三十話め.あの日から私は死んでいて。
河合君の目と、私の目が交差する。
ずっと黙っている私に、最初は表情豊かな瞳をしていた河合くんの目は。
今は真剣にジッと見つめてくるだけ。
何も言わずに、彼はきっと待っている。
私の事を、私が何かを言おうとしてるのを解っている。
なんでわかるんだろう?
彼の事は解らない。
私の為に怒った彼の事が、解らない。
何でそこまでしてくれるんだろう彼は。
私を笑わせる為ってだけで? それこそ意味が解らない。
たったその為だけに? 頭から怪我までして?
馬鹿馬鹿しすぎる。
私は頭の中で整理する。
誰にも話すつもりでは無かった事だから。
どう言葉にしていいのか解らないだけかもしれないけれど。
じゃあ何で私は喋ろうと思ったのだろう。
彼にこの事を言おうと思ったのだろう。
事情を知っているのは先生と他数名だけ……。
こんな赤の他人に何で?
彼が諦めずしつこくつきまとって来るから? 諦めて欲しい為に?
どうなんだろう……感情が浮かばない筈の、幽霊である筈の私には。
こうやって考える事さえ。
久しぶり。
「河合君」
突然口を開いた幽霊娘に多少焦るも、何か決意をしたのだと理解する。
薄い無機質な瞳が、俺を見る。
「私が、なぜ幽霊なのか、何故私が死んでいると言っているか、訳を教えてあげる」
「……久しぶりに喋ってさぁ、いきなりだなオイ? ってかお前怒ってたんじゃないのか?」
俺が医者を殴った時、怒っている印象を持っている。
だからこそ最初入って来た時、何も喋らずじっとしていたのが怖かったのだが。
「別に……私に怒るという感情は無いけれど……」
え。そうなの?
そう考えたら今回だけは感情が動かないという点に感謝である。
「……唯ずっと考えてた」
「何を?」
俺の言葉にアゲハは表情を崩さないまま答える。
「貴方は未だに私を幽霊だと認めていない様子……」
「当たり前だのクラッシュボンボン!」
「だから私は決断したの……」
あ、はいスルーですね解ってましたけどね。
解りきっていましたけれどね。
「私が死んだ日の事を、教えてあげる事に至ったの」
「……え」
あまりにも予想外で間抜けな声が出る。
それは、本当に予想出来ない。
彼女から動き出す事があるとは思っていなかったからだ。
相変わらず唐突な上に訳が解らん娘だ。
別の意図さえ感じるような唐突ぶりだ。
その意図は解らないが、何かを伝えようとしているのなら。
取り敢えずは真面目に黙って聞くさ。
その後またふざければ良い。
■
私は生前時……そんな顔しないでくれる? 貴方で言う所の感情があった時の私は良く笑う人間だったと思うわ。
それは親の影響だと思う。
父はいつも笑っている人だった。
俺みたいだって? 君の下品な笑顔とは違うよ。癒されるような、そう優しく笑う人だったわ。
え? お母さん?
母は、病弱で体の弱い人だった。
うん……同じだったよ。
病院暮らしも一緒で。
遺伝性とかがあるのかは解らないけれど……同じ……。
母の体が弱いという事で良く父は心配していたよ。
母はね、少し抜けている人でね。
天然な行動でも良く父を困らせていたのを覚えているよ。
母は私が泣くと困ったようにオロオロする人で、可愛いらしい人だった。
私と同じだと言ったけれど、母は自己的に笑おうとするのは難しいみたいだったけれど、笑う父に合せて優しく微笑む事は出来ていた。
私程に感情が動かないわけでは無かったかな。
今思うと、同じ病状でも差は結構あったのかもしれないね。
そんな二人と居る時、私も幼いながらも一緒に笑っていた。
え? 今では考えられない?
私も……そう思う。
本題に入るね。
当時でね、無心病を治す可能性のある手術が考案されたの。
酷く可能性が低い実験的な物でしか無い手術。
それでも母は受けると言った。
母の手が、小さく震えていたのを覚えてる。
そんな時。
母の手術を行う前に、父が旅行を提案したの。
不安がる母を元気付ける旅行。
私は何も解らずに無邪気に皆で旅行に行けるって喜んでたけど。
バスの最後尾で、バスの客は私達だけ。
景色の綺麗な山の上に行く途中。
大好きな父が笑って。
それを見て母も微笑んで。
その二人の間に居る私も何だか嬉しくて……笑ってた。
そこからは簡単。
あまりにもあっさりとした事故。
何の捻りも無い乗っていたバスが崖から転落した、というだけ。
今となっては滑ったのか……運転を誤ったのか、詳しくは解らないけれど。
当時幼かった私は外の光景も満足に見れずに状況を解っていなかった。
大人だった二人は直ぐに理解していたようで、それでも既に遅かったんだと思う。
二人は私を挟む様にぎゅっと抱きしめてくれていた。
私を守るように右から母が、母と私を守るように左から父が覆いかぶさる様に。
私は呑気に二人に抱きしめられたんだと思って喜んでいたのを覚えているわ。
その後に来た浮遊感。
地面が壁に変わり。前の椅子が地面へと変わる。
何度もぶつかる激しい音。
共に地面は側面や前や後ろへ変わり、そしてガラスが割れる。
その時の恐怖と衝撃は、感情としては出ないけれど、記憶として忘れられない物で。
父と母のギュッという握り締める力と、温もりも忘れられなくて
割れた窓から投げ飛ばされた私達三人は、二度、三度と衝撃を受けた後、地面へと転がった。
衝撃の度に潰れるような音が耳に響いて。
暖かい水が頭から被……る……ううん、何でもない。
地面に投げ出された状態でも二人は私を離さなかった。
二人に挟まれて泣き叫ぶ私を、母は優しく撫でてくれていた。
父は動く事も無く、それでもギュッと私を抱き締めたまま暖かさが少しずつ消えて行っていた。
母は私に優しく微笑みながら、優しく撫でる手は……ゆっくりと……ゆっくりと動かなくなっていった。
元からあまり喋らない母だったけれど。
……最後は言葉では無く、泣いている私を慰めようとしてくれていた。
母らしい最期。
私が救助された後に、父の最期を見せて貰った。
笑っていた。
最後まで、無心病の筈の母が、微笑んでいたのは。
死ぬ直前でも父が笑ってくれていたんだと……そう思った。
ねえ河合君。
私はね?
その時に死んでいるの。
母と父と同じように既に死んでいるの。
私に父や母のように笑う権利なんて無いの。
私は幽霊。
存在している幽霊。
ただ居るだけ。
私は笑えないし、笑わない。
……話が逸れたわね。
その後、私は暫く今の病院に入院しているの。
入院時に母と同じ病気が発症している事が解るけど。
そんな病気なんて関係無い。
その時には既に私の感情は動かなくなっていた。
それが私。
私の感情が精神的なものだと。
病気だからだと。
色々言われているけど。
そんなのどっちにしても……只、息をしてご飯を食べて寝てるだけ。
私には生きているという実感は無い。
だから私は死んでいるの。
あの日から。今日も。これからも。
私は、父と母と共に死んだの。




