三十五話め.幸せな笑顔で死にやがれ
馬鹿なクソガキな俺と。
馬鹿な老人は。
二人だけの病室で、お互いに涙を流したから。
目が真っ赤。
互いが互いに意味は違えど発端があの女である事は変わらない。
傍から見たらどういう状況だよって思うだろうな……この状況はあのバカな幽霊娘のせい。
いい年した老人と、いい年した若造な俺は恥ずかしげも無く。
悲しいんだもん。
泣くのに年齢なんて関係無いよな。
悲しむ事も出来ない奴もいるんだから。
どれ位経ったのだろう。
もう遊んでいた子供達はいない。
辺りは暗く、冷たい風が吹いている。
月の光が暗い公園を薄っすらと照らす。
月をぼうっと眺めながら先生の言葉を思い出す。
先生は、最後に俺にこう言った。
『この話を聞いてどうするかは君次第だ。離れるのも離れないのも……』
これから、あの幽霊娘に関わるかどうか。
ずっと考えている疑問は未だに出ない。
誰も居ない公園で伸びをする。
「どォーしよっかーっ……なー」
間延びした声が漏れる。
何となしに言った疑問の言葉は、冷たい風に流れる。
誰も聞いている筈が無いのは解っている。
それでも言葉が出てしまった。
誰かが答えを言ってくれる。
俺の中で無意識にそう思ったのかもしれない。
答えられないこの疑問に……。
関わらなければ、彼女を殺す、という事は無くなるだろう。
だが俺は約束した。
一方的でも、笑わせてやると言った。
冗談なんかじゃない、無論本気だ。
唯、笑わせると言う単純な事を。
笑わせるのに冗談じゃねーってのは……これ如何に。
誰もいない公園で、クスッと小さく笑う。
夜の公園で一人で笑ってるって中々犯罪臭いな……。
そう思って少し笑顔が引き攣ってしまう。
「どーしよっかなーーー!」
今度は大きな声で言ってみる。
今度は意図的に。
誰もいる筈の無い事は解っている。
誰も答えないのは解っている。
何も返ってこないのは解っている。
誰も居ないのに、つまり……冗談だ。
「どうするの?」
返ってきた。
冗談で言った言葉が返ってきた。
誰も居ないと思っていたのに。
返ってきた声の方を見る。
そこにはアゲハが居た。
外履きのサンダルと薄い患者服だけの姿は時期的に外に出るような格好では無い。
何しに来たんだこいつ。
俺と目を合わせると、アゲハはもう一度言う。
「どうするの?」
首を傾げて二回目。
まるで二回分の俺の疑問に、答えるようにだ。
「てめ……いつからいたんだよ」
「独り言零して夜の公園で一人で笑ってるのは……警察呼べば良かった?」
こ、この女がっつり見てんじゃねぇか。
そして俺の一回目の疑問も聞いていたようだ。
相変わらずの皮肉を込めた言い方は、死ぬ病気に掛かっている人間だとは思えないな。
「変質者でも何でもねーんだから絶対そんな事すんなよお前!」
「変質者では無いかどうかは胸に手を当てて考えて見れば……」
そういえば、この女との出会いは俺パンツ一丁。
……この話題はこれ以上止めておこう。
「で、どうするの?」
「待て俺はまだ三回目は言ってねーぞ」
最初と、さっきので二回しか言って居ないというのに。
「ふぅん……それで、どうするの?」
まさかの四回目かよ相変わらずお前は俺の事フルシカトだな!
…………この女は。
「俺が何を悩んでいるかなんかお前に」
「知ってる」
……せめて最後まで言わせろ。
こんな都合良くいきなり来るとか爺ちゃん先生にでも聞いたか?
