四十二話め.最後の勝負は最高のステージで
私の手を握って前を走る彼は、一切私の方を振り向かない。
加減するように走ってくれては居るのだろうけど、言葉を喋らない河合君というのも妙に珍しいと思う。
一心不乱に走り続ける。
何かを必死に振り払おうしているように。
振り返らないのは。
前だけ見ているのは。
私に見せたくない顔でも。
あるのかな。
走り続けて10分ぐらいだろうか。
生い茂る山道は次第に開けていく。
遠くからでも目的の場所らしき物が見える所まで来ていた。
そこには小さなプレハブ。
遠木々の間から、微かに見えていた。
明らかにプレハブに向けて走っているようだし。
それにしても、河合君は隠れ家だと言っていた割には隠れきれていない気もするけど。
確かに生い茂る山道では見えなかったけれど、少し抜ければ遠めでも建物があるのは解る。
まるで見つけて下さいと。
言うのかのようにも感じる。
彼は走りながら、やっと振り向く。
無理矢理に笑ったような情けない笑顔。
それでも彼は笑いながら言う。
「最高のステージに! よ う こ そ!」
何カッコつけてんの? 目が赤いよ。
プレハブのサイズは外から見れば小さく見えたけど、中は十分に広い。
が、かなり散らかっている。
食べかけのお菓子や飲み干したジュースのペットボトル、寝袋。
小道具を作る為に使った鋏やダンボール、金槌なんて物まで転がっている。
俺達3人で寝泊りしながらだったが、何とか間に合った。
流石に片付ける暇は無かったが。
……ここまでやってくれたあいつ等は。
いや、今は信じるしかない。
プレハブの中心には、5メートル程のステージが置いてある。
レンガを積んで、上からダンボールを被せた手作り感満載のステージ。
ステージの端には小道具が詰め込まれた大きなダンボール。
考えられる限りの笑わせる為の物を詰めれるだけ詰め込んである。
ステージの前には古ぼけたパイプ椅子が一つ、その上に申し訳程度に安物のクッションが置かれている。
ステージと言っていいのか解らない位の物だが……短時間でプレハブまで用意したんだ。
俺達としちゃ上出来だろう。
舞台は揃った。
後は、後は……。
……。
「ここが、貴方の言うステージ?」
一言そう言うとアゲハはプレハブをぐるっと見回す。
そして何も言わずに眼に映ったプレハブの椅子に座った。
あまりにも、素直に。
そんな彼女に少し呆気に取られる。
「お前は……」
俺が何か言おうとする前にアゲハが言葉を零す。
「時間が、無いんでしょう……あの人達が作ってくれた、時間なんでしょう……」
その言葉に、俺は自然と笑みが零れる。
コイツも、きっと変わってきている。
少しづつだけれど。
変わっている、そんな風に感じた。
少し嬉しくて。
俺は満面の笑みを見せて、ステージに駆け上がった。
といっても小さな段差でしか無いのだが。
箱に手を突っ込み、取り出したのは鼻眼鏡。
間抜けでバカでふざけた鼻眼鏡。
「さぁ始まりだ!! 笑えない無愛想娘め! 客はテメーだけでピエロは俺だ! 最後の勝負だ! 幽霊娘!!」
格好良く言っても、鼻眼鏡を付けた俺はきっとバカみたいで。
ここは、笑う所!!
最後の。
最後のラスト舞台だ。
■
小さなプレハブ。
その中にある、更に小さなステージの上。
その上で、俺は考えられる全ての芸を見せる。
笑わせる為に、感情豊かな彼女を見たい為に。
それでも彼女に変わる気配は見えず。
言い方を変えれば滑り続けてるわけで、クソ寒いわけで。
精神的にきっついわ。
それでも、たった一人の観客が終わる度に無感情な拍手を向ける。
ゴミ捨て場で拾った壊れかけのパイプ椅子に腰掛けている彼女。
そんな事も気にしない彼女は。
唯、ひたすらに乾いた拍手だけを送る。
……皮肉か幽霊娘め。
そんな風に、心の中で悪態を付きながらも。
俺は続ける。
馬鹿みたいに。
頭がおかしいんじゃねぇか?
そんな風に思われてもおかしくない。
それでも、馬鹿を止めない。
お前の冷たい瞳が、俺を見続けるから。
お前が向ける拍手は何だ? 誰の為だ? 拍手の意味を知っているのか幽霊娘め。
感情が無い癖に、無感情な癖に、無意識に乾いた拍手を向けやがる。
笑えない代わりに、惨めで恥ずかしい俺の為?
俺の為にアンコールかよ。
これじゃ誰の為のステージだか解んねえな。
死人の癖に、幽霊の癖に。
アンコールが終わらないなら俺だって終われねぇよ。
お前さ。
お前はもう。
死人じゃねぇよ。
笑えなくても。
無感情でもよ。
病気だろうが。
死に掛けだろうが。
幽霊だろうが。
知ったこっちゃねぇ。
誰かの為を思えるなら。
お前はもう。
死人じゃないよ。
ふざける俺とお前の時間はゆっくりと過ぎていく。
どれくらいが経っただろうか、短いようで長く感じる時間。
ずっと無表情で拍手を続けるお前に、俺は苦笑いを向けてしまう。
俺を笑わせてどうするバカ。
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