。
「テメーがテメーをヒーローじゃ無いって言うのは勝手だけどよ、アゲハはそれを信じたんだろうが、だったら最後までヒーロー気取って見せろよ偽物野郎」
……ああ。そうだ。
アイツが助けを求めて来たのは、俺なんだ。
業を煮やしていつもアイツが手を取る前に奪うように引っ張っていた。
だから、始めて自分から手を取ろうした事が嬉しかった。
ヒーロー何て柄じゃ無いのに。
ピエロの方が性に合ってるのに、ヒーローになりたいと思ってしまったんだ。
アイツを救う、カッコイイ正義のヒーローに憧れてしまったんだ。
そんな大役が務まる器じゃねーのに。
「こんな所で退場するつもりじゃねーだろうな。ここまで色々巻き込んだまま、悲しくてもう動けませんなんて言うんじゃねーろうな殺すぞカス。その覚悟はして来た筈だ。あの女殺すつもりで挑んだ筈だ。それで殺しちまったからボクちんもう無理ですーってか? 舐めてんのかボケ」
遠慮なんてしない言葉は俺の心を揺さぶる。
偽者のヒーローに響く。
揺らいだ俺の心を、更に揺らして、もう一度思い出させる。
俺が最初に決意した事を、覚悟した事を、思い出させやがる。
ドロップアウトもさせてくれないコイツは残酷だ。
「どうすんだよ」
解ってんだろ。と言うように。
知っている癖に、言わせるように。
「医者が……アゲハの臓器取り出すとか物騒な事言ってやがった……情けねーけど動けねーんだ、……急いでくんね」
「ああ」
搾り出した声に、隆二は短く即答する。
それだけ。それ以上コイツは何も言わない。
俺に背を向けると、背中に乗るように促してくる。
鍛えられた筋肉は伊達では無く、男一人を担いでいるとは思えないスピードで走り出す。
どうやらさっきまでは、意識の無い俺に気を使ってゆっくりと運んで居たようだ。
ああ、解ってる。
舞台を準備したのは俺だ。
逃げたら、駄目なのも解ってんよ。
あの女が俺を最後までそう思ってくれたってんなら。
最後までヒーローっぽく戦ってやる。
偽者ヒーローが泣きながら。
守りたいもんを守れなかった野郎が、守れなかったもんに縋る様に。
もう意味が無いと解っていても、守ってやる。
手遅れの死体の目の前で。
殺さないでと、叫んでやるよ。
どんなに惨めに映ろうとも。