幽霊娘は無言でベンチに腰掛ける。
俺とは離れるように間を空けて。
丁度良い。
まるで俺との関係のような距離感。
この距離感にも慣れた物だ、寧ろ俺とアゲハらしい。
二人して暫し無言。
何も見えない夜の先をボーっと二人で見つめる。
悩んでいた本人がまさか出てくるとは思わなかったし、何でコイツがココにいるのかも謎だ。
まぁ、いい。
俺達は仲が良いわけじゃないんだ。
何があろうとコイツと俺の関係は変わらない。
だから、コイツが何を考えてるかなんて解るわけがねぇ。
無言の口火を切ったのは俺だ。
「お前、全部知ってんだよな」
はっきりとは言わないけれど、笑わせればどうだとか、感情が動いたらどうなるとか。
そういう事全部含めた言葉を意味深に向ける。
「うん」
短い返答。
相変わらず感情が動かない娘め。
動いたらダメなんだっけ。
「でも感情が動いたら治るかもしれないんだって?」
「うん」
またも短い返答。
「でも死ぬかもしれな……」
「うん」
途中で止めた言葉にも、前のめり気味に瞬時に返答されしまう。
……口を噤む。
そんな俺に何を思ったのか冷たい瞳を向けてくる。
「河合君が私に遠慮する何て世界が滅ぶの? いえ、意識してしまい遠慮しないように図う図うしく聞いて見たらボロが出たって所……?」
「ぐ、ぐぬぬ……」
深層心理を容赦無く突いてくるとは腹ただしい奴め。
「何でも勘で突き進んじゃうバカの癖に、細かい所まで一生懸命考えるからそうなるんだよ……? バカの癖に」
おい何で二回言った今何で二回言った!?
何でこんなムカツク女の為に悩んでんだ俺は。
「悩む必要無いよ、貴方は考える人じゃないでしょ?」
「…………」
その言葉の意味は解る。
そうだな……俺は考えないな。
「もう私に」
「関わらないでってか」
ニヤリと幽霊娘に笑って見せる。
今度は俺が言葉の途中に割って入る。
やり返してやった。
考えないから即決で言ってやった。
アゲハは俺に向けて目を細める。
俺は間を空ける。
「いつもならそうだな……ぜってー嫌だねって言うけどな」
即決野郎な俺は、コイツの何時いつもの台詞に、何時いつもの否定の即決をしてやるのだが、こればかりはいつも通りというわけには行かなくて。
俺の言葉に、アゲハは俺から視線を外した。
「……違うんだね」
「どうだかな」
俺の言葉に、少しだけ考えるような素振りの後、アゲハは口を開く。
「決まってるんだ」
「さぁーな」
強がってそんな風に言う。
決まっていればこんな所にはいない。
俺の言葉に幽霊娘は小さく、小さく呟く。
「そうなんだ」
何とか聞き取れた声は。いつもの無機質とは少し違った気がした。
何か別の……何かが込められているような、そんな曖昧な感じ。
そんな彼女の様子に苛立つ。
ハッキリとしない彼女に怒りが込み上げる。
答えが出せないでいる俺のように見えて。
これはきっと。
八つ当たりだ。
最低な俺の、八つ当たりだ。
「何だよ? あんだけ言ってた俺に、約束した俺に、お前の為に泣いた俺に、期待したかよ?」
少し意地悪だっただろうか。
大丈夫だ、どうせ彼女の心は動かないのだ。
「…………期待した事なんてないよ」
何だ最初の間は。
「っへ……期待した事ないって、ほんっっっっっと悲しい女だなおい」
大丈夫だろうか。
どうせ彼女の心は動かない。
「…………悲しいのかな」
だから何だってその間は。
「ああ、最高に悲しいね、漫画なら完璧にヒロインだぜ、助けてって言えばヒーローが助けてくれるんじゃねーのか? 漫画じゃねーけどな」
流石に言い過ぎだろうか。
やはり、どうせ彼女の心は動かないのだろうけども。
「…………ヒロイン、ええ漫画の世界ね、助けてって言って助けてくれる程甘くは無いのは知ってる」
知ってるんだ。
そうか。
「………」
「………」
また沈黙だ。
黙る彼女は、何を思っているんだろう。
何も考えて無いかもな。
彼女の心は動かない……あの時動いたのは偶然だ。
爺ちゃん先生の決意には悪いけど、寧ろ逃げた先生の気持ちの方が解る。
それに。
彼女に助かる気は無いようにも思える。
考えすぎだろうか。
構わないでと何度も言う彼女が人に助けを求めるだろうか。
求められた覚えは無いな……。
でも、死なれたら、きっと嫌なんだろうな俺は。
何で嫌なんだろう?
……解らないけれど、嫌だなァ。
助けようが、助けまいが、どっちにしても死ぬ彼女を誰でも良いから助けてくれないだろうか。
ああ、ヒーローはいないんだったな。漫画じゃねーんだから。
寒い夜風が吹く。
誰もいない公園には俺達だけ。
冷たい風は強く吹く。
もう、秋は終わり冬が来る。
彼女と出会って、結構経ったもんだ。
強く強く、俺達二人の髪が風に流れるほどに。
アゲハから俺側に向けて。
静かな、夜の公園は、風の音のみ。
風に乗り、薄くか細い声が。
聞こえた。
「……へーるぷ」
ふざけたような間の抜けた声が風に乗って。
風の吹く方から。
反射的に俺は声の方を向く。
綺麗な、無感情の瞳が俺を見る。
月夜に照らされた彼女は、か細く綺麗で。
本当にこの世に存在していないと錯覚するほどに。
すぐに散ってしまいそうな程に可憐で。
無表情の筈の目に、色が見えた気がした。
何て言うんだろ。
淡い。酷く淡い色。
それは、きっと素の色だ。
見惚れてしまっていた。
綺麗な少女であるのは知っていた。
だが、それでも始めて見たような感覚を覚える。
何故だろう。
いつもの無表情で無愛想な彼女では無く。
真っ白だった世界に。
真っ白だった彼女に。
色が着いた様に。
一般人であれば笑っていたであろう風に口が動く。
しかし残念ながらそれは唯の口の動きでしか無いようで。
彼女の口が、横に広がる。
「みー……」
私を 助けて
その言葉は、俺に向けて。
ここには、俺達だけで誰も居ない。
確認してしまう。
俺に、向けて。
彼女が。
あの彼女が。
俺に。
見つめ合ったのは一瞬。
彼女はスグに下を向いてしまう。
驚く表情の俺と、俯く無感情の彼女。
「…………なんてね」
そう言って彼女は立ち上がる。
「冗談よ」
固まっている俺等知らず、一言だけ短く零して背を向ける。
俺に目も暮れず、サッサと歩いて行ってしまう。
たったその一瞬の出来事。
ゆっくり遠ざかる背中に、聞こえるわけも無く、俺は零す。
「あいっかわらず……面白くねえ冗談だな」
何で英語なんだよ意味わかんねぇ普通に言えばいいじゃねぇか。
ばっかみてぇ。
本当に。
面白くねェ。
おもいっきりベンチから飛び出すと落ち葉を、音を立てて踏む。
出ない筈の答えが、一瞬で決まった。
考えても出ないわけだ。
俺という奴は最低だ。
女から言わせるなんて、台詞を待ってたみたいで。なっさけない。
だからそんな俺を払拭する様に、アゲハの背中に向けてポーズを決める。
左手を腰に、右手を斜めに、ビシィッとカッコよく決めて見せる。
最高にカッコいいぜ俺! 月夜に照らされ、決まってるなオイ!
冗談ってのはこうやるんだバーカ! 恥ずかしがって間なんか空けてんじゃねーよ!
恥じらい捨てて、大きな声で。
笑われるか笑われないかは二の次だ。
思いっきりバカやんだよ!!
「ヒーロー! けんっっっっっざんっ!!!」
ふざけた俺の大声に、アゲハが振り向く。
風に舞う髪が顔に掛かるのも気にせず彼女は俺を見据える。
そんな彼女に思いっきり指を指す。
「殺してやる」
小さく零した後、爆発させるように続ける。
「俺が!! お前を!! 殺してやる! 絶対に俺が、殺してやる!」
知らない人が聞けば勘違いするような台詞。
でも今は周りなんて気にせず思いをぶつける。
誰にもやらせるものか、 コイツを殺わらわすのは俺だ。
血生臭い俺の台詞に対して、アゲハは何も言わない。
いつもの無表情。
変わらない幽霊娘。
俺を一瞥した後、彼女はそのまま踵を返す。
離れていく背中を、俺は見えなくなるまで睨みつけていた。
純粋に、殺意を込めて。
救ってやるよ。
殺してやるよ。
笑い転げて、笑い殺して。
俺が、お前を、殺してやる。
幸せな笑顔で死にやがれ。




